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2024年9月23日

新入社員時代の想い出

投稿者 : rfuruya

2024-09-20 05:53:30 | 自分史

★ 川崎航空機に入社したのは昭和32年(1957)だが、会社は戦後の中断の後再開したばかりの頃で、バイクもエンジンだけで完成車はまだ造っていなかった時代である。

いま、その頃の日記を読み返している。

私は業務部財産課に配属されたのだが、財産物件の償却計算と言う業務が毎期行われていた。

 こんなタイガー計算機を使って、財産物件の償却計算をするのだが、件数が多いので大変なのである。

 

 

  

  

  

2年間はそんな計算業務をやっていたのだが、昭和34年(1959)9月に当時の会計機などを使っての事務機械化に取り組んだのだが、

どうももう一つで画期的なことにはならないのである。

 

 

  

 

 

★当時JETエンジン部門のアメリカ空軍が持っていたIBMが使えないかとその研究を始めたのが、翌月の10月のことである。

 当時日本にはIBMなどはなかった時代なのだが、アメリカ空軍のJetエンジンのオーバーホールをやっていてアメリカ空軍が常駐していたので、明石工場にはIBM室があったのである。

 日本のIBMの歴史を調べてみるとこんな図表が出てきた。

 日本に初のIBMの設置が1958年とあり

 私がIBMと出会たのはその翌年のことだから、日本の一般社会にはIBMなど存在しなかった時代のことなのである。

 日本初のオンラインシステムは1965年三井銀行とあるから、

 この話はその5年も前のことなのである。

 そういう意味では「日本初」と言えるのだろう。

 ずっと後のことだが、IBMの研修に出席して「1960年にIBMでの減価償却計算をやった」と言ったら。

 「10年間違っていませんか?日本でIBMがスタートしたのはオリンピック以降です」と言われたのを想い出す。

 

  

 これは単なる計算機などとは違ってIBMの大型器械を使っての計算なので、

 その効果は抜群なのだが、IBMに載せるためには物件名の統一に始まって、そのコード化など非常にムツカシイ作業が要るのだが、

 それをやろうということで取り組み始めたのである。

 やる限りは明石工場だけでなく、本社も岐阜工場も巻き込んでの「全社統一方式」にしようと、新人社員ながら本社と岐阜工場を巻き込んでの「一大プロジェクト」にしたのである。

 ホントによくやったなと思う。

 翌年3月22日岐阜工場に出張してるのだが、岐阜の係長さんが、「古谷さん、よく研究してるなと」2度も仰ったと日記に書いている。

 このIBM化は川崎航空機の民需部門では初めてのことだったし今思うとよくやったなと思う。そのシステムの完成までにはちょうど1年掛るのだが、見事完成することが出来たのである。

★ これが財産物件のIBM用カードで、償却計算に必要な項目が網羅されている。

 ちょっと詳細に触れると1枚のカードの桁数約100桁の中に必要項目を網羅しなければならないので、その「コード化」は大変な仕事なのである。

 

 そしてこれがIBM室への連絡票である。

 こんなカードが日記に挟まれていたので、こんな話をアップする気になったのである。

 

★ この結果、業務部財産課はどうなったか?

 いままで償却計算のためにいたと言ってもいい女子社員を含め10名ほどの課員だったのだが、償却計算の時間が無くなって人員が余ってしまい、半減することになったのである。

 その減員の中の一人が私自身で、私は新しく出来た単車営業課に

 昭和36年12月に異動し、新しく始まった二輪事業の担当になったのである。

 この「償却計算のIBM化」は当時の社内でも結構な話題になり、

 その後の「給与計算」「会計処理」などのIBM化が進むのだが、新人ながらその教師役を務めたりしたのである。

財産課も人員が半減したが、給与計算などは大勢いた女子社員がいなくなってしまったのである。

いま改めて思うと、新人ながらこれは結構な大仕事だったなと思うのである。

バラの夏剪定

投稿者 : rfuruya

2024-09-19 05:50:14 | 発想$感想

★ 薔薇の夏剪定は8月中にやっていたのだが、

 今年はこの猛暑だったのでごく最近9月の中旬になってしまった。

 こんな状況だった

 

