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2016年8月12日

カワサキ二輪事業と私 そのー10  田崎雅元さん

投稿者 : rfuruya

★先日来、高橋鐵郎さん、大庭浩さんのことを書いたので、順序としてはアメリカのKMC社長発動機事業本部長

川崎重工業社長を歴任した田崎雅元さんのことを触れないわけにはいけないだろう。

 

ただ、大庭さんや高橋さんは、私の上司としての存在だったのだが、田崎雅元さんは間違いなく一緒に協働した仲間であり、どうしても、彼の話となると長年一緒に協働した『仲間としての話』になってしまうことをお許し頂きたいのである。

 

田崎雅元さん、年は私より二つ下、昭和10年の生まれ、川崎航空機入社の年次で言えば、私の1年後輩なのだが、結構気が合って、本当に長いお付き合いは極々最近まで続いているのである。

私が一つでも先輩であったことは誠に幸いして、彼はホントに社会的には手の届かぬほど偉くなったのだが、彼との関係会話も、ずっと何十年同じように続いている仲間なのである。

生い立ちも似ていて、私は戦前朝鮮京城にいたのだが、彼のお父さんも京城大学の先生で小学校時代は京城にいたこともある。終戦前に満州に行って満州からの引き揚げ者なのである。

どちらも大陸育ちのちょっと変わったところがあって、後輩から『古谷さんと田崎さんは日本人でないところが困る』などと言われたりしたのである。

 

田崎さんは、川崎航空機の昭和33年の入社で、ジェットエンジン部門の生産関係に配属になっていた。田崎さんに言わすと入社時に、設計図面を書かない部門にと希望したからだという。設計図の昔のスミで書くのがどうも苦手だったのだという。兎に角口は達者だったが、字などもそんなに綺麗ではなかった。

曰く、『アタマの回転が速すぎて手がついて行かないからだ』などと仰る。ことほど左様に何か理屈をつけて決して『参った』とは言わないのである。

そんな彼がジェットから単車に移ってくるのは昭和37年だったと思うが、昭和36年当時私は既に単車営業にいて、労働組合関係の職場の常任幹事をしていたころ、彼もジェットの職場の常任幹事で同じ会議などで出会ったのが最初である。組合関係のことなど、どんな話題になっても、めちゃ上手く喋るので、事務屋だとばかり思っていたら技術屋と聞いてびっくりした。

 

★そんな彼が、単車の生産工場に異動して来て、高橋鐵郎さんの下にいたのだが、お二人とも当時のカワサキ創世期のレース委員会のメンバーだったのでそれからはずっと退職後も繋がっているので、もう50年以上のホントに長いお付き合いなのである。

 

田崎さんのことを時系列に並べてみると

● まずは組合の常任幹事時代のお付き合い 1961年。

● これは確か昭和37年だったと思うが『源平芸能合戦』と言う会社単位のテレビ番組があって、三洋電機が相手で私が勧進元だったのだが、田崎さんがその応援団として大いに手伝ってくれたことを覚えていて、いつも二人の間では話題に上がる田崎さんとの協働のスタートなのである。

●『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8356d318b5dc414c15dd1b7488a09f63

会社に内緒でロードレーサーを創って走らせたのは私と田崎さんなのである。そのカワサキの初代のレースチーム監督が大槻幸雄さん、助監督が田崎雅元さんだったのである。 1965年。

● その後彼はアメリカの異動になるのだが、当時のレース監督大槻幸雄さんもドイツ留学が決まりお二人同じ日にレースの仲間たちで送別会をしたりしている。1965年のことである。

 

これはその当時の1回目のアメリカ時代の浜脇洋二さんと田崎さん。

最初のシカゴ時代、所謂『7人の侍』の一人なのだが、当時バイクに乗れたのは田崎さんだけで、W1の試乗でハイウエイを走ったのが彼の自慢なのである。社長時代もオートポリスをバイクで走ったりしたらしい。

● アメリカから戻ってきて、私も国内の販社出向から単車事業部の企画室に戻った時は、彼も同じ企画部にいて、それからは殆どずっと仕事上でも密接な関係にあったのである。この年が1975年。

