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2016年10月24日

ネットの世界の繋がり

投稿者 : rfuruya

 

★今どき ネットから逃げている 大企業や行政など、ちょっと間違っていると思っている。その根底にあるのは『性悪説』だろう。勤務時間中にネットを自由に観れるようにしたら、仕事をせずにネットばかりに集中してしまうとでも思っているのだろう。ネットの中で得られる情報や、末端の貴重な情報をみんな逃がしてしまっていることに気づいていない。それでいながら『アンケート』などツマラヌ末端情報をとって満足しているのである。

★現役を引退してもう何年にもなるのだが、いろんな新しい繋がりが出来て、楽しく生きておられるのはネットのお蔭である。世の中の一般の消費行動などをみていても、ネットだとか通販だとか、その主流はシステム販売にどんどん移行しているのに、いまごろから新しい店舗を中心にした販売方法など考えてみても、40年以上の時代錯誤だと思うのだが・・・一生懸命頑張ったら売れるという時代は、昔々の行商の時代の産物だと思う。確かに一生懸命頑張って売ることも大事だが、遊んでいても売れる方法『仕組み』を考えるほうが早道だと思う。

基本コンセプトの中心に末端の一般の方や、消費者の満足と言う一番大事なことが抜け落ちて、従来通りのタテ型の発想しかないので、40年前と基本的に同じ発想になるのだろう。

★世の中の人たちは、確かに悪い人もいっぱいいるが、『人間の性は善である』と私は思って生きてきた。『性善説』で生きるほうが楽しいし、信じてあげたら殆どの人はそれに報いてくれるものだと思っている。この何年間か、ネットの世界で沢山の人と繋がった。別に組織でもなく上下の関係でもないし、金銭がそこに存在したりはしないのだが、善意で応援したり、応援してくれる人が自然に出てくるのが不思議である。

 

 

Facebook の中に突然こんなサイトが現れた。

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

先日来このブログに纏めている『カワサキの二輪事業と私』と言うシリーズを纏めて下さっているのである。こういう応援者が出てくることは、励みにもなる。

ネットの世界は、自然に繋がって、みんな自分で『やりたいこと』をやっているだけだが、何となく自然に協調体制みたいなものが出来上がるのが不思議である。そのベースは私は『性善説』だと思っているのだが・・

なぜ、行政や大企業は、その従業員すら信用しないのだろうか?別に勝手に入ってきた人でもないし、ちゃんと試験をして自ら選んだ人なのに、それが信用できないなどと言うシステムにするので『大きなこと』が出来ないのだと思う。

 

2016年10月17日

NPO The Good Times のHP 10万人来場!

投稿者 : rfuruya

★いま朝7時半、 NPO The Good Times のホームページの訪問者は99,972人

http://www.thegoodtimes.jp/

後28人で待望の10万人が達成できる

今日のうちに達成することはまず間違いない。 7年と5か月の月日が流れた。

 

NPO The Good Times を立ち上げたのは2009年のことだから7年前のことである。

7年前と言うと私は76歳、結構な歳から思い切って始めたものだと今となってはそう思ったりするが、その時は全然そんなことは思わなかった。

思い立ったのは1月末で、三木市が開催したNPO関連の講習会に出席して講師の先生の話を聞いているうちに、『自分で立ち上げてみよう』と思ったのである。

先生の『日本のNPOはいまや小学校の数を抜いてコンビニに迫る勢いだが、小さいものばかりでトヨタ自動車や川崎重工のような確りしたところは少ない』と言う言葉に刺激を受けて、2月の初めには兵庫県のボランタリー活動プラザのある川崎重工の神戸本社ビルを訪ねたのである。

 

kawasaki . Let the good times roll!

は川崎重工の二輪事業部の事業展開の基本コンセプトなのである。

1970年代にアメリカのKMCでアメリカ人が創ったフレーズだから、正式な日本語訳は無いのだが、『Kawasaki に出会う人たちがハッピーになるような活動をKawasakiは転がし続けます』というようなことだと思っている。Kawasakiの作るバイクやジェットスキーは、販売店やユーザーたち、それを作るカワサキの従業員などカワサキに繋がる人たちにも勿論出会うのだが、バイクやジェットスキーは道や海辺でも乗られるので、バイクに乗らない一般の人たちとも出会うのである。

そんな一般の人たちにも迷惑を掛けないような社会と共存できる事業活動であるべきだとずっと思っていたのである。

 

そんなコンセプトをもっと広げて、ご縁があって繋がる人たちがみんな『Good Time になるような活動の仕組み』を創ろうと思ったのである。

当時既に、76才だったから自ら引っ張ることは難しいが、『仕組みの創造』なら50年間『仕組み』を創り続けてきたのでそのノウハウは十分だと思ったのである。

まず NPO The Good Times の基本コンセプトを

異種・異質・異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』 と決めて、このコンセプトを実現するために

● ネットの利用  (ネット自体が仕組みであり、幾ら上手に使っても無料)

