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2024年8月19日

日記を書きだした・昭和28年(1953)     自分史

投稿者 : rfuruya

2024-08-13 06:36:41 | 自分史

★ 昭和28年(1953)10月8日から突然日記を書きだしている。

 その最初の1日、10月8日の日記はこんな書き出しで始まっている。

 「昭和28年も早いもので今日は霜月8日、この1年もこの月と師走を余すのみである。

今日の新聞で蒋介石主席が30年間日記を付けているとかの記事を読んだので、自分も真似事ながら日々のよしなしごとを記してみようかと言う気になったのである。・・・」

 確か、「日記を書くぐらいなら自分にもできる」と思ったのである。

 突然だったのでこんな大學ノートを使っている。

 大学2回生の秋、20歳の時だから、もう70年以上続いていて、

 蒋介石の2倍以上になった。

 

  

 翌日の11月9日に日記とは別にこんなその時の想いを纏めているので、

 そのまま転記してみる。

 

 平安の昔より十六夜・かげろう・紫式部日記と日記も上の部類では文学として1000年の年代を経て現在に残っている。そのような部類のものにしようとは毛頭考えないのであるが、ただ単なる青春の想い出として、後々には自分の脳裏から消え失せてしまうであろうささいな日々の出来事をまた考え、大袈裟にに言えば思想というものをつたない筆ではあるが記していこうと思うのである。

 日記というものを自分で記そうと思いたったのはこれが初めてである。そしてその生まれて初めての日記の書き出しが、肺浸潤という病気に悩まされている日々であることは思っても不幸極まりないことである。

 日記とは読んで字のごとく日々の記である。このようなものは少なくとも後に自分の考えなり行動なりを残そうという意志表示であるとしなければならないだろう。体の健康な時は日記など見向きもしなかった代物である。

 10日間ほど寝たというだけで日記を記そうというような気持ちになるのはどういう意味を持つのだろうか?

 人生五十年という短いとされている期間を更に短縮されるかも知れないという人の弱い気持ちから出てくるのだろうか? いや一日の手持ち無沙汰からかも知れない。まあ兎にも角にも悪いことではなさそうである。世に名の聞こえた人々も多く記していることではあるし・・・

 いつまで続くかが問題である。これから先一生続いたら大したものである。2・3日で止まってしまっても又それもよかろう。

 身分相応に『あきしょう』の自分に最適な大学ノートによってその一頁を始めることにする。

 いついつまでも続くことを祈るや切である。

 昭和28年11月9日 朝  錬太郎 記

  

★ 最初は突然のことだったので大学ノート

 2年目からは一年ごとの日記帳を使っていたのだが、

 それが『3年連用日記』になり、更に『5年連用日記』になって、

 70年も続くと書棚がこんなにいっぱいになっている。

 いまは『5年連用の3年目』だが、できればもう1冊ぐらいはと思っている。

 

★日記を書きだした昭和28年は大学2回生の時で、

 この年の夏の野球部の合宿で『夏風邪』を引いて体調を壊したのだが、

 そのまま合宿も続けて、秋のリーグ戦に入ったのだがその間ずっとおかしかったのである。

 そんなことでリーグ戦が終ってから、医者に行ったら『肺浸潤』の宣告を受けて『絶対安静』を言われて10日間ほど寝ていた時に、

 朝日新聞に蒋介石の日記のことが出て、ふと始めた日記なのである。

 ホントに人生、そんなに長くは生きられないと思った。

 父も伯父も50代で亡くなってしまっていたのである。

 ただ、祖母は102歳、母は104歳まで生きたので、

 結果的には運よく『祖母と母の遺伝子』を受け継いだのかも知れない。

 ただ、私自身の性格は非常に楽観的で、安静をと言われた肺浸潤だったが、結局寝たのは10日間だけで、その後は野球もやめずに続けていたら、

 4回生の時には肺結核になり『空洞』も出来てしまったのである。

 そんなことで4回生の時には単位は取れていたのだが、

 就職難でもあったし1年卒業を延ばしたら、翌年は『神武景気』となって、川崎航空機に入社することになったのである。

 そう言う意味では『いい運』を持っていると自分では思っている。

 そんなことなので、昭和29年(1954)からは、日記帳が残っているので、

 1年毎に日記帳を読み返してみて、その年がどんな年だったのか、

 自分史として私なりにもう一度振り返ってみようかなと思っている。

 いまとなっては、日記があってよかったなと思っている。

 