● 1978年だったか、アメリカのハーレーダンピング訴訟がありこれを担当したのが田崎さん、その国内販社の構造対策をしたのが私なのである。

● その後、アメリカ市場がどんどん悪化して、彼は高橋鐵郎さんと一緒にアメリカKMCの社長で出向するのだが、それでも益々大変になり、販社の経営対策のために私は当時の山田専務に企画室に戻るよう言われる話は、高橋鐵郎さんの時にも書いた。

● その時、山田専務に高橋鐵郎会長を企画室に戻すようにお願いした時『田崎でKMCは出来るか?』などと仰るのである。『私と田崎さんは1年違いですから、田崎さんでKMCが出来ないなら、私が企画は務まりません』とお答えしたのである。

● その後のKMCは大変な時期だったのだが、田崎さんの相談相手の高橋さんを私のほうに頂いたものだから、そんなこともあって、大庭本部長時代の3年間の単車再建期間、私はKMCのことについては特に田崎さんを援けて尽力した

●『Ninja 』のネーミングは実はアメリカ発で、明石の技術部サイドは反対だったのだが、大庭さんがKMCの出張時に『Ninjaは黒装束のイメージなどではありません。アメリカではゼロゼロセブンのイメージなのです』と口説き落として、当初のGPZ900は、アメリカ市場のみ『Ninja』のネーミングで上市されたのである。

あの時、大庭さんを口説き落とさなかったら、カワサキに『Ninja』のネーミングは生まれていなかったのである。その時その場にいたのは大庭さんと田崎さんと私の3人だけだったのである。

 

 

●その当時のKMCは、累損もあり日本円で言うと300億円近い借入金もあって、当時の貸付金利が20%に近い高率だったので、その金利だけでも60億円近い金額となり、当時の田崎さんにKMCの経営再建はモノを売ることよりも営業外対策をするほうが速いと、彼に営業外やバランスシートの知恵を教えたのは私なのである。

技術屋さんでバランスシートなど解る人は少ないのだが、一端覚えて勉強しだすとどんどん知識を深めて、私などが追いつけないほどの資金関連の知識を田崎さんはお持ちなのである。

後、川崎重工の社長当時、無配の川重を引き受けたのだが、彼の社長担当時に川重のバランスシートの内容は非常に改善されてその後の川崎重工の経営安定に貢献しているのだが、それを言う人は少ないのである。

● 田崎さんがKMC社長時代、私と二人で掲げた目標は『KMCの38百万ドルの累損消去』であり、殆どの人がそんなことできるかと思ったのだろうが、田崎さんの後の百合草三佐雄社長時代に、見事消去されて、日本サイドで元大西副社長など関係者とお祝いのパーテーを一緒にして、田崎さんと私も出席した夜のことよく覚えている。

●川崎重工業社長時代に、彼でないとできなかったことがあるとすれば、それは神戸の『カワサキワールド』を創ったことだろう。その展示の内容は、二輪部門が中心にはなっているのだが、航空機も車両もホントに立派な川崎重工の展示場となり、神戸のメリケンパークの名物となっているのである。

そのカワサキワールドも10年経って、今秋、特に二輪の展示部門の回収が行われるようである。こんな写真が、Facebook に載っていた。

 

●1986年がカワサキの二輪事業の再建最後の年で、大庭本部長は本社に戻られ7月からは高橋本部長となり、翌年4月に単車と発動機との統合があり、田崎さんも2月には戻ってくることになるのである。あれだけの大騒動であったカワサキの二輪事業の危機も、3年間で成功して大庭さんは翌年6月の川重社長が約束されて本社に凱旋されるのである。

その1年前の1986年の事業部の動きである。

 

 

 

● 87年からは、そんな新しい体制になるのだが、大きな修羅場を経験した田崎さんなども、安定した事業部の企画副室長は勿体ないなと思っていたら、大庭さんが社長になると直ぐ、田崎さんはすぐ本社に引き抜かれて、そのあとすぐ川崎重工業のニューヨーク社長にまた出向することになるのである。

● 田崎さんはニューヨークから戻った後はCP事業本部の副本部長として、そして事業本部長を務められた。その後、川崎重工業の社長に抜擢されるのだが、これは大庭浩さんの最後の人事であったのだろう。

 

★田崎さんとのお付き合いはお互い現役時代も延々と続いたのだが、お互い引退後もずっと続いていて、そんな私との関わりを幾つか・・・・

 