● すでにあるネットの仕組みの利用  (ブログ・ツイッター・Facebookなどを横に繋ぐ)

● 共感ネットワーキング (こんなコンセプトに共感する団体会員・個人会員で構成し、その人たちの想いに実現)

などなどが出来上がる、NPO The Good Times に出会った人たちがハッピーになればいいなと思ってスタートしたのである。

 

★7年経って、いろんな評価はあるのだろうが、少なくとも小学校の数ほどあると言われる一般のNPO法人とはちょっと違った差別化された動きが出来ていると自負している。

●この間、行政などからの金銭的支援、補助金など一切受けていない

●世界で多分一つしかないと思う経常経費0円という、お金が要らない法人をネットベースで完成出来ている

●参加されている団体会員さんは結構ちゃんとした『活動』をされている・

●それを支援する『仕組み』は例えば『公式ツイッター』は55万人のフォロワーになったりしている。

 

★ このNPO The Good Times が一番最初に創ったのがそのホームページなのだが、そのスタートは2009年5月のことで、そのスタート時点から、ホームページを訪れる方を数えるカウンターを付けたのだが、

それが多分、今日中に『10万人』を迎えそうなのである

これは日曜日の午前中の数字なのだが・・今はこんな状況なのである。

 http://www.thegoodtimes.jp/

 

ホームページはよく創られるのだが、なかなかそこを訪れる人は少ないのが現実で、NPO The Good Times のホームページに10万人に人が訪れることになるとは思ってもみなかったのである。

このホームページそのモノにも結構動きはあるのだが、このページの右側に並んでいる団体会員さんのホームページもまた素晴らしいので、そんなページを訪れた方がつい訪れたりする相乗効果なのかも知れない。 と思ったりしているのである。

いずれにしても、日本の場合、ネットワークとは間違いなく『ヨコ展開の機能』であるはずなのに、全然その意識をお持ちでないのである。

極端に云うと『ヨコ展開のネットの世界』で日本独特の『タテ型』に篭もってしまって、ホームページに幾ら掛けたとか綺麗に出来たなどばかりに終始していて、トータルの仕組みが抜け落ちてしまっている。

 

NPO The Good Times の場合は、事務所もない、お金もない、従業員もいない、電話もない、毎日の活動もそんなにない紙の資料もないチラシなどは一切ないなどの『ナイナイ尽くし」なのだが、

7年経ってそのホームページに 10万人が訪れたということは、そこそこいい線行ってると思っていいのだろう。

7年前はその会員さん、こんなことをしていたようだ。

http://www.thegoodtimes.jp/date/2009/05/

そんなことが、振りかえって観れることがいいのかも知れない。

そういう意味では会員さんのブログもここに来れば見ることが出来るのである。

http://npothegoodtimes.blogspot.jp/

 

こんなのを、お金を使わずアタマを使った『ヨコ展開の仕組み』と言うのである。

 

 

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雑感日記のEnglish Version です。

 

2016年10月11日

こなや音楽祭

投稿者 : rfuruya

 ★毎年10月10日に三木山森林公園の音楽ホールで開催される『こなや音楽祭』に行ってきた。

昨年に続いて2度目だが、私自身音楽を評価するようなレベルでは全くなくて、ただいい音楽を聞くのは何となく楽しいというぐらいなのである。

そんな私が聞いていても、この音楽祭の出演者のレベルは相当に高度だなとお模わせるものがある。

 

主催者の垂井ご夫妻も出演する、吉備楽『御神楽』から始まった。

伊勢神宮と宗忠神社だけで演奏されている御神楽の出張演奏なのだそうである。

 

 

 

 

 

クラシックピアノ演奏のあとは、ピアノ・ギター・バイオリンの共演。

 

 

さらにバイオリンとアルパと言う私はその名前を聞くのも初めての楽器の共演でよかった。

 

 

 

 

前半最後に登場したのが 三線とタップダンス。

タップダンスに登場したのは、鈴木昭彦さんでこんなかくし芸を持っているのにはビックリだった。

 

 

3時間に近い演奏を3分ほどに纏めてあるが、会場の雰囲気や、演奏のレベルはお聞きになればすぐお解りだと思う。

 

こんな高度な音楽界が入場料無料なのである。

お聞きしたら、10月10日は垂井ご夫妻の結婚記念日だそうである。

垂井さんは大の音楽好きでご自宅で、年に何回もの演奏会も開催されている。

こんな結婚記念日のイベントが毎年開催されて、ご夫婦で出演もされるのは素晴らしいことである。

真似をしてみたいが、これはとても出来ない。

そんな、『こなや音楽祭』だった。

前半の最後を飾ったのは『三味線』かと思ったら『三線とタップダンス』

タップダンスを踊ったのは『かもすわ』の鈴木昭彦さん、

ちょっと立ち話で聞いてみたら、ニューヨークにいたときに習ったとか。

アメリカ仕込みなのである。

それだけを集めてみた動画である。

 