世の中 変わるな

投稿者 : rfuruya

2024-08-11 06:26:19 | 発想$感想

★ 私は若いころ東北仙台に4年余りいたのだが、

 当時は台風などは関西や九州に来るもので、東北などには無縁であったように思う。

 東北は勿論、関東にも来なかったように思うのだが、

 昨今は関西に台風が来なくなってしまった。

 台風の進路がどんどん北上して、とうとうこのお盆には東北に台風が来るようである。

 『東北地方太平洋側からの上陸は気象庁の統計開始以来初めて』と書かれているから、今回初めての台風のようである。

 

  こんな進路で北海道も直撃するらしい。

  多分、これも地球温暖化の産物なのだろう。

★ 私の学生時代から、社会人になりたての頃は、

 関西は『台風銀座』だったと言っていい。

 特に大阪を襲った台風としてはジェーン台風室戸台風が有名だが、

 1950年9月3日のジェーン台風は、私の高校2年生の頃だが、

 ちょうど京都で野球の試合があって明石から電車で京都に向かったのだが、

 大阪を出て淀川を渡ったあたりで電車は止まってしまって、

 台風通過の真っただ中に5時間ぐらいいたのである。

 止まった目の前にあった消防署の建物が風を含んで浮き上がって壊れてしまったのを電車の中から見ていたのである。

 このジェーン台風が一番想い出深い台風である。

 

  社会人になってからも毎年台風は関西に来ていたように思う。

 当時関東のライダーたちが川重の明石工場に来ていた時に台風が来て、

 関東の人達は台風の経験がなかったので、びっくりしてしまったのを覚えている。

 そんな台風銀座だった関西だが、ホントにここ何十年も台風は来ていないような気がする。

 台風一つにしても『世の中変わるな』と言うのが私の想いである。

 今後は東北・北海道が『台風銀座』になるのかも。

コメント

私の大学時代  

投稿者 : rfuruya

2024-08-08 06:38:22 | 自分史

★ 私が入学した大学は『神戸商科大学』なのだが、

 現在はこの校名も当時の大学の校舎も存在しない。

 校名が合併などで変わることはよくあるのだが、

 その大学の校舎などが消滅してしまっているのは珍しい。

 

 『神戸商科大学』と画像検索するとこんな懐かしい写真が現われた。

  

  現在は『学園都市』と言う学校がいっぱいの新しい街が北の方に出来て、かっての姫路工大と一緒になって兵庫県立大学となっている。

 

★ 私が入学した年は16.5倍と言う倍率だったのだが、

  よく通ったものだと今でもそう思う。

  当時はまだ日本も貧しくて、授業料の安い国公立の大学を目指す人が圧倒的だったのである。

  早稲田・慶応・関学などの私立高は授業料が高いので、

  目指す人は少なくて、そんなにムツカシクはなく極端に言えばだれでも通ったのである。

★そんな神戸商大であったが、

 私自身は殆ど勉強せずに、野球部に入って1回生からレギュラーだったこともあるが、野球漬けの大学生活を送っている。

 近畿6大学リーグで勿論1部だったが、当時は近大がいたので1位は難しかったが、

 常に2位、3位を目指すなど結構強かったのである。

 当時の神戸商大は垂水の駅から坂を上ったところにあって、

 結構きつい坂道を歩いて通ったものである。

 その坂道は今でも『商大筋』と呼ばれている。

  