● これは現役を引退して後のNPO The Good Times の平井稔男さんが主宰した『カワサキの想い出、そして未来』の時の幕開けの挨拶をしてくれた田崎雅元さんである。  2011年。

 

 

● こちらはひどく赤い顔をしているが、神戸の灘の酒心館の会合で昼から旨い酒を飲んだ時、NPO The Good Times の会員になってくれた時の写真である。

ちなみに、NPO The Good Times の会員NOは、高橋鐵郎さんが昔で言う監督NOのNo.0030 番、田崎さんがNo.0031番なのである。

 

 

●さらに、彼が孫文記念館の理事長を引き受けた際は『孫文を語る会』を創って協力もしたのである。ちょうどその頃の写真である。

 

● 引退後の田崎さんとの一番大きな協働作業と言えば、もう今はすっかり定着して、『カワサキワールドの定例行事』になっている、神戸メリケンパークでの『ミニ鉄道フェスタ』である。

http://www.khi.co.jp/cgi-bin/kawasakiworld/topics/index.cgi?mode=detail&select=1458635683

 

 

これの起案者の福井昇くんに頼まれて、当時会長だった田崎さんに頼みに行ったのは私なのである。

彼が一緒に神戸市の副市長のところまで一緒に行ってくれてその開催が決まったのだが、第1回は副市長に頼まれて、神戸フルーツフラワーパークでの開催となり、NHKが報道したこともあり大盛況で、その実績から、メリケンパークでも開催することになったのである。

 

そんなことで、田崎さんとのお付き合いは、『源平芸能合戦』に始まり『ミニ鉄道フェスタ』まで、いろいろとあるのだが、二輪関連だけでなく、ジェットスキーのレース活動のJJSBAを立ち上げるにあたっては、当時KMCの社長をしていた田崎さんにアメリカのIJSBA に繋いでもらったりしたのである。   1961年。

 

日本でのジェットスキーのレース活動はそこからがスタートである。

ソウル五輪の開会式の当日 韓国のオリンピック委員会の依頼で、ハンガンでジェットスキーのデモンストレーションを世界のジェットスキーのトッププレイヤーを集めて実施した時も、いろいろ援けてくれたのである。 1988年。

 

 

川崎重工業の社長を務めた田崎雅元さんなのだが、彼の中にある「遊び心」の原点は、こんなカワサキの創世期のレース仲間たちとのお付き合いから身に沁み込んでいるのだと思う。

二輪車も、ジェットスキーも『遊び』の道具なのである。

その事業展開に『遊び心』がなかったら、その経営は本物ではない。と私は思っている。

それは業界の大先輩、本田宗一郎さんのおやりになったことを見ながら、学んだ私の信念みたいなものである。

 

 

彼の社長時代には川崎重工業を、『川崎柔工業』に体質改善することを本当に目指したのである。川崎重工業と言う企業の中に、大庭浩さん以降『カワサキの二輪の体質』が幾らかでも沁み込んで行ったのは確かなのである。

この写真、真ん中が兵庫メグロに西海社長、その両脇が川崎重工業の副社長をされた、山田さんと高橋さん、私の隣が田崎さんなのでである。

 

 

2016年8月5日

殿界寿子さんと藤本喜子さん

投稿者 : rfuruya

★ 昨日は尼崎から藤本喜子さんがやってきて、殿界寿子さんの事務所でいろいろ話をしていた。

 

 

これは帰り際に、藤本さんが三木の農協の直売所で買った野菜を冷蔵庫から取りだしてからの動画である。

この時は、まさに主婦に戻って、あれが安い、これが安いと専ら、こんな調子なのだが、それまでの何時間かは、結構まともな地域活性化などの話もしていたのである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=L9JdCPc-tik

 

お二人とも、ブログも、おやりである。

それも、なかなかの発信回数で、世の中のブログの水準は越えている。

もう1年以上も前に、私がお勧めして始められたブログなのである。

 

こちらが殿界寿子さんの『とのさま日記なるもの』

http://blog.goo.ne.jp/mikisanro-do0501

 

こちらは藤本喜子さんの『しもじも日記』 である。

http://blog.goo.ne.jp/hayatakayuhi

 

