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2024年5月4日

W1の時代  カワサキ単車の昔話

投稿者 : rfuruya

2024-05-03 06:16:20 | カワサキ単車の昔話

★ 1965年に「W1を発表」とある。

  当時の昭和40年を振り返ってみると、

  私はまだ33歳、広告宣伝課でレースなども担当していた頃で、

  W1のカタログなど創っていたが、直接の販売には関係なかった時代なのである。

  このカタログは私の広告宣伝課長時代の作なのである。

  

 

  

 その年には販社の名称がカワサキ自動車販売から『カワサキオートバイ販』に変わって、そのカワ販出向した年でもある。

 そのころ丁度、アメリカ市場開拓がはじまって、

 一緒にレースなどやってた田崎雅元さん(後川重社長)が、シカゴに事務所を創った時代なのだが、

 W1はそのアメリカ市場に持ち込まれたのだが、高速道路の高速走行には不向きで、振動が激しくもう一つ評判がよろしくなかったという記憶があったりする。

  

   ただ、国内市場では誠に評判がよくて、当時の国内市場では最大排気量車であったし、

 警察の白バイは当時はホンダではなくて、圧倒的にカワサキだったのである。

 そんなこともあって、各地の白バイの隊員さんとはいろいろと仲がよくて、

 当時はやっと運転免許を取りだした時代だったのだが、

 ちょっとしたスピード違反などは、頼めば取り消して貰える、そんな悠長な時代だったのである。

 私が初めて運転免許証をとって、車の運転を始めたのもこの年なのである。

 

★ 1965年5月には山本隆のたっての希望で会社には内緒で、

 鈴鹿のジュニアロードレースに出場したのだが、

 当日は雨でタイムが落ちて、モトクロスライダーの山本隆が3位入賞と言う結果で、カワサキがロードレースの世界に本格的に進出することになったのである。

 これがその時の写真で、広告宣伝課の川合寿一さんが現場に行ってたのだが、

 『ヤマ3、シオ8、セイコウ、カワ』の電報が5月3日の休みの日に我が家に届いたのである。

 ヤマ山本隆シオは北陸から参加してくれた塩本なのである。

  

  

  

   

 

★ そんなことから、ロードレースライダーとして金谷秀夫とも契約を結ぶことになるのだが、

 翌年の1966年のことだが、 富士スピードウエイが出来てその初めてのレースに金谷秀夫がW1で出場したことがある。

 ずっと後の話だが、小関和夫さんのWの本を出される取材で、

「FISCOで、W1のレーサーに、金谷秀夫が乗って走ったレースがあるのだがご存じありませんか? 」というのである。

このレースは、私はFISCOの現場にいて、非常に印象に残ったレースなのである。 

W1のロードレース出場はこの1回だけなのだが、

 当時は500ccを超えるロードレーサーなどはどこにもなくて、このレースも350ccが相手だった。

まだFISCOに伝説となった 『須走り落とし』と言われた第一カーブがあったころで、直線コースは長かった。

 レースはその直線部分では、Wが圧倒的なスピードで他を抜き去ってしまうのだが、

 逆にカーブでは車体が揺れて、チェンジは右、ブレーキは左のマシンには、流石の金谷も手こずって抜かれてくるのだが、

 直線の最後までにはまたトップを奪い返すと言うオモシロイ展開だったのである。

 このレースでの『金谷のアタマの揺れ』を見て、

 アメリカの高速道路での車体の揺れを想いだしたりした。

 結局最後のゴール地点では、抜き返すには距離が短くて確か、2位か3位でのゴールインであったのだが、

小関さんに聞くとクラスが違うので『クラス優勝』扱いになっているのだとか。

 残念ながら写真もないのだが、その時の印象は今でもよく覚えている。

 懐かしいW1と金谷秀夫の話である。

 まだ、カワサキはGPレーサーは開発時代で、

 三橋実・安良岡健・金谷秀夫の3人がそのテストで鈴鹿を走ってた時代である。

 彼らの契約条件に『テスト走行』などはなかったのだが、

 頼めばやってくれる、そんないい時代だったのである。

 

我が家のカラー

投稿者 : rfuruya

2024-05-01 05:35:41 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 我が家の池に『カラーの鉢』を漬けてからもう10年以上になるかも知れない。

 一度大きくなりすぎて株を小さくしたのだが、

 今年はまた大きくなって、見事な花を咲かせていた。

  

 ちょっと普通では見られないほどの大きさなのである。

  

 

  ところが、大きくなり過ぎて、昨夜の雨で耐えきれなくなったのか、

  みんな横倒しになってしまったのである。

  

  こんなことは初めてだが、どうしようもないので、

  根元から思い切りよく切ってしまった。

   

  

  

  こんな感じになったが、

  

  

  多分直ぐ元のようになって、今年中に花を咲かせるに違いない。

       根がいっぱい出ているので、

  鯉や金魚が卵を産まないかなと思っている。

  一昨年だったか、金魚がコドモを産んだ。

  いまはこんな状態になったので、

  あとで片付けようと思っている。

  

 

  大きくなり過ぎて、鉢では支え切れなくなったのだと思うが、

  再生する様子を観察しておこうと思っている。

  今日は4月の末だが、いつ頃新しい花を咲かせるだろうか?

