一般情報、ニュース、お知らせ

2022年1月16日

1月15日の自然

投稿者 : rfuruya
★毎年、暖冬と言われ続けていたが今年の冬はどうなったのだろう?
 この辺りは雪は降らないが、日本海側や北海道は大変なようである。
 1月も半ば15日になった。
 1月は新春というが、
 公園の風景もこんな感じで、まだ「冬の景色」だが
  
 近づいてみると、
 木の芽も膨らみかけている。
 
 小さな芽がいっぱい、動き始めたと言っていい。
 我が家のしだれ梅の芽は、まだこんなに小さいが、
公園の陽だまりの梅のつぼみは、少し大きくなり始めている。
 苔にも何となく「春を感じる」そんな季節である。
 
 立春はいつだったかな?
 春は間違いなく、もうすぐやってくる。
2022年1月15日

3回目のワクチン接種    雑感

投稿者 : rfuruya
★世の中はオミクロン株の急増で大変なことになりそうである。
 3回目のワクチン接種が急がれるところだが、
 三木市から「3回目のワクチン接種」の案内が届いた。
 電話予約インターネット予約の2種類だが、
 電話予約のほうは簡単なのだと思うが、
 電話が込み合っていて、幾ら掛けても繋がらないのである。
 インターネット予約のほうは、途中までは出来るのだが、
 最後のほうの肝心の「予約」のところは
 ネットでのやり方がムツカシクて、最後まで行く着くことは出来なかった。
 若い方ならともかく、高齢者の人は大変だと思う。
 どうしようかと思ったが、三木市役所の「健康増進課」に電話して
 「ネットで予約しようと思ったが。ムツカシクテ出来ない」と伝えたら、
 「よく解る方に代わります」と言って詳しい方が出てこられて、
 「私がご案内します」と仰って頂いて、
 インターネットでの申し込みを、20分ぐらいも掛かったと思うが、
 最初から最後まで丁寧に付き合って頂いたのである。
  その結果がこれである。
  めでたく2月2日の14時から旧三木志染中学校会場での
  第1日目の予約が取れたのである。
 
 ご覧の通り、2月2日から3回目のワクチン接種が始まるのだが、
 なぜ、こんなにややこしいのかというと、
 今回集団接種会場での接種はすべて「モデルナ」で
ファイザー」を希望する人は個別病院での接種でないとダメなのである。
 そして、個別接種の申し込みは、各医療機関でまちまちで、
 「一番早くても、2月20日から・・・」などと仰るのである。
 そんな複雑な対応を、文書で纏めてあるので
 説明が複雑になってしまうのは致し方ないのかも知れない。
 
★「私の場合」は2回とも「ファイザー」だから、
 3回目も「ファイザー」にしようとすると、
 個別病院での申し込みになってしまうのだが、
 これはとても大変だと思ったので「3回目はモデルナ」ということにしたのである。
 3回目もファイザーに拘る方の対応は、個別病院対応となるから、
 これは大変で、電話で説明する方も説明は複雑で大変だと思う。
 私は何事も「迅速に」いかないと気が済まないものだから、
 すぐ「ファイザー」から「モデルナ」に変更したのだが、
 これは正解だったと思っている。
 兎に角、今回の接種日程で最も早い2月2日の14時確定できたことに、
 大満足なのである。
 3回目のワクチン接種は「記憶を強固にして長続きさせる」とあるし、
  
 モデルナワクチンのオミクロン株への効果も
 このように「効果あり」と言われている。
 2月2日まで、あと半月なので、
 それまでに間違ってもオミクロン株に感染などしないように、
 従来通りよく注意して、毎日を過ごしたいと思っている。
2022年1月14日

減量できるだろうか?   