ツイッターもおやりである。

こちらは殿界さん。

https://twitter.com/KotoKing0205

 

こちらは藤本さん。

https://twitter.com/nasupink

 

 

『情報発信』や『ツイターのフォロワーの集め方』など共通に関心のある話題もあるし、『地域の活性化』については、みんなの目指す目標ではあるのだが、これはいろいろ問題もあって、なかなかムツカシイ面もある。

イベントなどは、結構簡単には出来るのだが、それが『まちの活性化』になっているかどうかは、また別問題なのである。

そんな状況なのだが、

今月の 神戸ベンチャー研究会では、『まちの活性化』について、パネルデイスカッションがあるし、9月初めには関西国際大学の学生さんの『三木市で地域活性化のサービスラーニング』を予定があって、いずれも松本茂樹先生から、私にも殿界さんにも依頼を頂いているので、それに対応したような雑談でもあったのである。

 

何事もそうだが『喋るだけ』ならいたって簡単なのだが、目指す目標の実現は、なかなか難しいのではある。

ただ、ある意味、今雑談が出来ること自体が、少なくとも3人の間の『活性化』にはなったのかな、などと思って戻ってきた。

三木の農協の野菜のファンが、尼崎から来てくれること自体が『いいのでは』と思ったりもするのである。

ムツカシイ話をしていても、突然『主婦』に戻るところがオモシロい。

2016年8月3日

私の考える地域活性化 この二年近く色んな方と出会った そして気がついたのです

投稿者 : rfuruya

本当に活性化をしたいと思う人はそれを使命だと考えずに心底から自分達も楽しみながらやっているという事。これが真実の姿なんです❗❗

自分達が楽しんでいるから利益を追求しない。

それを実践しているのは

仮面舞踏会三木さん。

コツコツとそれを実践している。仲間も増えている。

私も仲間とローカル線に乗ってのぶらり旅を続けている。

それが唯一私が関わりを持っていることだ。

計画をたててくれるかた、仲間に声をかけて盛り上げてくれるかた。協働だ。
そういう方々が仲間だろう。
感謝です。

我が師 古谷さんが仰っていた通り。

それぞれが本当に楽しいと思う者同志が残るのだ。

色んな出会いがあり別れがあった。

結局は一緒に楽しめない人は自然と離れていく。

それは仕方ない。

普段は繋がらなくても大きい事をするときは繋がれば良いのかもしれないな。

それが地域活性化に繋がるのかもしれない。

小さい単体だけでは無理。

その時だけ繋がれば良い。

すべては師匠の最初に仰っていたこと。

それを身に染みて実感したのだ。

長い時間がかかってしまった。

地域といっても私は自分の住む地域以外とも関わりたい。

それも私が楽しめる事で。

2016年7月22日

高橋鐵郎さんを偲ぶ会

投稿者 : rfuruya

★ 昨日は 高橋鐵郎さんを偲ぶ会 と言う名目で、灘の酒心館 にこんなメンバーが集まったのである.

 

この酒心館は、高橋鐵郎さんがお元気だった生前も、単車のメンバーたちが集まって、高橋さんを囲んで、定期的に昼から飲んでいたそんな場所である。

 

これは昨日集まった8人。

カワサキの単車の激動期支えたメンバーと言っていい。

前列真ん中が、この会の主宰者桑畑禎文さん、左が北村敏さん、右が阿二眞三郎さん、

後列は左から、井川清次さん、野田浩志さん、私、大前太さん、一番右は川崎芳夫さん。

 

次回の 『カワサキ二輪事業と私』 の中で、それぞれの方のエピソードなど紹介してみたいので、ご期待ください。

 

灘の酒心館の さかばやし  とは、こんなところだが昼から開いている。

 

 

灘の旨い酒  福寿を飲んで語ろう と言う会は、高橋さんの生前は

高橋鐵郎さんを中心に、田崎雅元さんや、柏木茂さんなども定期的に集まっていたのである。

高橋さんや、田崎さんが出席できなくなって、私はちょっと中断していたのだが、新しいメンバーが加わってまた続いていたらしい。

 

福寿の生酒、 灘の蔵元でしか飲めない 味である。

 