  このように切ってしまう。

  秋には新しい芽が出て、そこから花が咲くのである。

   

  

 

 こんなん感じで、結構思い切って切ってしまうのである。

 いまからどんな芽が出て、どんな枝になっていくかが楽しみなのである。

 ちょっと前までは切った枝の整理やごみ拾いなど直ぐやっていたのだが、

 9月になってもこんな猛暑では外に出る気がしないのである。

 この暑さ、いつまで続くのだろう?

2024年9月18日

相撲  雑感

投稿者 : rfuruya

2024-09-18 05:12:03 | 発想$感想

★ このところ夕方は大相撲のテレビを観ている。

 有り余る時間があるので大相撲の放送は時間つぶしにもなかなかいい。

 ところで、今の方々はご自身で相撲など取ったことがあるのだろうか?

 私の子ども時代は、戦時中でサッカーも野球もなかったから、

 相撲は体育の時間のメインスポーツだったのでよく取ったものである。

 土俵もない砂場の相撲だったから、押し出しなどはあまりなくて、相手を倒す投げの相撲が多かった。

★ 珍しく3時から終わりまでずっと観ていて、

 テレビの画面の写真をいっぱい撮ったのだが、そのうちの幾つかを。

  こんな下の方の結果が出ていたが、

  しこ名はなかなかムツカシイ名前を付けるものである。

  それぞれ、それなりの理由と言うか、想いが込められているのだろう。

  ここから関取が何人生まれるなだろうか?

 

  

 

 高安は好きな力士の一人だが、

 昨日は最初の取り組みで勝ち越しのインタビュウーを受けていた。

 力士は勝っても負けても「無表情」である。

 喜んだり笑ったりはしてはいけない日本流のスポーツである。

  連日「満員御礼」である。

  ウイークデーの昼間なのだが、どんな人たちが来ているのだろうか?

  砂被りのメンバーは毎日来てる人もいる。

  服装はまちまちである。

  正装に近い方もいるし、着物姿も結構多い。

 

  優勝争いは「大の里」が全勝でちょっと他を引き離している。

  ひょっとしたら「全勝優勝」するかも知れない。

  

 

  

  ちょっと実力が他を引き離している感じで危なげない。

  「大関=横綱」の道を歩むのだろう。

  昨日は珍しく「弓取式」の最後までテレビが映った。

★ 大相撲は日本独特のスポーツだと言っていい。

  「スポーツ」ではないのかも知れない。

  こんなに序列が明確についている「スポーツ」はほかにない。

  「モンゴル人」多いのは「モンゴル相撲」の影響なのか?

  「モンゴル」をはじめ中央アジアロシアの人もいるのに、

  中国韓国がいないのは不思議だなと思っている。

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2024年9月17日

ネットが正常に戻った

投稿者 : rfuruya

2024-09-16 13:23:56 | 発想$感想

★ 10日ほど前から、スマホで撮った写真がパソコンに移動できなくなっていたのだが、

 今日GOGと言う訪問サポートをする会社の方が家に来てくれて、

 診て貰ったら簡単に治った。

 パソコンもスマホも問題ないことは解っていたのだが、

 家のWiFiがおかしかったのだが、やはりそうでWiFiの線を抜いてもう一度挿したらそれで治ったのである。

 こんな器械が二つ並んでいるのだが、

 WiFiの器械は右のほうだという。

 それも初めて解った。

 いままでは左の大きいほうがWiFiの器械だとばっかり思っていた。

 そんな具合で何にも解っていないのである。

  