投稿者 : rfuruya

★日ハム新庄監督になってから、選手たちの変貌が話題になっている。
 木田2軍監督も5kg減量したようだし、
  
 清原幸太郎のこんな記事が出たのは昨年の11月10日だが、
  
 極く最近の記事では、5.4キロの減量に成功したとか。
 トレーニングで落としたのか?
 食う量を減らしたのか?
 両方だとは思うが、「食う量を減らした」のは間違ないだろう。
 兎に角、目標達成なのである。
★ 私事だが、昨年11月中旬に右膝を痛めて、
 スロージョギングが出来なくなって、年末までに2kgほど体重が増え、
 更にこの正月に食い過ぎて、体重は86kgを記録してしまっている。
 これは生涯の新記録なのである。
 大体4kgほど肥えてしまって、腹は出たし体も重い。
 1月4日からスロー・ジョッギングを再開したのだが、
 歩数は1万歩の以前の状況に戻ってはいるのだが、
  
  運動だけでは、簡単に体重は減りそうにないのである。
  出来るかどうか?
  思い切って、食う量を減らしてみようかと思っている。
  簡単なようだが、
  戦後の食糧難の時代に育ったので、これがなかなかムツカシイ。
  でも、このままでは減量できそうにもないので
  2か月かけて3月初めの「89才の誕生日までに82kg以下にする
  ことを目標にチャレンジしてみようかと思っている。
  黙ってやると多分間違いなく挫折すると思うので、
  ここにアップして「目標公表」しているのだが、
  果たし「減量できるだろうか?
2022年1月13日

50年前の1月13日

投稿者 : rfuruya
★20歳の頃から日記を書いているので、
 何年前であろうが、その日に何をしていたかは、日記帳をめくりさえすれば解る。
   最近は閑に任せて昔の日記を読み返したりしているので、
 「何年前の今日」何をやってたのか。
 その頃は、どんなことをやり、どんなことを考えていたのか。
    意外に覚えていることも、忘れてしまっていることもあるので、
 「何年前かの今日」ということで、1週間に1度ぐらいの頻度で、
 ご紹介してみることにする。
 まずは50年前の今日、38歳の1月13日の日記である。
 
 「サンフランシスコ2日目、デーラー訪問。
  そのあとは市内観光、ゴールデン・ブリッジ、美しい眺めである。
 本土最後のナイトツアー、日本では流行語のポルノ、
 米国では映画も写真も本も公然と販売され、上映されている。
 すごい世の中になっている。」
 などと書いている。
 まだ日本とアメリカではいろんなことで格差のあった時代なのである。
★実はこの年1月8日から1月15日まで、
カワサキの販売店100人ほどのアメリカ本土・ハワイへの招待旅行を実施して、
ロス・サンフランシスコでの市場調査などをやっている。
まだこの時代海外旅行など一般的ではなかった頃で、
参加者全員が『初めての海外旅行』だったのだが、
当時、カワサキは業界に先駆けて、二輪専門の販売店網、特約店制度を起案の時期で、
そんな二輪専門店を目指す東京・大阪・名古屋の販売店を
先進的なアメリカの販売店がどのようなものか、
実地に見学しようというそんなツアーだったのである。
 当時私は大阪・近畿二府4県の母店長をしていたのだが、
 このツアーの企画もやった関係で、調査団の団長を仰せつかっていたのである。
★ 当時のアメリカのKMCサンタナに本社があった時代で、
 カワサキの二輪事業をアメリカ市場が引っ張っていた時代であった。
 車でいえば250A1や、マッハⅢの時代で、
 Z1が出る「ちょっと前」の時代だったのである。
 