そんな 旨い酒を 昼から飲みながら、 いい時間が過ごせたのである。

そんな飲み会と そのあとの様子を、動画に撮ってきたので、ご覧になると雰囲気がお分かりいただけると思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZTJiK_v3WN8

 

なかなか量り売りはしていないという 福寿の生酒を井川くんが買っていた。

動画の中から切り取った写真だから、動画を見れば、この美人の ナマの声と講釈も聞けますよ。

 

 

 

 

こちらは、ノーベル賞の授賞式の晩餐会 に出された 福寿のお酒

なぜ、そんなことになったのか?  なぜ福寿が選ばれたのか? などなどについても、別のお嬢さんがその経緯を語っ  てくれている。

 

 

 

こちらは、支配人の湊本さん

お酒ならぬ ワインの ソムリエの資格をお持ちだとか。 その辺の講釈も聞いてきた。

 

 

なかなかいい 昼のひととき でした。

高橋さん、天国からご覧になってたでしょうか?

 

2016年7月15日

Pinocoa と服部洸太郎くん

投稿者 : rfuruya

★ 服部洸太郎くんと 一度話をしたのは5月末のことである。

その時の印象をこんなブログにアップしている。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/9c81e50f63c4dc05bba55687646e4382

 

あの時から、1ヶ月ちょっとが過ぎた。

前回と同じ場所、西神中央の喫茶店で、昨日も4時間ほど話し込んだのである。

1ヶ月で 『随分と変わったな』 と言うのが率直な印象である。

 

つい先週、 Pinocoa は 『こなやのライブ』の協賛もされたので、その時にもお会いしてそのライブの感想をFBにアップしたのだが、そのサイトを服部洸太郎くんはシェアされているのである。

そこにも、『Pinocoa は間違いなく進化した』と感想を述べている。

 

 

 

★ 服部洸太郎くんは、Pinocoa の代表なのである。 Pinocoa  とは Piano + Pinoko  だそうである。

Piano を中心に据えて、日本の最高峰の高質な活動を目指すという話を聞いてると夢はどんどん広がるのである。

前回会った時は、29歳、今回は30歳になりたての、服部洸太郎クンなのだが、代表を務める Pinocoa のホームページ が まず変わった。

http://pinocoa.com/piano/

 

こちらは多分『服部洸太郎』個人の紹介なのだろう。

http://kotarohattori.info/

 

1ヶ月前をご存じない方には、その変わりようはお分かり難いと思うが、兎に角変わったのである。ホームページもブログも、使っている写真なども、ご覧になれば解るが、非常にきっちりと完璧に近いレベルなのである。

 

今までなかった Pinocoa のシンボルマークが出来た。

日本人にターゲットを絞ったので英語やドイツ語が消えちゃった。

そんな変化は、前回の会話から、服部洸太郎くんいろいろと思うところがあったようである。

83歳の音楽など全然わからぬ『おじんの意見』の中にも、感じることがあったと仰るのである。

 

私が30歳の、孫のような服部洸太郎くんに、何となく魅力を感じているのは、『間違いなく奇人、変人の類』なのだが、根は非常に純粋で、アタマがよくて、音楽、ピアノのプロで、まさに間違いなく、『専門家と言うかプロ』なのである。

非常に高い想いを持っているし、Pinocoaの基本コンセプトも、オモシロいので、その想いが成就するように手伝ってあげようかと思っているのである。

私がいま手伝うとすれば、NPO The Good Times の仕組みで手伝うしか、その術はないのだが、彼は非常にこのNPO The Good Times の仕組みに関心があって、『それをそのまま、乗っ取ることは出来ないか?』といろいろと彼なりに調べたようである。

それがどうも、出来そうで出来ないように思ったのかどうか?