演奏曲は 鳩間節・新安里屋ユンタ・目出度節・豊年音頭

お楽しみ下さい。

2017年からの日記

投稿者 : rfuruya

★今年で いま使っている日記が終わりになるので新しいものを買わねばならない。

日記は高橋書店の『大型5年 横線当用新日記』と言うのを使っている。

 

 

こんな様式のもので、現役時代は『3年連続』のものを約30年間使っていたのだが、退職してからこの形の『5年もの』にしたのだが、今年で3冊、15年が終わって新しいものになるのである。

今回は 2017~2021年までの5年間だが、前回の時もそう思ったのだが、『果たして最後まで書けるのだろうか?』と。

未だ12月31日は来ていないが、今年は何とか書けそうである。

2017年は3月には84歳になるので最後の年は89歳である。

これはなかなか大変だと思うが、何とか東京オリンピックの年まではと思ったりしている。

 

★日記を書きだしたのは、20歳の大学2回生の頃だったので、もう60年以上書き続けていることになる。

人生なんて運みたいなもので、日記を書きだした動機の一つに、20歳のころ肺結核になっていて不摂生だったし『あまり長くはないな』と思ったりして、何か書き残しておこうと思ったのである。

特に養生などしているわけでもなく、自然に生きているだけだが68歳の時にも『クモ膜下』になったりして『これは死ぬな』と思ったのだが、運よく『脳外科専門』の大病院に運び込まれて、手術など何もせずに1ヶ月入院しただけで出てきて今なのである。

不思議なもので、年をとるごとに元気になるようで、正直今は70歳のころよりは間違いなく元気だし、ひょっとすると60歳以降体力は低下していなくて、むしろ元気になっているようにも思ったりもする。

そんなことなので、この新しい日記も最後まで書き終えるように頑張りたいと思ったりしているのである。

 

★ 70歳を過ぎてからパソコンをやり出して、この『雑感日記』もスタートが2006年だから、今年もう9月を過ぎたので丸10年毎日アップし続けている。

日記はほんの数行書けばいいので至極簡単なのだが、このブログと違ってペンで自筆で漢字を使って書かねばならないのである。昨今文字を書くことが少ないので、字を忘れてしまって日記になかなか書けないことが多くなってきた。

パソコンはどんあムツカシィ字でも即座に変換してくれるのだが、日記はそうはいかないのである。

5年先、もし生きていたら、ちゃんとした漢字が書けている日記にしたいなと思っている。

 

便利な時代で、今朝から『高橋書店』を検索して『大型5年 横線当用新日記』を見つけ、Amazonに注文したら明日にでも家に届くようである。

こんな10年連続の横線日記もあるようだ。若し今度の新しい日記を書き終えるようなことがあったら、次はこの10年連続のものを使ってみようかなと思っている。

 

 

● 20歳までは、記録なし

● 20歳から1年単位の普通の日記帳で

● 3年連続のものを11冊 33年間  68歳まで

● 5年連続のものを4冊  20年間  もし生きてたら88歳

それに10年物が使えたら、なかなかかっこいいなと、自分でも思っている。

2016年8月12日

カワサキ二輪事業と私 そのー10  田崎雅元さん

投稿者 : rfuruya

★先日来、高橋鐵郎さん、大庭浩さんのことを書いたので、順序としてはアメリカのKMC社長発動機事業本部長

川崎重工業社長を歴任した田崎雅元さんのことを触れないわけにはいけないだろう。

 

ただ、大庭さんや高橋さんは、私の上司としての存在だったのだが、田崎雅元さんは間違いなく一緒に協働した仲間であり、どうしても、彼の話となると長年一緒に協働した『仲間としての話』になってしまうことをお許し頂きたいのである。

 

田崎雅元さん、年は私より二つ下、昭和10年の生まれ、川崎航空機入社の年次で言えば、私の1年後輩なのだが、結構気が合って、本当に長いお付き合いは極々最近まで続いているのである。

私が一つでも先輩であったことは誠に幸いして、彼はホントに社会的には手の届かぬほど偉くなったのだが、彼との関係会話も、ずっと何十年同じように続いている仲間なのである。

生い立ちも似ていて、私は戦前朝鮮京城にいたのだが、彼のお父さんも京城大学の先生で小学校時代は京城にいたこともある。終戦前に満州に行って満州からの引き揚げ者なのである。

どちらも大陸育ちのちょっと変わったところがあって、後輩から『古谷さんと田崎さんは日本人でないところが困る』などと言われたりしたのである。

 

田崎さんは、川崎航空機の昭和33年の入社で、ジェットエンジン部門の生産関係に配属になっていた。田崎さんに言わすと入社時に、設計図面を書かない部門にと希望したからだという。設計図の昔のスミで書くのがどうも苦手だったのだという。兎に角口は達者だったが、字などもそんなに綺麗ではなかった。