 授業料もそんなに高くはなかったのだと思うが、

 私は片親で、引揚者家庭と言うことで『授業料免除』で、

 結構な『奨学金』を貰っていたので、給料を貰っての大学生活みたいな感じだった。

 3回生の秋のリーグ戦の時、何となく体調がおかしかったので、

 リーグ戦が終ってから医者に診て貰ったら『肺浸潤』だと仰るのである。

 『野球は止めて静養』と言われていたのだが、

 そのまま野球を続けていたら『肺結核』となり『空洞』まで出来てしまったのである。

 そんなになってもまだ野球は止めずに卒業は1年延ばしたのだが、

 5回生の頃は、野球部の監督をやっていたという『野球漬けの大学生活』だったのである。

★ 3回生の終わりころからは日記を書き始めているので、

 この自分史も日記から拾っていこうと思っている。

 なぜ日記を書き始めたのかと言うことから『私の日記』は始まっているのだが、

 そんなことも含めて以降の自分史は1年毎の日記から拾っていこうと思っている。

  

2024年7月31日

私の高校時代

投稿者 : rfuruya

2024-07-31 05:27:51 | 自分史

★ 中学校は名門神戸一中に行っていたのだが、

 3年生の時に男女共学になり、高校時には学区制なるものが出来て、

 明石高校に転入した。

 まことかウソかは解らぬが、こんなことを言う人がいる。

 

 『これは神戸一中での天覧授業が原因である。GHQが天皇陛下が何故神戸一中に泊まられたのかを調べたら、あの学校は英才教育を行っているということが解って、それでまず男女共学にし、次いで学区制なるものを行った。』

 と言うのである。

 

 そんなことで当時の神戸高校からは明石高校に3人の生徒が転入したのである。 明石から神戸高校に通っていたのはほかにもいたのだが、それは私立の灘高校に転入したのである。

灘高には当時の神戸高校から学区制で各地の高校に行くのを嫌って、神戸高校から大量の生徒が移転したのである。

 もともといい私学ではあったが『灘が文字通りの進学校』になったのはこの年以降だと言っていい。

★ 明石高校はそれなりの伝統もあるいい学校なのだが、

 神戸高校に比べると授業の内容は1年ぐらい遅れていたこともあって、

 転入してからは、私は殆ど勉強をする必要もなかったのである。

 すぐに伝統のある明石高校野球部に入ったのだが、

 その野球部は結構強くて、3年生には全日本の4番を打った大津信さん、

 慶応当時朝日スポーツ賞に輝いた山本治さん、

 2年生にも日本生命の最強時代の国賀・西村さんなどもいたし、

 同期には『完全試合』をした溝畑圭一郎などもいた当時は兵庫県の名門校で『名門明石』と言われていた。

 

    昭和25年(1950)の夏には甲子園にも出場した。

 当時は明石市で高校は明石高校ひとつだったから、

 後援会も強力で、そんなお陰で野球部は裕福だったので、

 夏の予選の前の練習は校庭ではなく明石公園内の野球場での練習が主だったのである。

 この明石球場は当時はひょっとしたら甲子園球場よりも格上で、

 春は毎年読売巨人軍がキャンプを張っていた球場なのである。

 長嶋茂雄も王貞治も入団当時の春のキャンプは明石球場だった。

 因みに夏の予選は甲子園球場で行われていた。

★ 私の高校時代には父は脊髄カリエスを患ってずっと寝ていたので、

 私は大学には行かずに就職するつもりだったから、殆ど勉強はせずに野球ばかりに熱中していた。

2年生の時まではサマータイムで8時半ぐらいまで明るいので練習が終わるのは9時過ぎだった。

 結構な猛練習だったが、今と違ってバッテングマシンなどはない時代だから、練習の主体は守備が長くてノックで絞られたものである。

 私はショートをしていたが、当時の明石の内野陣は兵庫県でもトップレベルで、殆どと言っていいくらいエラーなどした記憶がないのである。

 当時のピッチャーのレベルもそんなに高くはなかったからだと思うが『三振』などもした記憶は少ないのである。

 いまの時代は大谷でもよく『三振』をするのだが、

 当時は打てないバッターを『三振バッター』と言っていて、

 『三振』は今と違って極端に『ダメ』だったのである。

 そんな野球漬けの高校時代だったのだが

 高校3年生の時の1月2日に父が亡くなってしまったので、

 伯父が『治療費も要らなくなったから大学へ行け』と言うのである。当時はまだ、健康保険などはなくて治療費が大変だったのである。

 そんなことで、にわかに1ヶ月ほど受験勉強して神戸商大に入学したのだが、

 その倍率は実に16,5倍もあって、通ることはまずないと思っていたのだが、不思議なことに入学が出来て進学することになったのである。

 