 WiFiの器械も壊れている訳ではなくて、

 線の接触が悪かったのだと思う。

 これが作業明細書だが、所要時間21分となっている。

 ちょっと解っていたら、自分で十分治せるような作業なのだが、

 それが出来ないから、専門家の訪問サポートが必要なのである。

 

  

 これで問題なく、スマホで撮った写真がパソコンに移動できるようになった。

 今日撮った写真が移動出来ている。

 よかった。

昭和32年(1957)川崎航空機に入社した

投稿者 : rfuruya

2024-09-10 09:36:21 | 発想$感想

★昭和32年(1957)は神武景気と言われた年である。

 大学を卒業し川崎航空機工業に入社してサラリーマンの生活が始まった。

 この1年間の日記を読み返してみた。

 その日記帳の写真が何故かパソコンに現れないので、

 既にパソコン内にある日記の写真を使うことにする。

 

 この中の昭和32年の日記の写真が現われない。なぜかな?

★ この年の4月1日に入社し、教育機関があって配属されたのは4月15日で、配属先は業務部財産課であった。

 土地・建物・車両運搬具・工具器具部品などの財産物件の管理をする部門である。

 当時の川崎航空機は昭和28年に戦後の空白期間を終えて、再開したばかりの会社で、いろんなことがまだ整備されていない状況だった。

 私は直ぐ車両運搬具の担当になったのだが、購入記録から帳簿はあるのだが、現物との照合など出来ていないそんな状況だったのである。

 そんなことだから各部にある例えば自転車の現物確認を行い、それに車両番号を付けるとと言った作業から始めたのである。

 この課の大学出は課長だけで、私が初めての大学卒だったので、結構注目を浴びたし、職務柄各部門と接触があるので、大袈裟に言えば工場内に直ぐ顔を売ることが出来たのである。

★財産物件は毎期償却計算なる作業がある。

 こんなタイガー計算機を回して1件1件計算をするのだが、

  

 10月から担当した「工具器具備品」はその件数が多く大変だったのである。

 当時の財産物件は取得価格1万円以上のものを通常財産物件に指定するのだが、 

 ちょうどJetエンジン部門が新設された時点で、新設部門は特別に300円以上が財産物件にしてい出来て、300円以上の極端に言うとスダレやバケツまでが財産計上されていたのである。

 価格が大きくても小さくても計算の手間は同じで、

 償却時には毎日3時間もの残業の連続で、計算機を回し続けていたのである。

そんなことで翌年にはこれを何とかしようと、JETのアメリカ空軍部門にあったIBMに償却を載せるように作業して、民需で最初のIBM使用が実現するのである。

 大げさに言えば、日本でも初めての事務のIBM化だったのである。

 ずっと後、日本IBMの方に「10年間違っていませんか」と言われたことがあるのだが、日本にIBM社が出来たのは昭和40年後だというのだが、

 川崎航空機には米軍がいたのでIBM室があったのである。

 入社早々、そんな大仕事から始まっているのだが、

 これは何となく「新しいこと」をするのは学生時代の野球部生活で慣れていて、全然物怖じしなかったのが幸いしたと思っている。

★ 日記を読み返してみたら、家内のことが3回書かれている。

● 最初は配属直後の4月19日に、「勤労の給与係にいる女の子にちょっと惹かれる」と書いている。給与係は財産課の隣で給与計算をするために大勢女の子がいたのである。

● 二度目は6月5日で「小野田さんと言う方から電話です」とわざわざ私の席まで言いに来てくれた時で、それもわざわざ日記に書いてるから、

何となく気があったのだと思う。

● 3度目は11月6日で、入社以来8か月目に朝明石駅で一緒になって初めて「言葉を交わした」。

 神戸高校タイプだなと思っていたのだが、神戸高校卒だという。

 