曰く、『アタマの回転が速すぎて手がついて行かないからだ』などと仰る。ことほど左様に何か理屈をつけて決して『参った』とは言わないのである。

そんな彼がジェットから単車に移ってくるのは昭和37年だったと思うが、昭和36年当時私は既に単車営業にいて、労働組合関係の職場の常任幹事をしていたころ、彼もジェットの職場の常任幹事で同じ会議などで出会ったのが最初である。組合関係のことなど、どんな話題になっても、めちゃ上手く喋るので、事務屋だとばかり思っていたら技術屋と聞いてびっくりした。

 

★そんな彼が、単車の生産工場に異動して来て、高橋鐵郎さんの下にいたのだが、お二人とも当時のカワサキ創世期のレース委員会のメンバーだったのでそれからはずっと退職後も繋がっているので、もう50年以上のホントに長いお付き合いなのである。

 

田崎さんのことを時系列に並べてみると

● まずは組合の常任幹事時代のお付き合い 1961年。

● これは確か昭和37年だったと思うが『源平芸能合戦』と言う会社単位のテレビ番組があって、三洋電機が相手で私が勧進元だったのだが、田崎さんがその応援団として大いに手伝ってくれたことを覚えていて、いつも二人の間では話題に上がる田崎さんとの協働のスタートなのである。

●『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8356d318b5dc414c15dd1b7488a09f63

会社に内緒でロードレーサーを創って走らせたのは私と田崎さんなのである。そのカワサキの初代のレースチーム監督が大槻幸雄さん、助監督が田崎雅元さんだったのである。 1965年。

● その後彼はアメリカの異動になるのだが、当時のレース監督大槻幸雄さんもドイツ留学が決まりお二人同じ日にレースの仲間たちで送別会をしたりしている。1965年のことである。

 

これはその当時の1回目のアメリカ時代の浜脇洋二さんと田崎さん。

最初のシカゴ時代、所謂『7人の侍』の一人なのだが、当時バイクに乗れたのは田崎さんだけで、W1の試乗でハイウエイを走ったのが彼の自慢なのである。社長時代もオートポリスをバイクで走ったりしたらしい。

● アメリカから戻ってきて、私も国内の販社出向から単車事業部の企画室に戻った時は、彼も同じ企画部にいて、それからは殆どずっと仕事上でも密接な関係にあったのである。この年が1975年。

● 1978年だったか、アメリカのハーレーダンピング訴訟がありこれを担当したのが田崎さん、その国内販社の構造対策をしたのが私なのである。

● その後、アメリカ市場がどんどん悪化して、彼は高橋鐵郎さんと一緒にアメリカKMCの社長で出向するのだが、それでも益々大変になり、販社の経営対策のために私は当時の山田専務に企画室に戻るよう言われる話は、高橋鐵郎さんの時にも書いた。

● その時、山田専務に高橋鐵郎会長を企画室に戻すようにお願いした時『田崎でKMCは出来るか?』などと仰るのである。『私と田崎さんは1年違いですから、田崎さんでKMCが出来ないなら、私が企画は務まりません』とお答えしたのである。

● その後のKMCは大変な時期だったのだが、田崎さんの相談相手の高橋さんを私のほうに頂いたものだから、そんなこともあって、大庭本部長時代の3年間の単車再建期間、私はKMCのことについては特に田崎さんを援けて尽力した

●『Ninja 』のネーミングは実はアメリカ発で、明石の技術部サイドは反対だったのだが、大庭さんがKMCの出張時に『Ninjaは黒装束のイメージなどではありません。アメリカではゼロゼロセブンのイメージなのです』と口説き落として、当初のGPZ900は、アメリカ市場のみ『Ninja』のネーミングで上市されたのである。

あの時、大庭さんを口説き落とさなかったら、カワサキに『Ninja』のネーミングは生まれていなかったのである。その時その場にいたのは大庭さんと田崎さんと私の3人だけだったのである。

 

 

●その当時のKMCは、累損もあり日本円で言うと300億円近い借入金もあって、当時の貸付金利が20%に近い高率だったので、その金利だけでも60億円近い金額となり、当時の田崎さんにKMCの経営再建はモノを売ることよりも営業外対策をするほうが速いと、彼に営業外やバランスシートの知恵を教えたのは私なのである。

技術屋さんでバランスシートなど解る人は少ないのだが、一端覚えて勉強しだすとどんどん知識を深めて、私などが追いつけないほどの資金関連の知識を田崎さんはお持ちなのである。

後、川崎重工の社長当時、無配の川重を引き受けたのだが、彼の社長担当時に川重のバランスシートの内容は非常に改善されてその後の川崎重工の経営安定に貢献しているのだが、それを言う人は少ないのである。

● 田崎さんがKMC社長時代、私と二人で掲げた目標は『KMCの38百万ドルの累損消去』であり、殆どの人がそんなことできるかと思ったのだろうが、田崎さんの後の百合草三佐雄社長時代に、見事消去されて、日本サイドで元大西副社長など関係者とお祝いのパーテーを一緒にして、田崎さんと私も出席した夜のことよく覚えている。

