rfuruya

2022年10月24日

カワサキZ50周年祭 明石から世界へ

投稿者 : rfuruya

★来る11月に明石で「カワサキZ50周年祭」と銘打って、

 明石から世界へ、Zの偉大なる足跡と未来 なるイベントを開催する。
 全国からZのユーザーたち、カワサキのかっての関係者
 レーシングライダーなど総勢150名以上が集まる会合になりそうである。
 
 その状況は世界に英語ライブ配信される計画で進められている。
★昨日は KAWASAKI Z1 FAN CLUB で最後の打ち合わせが行われた。
 この会の発起人・運営委員・司会を担当する腰山峰子さんなど
 こんなメンバーが集まった。
 発起人には吉田純一・山本隆さんと
 運営委員はKAWASAKI Z1 FAN CLUBのメンバーたちが担当されて、
 その準備を進めているのである。
 
 二輪の世界でもいろんなイベントがあるが、
 こんなに多士済々、二輪業界のそれもトップレベルの人たちが集まる会合は
 なかなか見られない。
★ もうずっと以前のことだが、
 「カワサキの想い出、そして未来」と銘打ったイベントが
  カワサキの名物男・平井稔男さんが主宰で開催されたのは
  あの東北大地震の年だったが、
  
 あの時には、川重の社長・副社長経験者という
 文字通り川崎重工業TOPメンバーが出席だったし、
 今回も出席される大槻幸雄さんや稲村・百合草さんなどのご紹介だけを
 司会に代わって、私がやているのである。
あの時から司会は今回と同じ森田・腰山コンビなのである。
いたら必ず「彼の心の故郷カワサキ」の催しには出席してくれるのに、
あの時、こんなに元気だった金谷秀夫は残念ながらもういない。
 
 私が今、Facebook で使っているこの写真は、
 その時に出席して頂いたホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ・BS
 レースライダーたちである。
 今回の会合も、
 これに劣らない多士済々のメンバーが集まるし、
 業界雑誌などの取材なども予定されている。
 カワサキが二輪事業に進出したのは昭和35年(1960)のことで
 名車Z1が世に出たのは昭和47年(1972)で今年は50年になるのだが、
 そんなカワサキの二輪事業スタートからの創生期がどんな時代で、
 どんなことがあったのか?
 もう60年以上も前のことでもうその時代を語れる方がホントに限られてきているのだが、
 今回の会合にはその時代を語ることが出来るカワサキ関係者も、
 結構沢山出席されるので、貴重な話が聞けることになるのだろう。
 そう言う意味で、昨日の会合は、いろんな意見が交わされたが、
 非常に楽しい有意義な会合だったと思っている。
 11月19日の会合まで、
 すでに1か月を切っているのだが、
 その会合で「カワサキ創生期の話」をさせて頂くことになっているのは、
 非常に光栄なことだし多分私にとっても最後のスピーチになるだろうから、
 それなりに心して準備させて頂いているのである。
2022年10月23日

庭   雑感    その20 苔

投稿者 : rfuruya
★ 庭に苔と紅羊歯を植えだしたのは今年の1月のことである。
  
結構時間は掛かったが、
今では我が家には土の見える部分がなくなってしまった。
最初はこんな小さい30㎝四方の場所から植えだしたと思う。
 
 最後に残っていた裏の小さな部分も今ではこんな苔庭になった。
 
★やりかけると何でも凝ってしまう性格である。
 お陰様で今では苔の生えてるところは草も生えていない
 それがどうだということもないのだが、
 自分自身で納得しているだけである。
 
こんな感じに収まっている。
★苔は「枯れない」というのだが、
 水をやると生き生きするので、夕方は毎日「水遣り」が日課になった。
 毎日「することがある」のはいいことだと思っている。
 1週間ほど放っておくとどうなるのか?
 それも試してみたい気はするのだが・・・・・
2022年10月22日

鈴鹿8耐 カワサキSSTクラス優勝 おめでとう

投稿者 : rfuruya
★川重から「かわさき」が送られてきた。
 その287号は「鈴鹿8耐 特集」だった。
 「鈴鹿8時間耐久」も3年ぶりの開催なのである。
 前回は「カワサキが優勝」したとあって、
 そのカップの返還式に橋本川重社長も現地に行かれたようである。
  