その時はただそれだけのことで、この年は日記に3度家内のことを書いている。

 この年はただ、それだけで終わってしまっている。

★ 入社当時は社内で各部対抗のソフトボール大会などあって、

 当然のことながら大活躍だった、あまり上手すぎると言ことで何か月後からは出して貰えず、審判役を仰せつかっている。

 当時軟式野球だが野球部があって野球部にも入部したし

 兎に角、いろいろと顔を売って社内の人気者だったことは間違いない。

 こんな調子で野球などもやっているのだが、

 健康的には空洞があって、診療所の御世話にもなっていたし、

 断層の写真を撮ったら空洞があったりしたのだが、

 あまり気にせず野球などやっていたのである。

 そんな入社1年目であった。

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ブログ   雑感日記

投稿者 : rfuruya

2024-09-08 06:01:01 | 発想$感想

★ 毎日日記も書いているが、2006年9月からネットで「ブログ・雑感日記」を書きだした。

 その書き出しのブログである。

このように書いている。

「美しい国,安倍さんの書いた本の題名に使われている。
美しいという言葉の意味は深く、外面的な美しさのほかに、調和のとれた、こころの優しさなど内面的な美しさもあらわしている。
本来、日本に至極似合う言葉だと思う。せかせかとしたことばかりが目立つこの頃だが、もう少しゆったりとした美しい生き方をしたいものである。
どなたが総理になっても、真に美しい国日本を目指してほしいものである。」

ブログに興味を持ったきっかけは、小泉さんや安倍さんの広報戦略を担当している参議院議員の世耕弘成さんのホームページでブログを見つけ、その後続いて高槻の市長公室長の樋渡さんのblogに関するコメントを読んだからである。

自民党の広報戦略の中心人物などの広報の専門家が他に先駆けてブログを採用したのは、これは時代の流れかなと、思ったのである。

★ そんなことでこの雑感日記も毎日欠かさずアップしてきたのだが、

 この9月からは「抜ける日」があってもいいことにした。

 何となくその方が「気が楽」なのだと思うからである。

 でも殆どすることもない毎日だから、この「雑感日記」を書くのも楽しみの一つなので、そんなに多くは抜けたりしないだろうと思う。

 それにしてもブログを始めたきっかけは前述したように、

 政治家の世耕紘一、高槻市の広報戦略担当の樋渡啓祐さんという

 広報の専門家と言える方たちがブログを始めておられたからである。

 私自身、現役時代に一番力を入れてたのは「広報戦略」だったし、

 広報や広告の世界には非常に興味を持っていたのである。

 樋渡さんとはご縁があって、武雄市長の頃は三木市とも繋がって、

 三木にも神戸にも来られてご一緒したりしたのである。

 

  

  ますますご健勝でご活躍のご様子、何よりである。

  そんな「雑感日記」だが、果たしていつまで続くだろうか?

2024年9月8日

メダカの池

投稿者 : rfuruya

2024-09-07 06:21:58 | 発想$感想

★ 毎日産まれ続けているメダカだが、

 今年は暑さが続くのでまだもうすこしの間、産み続けるのではないだろうか?

 今日は、今年3回目の池にメダカの放流をした。

 

  こんなにいっぱいいる。

 3回目だから、大きさも大小さまざまになった。

 ホテイ草の間にもいっぱいいる。

  まだこちらのほうまでは泳いできていない。

  池がどこまであるのかが、まだわかっていないのである。

  これくらいの数になるともう「メダカの池」と言えるだろう。

  まだこの入れ物の中に残っているし、

   卵の付いたホテイ草がまだこんなにある。

  これが毎日順番に孵化していくし、

 

  親の水槽に入れたホテイ草には毎日卵が付着する。

 

  今年中にあと何回か放流することになるだろう。

  最初、生まれてすぐ入れたら、みんな食われてしまったので、

  少し、大きくなるまで待って入れることにしている。

ヨコモジ氾濫 

投稿者 : rfuruya

2024-09-06 05:17:34 | 発想$感想

★ 昨今のテレビ番組を観ていると「ヨコモジ氾濫」で、私など解らぬことが殆どである。

 なぜこんなにヨコモジが多いのだろうか?