 

2024年7月30日

協同学苑の山の散歩道

投稿者 : rfuruya

2024-07-27 06:41:04 | 発想$感想

★このところ毎朝行ってる協同学苑の北の端には『山の散歩道』がある。

 ここの山の中の登り道は結険しい。

 少なくとも90歳の高齢者が通る道ではないのだが、

 昨日はそんな山道を登ってきた。

 北の一番端にはこんな綺麗な池があるのだが、

 山に見えるが、右側には綺麗な舗装した道があり、

 そこを下って来て、いつもはその道を引き返す。

 その道を通らずに左の方からの山道がある。

 

 

 こんなルートなのである。

 本当に急な登りの階段があり、これが結構長い。

 

 折角登ってきたのに、今度は下るのである。

  その下りの階段も急で、更にこんなに長い。

  この辺りで下の池が少しだが、見えたりする。

 それからはずっと急な登りが続く。

 途中にはこんな休憩所があるので、一休み。

 それからがまたきつい登りで、

  空が見えたところが出口である。

★ 確か去年の秋に登って、今年はこれが初めてである。

  そんなことで、いつも『これが最後かな』と思ったりするのだが、

  もう一度ぐらい登るだろうか?

  ここを通るときは結構慎重に注意して登っているし、

  特に下りは急なので気を遣っている。

  若しこんなところで動けなくなったら、

  殆ど人は通らないので、大変なことになると思うからである。

  今年も無事通れてよかった。

 

2024年6月20日

理事長就任と2024年度の活動について

投稿者 : 松島裕

理事長の松島です

2023年10月より理事長を務めている松島裕と申します。

The Good Times との関わりは、理事である村島邦彦さんの紹介で、設立直後からホームページの作成など「アドバイザー」という形で関わってまいりました。

そして、The Good Times の活動をお手伝いする中で、団体プロジェクトのひとつとして「二輪文化を伝える会」を2012年に立ち上げ、活動12年目に入った昨年(2023年)にNPO法人化し、こちらも理事長を務めています。

若い頃にオートバイロードレースをやっており、1995年〜2000年には鈴鹿8時間耐久レースにも出場。レースは走るのも見るのも大好きです。最近はツーリングも楽しんでいます。

1965年(昭和40年)生まれ。私の父と古谷さんは同じ学年ですし、古谷さんのお子さんたちと私は全くの同世代です。そんなことも、何かご縁を感じるひとつだったかもしれません。

理事長就任の経緯

2009年6月に古谷さんが創設したこのNPO法人 The Good Times は、2024年6月でNPO法人設立16年目となります。

2015年からは、理事長を古谷さんから山本隆さんにバトンタッチし活動を続けてきました。しかしここ数年、中心となる理事の方々がご高齢であることや、コロナ禍で活動もままならなかったこともあり、解散の話も出ていました。

そんな中、初期から活動に関わっていたこと、二輪文化を伝える会のNPO法人化や自分の仕事の関係で、非営利活動や社会貢献活動について少々知識があったこともあって、自分がこのNPO法人を引き継ぎ今後も継続させていく方向で話をしていました。

2023年の総会で、1年間の引き継ぎ期間を経て、2024年度に理事長を交代することになりました。しかし、10月に山本隆前理事長が急逝されるという悲しいできごとがあり、半年前倒しで理事長を拝命することになりました。

古谷さん・山本さんの思い

NPO法人The Good Times の創設者である古谷さん、そしてレジェンドライダー山本さんの後を受けるというのは大変なプレッシャーではあるのですが、とても名誉なことでもあると感じています。

実は、山本さんからは、2023年の2月にお店を訪れた際に「ぜひ継続してほしい」「NPOらしい活動をやってほしい」という話をうかがっていました。

また、5月の総会の時に相談すると、「NPOの理事長を二つやるのは大変。(当時NPO法人認証申請中の)二輪文化を伝える会の認証申請を取り下げてでもTheGoodTimesをやってほしい」といったニュアンスの言葉も聞いていたのです。