 現役時代は7月末の1週間は鈴鹿サーキットで過ごすことが定番だったし、
 カワサキの「鈴鹿8耐初優勝」は1993年イトーハムレーシングだったのだが、
 その優勝を現場で観たし、イトーハムとのスポンサー契約も直接担当だった。
 そう言う意味ではこのマシンんも懐かしい。
 
★今年は残念ながらカワサキは2位だったのだと思っていたら、
 それは鈴鹿8耐に参戦した全64チームのうち53チームがEWC(=エンデュランス・ワールド・チャンピオンシップ)でそのカテゴリーでは2位だったようだが、
残り11チームがSSTクラスで、 SSTとはスーパー・ストッククラスのこと。
EWCより改造範囲が狭くて、ノーマルのポテンシャルが勝敗を分けるので、
特にヨーロッパでは人気だとか。
 そんなクラスがあることなど知らなかったが、
そのSSTクラスは、Kawasaki Plaza Racing Teamが205周でクラストップでゴール、
 見事、優勝だったというのである。
   
 「かわさき」にも、
 このように特集されていた。

 知らなかったが、
 遅ればせながら「優勝おめでとう」である。
2022年10月21日

豊岡の青木隆さん

投稿者 : rfuruya
★「こんにちは! ご無沙汰してます神戸まで、バイクで行くので、ちょっと寄りたいのですが、午後1時過ぎ頃、自宅におられますか? 」
 という青木隆さんのメッセージが入っていたのだが、
 昼寝の最中で読んではいなかった。
青木さんという方が来られてますよ」と家内に起こされて目を覚ました。
 豊岡の青木隆さん、神戸で会議があるのだそうで、
 その途中に寄ってくれたのである。
 こんな若い元気な人がわざわざ訪ねて下さるのは有難いことである。
 30分ほど家で話をしてたのだが、
 私は青木さんと違ってバイクにも乗らないのだが、
 いろんな話が通じるのは不思議なことである。
 11月の「Z50周年記念祭」などの話になった。
 青木さんお愛車はカワサキだがZではなくて、
 こんなグリーンモンスターなのだが、
 Zの記念祭にも当然のようにご出席なのである。
 お顔が解らないので、
 ヘルメットを脱いで1枚。
 
★カワサキの単車事業が始まったのが昭和35年(1960)なのだが、その年にお生まれだとか。

と書いてたら、青木さんから修正要求があって、1963年青野ヶ原の年で今59歳だとか。
もう59年も前のことなので、青木さんも若いと言っても59歳なのである。お孫さんがいると言われていた。
こんな「穂の舞」というお米をお土産に頂いた。と書いたがこれは宮城の「ひとめ惚れ」。確かにそう聞いたのだが、ダメだな。
すぐ昨日のことが忘れてしまうのである。
青木さん、何のお構いもせずに失礼しました。
又近いうちにお会いしましょう。有難うございました。
 
 又近いうちにお会いしましょう。
 有難うございました。
2022年10月20日

90歳への挑戦 ライザップ運動

投稿者 : rfuruya
★昨日ふと思って、Amazonに注文したら、
 今日「自宅でできるライザップ運動」1300円也が届いた。
   
こんな筋トレやストレッチの写真がいっぱいだし、
  
  こんなDVDも付いている。
★「何をいまさら」と思われるかも知れぬが、
 もう3年も欠かさずやっている、ストレッチスロージョギングだけでは、
 体重は一向に落ちないし、ジムにも行ってはいるが、
 もう一つ効果も出ていないようにも思うので、
 この道専門家の「ライザップ」どんな発想なのか?
 ちょっと調べたかったのである。
 こんな内容で書かれている。
  