 日本人とともにアメリカ人がその経営の中心にいた
 KMCが現地主義という方針を摂り、トップは浜脇さんだったが、
 その具体的な経営は、二輪に詳しいアメリカ人がやっていた。
 逆に言うと、川崎航空機工業にはまだ販売会社の経営など経験のある人はいなくて、
 日本でも第一線の経営はメグロ明発の人がやっていた。
 私などは川崎航空機からそんな販社に出向していたほんとに数少ない中の一人だったのである。
 一番左は当時の杉沼浩さんで、後年MFJの常務理事もされたから、
 面識のおありの方も多いと思うが、
 当時英語を喋れた唯一の日本人だったのである。
 いまと違って英語などは通訳が喋るものという、そんな時代だったのである。
 そんなサンタナのKMC本社も訪問して、
 浜脇社長からいろいろと説明を伺ったりしたのである。
★50年前だから、私も50年も若くてまだ38歳の若さなのだが、
 カワサキの二輪事業も若かったので、
 各営業所のトップは私以上に若い人たちが担当していた時代なのである。
 当時の販売店で今も残っているところは少ないが、
 大阪でいえば船場の岡田博社長時代で、株・忍者の伊藤さんがまだ本当に若かった頃のことなのである。
 当時の二輪業界はまだ販売店は自転車屋さんが主力で、
 販売機種も50ccのモペットが主体で、
 カワサキだけがモペットを持たずに、中大型のスポーツ車が主体だったのである。
 そんなことから、大阪でも二輪専門の販売店を目指す25店を中心に
 カワサキ協栄会を組織していたころで、
 翌年、Z2の発売とともに特約店制度がスタートしたのである。
 ちょうどその1年前の「アメリカ市場視察団」だったのである。
★この視察旅行では、二輪業界以外のことで世界には日本と異なる文化がいっぱいあることも体験した。
 ホテルのロビーでは静かにしていないといけないこと、
 ロビーで日本語で大声で喋っていたら、警官が来たりした。
 食事などあてがえられたものを食うものだと思っていたら、
 各自が注文しなければならないのである。
 「ビール」と言えば「どこのどんなビール?」と聞かれて大変だった。
 ツアーの最後がハワイだったのだが、
 ハワイでは「日本式」が結構通じて、みんなホットしたのを覚えている。
 50年前の日本は、やはり今とは全然違った社会だったのである。
2022年1月12日

私のアーカイブス・定年後  その11

投稿者 : rfuruya
2011年は78才の年である。
 いろんなことがあった年だが、私もまだ元気に社会に出歩いている。
 この年の1月22日にFacebook をスタートしていて、
 やりかけると何でも熱心にやるものだから、
 1月末から2月にかけてはFacebook の話題も日記に多く出てくる。
 まだ、トモダチも少ないが 樋渡さんのこんなサイトも出てくるから、
 すぐ繋がっていたのだろう。
 
1月29日には神戸木の実クラブの50周年記念パーテイーに出席していて。
こんな錚々たるメンバーたちとの写真が残っている。
 
この会の主役であった片山義美さんも、金谷秀夫も、今はもういない。
★ 3月4日には「カワサキの想い出、そして未来」の会合だった。
平井稔男さんが主宰をしてNPO The Good Times が後援したいい会合で、
全国から100名以上が集まった。
その時の写真がいっぱいである。
 主宰者の平井稔男さん、
  
 私も村島さんと
 カワサキの重鎮たちも揃って顔を見せたし、
  こんなに盛会だった。
平井さんを囲んでこんな懐かし顔が並んでいる。
 
カワサキだけでなく、ホンダ・スズキ・ヤマハ・BSのレース関係者
顔を揃えた。
いま私のFacebook に使ってる写真である。
 登山道夫さんもいるし、
 司会はこんなコンビで、
 みんな今もFacebookで繋がっている人たちである。。
★ そんな会合の1週間後、3月11日にあったのが、あの東北大震災
 地震もすごかったが、あの津波にはびっくりした。
 
 NPO The Good Times のまだ理事長時代で、
 その団体会員確保などに熱心に活動していて、
 社会のいろんな方たちと繋がっている。
 今も続いている「粟生線の未来を考える市民の会」と繋がったのもこの年だし、
 余川と緑ヶ丘こどもたちを繋いで
 どろんこドッチボールなどに関わっていたのもこの年のことである。
 
その時アップした「雑感日記」です。
この活動と、NPO The Good Timesの当時の活動など、
なかなかちゃんとアップしてるので、ぜひご覧になってみて下さい。
日記を読み返してみると、
この年、11月にひざを痛めていて、
1か月ほど治るのに掛かっているが、全然覚えていないのである。
今回の「ひざ痛」も、ほぼ10年ぶりだったのである。
2011年、78才はそんな1年だったのである。
2022年1月11日