 今どきの一般の方は解っておられるのかも知れない。

 解らなかった字句のうちいくつかを並べてみると、

 「DX」、「マッチングアプリ」、「スイングバイ」、「日本版DBS」,「ゼオンメディカル」などだが、

 調べてみたら、

● DXとは「デジタル経営戦略」のことで

  

 こんな画面が現れた。

 その「デジタル」とは 連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと。  計器の測定値やコンピューターの計算結果を、数字で表示することとある。

 何となく解ったような気もするが、具体的には解らない。

●「マッチングアプリ」は現在、アメリカ合衆国で主流となっていて、

 2017年の時点で、インターネットはアメリカ合衆国のカップルが出会う方法として最も多いそうである。

 現在、新しいカップルの39%が最初にインターネット上で出会っており、専門家は2040年までにこの数値が70%に増加すると予測している。

 日本でも2024年にこども家庭庁が行ったウェブ調査において、

 既婚者の25.1%が出会いの切っ掛けがマッチングアプリであると答えているという。

 

 「アプリ」とは、アプリケーションソフトウェアの略称で、
アプリケーションソフトウェア(application software)とは特定の用途や目的のために設計されたソフトウェアのことだという。

 兎に角、ヨコモジで更に略してしまうから、解らなくなってしまう。えらい時代になったものである。

● 「スイングバイ」とは

 宇宙船が宇宙空間を進む場合、自分が持っている推進燃料を使って、軌道を変換しながら目的地に向かうのだが、遠い惑星に到達するためには、たくさんの推進燃料を積み込まなければならない。

このための推進燃料を減らし、さらに、うまくすれば速度をアップできる「スイングバイ」というたいへん便利な方法、と言うからこんなのは解らなくて当然である。

●「日本版DBS」とはこんな写真が現われて「子どもを性犯罪から守る制度」であるらしい。

 

● 「ゼオンメディカル」とは、医療関係の会社の名前だった。

★ ざっとこんなところだが、このほかにも解らぬ単語がいっぱいである。

 このように調べてみて、更にこのように文章にでもすると

 何となく「解った」ような気にはなるのだが、

 今では自分とは無関係の事柄が多いので、多分忘れてしまうだろう。

 兎に角、家内以外の人と話をする機会が殆どないから、

 このような世の中の出来事は「無縁のこと」になってしまうのである。

 この調子では「解らぬこと」がどんどん増えてしまうのだが、

 それが「問題にならない日常」なのである。

 そう言う意味では、のんびりとして「いい日常」なのかも知れない。

ダンスパーティーの想い出

投稿者 : rfuruya

2024-09-04 06:40:27 | 自分史

★ 昭和31年(1957)1月19日(土曜日)神戸商大硬式野球部主催のダンスパーティーを開催した。

 主催者は野球部だが、その起案を含めすべてその中心は自身であった。

 大学の3・4回生ではキャプテンを務め、卒業を1年延ばして監督を引き受けるなど野球に入れ込んでいたのはいいのだが、

 運動具店などへの借金15万円ほどになっていたのである。

 大学出の初任給が1万円の時代だから、今の時代のカネに直すと200~300万円ぐらいのカネだから相当な借金だったのである。

 当時の野球部の風習では、借金はそのまま次の世代が引き継いでいくことにはなっていたのだが、

 ちょっと額も膨らんだので、この借金を何とかするために開催したダンスパーティーなのである。

 当時は学生主催のダンスパーティーは数多く開催されてはいたが、

 その規模は大体200人前後のものだった。

 そんな規模では野球部の借金の返済などには役に立たないし、

 パーティーは手段でその目的は「借金返済」なのだから、

 私の起案その10倍、2000人を集めるという大規模なものだったのである。

 それが実現できるように選んだ会場は、

 新装なったばかりの神戸国際会館の5階の大ホーを借り切って、

 兎に角、部員全員で2000枚を売り切るという構想で行ったものである。

★ いまから70年近くも前の話だが、現存する神戸国際会館が新装開場したばかりで、

 その会場での実施が人気を集めて超満員になったので、

 当日券は途中で販売を中止するという大成功のダンスパーテイーで、

 まさに満員御礼だったのである。

 