NPO The Good Times の仕組みは、確かに真似は出来るかも知れぬが、『それを仮に乗っ取ってみても』ちゃんと機能するかどうかは疑問である。 『異種、異質、異地域をみんな繋ぐ』ことは出来たとしてもその中心に座っている『Good Time 』を自分よりも周囲の人たちに提供するというコンセプトに勝るものは、なかなかないだろうと思っている。

昨日は、延々と4時間、そんな続きの話をしていたのである。

 

 

 

 

  これが服部洸太郎くんの Facebook のサイトである。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100009867648639&fref=ts

そして、これが左下の写真を大きくしたものである。

 

 

非常に高い次元でのコンセプトを追っかけようとする『Pinocoaのブランドイメージの高質化』は、音楽関係者や身内だけではなくて『他人からの評価』を得ることがMUST 条件なのである。

昨日は、そんな話に終始した。

 

少々、まじめすぎて、一直線すぎて、イメージがちょっと怖すぎて、オモシロそうだが『近づき難い』のである。近づいてきて、4時間も話に付き合うのは、『めちゃ変わった私のようなおじん』なのである。

昨日の話の結論は、『もう少しいい加減』をめざすのがいいだった。『いい加減』と言うのは、ダメなのではなくて、文字通り『いい加減』なのである。

 

 

 

Pinocoa代表を服部洸太郎くんが務めているのだが、

それを『支えている人』が二人、

 

そしてもう一人はアルゼンチンに留学中の

 

 

この3人、今でも日本のピアノ界で『トップクラス』と言っていいと服部洸太郎くんは豪語する。

それをいつか『みんなが認めてくれる』 そんな Pinocoa になればいいなと思っている。

 

2016年7月1日

私の人生と 『レースの世界』

投稿者 : rfuruya

人生80年を少し過ぎた。

その半分の40年をカワサキの二輪事業とともに過ごした。

川崎航空機と川崎重工業にその籍はあったのだが、20年は販売会社に出向してマーケットの最前線にいたしその時はレースに色濃く関係していたのである。

 

その原点とも云える写真がコレである。

 

昭和37年ころ、カワサキのレースはモトクロスから始まった。

三橋実が率いるカワサキコンバットが主流で、それに神戸木の実から山本隆、歳森康師が加わっていた時代である。

富士の裾野で行われていたMCFAJの全日本の時で、左から4人目は星野一義だがまだ契約はしていないノービス時代である。

 

同じ写真の当時は珍しいカラー版だが、この6人が契約ライダー、左から安良岡健、三橋実、歳森康師、山本隆、岡部能夫、梅津次郎で、赤タンクのカワサキと呼ばれていた時代である。

カワサキがGPレースに参加する昭和41年(1966)9月までは、レースの主力はモトクロスであった。

私の第1期のレース担当の時期である。

 

それから20年以上も経って、1988年10月、3度目の販売会社担当の時期が始まって、10月1日に新職場に赴任するのだが、一番最初にやったのが、カワサキファクトリ-25周年OB会 芦屋の名門『竹園旅館』で盛大に開催し、レース活動中心の展開を図ることを、先輩方やレース仲間たちに誓ったのである。

カワサキの二輪事業を支えた錚々たるメンバーたちとライダーたちである。

 

 

 

真ん中は兵庫メグロの西海社長その両隣は川重の副社長を務めらてた、山田熙明、高橋鐵郎さん、Z1の大槻幸雄さんもおられるし、2列目私の隣が、後川重社長を務めた田崎雅元さん、その横が平井稔男さんである。

 

その時、招待したレースOBたちと、当時のカワサキ現役ライダーたちである。

 

 

そして1990年代のカワサキの『第2期レース黄金時代』が始まるのである。

1990年代は、8時間耐久レースを頂点とする『ロードレース』主力の時代であったと言っていい。

4時間耐久にも6時間耐久にも優勝し、ルマン24時間にもカワサキチームがMFJを代表して参加したりした。

その頂点が カワサキの初めての鈴鹿8時間耐久レース優勝なのである。

 

 

この優勝を目の前で見たし、そんなレース活動の中に私もいたと言っていい。

急にこんなことを思いだして書いているのは、

KAZE の機関誌が送られてきて、今年はカワサキも鈴鹿8耐『本気かな』と思ったりしたからである

 

 

KAZA 機関誌の今月号は『鈴鹿8耐特集』 でこんなチラシが挟まれていた。

 

その中にこんな名前を発見した。

レオン・ハスラム』 知ってたわけではない。

調べてみたら  2013,2014年の鈴鹿8耐の優勝チームのライダーなのである

★1990年代の夏、7月は半月以上を鈴鹿サーキットで過ごしていた

20万人の観衆で鈴鹿が人で埋まったあの時代、8耐最盛期であった。

 