成人の日に   雑感

投稿者 : rfuruya
★ 世の中は「成人の日」とかで3連休である。
 成人の日と言えば「成人式」で
 こんな晴れ着のお嬢さん方の印象が強いが、
 その出席率は6割程度で、特に昨今はコロナの関係もあって
成人式に参加する」という割合は、39%と4割を切り
  例年から20ポイントも減少したらしい。
 
 昭和23年(1948)に制定されたというが、
 私はその頃高校生だったが、「成人の日」など知らなかったし、
 「成人の日」の式典などもなかったのだろうと思う。
 こんなに成人の日のお祝などするようになったのはいつ頃からなのかな?
 息子も娘も「成人式」などはあったが、出席していないと思う。
 20歳になると大人だという感覚は有ったのだろうが、
 実際に酒を飲んだり、煙草を吸いだしたのは大学に入学した時からである。
酒とたばこ」が「大人の仲間入り」みたいなところがあったよう思う。
 歓迎会にはお酒が出たし、周囲人たちも煙草を吸いだして、
 たばこなど「旨い」と思ったわけではないのだが、
 そうすることが普通で、大人になったというそんな世の中だったのだろう。
★そんなことで始めた「酒と煙草」だが、
煙草」は50才の頃に止めてしまって以来1本も吸っていない。
 ただ「」は世の中でいう「酒飲み」の部類ではないのだが、
 家では夜は毎晩晩酌を欠かしたことがない。
 夕食には晩酌は付き物と思い込んでる節がある。
 晩酌と言っても缶ビール1本、それも発泡酒だが、
 ビールも発泡酒もその違いがよく解らぬ程度の酒飲みなのである。
 ただ、昨今の若い人たちは、酒もたばこもそんなに関心がないらしい。
 統計を見ても、若い人ほど「酒を飲まない」比率は高い。
  
  若者の半数はアルコールを飲んでいない とあったが、
  ホントである。
★ では一体「大人になる」とはどういうことか?
  と調べてみたら
  こんな6つの基準が現れた。
 精神的にも金銭的にも自立して、きちんと生活が出来て、
 責任感があり、人のために頑張れて、一般常識があること
 とあった。
  
 なるほどと思ったが、
 これはなかなか20才ではムツカシイ
 成人式の借り衣装代をどれくらいの人が自分で払ったのだろうか?
 大体「成人式」などが要るのだろうか?
 今年は6割の人が参加していない。
 こんな「子どもみたいなこと」やってるのは世界で日本だけだろう。
 その日1日、借り衣装で着飾る風習など、何の意味があるのだろう?
 まさに「こどもじみてる」と思うのだが。
 その成人の基準が今年の4月から18歳に若返るという。
 また4月に18歳で成人式などやるのだろうか?
 ちょっと斜めから見た感想になったが、
 成人の日成人式もなかった時代を過ごして
大人になった」 おじんの僻みだろうか?
2022年1月10日

Fitbit 東西     雑感

投稿者 : rfuruya
★アメリカの孫の門野真也fitbitを貰ってからもう2年にもなる。
 睡眠時間や毎日の歩数などが出て、重宝している。
 すでに持ってるのかと思ったら、
 娘婿はもっていなかったようで、つい先日
 同じ孫の真也にクリスマスプレゼントで贈られたようで、
 昨日のFacebook にこのような記述と写真がアップされて、
 楽しんでいるようである。
 Fitbitをクリスマスプレゼントでもらってから、毎日結果を楽しみにしています。
 特に気になるのが睡眠時間
 7時間近くは寝たいのですが、これがなかなかできない。
 平均5時間未満。
 睡眠時間をどうやって長くするかが、今の悩みで楽しみです。
 最新型の一番高価なものだから、内容も詳しい。
  
 歩数も結構歩いていて、2万歩を越えてるが、
 これは最近夫婦でゴルフに入れ込んでいて、
 毎日ラウンドしているからだろう。
 アメリカならではの環境なのである。
     二人とも、もう一息で90が切れる、
  そんなレベルのゴルフである。
               