古谷さんの思いだけでなく、これほどの山本さんのご遺志もあるので、できる限り継続させていこうと心に誓いました

素晴らしい経験と人脈をお持ちの古谷さんや山本さんと同じことはできませんが、これまで繋いでいただいたご縁や、自分なりの経験を活かして、今後の活動に繋げていきたいと思います。

2024年度の方針

設立16年目を迎える2024年度は、拠点を関東に移す予定です。といっても、ネットが中心の活動でもあるので、あまり拠点とか地域とかは関係ないかと思います。

そして「異種、異質、異地域の人々を繋いで楽しくいい時を過ごそう」というコンセプトはそのままに、さらに「次世代への継承」をテーマに加えて、自分よりもさらに下の世代との関わりも増やしていければと思います。

これからは、自分自身のオートバイライフや、二輪文化を伝える会の活動をはじめとした文化事業や非営利活動、ご縁で繋がった方々からの情報などを中心に発信していきます。

90歳を過ぎてもますますお元気な古谷さんの発信力にも頼りながら、異種・異質・異地域をつないでいい時を過ごせる仲間を増やしていけるよう活動してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

NPO法人 The Good Times
理事長 松島 裕

山本隆理事長
2024年6月14日

合歓の樹  雑感

投稿者 : rfuruya

2024-06-11 05:26:52 | 発想$感想

★ いつも行く三木総合防災公園には大きな『合歓の樹』が自生している。

 今ちょうど花時でこんなにいっぱい咲いている。

 

 樹の根元はこんな通路の10mも下から生えてるので、

 大樹であることは間違いない。

 

 

 近くで見るとこんなに綺麗で、

 

 こんなにいっぱいの花を付けている。

 『合歓の樹』を調べてみるとこんな記述があった。

 

枝が横に張り出す個性的な樹形と、涼しげな葉や刷毛を思わせる花の優美な印から、観賞用に広い庭などに単独で植えて楽しまれる。

花の独特の形は観賞性が高く評価されているが、木の高い位置に花を多くつけため、花を楽しむには建物の2 – 3階くらいの高い場所から眺められるような環境が必要となる。

 とあるのだが、ここは丁度通路が橋になっていて『建物の2-3階から眺めている』そんな絶好の環境になっているのである。

 それにしても『いい場所』に自生していたものである。

 花の時期以外は全然目立たない大木なのである。

 あと何日かなので、もう一度確りとみておきたいと思っている。

 因みにこの『合歓の樹』は赤い丸を付けたこの樹なのである。

 

C2 SSの想い出

投稿者 : rfuruya

2024-06-12 05:11:25 | カワサキ単車の昔話

 

★ ずっと昔のことだが、昭和42年・1967年のことである。

 私は仙台事務所長として初めて営業第1線を担当することになったのである。

 ホントウか?と思われるかと思うが、

 当時は東北6県がカワサキの最大市場であったし、

 岩手カワサキが全国販売代理店の中で販売台数TOPを何年も続けていたのである。

 そんな東北市場の代理店から仙台に事務所をと言う要望が出て、

 新しく事務所を創ることになったのである。

 まだ小型実用車全盛の時代でアメリカ市場ではA1やマッハなどが販売主力だったが、国内ではまだあまり売れなかった時代に、

 カワサキとしては初の国内向けスポーツタイプ車として発売されたのが『120ccC2SS』でこんなクルマだった。

 モトクロスの盛んな東北では結構売れたのだが、

全国的には期待どうりの販売には至らずに、明石工場には相当の在庫が残っていて

これを東北で何とか売れないか』と仰るのである。

 ちょっと条件を付けて『セリアーニタイプのフロントフォークに改造してくれたら200台は引き受けましょう』ということにしたのである。

そんなことで特別仕様の東北タイプのC2SSが200台造られたのだが、

まずフロントフォークを外す作業からスタートしたので、

明石工場では前代未聞のラインを逆に回すことになったらしいのである。

ご依頼の『200台』は特別仕様であったこともあってすぐ売れたのだが、

明石サイドでは『もう200台』と仰るものだから、さらに200台もお受けして何とかしたのである。

そうすると『あと200台ほどで、工場在庫は無くなるから』と言われて、とうとう計600台を引き受けたのだが、最後の200台は捌ききれずに、各代理店の在庫になってそれをさばくのに大変だったのである。