伊藤ハムレーシングのラッセル・スライトも頑張ったが、その時代日本人ライダーたちも大いに頑張った時代である。

宗和・塚本・多田・北川 たちトップライダーたちも、6耐・4耐優勝の若手ライダーも月木レーシングの総監督は岩城滉一がやったりしていて、カワサキのパドックはいつも賑やかだったのである

春の2&4には、星野一義がわざわざカワサキのパドックに、私や岩崎茂樹にわざわざ挨拶に来てくれたりたりして、『星野がなぜカワサキのパドッに・・・』と不思議がる人が大勢いたのである。

 

独特のレースの世界、そこには単なる勝負の世界だけではなくて、ベースに『人の繋がりがある

はじめのころから言えばもう40年以上にもなるのに、ずっとその時代のままの関係で繋がっている。

私のFacebook トモダチには、そんなレース関係者やライダーたちがいっぱいなのである。

 

 

いまの私のFacebook だが、ここに並んでいる人たち、親しくお付き合いのあった、みんなレース関係者なのである。

カワサキだけでなく、ホンダ・スズキ・ヤマハ・BS の人たちが一緒に並んでいるのがいい。

吉村太一ちゃんなど、星野と同い年で彼らが17歳のころからのお付き合いなのである。

もう何年前になるのだろう。

東北大震災のあった年の3月4日、平井稔男さんが主宰した『カワサキの想い出そして未来』に全国から集まってくれた仲間たちである。

 

Facebook のバックの写真、多分この写真から変わることはないだろう。

『レースの世界』は私の人生の『バックボーン』なのである。

2016年6月21日

みきトレインのブログ

投稿者 : rfuruya

『みきトレインのブログ』です。

トレインのネーミングは、トレイン=汽車=記者 から『三木記者クラブ』の記者さんのブログです。

以下は、神戸新聞の大島光貴編集局長のブログです。神戸新聞の三木市局の記事がブログになって全国に流れます。NPO の公式ツイッターでもツイートしますので54万人に向かって発信されています。

 

 

熊本県益城町の実家で被災、古里への思いを込め、三木から被災地の支援を続ける女性がいます。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009196784.shtml
閲覧数120 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/20 11:09
公開範囲外部公開
2016年06月10日(金)
3日連続でタイブレーク延長十回で決着がつきました。敗れたのは残念でしたが、関西国際大ナインには、多くの感動をもらいました。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009170768.shtml
閲覧数239 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/10 00:01
公開範囲外部公開
2016年06月09日(木)
6月議会には、緑が丘認定こども園と、三木幼稚園、三樹幼稚園、志染保育所をめぐる幼保一体化計画関連の請願2件が提出されました。採決に注目しています。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009166859.shtml
閲覧数64 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/09 20:32
公開範囲外部公開
2016年06月08日(水)
ドキドキハラハラ、手に汗握るいい試合を見せてもらいました。8日午後2時からは東京六大学の明治と対戦です。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009163340.shtml
閲覧数81 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/08 01:20
公開範囲外部公開
2016年06月07日(火)
第三者委員会として客観的な判断を出した審査会だっただけに、こういう結末を迎えたのは残念です。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009149664.shtml
閲覧数63 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/07 21:31
公開範囲外部公開
2016年06月02日(木)
若狭町の提案に、三木市が応じて実現したそうです。http://www.kobe-np.co.jp/news/bousai/201605/0009138616.shtml
閲覧数532 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/02 00:25

2016年06月20日(月)

熊本県益城町の実家で被災、古里への思いを込め、三木から被災地の支援を続ける女性がいます。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009196784.shtml
閲覧数120 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/20 11:09
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2016年06月10日(金)
3日連続でタイブレーク延長十回で決着がつきました。敗れたのは残念でしたが、関西国際大ナインには、多くの感動をもらいました。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009170768.shtml
閲覧数239 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/10 00:01
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2016年06月09日(木)
6月議会には、緑が丘認定こども園と、三木幼稚園、三樹幼稚園、志染保育所をめぐる幼保一体化計画関連の請願2件が提出されました。採決に注目しています。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009166859.shtml
閲覧数64 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/09 20:32
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2016年06月08日(水)
ドキドキハラハラ、手に汗握るいい試合を見せてもらいました。8日午後2時からは東京六大学の明治と対戦です。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009163340.shtml
閲覧数81 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/08 01:20
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2016年06月07日(火)
第三者委員会として客観的な判断を出した審査会だっただけに、こういう結末を迎えたのは残念です。http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201606/0009149664.shtml
閲覧数63 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/07 21:31
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2016年06月02日(木)
若狭町の提案に、三木市が応じて実現したそうです。http://www.kobe-np.co.jp/news/bousai/201605/0009138616.shtml
閲覧数532 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/02 00:25
2016年6月17日