●川崎重工業社長時代に、彼でないとできなかったことがあるとすれば、それは神戸の『カワサキワールド』を創ったことだろう。その展示の内容は、二輪部門が中心にはなっているのだが、航空機も車両もホントに立派な川崎重工の展示場となり、神戸のメリケンパークの名物となっているのである。

そのカワサキワールドも10年経って、今秋、特に二輪の展示部門の回収が行われるようである。こんな写真が、Facebook に載っていた。

 

●1986年がカワサキの二輪事業の再建最後の年で、大庭本部長は本社に戻られ7月からは高橋本部長となり、翌年4月に単車と発動機との統合があり、田崎さんも2月には戻ってくることになるのである。あれだけの大騒動であったカワサキの二輪事業の危機も、3年間で成功して大庭さんは翌年6月の川重社長が約束されて本社に凱旋されるのである。

その1年前の1986年の事業部の動きである。

 

 

 

● 87年からは、そんな新しい体制になるのだが、大きな修羅場を経験した田崎さんなども、安定した事業部の企画副室長は勿体ないなと思っていたら、大庭さんが社長になると直ぐ、田崎さんはすぐ本社に引き抜かれて、そのあとすぐ川崎重工業のニューヨーク社長にまた出向することになるのである。

● 田崎さんはニューヨークから戻った後はCP事業本部の副本部長として、そして事業本部長を務められた。その後、川崎重工業の社長に抜擢されるのだが、これは大庭浩さんの最後の人事であったのだろう。

 

★田崎さんとのお付き合いはお互い現役時代も延々と続いたのだが、お互い引退後もずっと続いていて、そんな私との関わりを幾つか・・・・

 

● これは現役を引退して後のNPO The Good Times の平井稔男さんが主宰した『カワサキの想い出、そして未来』の時の幕開けの挨拶をしてくれた田崎雅元さんである。  2011年。

 

 

● こちらはひどく赤い顔をしているが、神戸の灘の酒心館の会合で昼から旨い酒を飲んだ時、NPO The Good Times の会員になってくれた時の写真である。

ちなみに、NPO The Good Times の会員NOは、高橋鐵郎さんが昔で言う監督NOのNo.0030 番、田崎さんがNo.0031番なのである。

 

 

●さらに、彼が孫文記念館の理事長を引き受けた際は『孫文を語る会』を創って協力もしたのである。ちょうどその頃の写真である。

 

● 引退後の田崎さんとの一番大きな協働作業と言えば、もう今はすっかり定着して、『カワサキワールドの定例行事』になっている、神戸メリケンパークでの『ミニ鉄道フェスタ』である。

http://www.khi.co.jp/cgi-bin/kawasakiworld/topics/index.cgi?mode=detail&select=1458635683

 

 

これの起案者の福井昇くんに頼まれて、当時会長だった田崎さんに頼みに行ったのは私なのである。

彼が一緒に神戸市の副市長のところまで一緒に行ってくれてその開催が決まったのだが、第1回は副市長に頼まれて、神戸フルーツフラワーパークでの開催となり、NHKが報道したこともあり大盛況で、その実績から、メリケンパークでも開催することになったのである。

 

そんなことで、田崎さんとのお付き合いは、『源平芸能合戦』に始まり『ミニ鉄道フェスタ』まで、いろいろとあるのだが、二輪関連だけでなく、ジェットスキーのレース活動のJJSBAを立ち上げるにあたっては、当時KMCの社長をしていた田崎さんにアメリカのIJSBA に繋いでもらったりしたのである。   1961年。

 

日本でのジェットスキーのレース活動はそこからがスタートである。

ソウル五輪の開会式の当日 韓国のオリンピック委員会の依頼で、ハンガンでジェットスキーのデモンストレーションを世界のジェットスキーのトッププレイヤーを集めて実施した時も、いろいろ援けてくれたのである。 1988年。

 

 

川崎重工業の社長を務めた田崎雅元さんなのだが、彼の中にある「遊び心」の原点は、こんなカワサキの創世期のレース仲間たちとのお付き合いから身に沁み込んでいるのだと思う。

二輪車も、ジェットスキーも『遊び』の道具なのである。

その事業展開に『遊び心』がなかったら、その経営は本物ではない。と私は思っている。

それは業界の大先輩、本田宗一郎さんのおやりになったことを見ながら、学んだ私の信念みたいなものである。

 

 

彼の社長時代には川崎重工業を、『川崎柔工業』に体質改善することを本当に目指したのである。川崎重工業と言う企業の中に、大庭浩さん以降『カワサキの二輪の体質』が幾らかでも沁み込んで行ったのは確かなのである。

この写真、真ん中が兵庫メグロに西海社長、その両脇が川崎重工業の副社長をされた、山田さんと高橋さん、私の隣が田崎さんなのでである。

 

 

2016年8月5日

殿界寿子さんと藤本喜子さん

投稿者 : rfuruya

★ 昨日は尼崎から藤本喜子さんがやってきて、殿界寿子さんの事務所でいろいろ話をしていた。

 

 