  『楽しみが一つ増えた』と思うことにする。

2024年4月30日

防災公園のひらど

投稿者 : rfuruya

2024-04-30 06:02:49 | 発想$感想

★ 毎年『ひらど』は5月に入ってからと思っていたが、

  今年は暖かくて少し早く花開いたようだ。

  三木総合防災公園は何本ほどの『ひらど』が植えられているのだろう。

  三木の街中も『ひらど』がいっぱいだが、防災公園も『ひらど』を写しながら、6000歩ほど歩いてきた。

  朝7時少し過ぎ、車を止めた直ぐ横からスタートである。

  先ずは下りの坂道、両側に『ひらど』である。

 

  

  道の両側に植えられている。

  

  同じ『ひらど』なのに、すぐ横なのに、

  なぜ、咲いてるのと、まだ蕾があるのだろう?

  

  

  色とりどり、いろんな『ひらど』が植えられている。

  周回路の左右は延々と『ひらど』である。

  

  この辺りが、一番きれいである。

  

  朱色の『ひらど』が周囲を引き立てている。

  階段の左右も『ひらど』

  

  周回路の『ひらど』はここまでである。

  

★ ここからは防災公園の事務所の周りの「ひらど」である。

 周りを『ひらど』と樹木で囲っている。

 

  側面に延々と『ひらど』が植えられている。

 この広い道に車を止めているのだが、

 車の横から撮った写真である。

 

  

  兎に角、三木総合防災公園は『ひらど』がいっぱいなのである。

春にも落ち葉が・・

投稿者 : rfuruya

2024-04-29 05:44:35 | 発想$感想

★ 人間、90歳になって初めて気づくこともある。

  『落ち葉』とは秋のものだとばかり思っていたが、

  春の今の季節、常緑樹の新葉が出ると旧い葉は落葉するのである。

  落ち葉で一面が覆われている。

  

 

 当たり前の話だが、

 どの樹も落葉するようである。

  場所が変わっても、同じように一面落ち葉で

  同じような写真を撮ってきた。

  ただ春と秋では落ち葉がちょっと違うようである。

  春の落ち葉  秋の落ち葉 と画像検索したら

  こんな写真が現れた。

 

  これが春の落ち葉

  

  そして、これが秋の落ち葉、

  やはり、秋のほうがまさに『紅葉』で風情がある。

  

  

山本隆さんに貰った無花果

投稿者 : rfuruya

2024-04-28 05:38:00 | 発想$感想

★ 山本隆さん、残念ながら逝ってしまったが、

  我が家には山本隆さんに貰った無花果がある。

  生前、わざわざ家まで届けてくれたものである。

  これがその無花果なのだが、

  春には枝を短く切るようにと言ってたので、

  こんなにしたのだが、これでよかったのだろうか?

  

  彼は植物などが好きで、

  若しバイクに乗っていなかったら

  農業学校に行っていたと言ってたのである。

  彼が20歳、私が30歳のときからのお付き合いだったので、

  本当に長いお付き合いだった。

  実は私は彼の仲人なのである。

  確か結婚したのが21歳ぐらいだったから、

  私も新婚時代で31歳の時に仲人をしているのである。

  そんな若さで仲人などとお断りをしたのだが、

  『どうしても』と仰るので引き受けたのである。

  その頃も早かったが、こんな大選手になるとは思わなかった。

  

  