堀光美術館で企画展「アート・フェス無鑑査作家展 おまつ・Tの神秘」を開催

投稿者 : rfuruya

 

 アート・フェス公募展において3回入賞(第10回サンテレビジョン賞、第15回兵庫県芸術文化協会賞、第17回三木市長賞を受賞)を果たし無鑑査作家となったおまつ・T(尾松卓也さん)。ジェルメディウム※1やモデリングペースト※2を使った半立体作品約50点を展示します。
※1ジェルメディウム:アクリル絵具のツヤ出しや盛り上げ、透明感などの調整、コラージュ等の接着やテクスチャー作りなど、様々な制作場面で利用されるもの。
※2メディウム:一般に「中庸」「媒体」の意。①絵具の成分のうち顔料と練り合わせその均質な分散や接着を助けるために使うもの。②絵具の使用者が好みによって透明感や光沢の変更、絵具の増量。乾燥・速度の調整のために絵具に添加して用いる液体又はペースト状のもの。

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【日時】
平成28年 6月12日(日)~6月26日(日)  休館日:月曜日
開館時間:午前10時~午後5時
(入館は午後4時30分まで、最終日は午後4時まで)
【会場】
三木市立堀光美術館
【入館料】
無料
【問い合わせ】
三木市立堀光美術館 ☎0794-82-9945

三木市内の情報は、兵庫県三木市のポータルサイト「みっきぃ情報ミュージアム」をご覧ください。情報発信もできます!

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GENIUSカタログ撮影

投稿者 : rfuruya

GENIUSカタログ撮影

 先日撮影した新しいスーツの画像が

堺のロジックスタジオ様から届きました。

なかなか渋い感じの光加減で

GENIUSレーシングスーツらしさが

よく出ている画像だと感じました。

レースをやり始めた1992年から

ずっとこのスーツを着続けてきました。

乗るマシンや自分の身体が変化するたびに

改良に改良を重ねて進化してきたように思います。

怪我による可動域制限や身体の特徴も

長年のデータから把握してくださってるので

できあがったスーツを着てすぐにフィットします。

フルオーダーグローブの着け心地も最高で

ずれる事が全くないのがどれだけ大切か

装着してはじめて理解することができました。

以前は革のセンサーしか使用できなかった自分が

違和感なく使用できているこのバンクセンサーも

サーキットでは必須アイテムのひとつです。

Racing purpose only

レースの為に考えられた製品の良さを

少しでもお伝えすることができたらと思います。

吉備楽のお稽古

投稿者 : rfuruya

吉備楽のお稽古

15日は夕方電車で大倉山まで行き、歩いて平野の「友愛飯店」まで。
15、16と家元(楽長と御子息)が神戸にこられて吉備楽の稽古。

15日は会社だったので稽古はできないので夜の会食だけお付き合い。
友愛飯店は前に行ったことがあって、なかなか美味しい店。
地元の家族がよく利用しているので人気の度合いがわかる。

終わって明子の運転で帰宅。

16日は朝から稽古。
一日中ゆっくりと笛や琴を稽古した。
三木の東子さんも2日間お稽古に参加してくれて嬉しかった。
その東子さんがFBにアップしてあった写真を拝借。
img_20160617-132159.jpg
琴は10面あった。
参加者は13~4人かな?

先日から作り始めていた篳篥を削って音出しをしてみた。
けっこう強い息が必要だが削り過ぎるとモチが悪くなるので途中でやめた。

今夜はタンゴの勉強でアルゼンチンに行っている志野ちゃんのお友達の演奏を聞きに行く。
場所は灘の里夢という音楽ハウス(?)。
東子さんが教えてくれたので今夜も一緒に行く。

明日は京都の稽古、明後日は落語会と粟生線の総会。
いろいろ予定が詰まっていて大変。

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