これは帰り際に、藤本さんが三木の農協の直売所で買った野菜を冷蔵庫から取りだしてからの動画である。

この時は、まさに主婦に戻って、あれが安い、これが安いと専ら、こんな調子なのだが、それまでの何時間かは、結構まともな地域活性化などの話もしていたのである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=L9JdCPc-tik

 

お二人とも、ブログも、おやりである。

それも、なかなかの発信回数で、世の中のブログの水準は越えている。

もう1年以上も前に、私がお勧めして始められたブログなのである。

 

こちらが殿界寿子さんの『とのさま日記なるもの』

http://blog.goo.ne.jp/mikisanro-do0501

 

こちらは藤本喜子さんの『しもじも日記』 である。

http://blog.goo.ne.jp/hayatakayuhi

 

ツイッターもおやりである。

こちらは殿界さん。

https://twitter.com/KotoKing0205

 

こちらは藤本さん。

https://twitter.com/nasupink

 

 

『情報発信』や『ツイターのフォロワーの集め方』など共通に関心のある話題もあるし、『地域の活性化』については、みんなの目指す目標ではあるのだが、これはいろいろ問題もあって、なかなかムツカシイ面もある。

イベントなどは、結構簡単には出来るのだが、それが『まちの活性化』になっているかどうかは、また別問題なのである。

そんな状況なのだが、

今月の 神戸ベンチャー研究会では、『まちの活性化』について、パネルデイスカッションがあるし、9月初めには関西国際大学の学生さんの『三木市で地域活性化のサービスラーニング』を予定があって、いずれも松本茂樹先生から、私にも殿界さんにも依頼を頂いているので、それに対応したような雑談でもあったのである。

 

何事もそうだが『喋るだけ』ならいたって簡単なのだが、目指す目標の実現は、なかなか難しいのではある。

ただ、ある意味、今雑談が出来ること自体が、少なくとも3人の間の『活性化』にはなったのかな、などと思って戻ってきた。

三木の農協の野菜のファンが、尼崎から来てくれること自体が『いいのでは』と思ったりもするのである。

ムツカシイ話をしていても、突然『主婦』に戻るところがオモシロい。

2016年8月3日

私の考える地域活性化 この二年近く色んな方と出会った そして気がついたのです

投稿者 : rfuruya

本当に活性化をしたいと思う人はそれを使命だと考えずに心底から自分達も楽しみながらやっているという事。これが真実の姿なんです❗❗

自分達が楽しんでいるから利益を追求しない。

それを実践しているのは

仮面舞踏会三木さん。

コツコツとそれを実践している。仲間も増えている。

私も仲間とローカル線に乗ってのぶらり旅を続けている。

それが唯一私が関わりを持っていることだ。

計画をたててくれるかた、仲間に声をかけて盛り上げてくれるかた。協働だ。
そういう方々が仲間だろう。
感謝です。

我が師 古谷さんが仰っていた通り。

それぞれが本当に楽しいと思う者同志が残るのだ。

色んな出会いがあり別れがあった。

結局は一緒に楽しめない人は自然と離れていく。

それは仕方ない。

普段は繋がらなくても大きい事をするときは繋がれば良いのかもしれないな。

それが地域活性化に繋がるのかもしれない。

小さい単体だけでは無理。

その時だけ繋がれば良い。

すべては師匠の最初に仰っていたこと。

それを身に染みて実感したのだ。

長い時間がかかってしまった。

地域といっても私は自分の住む地域以外とも関わりたい。

それも私が楽しめる事で。

2016年7月22日

高橋鐵郎さんを偲ぶ会

投稿者 : rfuruya

★ 昨日は 高橋鐵郎さんを偲ぶ会 と言う名目で、灘の酒心館 にこんなメンバーが集まったのである.

 

この酒心館は、高橋鐵郎さんがお元気だった生前も、単車のメンバーたちが集まって、高橋さんを囲んで、定期的に昼から飲んでいたそんな場所である。

 

これは昨日集まった8人。

カワサキの単車の激動期支えたメンバーと言っていい。

前列真ん中が、この会の主宰者桑畑禎文さん、左が北村敏さん、右が阿二眞三郎さん、

後列は左から、井川清次さん、野田浩志さん、私、大前太さん、一番右は川崎芳夫さん。

 

次回の 『カワサキ二輪事業と私』 の中で、それぞれの方のエピソードなど紹介してみたいので、ご期待ください。

 

灘の酒心館の さかばやし  とは、こんなところだが昼から開いている。

 

 

灘の旨い酒  福寿を飲んで語ろう と言う会は、高橋さんの生前は

高橋鐵郎さんを中心に、田崎雅元さんや、柏木茂さんなども定期的に集まっていたのである。

高橋さんや、田崎さんが出席できなくなって、私はちょっと中断していたのだが、新しいメンバーが加わってまた続いていたらしい。

 

福寿の生酒、 灘の蔵元でしか飲めない 味である。

 