★  山本隆

   カワサキにとっても、私にとっても、

   沢山の想い出がある。

   無花果を見るたびに『山本隆』を想いだすのである。

   ホントに『いい奴』だったのに,、はやく逝きすぎた。

   無花果、今年は実を付けて欲しいものである。

独学 雑感

投稿者 : rfuruya

2024-04-27 05:51:40 | 発想$感想

★ 現役時代には毎日いろんな方とお会いするので、

  世の中の知識なども何となく自然に身に付くことが多いのだが、

  昨今は殆ど家にいて、人とお会いすることも少なくなったので、

  身に付く知識は限られている。

  新しい言葉などもよく解らない。

  テレビなどに出てくるカタカナの意味が殆どと言っていいほど解らない。

  御世話になっているのが『検索』で解らないときはまず『検索』である。

  よくできていて、すべてと言っていいほど解るのだが、

  解っても、使わないからすぐまた忘れてしまう。

★ 昨今は新しい知識の導入は、殆どが孫からのものが多い。

  年に一度は遊びに来るので、その時に教えて貰うことにしている。

  Fitbit なども、孫からの導入だし、スマホそのものを買う時には孫と一緒に行って買ったのである。

  そのスマホだが、沢山の機能があるのだろうが、

  殆ど使わない、と言うか「使えない」

  先ず、スマホで電話を掛けたこともないし、逆にかかっても来ない。

  生活の中で『電話』が不要なのである。

  『電話』は現役時代からあまり好きではなくて、携帯は持たなかったし、

  『電話』を掛けることも少なかったように思う。

  

★ だから『スマホ』も何に使っているかと言うと

  Fitbitで歩いた歩数を確認するのと、写真を撮ることぐらいで、

  カメラのようなものである。

  そのカメラも単純な「使い方」しかしていない。

  つい先週だが、初めてこんな写真を撮った。

  

   

  こんな写真が撮れることは解っていたのだが、

  その「撮り方」が解らなかったのである。

  たまたまだが、スマホの中のマークを触っていたら撮れたのである。

  いわば『独学』なのだが、

  

  撮れたというだけで

  多分、あまり使うことはないだろう。

  そんな『独学の世界』の中で生きている昨今である。

2024年4月25日

雨が少ない三木と・・・

投稿者 : rfuruya

2024-04-24 06:25:02 | 発想$感想

★大阪や神戸は雨だったのに、三木は曇りで雨にはならなかったので、昨日はいつもの通り散歩に出かけた。

 三木総合防災公園の中にはこんな水路が通っている。

  

  

  こんな水路があって絶えず水が流れている。

  その水は遠く北の方のダムから流れてきている。

  三木の川の上に橋が架かっているが、

  これは人が渡るのではなくて『』が渡っているのである。

  「東播用水淡河幹線水路」はこんな北のダムから水を引いてきていて、

  こんな大事業を国が展開しているのだが、

  それは雨の少ない播州平野に水を供給するためなのである。

  

  

  ホントにこの辺りは雨が少ないので、

  播州平野にはこんなにいっぱい溜池があって、

  

 

  三木にも溜池が多いとは思ったが、4000もあるとはビックリなのである。

  

★ それにしてもなぜ播州は雨が少ないのだろう?

 と思いながら三木総合防災公園を散歩してきた。

 この公園の中を水路が走っているのだが、それは公園ができる前からあったのだろう。

 ここは昔は山だったので、自然の大木なども残っている。

 いまの時期目立つのは『ふじである。

 こんな大木が何本かある。

 樹齢何年なのだろう?

 雨は少なくても、自然に樹は育つのである。

  

 ホントに大きい。

 少なくとも、私が産まれる前からあったのだと思う。

 

 樹齢100年は大木だと思っていたが、

 私も91年生きたと思うと『樹齢100年』は大したことはない。

 我が家の庭木も、ここに住んでもう50年になろうとしているので、樹齢100年に近い筈である。

 そんなことを何となく想っているが、

 夜にかけては雨になったのだろうが、今朝はもう曇り空になっていた。

2024年4月22日

春の協同学苑

投稿者 : rfuruya

2024-04-22 05:55:39 | 発想$感想

★久しぶりに協同学苑を歩いてきた。

 ここはco-op教育施設で公園ではないのだが、

 自然豊かで散歩される方も多い。

 

 

 桜が終って『つつじの季節』になった。

 紅白のつつじが美しい。

 

 

 並木道も新緑である。

 右は庭園だが、裏手は散歩道になっていて、

 

 竹林へと続いている。

  小さな筍も

  大きな筍も出ていた。

  こんな山道の遊歩道があり、下の池まで続いている。

 山つつじの赤が新緑に映える。

 坂を下り切ったところにある池も新緑が美しい。

 

 振り返ると『志染の里』である。

 三木はニュータウンもあるが、こんな昔ながらの田舎の風景もいい。

 

 

 苔が綺麗な坂道を登って戻ってきた。

 つい先日まで満開だった桜の並木も今はもう葉桜である。

  ざっとこんな行程、約1時間5000歩ちょっとだった。

2024年4月18日

時間があるのはいいことだ

投稿者 : rfuruya

2024-04-16 16:56:56 | 発想$感想

★ 毎日有り余る時間があるのだが、結構退屈などせずに過ごしている。

  朝は2時間ほど、公園をうろついているし、

  時間があったら『パンダ碁』で碁を打つ。

  時間つぶしにはもってこいである。

  毎日、殆ど昼寝をするのだが、目が覚めたら庭仕事をすることが多い。

  こうして見ると、特に何もないように思いうのだが、

  