              
★ ところで、私のほうのFitbit は、
 Fitbit 自体は何の問題もないのだが、
 なぜかパソコンの記録のほうが、突然昨日からダメになってしまったのである。
 「統合に失敗しました。アプリを再起動して、もう一度お試し下さい
 という表示が出て、
 歩数など、肝心の数値が現れないのである。
 
  例えば、歩数などもこのように0になってしまうのである。
  
 どうすればいいのか、アメリカの孫にメールしたら
 こんな答えが返ってきて、折角丁寧に対策を書いてくれているのだが、
パソコンの方のBluetoothオフにしてもう一度試して見てください。
1. パソコンのfitbitのページをして消す。
2. パソコンのデスクトップの左下からこの上の画像のとこに行ってBluetoothを一旦 「オフ」にする。
3.30秒くらい待つ。
4.  Bluetoothを「オン」にする。
 5. 再度パソコンのFitbitのページを開く
 6. Fitibitを近づけて直ったかチェックする。
とりあえずとりあえず一回これで試してみてください。
   このようにメッセージで送ってくれたのだが、
 私のネットの知識では、全然理解できないのである。
 Bluetooth が何のことか解らないし、
 どうしようもないので、今はそのまま放置している。
  
 そのうちに孫にLine で電話を貰って、
 教えて貰いながらやってみようと思っているのである。
2022年1月9日

週末の三木綜合防災公園

投稿者 : rfuruya
★ 今週スロージョッギングを再開してから、
 毎朝、三木綜合防災公園で走っている。
 今朝は霜が降りて寒かったが、
 しばらくすると汗ばむぐらいにはなった。
  
 今週初めは2000歩ぐらいから始めて
 毎日1000歩づつ上げて行って、
 徐々にその歩数を上げて、週末には7000歩レベルまで回復した。
 
  昨年11月には「毎日1万歩」を目指して、
 ちょっと無理し過ぎたかも知れないので、
 当分は7000歩ぐらい、約1時間の運動にしておこうと思っている。
★ やはり公園の散歩道は気持ちがいい。
 週末の土曜日、マラソン大会でもあるのか、
 子供たちがいっぱいで、いつもの風景とも違うし、
 いつもは殆ど車が止まっていない駐車場も
 こんなに、様変わりの光景だった。
 
 午前8時半ごろ、
 まだ霜が残っている芝生だが、子供たちは元気に体操をしていた。
 
 気持ちがいい青空だった。
2022年1月8日

降らないところで降ると

投稿者 : rfuruya
★ 東京は大雪で大変だったようである。
 いつもは「降らないところで降る」から大変なのである。
 ニュース情報も流れるので、
 1日ぐらい家でじっとしていればいいのだが、
 なかなかそうはいかないのが現実のようである。
 
 この写真では、結構な量で想像以上なのかも知れない。
 都内で77件人身事故があったとか、
 車はひっくり返っているし、
 
 バスも民家に突っ込んでいる。
 バスなのにタイヤは替えていなかったのだろうか?
★私自身は東北で4年北海道札幌で2年
 いずれも冬でも毎日のように運転していたし、
 東北6県や道内を長距離運転していたのだが、何とか無事で無事故だった。
 それは備えが出来てるからだと思う。
 東北時代は昭和40年代なのだが、まだ車は少なかったが、
 日本には少なかったミシュランのラジアルタイヤをはめていた。
 当時の東北の峠はみんな未舗装の砂利道だったのだが、
 雪が降るほうが逆に道はよくなった感じだったのである。
 平成に入っていた北海道ではトヨタの4駆のクラウンだったが、
 4駆で冬タイヤを付けると、その安定度は素晴らしくて安定していた。
 札幌の大通公園である。
 当然、雪景色だが、車も人も普通に生活している。
   