そんな 旨い酒を 昼から飲みながら、 いい時間が過ごせたのである。

そんな飲み会と そのあとの様子を、動画に撮ってきたので、ご覧になると雰囲気がお分かりいただけると思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZTJiK_v3WN8

 

なかなか量り売りはしていないという 福寿の生酒を井川くんが買っていた。

動画の中から切り取った写真だから、動画を見れば、この美人の ナマの声と講釈も聞けますよ。

 

 

 

 

こちらは、ノーベル賞の授賞式の晩餐会 に出された 福寿のお酒

なぜ、そんなことになったのか?  なぜ福寿が選ばれたのか? などなどについても、別のお嬢さんがその経緯を語っ  てくれている。

 

 

 

こちらは、支配人の湊本さん

お酒ならぬ ワインの ソムリエの資格をお持ちだとか。 その辺の講釈も聞いてきた。

 

 

なかなかいい 昼のひととき でした。

高橋さん、天国からご覧になってたでしょうか?

 

2016年7月15日

Pinocoa と服部洸太郎くん

投稿者 : rfuruya

★ 服部洸太郎くんと 一度話をしたのは5月末のことである。

その時の印象をこんなブログにアップしている。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/9c81e50f63c4dc05bba55687646e4382

 

あの時から、1ヶ月ちょっとが過ぎた。

前回と同じ場所、西神中央の喫茶店で、昨日も4時間ほど話し込んだのである。

1ヶ月で 『随分と変わったな』 と言うのが率直な印象である。

 

つい先週、 Pinocoa は 『こなやのライブ』の協賛もされたので、その時にもお会いしてそのライブの感想をFBにアップしたのだが、そのサイトを服部洸太郎くんはシェアされているのである。

そこにも、『Pinocoa は間違いなく進化した』と感想を述べている。

 

 

 

★ 服部洸太郎くんは、Pinocoa の代表なのである。 Pinocoa  とは Piano + Pinoko  だそうである。

Piano を中心に据えて、日本の最高峰の高質な活動を目指すという話を聞いてると夢はどんどん広がるのである。

前回会った時は、29歳、今回は30歳になりたての、服部洸太郎クンなのだが、代表を務める Pinocoa のホームページ が まず変わった。

http://pinocoa.com/piano/

 

こちらは多分『服部洸太郎』個人の紹介なのだろう。

http://kotarohattori.info/

 

1ヶ月前をご存じない方には、その変わりようはお分かり難いと思うが、兎に角変わったのである。ホームページもブログも、使っている写真なども、ご覧になれば解るが、非常にきっちりと完璧に近いレベルなのである。

 

今までなかった Pinocoa のシンボルマークが出来た。

日本人にターゲットを絞ったので英語やドイツ語が消えちゃった。

そんな変化は、前回の会話から、服部洸太郎くんいろいろと思うところがあったようである。

83歳の音楽など全然わからぬ『おじんの意見』の中にも、感じることがあったと仰るのである。

 

私が30歳の、孫のような服部洸太郎くんに、何となく魅力を感じているのは、『間違いなく奇人、変人の類』なのだが、根は非常に純粋で、アタマがよくて、音楽、ピアノのプロで、まさに間違いなく、『専門家と言うかプロ』なのである。

非常に高い想いを持っているし、Pinocoaの基本コンセプトも、オモシロいので、その想いが成就するように手伝ってあげようかと思っているのである。

私がいま手伝うとすれば、NPO The Good Times の仕組みで手伝うしか、その術はないのだが、彼は非常にこのNPO The Good Times の仕組みに関心があって、『それをそのまま、乗っ取ることは出来ないか?』といろいろと彼なりに調べたようである。

それがどうも、出来そうで出来ないように思ったのかどうか?

NPO The Good Times の仕組みは、確かに真似は出来るかも知れぬが、『それを仮に乗っ取ってみても』ちゃんと機能するかどうかは疑問である。 『異種、異質、異地域をみんな繋ぐ』ことは出来たとしてもその中心に座っている『Good Time 』を自分よりも周囲の人たちに提供するというコンセプトに勝るものは、なかなかないだろうと思っている。

昨日は、延々と4時間、そんな続きの話をしていたのである。

 

 

 

 

  これが服部洸太郎くんの Facebook のサイトである。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100009867648639&fref=ts

そして、これが左下の写真を大きくしたものである。

 

 

非常に高い次元でのコンセプトを追っかけようとする『Pinocoaのブランドイメージの高質化』は、音楽関係者や身内だけではなくて『他人からの評価』を得ることがMUST 条件なのである。

昨日は、そんな話に終始した。

 

少々、まじめすぎて、一直線すぎて、イメージがちょっと怖すぎて、オモシロそうだが『近づき難い』のである。近づいてきて、4時間も話に付き合うのは、『めちゃ変わった私のようなおじん』なのである。

昨日の話の結論は、『もう少しいい加減』をめざすのがいいだった。『いい加減』と言うのは、ダメなのではなくて、文字通り『いい加減』なのである。

 

 

 

Pinocoa代表を服部洸太郎くんが務めているのだが、

それを『支えている人』が二人、

 