  

  つい先日まで、綺麗に花を咲かせていた『花かいどう』だが、

  当たり前のことだが、花が散りかけて

  地面には花びらがいっぱいである。

  放っておいても、どうと言うことはないのだが、

  

   

  昨日は、ちょっと気になって、

  その花びらを拾ったら、こんなになった。

  ただ、ここにはまだごみも残っていたが

  ちょっと広いので、

  

    隣の小さな枠のごみを拾ったら

  こんなになった。

  5分も掛からなったが、

  ごみは100個拾ったのである。

 有り余る時間があることはいいことだ。

★ここまで書いたのだが、

 明日は久しぶりのゴルフで、朝6時半に家を出る。

 そんなことで時間がないので、

 このブログ、今アップしておくことにする。

コメント

2024年4月11日

カワサキの二輪車の歴史について    その2

投稿者 : rfuruya

2024-04-11 05:43:12 | カワサキ単車の昔話

★カワサキの二輪車の歴史・その2は

 1960年。神戸製作所で二輪車の一貫生産を開始とある。

  

 私は昭和32年4月(1957)に川崎航空機に入社したのだが、

 最初の配属先は業務部財産課だった。

 そこでも新しいことばかりやっていて、木製の椅子から金属製のネコスの椅子に変えたり、財産物件の償却計算を民需では初めてIBMを使ったりした。

 当時はアメリカ空軍のジェットエンジンのオーバーホールを明石工場でやっていて、明石工場にはIBMの器械装置があったのである。

 日本で一般にIBMが使われ出したのは昭和40年代だから、それより10年も早い時期のことなのである。

 そんな財産課にいたのだが、肺結核にかかって1年ほど入院していたのだが、その退院の時期が1961年12月で、たまたま新しく単車営業課が発足したのである。

 初めてのことだからそこには誰もいなかったのだが、

新しい仕事』なら古谷は出来るだろうと思われたのか、その単車営業課の所属になったのである。

 その部門の上司は業務部時代にもいろいろお世話になった小野助治さんで、その小野助さんに『私は引っ張って』頂いたのである。

 小野助治さんは、当時小野助さんと皆に呼ばれて、ホントに面倒見のいい上司だったのだが、私はその後、結婚するときは仲人をお願いしたりしたのである。

★これがきっかけで、私はその後、1999年に退職するまで、一貫して二輪事業を担当することになったのだが、

 一番最初の車はニューエースとあるが、それはほんの数か月のことで、私が営業課に異動した時の車は、125ccB7モペットM5が主力車種だったのである。

  

 

 

 そのほかにも、井関のタフ50なども委託生産していた時代なのである。

★ 私が営業課に配属されて小野部長に最初に言われた指示は『物品税を研究してくれ』だったのである。

  この125B7は出荷もしていたが、フレームに欠陥があって多くの車が返却され、明石工場は返却車の山だったのである。

 私が配属されて2か月目の1962年1月の出荷台数は返却が出荷を上回って『マイナス17台の出荷』と言う信じられないことが起ったのである。

 当時125cc以上のバイクは贅沢品に掛けられる『物品税』が掛けられていて、この物品税の納入は至って簡単なのだが、

 返却されて治めた『物品税を戻入』して貰おうとするとこれが大変なのである。

 1台1台、明石税務署の署員の実地検査があって、そこで認可されないと戻して頂けないのだが、

 それは出荷当時のままと言うのが条件で、例えばメーターはゼロ出ないとダメなので、メーターの巻き戻しなどもやるという、大変な作業だったのである。

 さらにこの物品税は申告税だから、若し不正があると体刑になるというムツカシイ処理で、ホントに大変だったのである。

 そんな大変な時代が1年続いたのだが翌年には名車とも言われる25B8が出て、単車事業はやっと何とか軌道に乗り始めたのである。

  

 

 

 私の単車1年目はこんな大変な時代だったのである。

 いまは隆盛を極めるカワサキの単車事業だが、

 スタートから10年はずっと大変な時代が続いたのである。

 100社近くもあった単車の事業体がどんどん脱落して、

 いまの4社体制になるのだが、浜松の3社以外に生き残ったのはワサキだけなのである。

 そんな時代をずっと一緒に過ごせたのは今となっては貴重な体験だったと言えるだろう。

  

 

 私の入社当時の川崎航空機の明石工場はまだ単車工場もなくこんな状態だったのである。

 この広大な土地や戦前の機械の売り食いでやっと経営を繋いだ時代で、そう言う意味でも財産課は至って貴重な部門だったのである。

 

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