 ざっと一読してみたが、
 そんなにちゃんとした目的があるわけでもない。
 一応はトレーニングもジムも続けているので、
 同じやるならより効果的に出来たらいいなと思うだけである。
 ストレッチは欠かさずやっているので
 体の柔軟性は維持できてるのだが、
 この本の中に出てくるトレーニングをやてみると
 何とか出来るものもあるし、できないものもある。
 先ずは、「これらの運動がすんなりとできるようになるこ」を目標に取り組んでみたいと思っている。
 「週に2日」というので
 ジムの休みの木曜日日曜日を「ライザップ運動の日」と決めて、
 「自宅でやってみたい」と思っている。
★若いころから運動はずっと続けてはいるのだが、
 昨今の運動選手のような筋肉質の体になったことは一度もない。
 孫のこんな筋肉を見ると、
 ここまで行かなくてもいいが、
 何とか筋肉が解る程度にはならないものかと思ったりしている。
 
 来年3月に90歳になるのだが、
 そこまでまだ5か月あるので「週2回」私なりにやってみたいと思っている。
 果たして、どんな結果が待っているのだろう?
2022年10月19日

 明石 & 三木

投稿者 : rfuruya
★ 「明石市上ノ丸町2丁目720番地」は私の生まれ故郷だし、
  今も本籍になっているはずだが、
  今は分筆されてしまってこんな番地はないと思う。
  そんな「明石市」が今何かと人気なようである。
  戻りたい街ランキングでは何と「全国1位」が明石市なのである。
  
   何はともあれ「全国1位」は凄いなと思う。
   「兵庫県で最も注目されている街」ランキングでも、
   神戸市を抑えて「1位」なのである。
   
   
  明石市のナニガそんなにいいのだろう?
★ 私は明石で生まれ、小学校時代はソウルで育ったが。
  夏・冬の休みには毎年明石に帰省していたので、
  戦前の明石市もよく知ってるし
  戦後引き揚げてきてからは、ずっと明石に住み高校・大学に通い、
  就職も川崎航空機の明石工場だったから、
  昔の明石も、戦後の明石もよく知っている。
  私自身は今の明石よりは戦前・戦後の城下町の風情が色濃く残っていた
  明石のほうが好きである。
  戦前の明石公園は、空襲で焼けてしまって今はないが
  こんな高い松の樹がいっぱいだった。
  
 このすぐ横の公園内にある明石球場には、
 戦前も戦後も春には巨人軍がキャンプを張った。
 「長嶋・王」の入団時ぐらいまでそれは続いていた。
 その「明石球場」で高校時代は練習をしていたし、
 甲子園にも出場したりしたのである。
 実家はそんな明石公園の外堀のすぐ横にあって、
 この池では高校生あたりまで「鮒釣り」をしたものである。
 庭に隣接していて、庭から降りたら堀だった。
 
 高校時代に堀を埋めて競輪場が出来る頃までは、
 空襲で焼けてしまっていたが、
 土地だけはそのまま残っていたのだが、
 戦後父が病気で長く寝たので、
 伯父が土地を売って1本2000円のマイシンの注射液を買ってくれたのだが、
 土地一坪が2000円の時代で、殆ど土地は売りつくしてしまったのである。
 今の明石は近代的な街に様変わりして
 昔の風情は残っていない。
★ 私は昭和48年(1973)ごろに三木に土地を買って移り住んだので、
 今ではもう50年近くになり、
 生涯最も長く住んだ町が三木になった。
 「戻りたい街」のトップが明石市だが、
 実のところ「三木」は非常に気に入っていて、
 「明石に戻ろう」とは思わなくなってしまった。
 「住みやすいトカイナカ」では大阪圏で2位に位置している。
 ここでは明石より上位にいて、
 神戸市に隣接していて、ほんとに住みやすいトカイナカなのである。
 
  明石にも立派な明石公園があるが、
  三木には同じような広さの公園が幾つもあるし
  それぞれ変化に富んでいる。
  甲乙つけるつもりはないのだが、
  どちらかというと、今は三木の公園群のほうが気に入っているのである。
  生まれ故郷の明石もいいが、
  「住めば都」で三木もいいよということにしておこう。
  兎に角、一生三木で過ごしたのちは、
  明石の「長寿院」に里帰りすることになるのだろう。
2022年10月18日