 それにしても今では考えられないほど東北6県の代理店は力があったのである。

C2SSのセリアーニタイプのマシンは実はモトクロス用に、

 レース職場の松尾勇さんに頼んで作って貰っていたので、

 セリアーニタイプのフロントフォークが付くことは解っていたのである。

 当時東北は全国でも一番モトクロスレースが盛んで、

 そんなことでC2SSは非常によく売れたのである。

 これは何年か後に市販レーサーとして販売されたC2SSモトクロッサーだが、

 これは東北でC2SSのモトクロッサーに改造して、レースに出ていて好評だったので、

 メーカーは市販レーサーを創ったのだと思う。

 これにはセリアーニタイプのフロントフォークが付いている。

 

  

★私は東北に来る前は広告宣伝課長で、

 このC2SSのカタログが最後の作なのである。

 そんなご縁もあった懐かしいC2SSなのである。

  

  

 

 同時に『レース担当』だったので

 当時東北はレースが盛んだったこともあって、

 山本隆・歳森康師・岡部能夫・星野一義などファクトリーライダーたちがよく東北のレースに来てくれていた時代で、

 いろんな意味で『私はツイていた』と思うのである。

 でも、残念ながら山本・歳森・岡部は逝ってしまってもうこの世にはいない。

 人間、『ツキ』があるものだが、

 私がその後も、引退した現在も『人一倍いいツキ』を持っていると思っていて、

 そんなことで『いい人生』だったと思っている。

2024年6月10日

我が家のつる薔薇構想

投稿者 : rfuruya

2024-06-10 04:51:31 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 先月、我が家のバラをもう一度やり直そうと思いたった。

 いまでもつる薔薇は前庭にも、

  

 

  表の庭にも10本以上あるのだが、

  

 

  先月さらに2本を買ってきて、さらに数を増やしたのだが、

  やりかけるとどんどんハマっていく性格で、

  庭の樹をどんどん切って薔薇のつるが通る空間を創っていった。

  いまは樹を思い切って切ってしまったので、

  こんなに空間ができている。

  

  つる薔薇の場合は、植える場所さえあれば、

  伸びてきた枝は、樹の空間を通せばいいので、

  何本でも植えることが出来るのである。

  そんなことで、挿し木をあちこちにいっぱいした。

  いまのバラも挿し木からのものが多いのだが、

  いまから梅雨の時期だし『挿し木』には絶好の時期である。

  1ヶ月もすれば根付くはずだから、それからは枝が伸びていく。

  ここには2本、

   

 こんなところにも、あちこちに沢山植えたので、

 全部で20本以上になった。

★ 早ければこの秋にはひょっとしたら花が見られるかも。

  今年の冬を越す頃には、枝も伸びると思うので

  来年の春には、薔薇がいっぱい見られるだろう。

  2年もすれば薔薇いっぱいの庭になる筈である。

  2年前には『』を始めて今はそこそこ綺麗になった。

  今度は『つる薔薇の庭』を創ってみたい。

  何か目標があると、毎日の生活が豊かになる。

  『つる薔薇』はいろんな形ができるので楽しみなのである。

  樹の空間は間違いなく『つる薔薇』で埋まる構想なのである。

  

 

菖蒲とアヤメと杜若

投稿者 : rfuruya

2024-06-09 06:34:45 | 発想$感想

★ 我が家の池には5月と6月にこんな花が咲く。

 これは5月10日ごろに咲いたのだが、

 『菖蒲の節句』などと言うので『菖蒲だろう』と思っている。

  

  こんな花である。

 殆ど同じ場所だが、今6月初旬にはこんな花が咲いている。

 これはあやめなのか、杜若か?

 調べてみたらこんな写真が現れて、

 左から『花菖蒲』・『杜若』・『あやめ』だというのだが、

 

  余計に解らなくなってしまった。

  まあ、何でもいいのだが・・・・・

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