  そんな環境なので、備えが出来ているのだと思う。
  「降らないところで降ると」備えが出来ていないから、大変なのである
2022年1月7日

正月の風習    雑感

投稿者 : rfuruya

★ 日本の正月の風習はいろいろあるのだが、だんだん薄れていくのかも知れない。
 私自身はこども時代を外地で育って、
 日本でいう「お祭り」はなかったし、
 新年の「初詣」なども神社がなかったので経験がないのである。
 なぜか「お年玉」も貰ったことがないし、
 所謂、内地の正月とは違ったものだったような気がする。
 戦後、日本に引き揚げてきたのが12月8日だが、
 その1年目の正月は本家も戦災で焼けてしまっていて、
 田舎に疎開していたのだが、その正月は「おせち」などなかったのだと思う。
 兎に角「食糧難」の時代だったので「おせち」どころではなかったのだと思う。
★ 今年の「年末年始」は孫・二人もいて4人家族で「おせち」で祝ったが、
 それ以外の我が家の正月の風習ととしては
 「しめ飾り」を玄関に飾ったのと「年賀状」ぐらいかも知れない。
 
               
年賀状」は兎も角「しめ飾り」をしているおうちは、
 近所でも我が家ぐらいで、殆どの家にそれは見られらないし、
 少なくとも家並みを眺めた限りでは、普段と全然変わらない。
 旧い三木の町には神社はいたるところにあるのだが、
 ここには神社なるものは存在しない。
 だから正月の風習として残っているものは、「おせち」と「年賀状」ぐらいで、
 そのおせちもいつのころからか、家で作るのではなく購入するようになって、
 それもだんだんと少なくなって、今年は1段の小さいのを人数分用意しただけである。
 「おせち」そのものがそんなに美味しいものでもないようにも思うし、
 何日も「おせち」ばかりを食わされるのは有難迷惑なのである。
 我が家もおせちは元旦の朝だけで、昼は回転ずしを食いに行った。
 元旦なのに、お客はいっぱいだったから、
 「おせちより回転ずし」という人も普通になってきているのだろう。
★「年賀状」は毛筆で100枚すべて手書きで書いて出していたのだが、
 母が亡くなって喪中はがきを出したのを機会にそれ以来止めてしまって
 もう10年近くになる。
 「年賀状」の風習はいつからなのか?
 今のような年賀はがきが出たのは戦後のことだから、
 戦後の風習かなと思ったら
 
 「年賀状の起源」と検索すると
 年賀状は平安時代から始まったとされています。
 平安時代の貴族、藤原明衡がまとめた手紙の文例集の中に、年始の挨拶の文  例があり、これが残っている最も古いものです。
 江戸時代に入ると、今の郵便の先駆けとなる「飛脚」が充実し、庶民が手紙で挨拶を済ませることも増えていきます。
 現在のようなはがきスタイルになったのは、1873年(明治6年)に登場した官製はがきがきっかけで、明治20年前後には、年賀状を出すことが年始の恒例行事となります。
 その後1949年に、いち民間人であった林正治氏からのアイディアで、お年玉つき年賀はがきも登場しました。
 とあってその起源は、平安時代に遡るようである。
 然し一般化されたのは戦後の話で、
 一時は多くの人が出していたのだが。
 最近は年賀状を出す人は50%まで下がっているという。
  
 私は今は出さないのだが、今でも20通以上の年賀状が届くので、
 ネットでご返事できる方はFacebook でご挨拶するのだが、
 それ以外の方にはペン書きで、それぞれの方に、
 それぞれの文面で、お礼のハガキを出している。
  
  そのハガキ文面も松の内とそれ以降とでは異なるようで、
  1月8日以降は「寒中お見舞い」となるのである。
  例年は15日になってからゆくりと出していたのだが、
  今年は初めて「松の内」の間に出したので、
  「おめでとうございます」でいいのだそうである。
  そんな日本の風習も、若い方はだんだんと年賀状を出す方が少なくなているようで、
  その理由としては以下のようなことで、尤もだと思うのである。
 ●メールやLINE、SNSの普及により年賀状を出す人は年々減少している。
住所を知らない方が増えたため年賀状を出さずにLINEなどで済ます。
●また、1人1人に送らずにSNSで挨拶するのも近年、主流となっている。
●平成が終わるのと同時に年賀状を卒業する人も増え、減少傾向にある。
 正月の風習もなかなかムツカシイが、
 あと10年もするとずっと変わったものになるのかも知れない。

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