 

 

 私自身は会社に入社してからもいろんなイベントは手掛けたのだが、

 この国際会館での2000人を集めたダンスパーティーが、

 人生で初めてのイベントだったが、私の最大のイベントだったかも知れない。

 

★ 当時の日記を読み返していたら、1月にこのパーテーをやっていて

 懐かしい入場券やその収支報告などが挟まれていた。

 入場券のデザインもデザイナーに頼んだので、結構カッコよく出来ている。

 

 

 

  その裏面である。

  後援をしてくれたのは借金をしていた運動具店である。

  

 

 その収支が出てきた。

 収入が20万円、支出が10万円だから、10万円の収益である。

 これは「目指した額」だから大成功だったと言える。

 収入の殆どはパーティー券の収入だが、

 支出の最大は税金32,700円で、会場費が27,200円なのである

 ちゃんと税金も払っての事業だったのである。

  

  

 そして、これが支払い先なのだが、

 運動具店のほかにもいろいろと借金をしてたようである。

 

 このダンスパーティのお陰で気分よく卒業することが出来た。

 それにしても、部員一同よく頑張ったものである。

★ ホントに超満員で、当日売りを途中で中止したりしたので、

  当時三宮にあったダンスホール新世紀に流れて、

  新世紀も満員になったそうで、何故そんなことになったのか不思議に思ったそうである。

  このダンスパーティーの成功は、

  何と言っても開催場所を開場したばかりの神戸国際会館の大ホールにしたことが人気を呼んだようである。

  当初はあの大ホールが埋まるかなと思ったりもしたのである。

  一口に2000人と言うが、それはホントに大人数だったのである。

  当日の大盛況で神戸国際会館の方たちもビックリされたようである。

  私の青春のいい想い出なのである。

  

薬とのご縁

投稿者 : rfuruya

2024-09-02 05:42:11 | 発想$感想

★ 91歳だが結構元気に生きているのに、

  薬にはいろいろとお世話になっている。

  元気なのは、薬のお陰か、本来の体質なのかはよく解らない。

  病気をしたと言えば若い時に肺結核を患って、1年ほど入院したことがあるのだが、

  いまは全く大丈夫だと思うのだが、未だに血圧の薬は飲み続けている。

 

★ テーブルにはこんな感じで薬がいっぱい並んでいる。

  

 右手前の錠剤が病院で毎月貰ってる薬で血圧関連と、血をサラサラにする薬である。

 手前にあるヒザ潤滑源はテレビ広告に出てたのを、いま1ヶ月半ほどだが飲んでるが、効いてるのかどうかはよく解らない。

 左側は足の水虫の治療薬と目薬。

 目薬もいっぱい貰ってきている。

 それに湿布などもある。

★ いっぱいの薬だが、殆どが保険が効くので助かっている。

  全部の薬がそうなのだが、

  「効いているのかどうか」はよく解らない。

  特に血圧は、110前後で高くても130ぐらいなのだが、

  これが薬のお陰なのかどうかはよく解らない。

  一度飲むのを止めてみたらいいのだが、なかなかそうはいかないので、

  一生お世話になることになるのだろう。

  昔の人はホントに薬など飲まなかった。

  祖母などは、私の知る限り薬など一切飲まずに102歳まで生きた。

  父や伯父などは医者にも掛からずに、薬も飲まずに50代で亡くなってしまった。

  薬があれば助かってたのかどうかはよく解らない。

  兎に角、現代は「薬とのご縁」は切れない世の中なのだろう。

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