そしてもう一人はアルゼンチンに留学中の

 

 

この3人、今でも日本のピアノ界で『トップクラス』と言っていいと服部洸太郎くんは豪語する。

それをいつか『みんなが認めてくれる』 そんな Pinocoa になればいいなと思っている。

 

2016年7月1日

私の人生と 『レースの世界』

投稿者 : rfuruya

人生80年を少し過ぎた。

その半分の40年をカワサキの二輪事業とともに過ごした。

川崎航空機と川崎重工業にその籍はあったのだが、20年は販売会社に出向してマーケットの最前線にいたしその時はレースに色濃く関係していたのである。

 

その原点とも云える写真がコレである。

 

昭和37年ころ、カワサキのレースはモトクロスから始まった。

三橋実が率いるカワサキコンバットが主流で、それに神戸木の実から山本隆、歳森康師が加わっていた時代である。

富士の裾野で行われていたMCFAJの全日本の時で、左から4人目は星野一義だがまだ契約はしていないノービス時代である。

 

同じ写真の当時は珍しいカラー版だが、この6人が契約ライダー、左から安良岡健、三橋実、歳森康師、山本隆、岡部能夫、梅津次郎で、赤タンクのカワサキと呼ばれていた時代である。

カワサキがGPレースに参加する昭和41年(1966)9月までは、レースの主力はモトクロスであった。

私の第1期のレース担当の時期である。

 

それから20年以上も経って、1988年10月、3度目の販売会社担当の時期が始まって、10月1日に新職場に赴任するのだが、一番最初にやったのが、カワサキファクトリ-25周年OB会 芦屋の名門『竹園旅館』で盛大に開催し、レース活動中心の展開を図ることを、先輩方やレース仲間たちに誓ったのである。

カワサキの二輪事業を支えた錚々たるメンバーたちとライダーたちである。

 

 

 

真ん中は兵庫メグロの西海社長その両隣は川重の副社長を務めらてた、山田熙明、高橋鐵郎さん、Z1の大槻幸雄さんもおられるし、2列目私の隣が、後川重社長を務めた田崎雅元さん、その横が平井稔男さんである。

 

その時、招待したレースOBたちと、当時のカワサキ現役ライダーたちである。

 

 

そして1990年代のカワサキの『第2期レース黄金時代』が始まるのである。

1990年代は、8時間耐久レースを頂点とする『ロードレース』主力の時代であったと言っていい。

4時間耐久にも6時間耐久にも優勝し、ルマン24時間にもカワサキチームがMFJを代表して参加したりした。

その頂点が カワサキの初めての鈴鹿8時間耐久レース優勝なのである。

 

 

この優勝を目の前で見たし、そんなレース活動の中に私もいたと言っていい。

急にこんなことを思いだして書いているのは、

KAZE の機関誌が送られてきて、今年はカワサキも鈴鹿8耐『本気かな』と思ったりしたからである

 

 

KAZA 機関誌の今月号は『鈴鹿8耐特集』 でこんなチラシが挟まれていた。

 

その中にこんな名前を発見した。

レオン・ハスラム』 知ってたわけではない。

調べてみたら  2013,2014年の鈴鹿8耐の優勝チームのライダーなのである

★1990年代の夏、7月は半月以上を鈴鹿サーキットで過ごしていた

20万人の観衆で鈴鹿が人で埋まったあの時代、8耐最盛期であった。

 

伊藤ハムレーシングのラッセル・スライトも頑張ったが、その時代日本人ライダーたちも大いに頑張った時代である。

宗和・塚本・多田・北川 たちトップライダーたちも、6耐・4耐優勝の若手ライダーも月木レーシングの総監督は岩城滉一がやったりしていて、カワサキのパドックはいつも賑やかだったのである

春の2&4には、星野一義がわざわざカワサキのパドックに、私や岩崎茂樹にわざわざ挨拶に来てくれたりたりして、『星野がなぜカワサキのパドッに・・・』と不思議がる人が大勢いたのである。

 

独特のレースの世界、そこには単なる勝負の世界だけではなくて、ベースに『人の繋がりがある

はじめのころから言えばもう40年以上にもなるのに、ずっとその時代のままの関係で繋がっている。

私のFacebook トモダチには、そんなレース関係者やライダーたちがいっぱいなのである。

 

 

いまの私のFacebook だが、ここに並んでいる人たち、親しくお付き合いのあった、みんなレース関係者なのである。

カワサキだけでなく、ホンダ・スズキ・ヤマハ・BS の人たちが一緒に並んでいるのがいい。

吉村太一ちゃんなど、星野と同い年で彼らが17歳のころからのお付き合いなのである。

もう何年前になるのだろう。

東北大震災のあった年の3月4日、平井稔男さんが主宰した『カワサキの想い出そして未来』に全国から集まってくれた仲間たちである。

 

Facebook のバックの写真、多分この写真から変わることはないだろう。

『レースの世界』は私の人生の『バックボーン』なのである。

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