毎日手っちゃん 再開したらしい

投稿者 : rfuruya
★ 今朝ジムに行ったら係の女性に「毎日てっちゃん再開しましたね」と言われた。
 Instagram に孫・門野真也が今年の3月まで2年間ほど毎日アップしていたのだが、
 それがこの10月1日から半年ぶりに再開されたようである。
  
 この作者は、孫・門野真也だが、
 「てっちゃん」は末弟・門野哲也のことだろう。
  かってはこんなデブの兄弟だったのだが、
  確かに、そんなイメージがこの「毎日てっちゃん」には残っている。
   
 今ではちょっと様変わりして「てっちゃん」も
 こんなに背が伸びて、今は大学でキーパーしている。
  
 作者の門野真也は、今ではこんなアメリカのプロのサッカー選手で、
  二人ともこんなに様変わりしている。
  
 真也が所属しているCA United Strikers FCリーグ戦は優勝を果たして
    
 これからアメリカでのプレーオフを戦うようである。
 それが終ったら、シーズンオフで来年の正月まで
 日本に遊びに来るらしいが、
 コロナで来れなかったから、何年ぶりの日本になるのだろう?
   
  これはまだ大学生の頃に、アメリカで撮った写真だが、
  因みに彼の出身校は世界でもTOP10に入る名門バークレーで、
  サッカー部で初めての日本人キャプテンを務め得点王に成ったりしたのだが、
  こんな漫画みたいな才能は誰に似たのかな?
  
  因みに東京大学は世界では35位なのである。
  兎に角、今年は日本にやってくるらしいから、
  今年の年末から正月にかけては、一緒にトレーニングしたら、
  私も少しは腹がへこむかも知れない。
  楽しみにしておこう。
2022年10月17日

協同学苑の山の中を歩いてきた

投稿者 : rfuruya
★ この辺りはかって山だったところを開拓したところなので、
 どこもすぐ山と繋がっている。
 協同学苑もこんな平地に立派な建物が建っているのだが、
 西側と北側は山と繋がっている。
 そんな山の中を久しぶりに歩いてきた。
 こんな坂道を下って行くと
 
 その下には綺麗な池がある。
 いつもはそこから引き返してくるのだが、
 昨日はそのまま山の中の道を歩いてきた。
 ここから先は細い山道や階段になっていて、
 急な登り下りがあるし、結構大変な道である。
 普通の89歳の方が通るような道ではない。
 
 直ぐこんな急な階段があって
 そのあとこんな山道になるのだが、
 そこからは又急な下りの階段になって、
 
 こんな山道が続く。
 いつものことだが、誰とも会ったりはしない。
 「ここで足でもくじいたら」といつもそんなことを想いながら
 慎重に歩いている。
 ほとんどが上り坂だが、
 最後、明るくなったところで終わりである。
 池まで400mとの表示があるから、この登り路も約400mなのである。
 
 登りきるとこんな広場の横に出る。
 朝日が昇りかけている。
 朝7時ちょっと過ぎである。
 
 まだ、あまり人も来ていなくて、
 駐車場は借り切りのような状態だった。
 
 こんなちょっときつい散歩から1日が始まった。
2022年10月16日

私の差別化された人生  雑感  その1・日記

投稿者 : rfuruya
★ 私の人生の目標は何だったのだろう?
 あまりそれを意識するでもなく89年も生きてしまった。
 敢えて「人生の目標は何だったのか」と考えてみると
 「差別化」だったのかも知れない。
 他人とはちょっと変わった「私らしい生き方」をしたいと思ったのは間違いない。
 そんな「差別化された生き方」はいろいろあったのだが、
 振り返って、それらを想いだして纏めてみたいなと思っている。
★ そんな中の一つに「日記」がある。
 何度か書いたが、日記を書きだしたきっかけは
 蒋介石(1887~1975)が30年以上も日記を書いているのはエライ
 朝日新聞に載っていて「日記を書くぐらいなら自分でも出来るだろう
 とその翌日から書き出したのである。
 「蒋介石1917年からおそらく1975年4月5日に死去するまで日記を書いています」 とあったので、
 私が日記を書きだした1953年は丁度36年目だったのである。
 亡くなるまで58年間日記を書き続けられたのだろう。
 それが1953年(昭和28年)11月8日の年末に近い時期だったので
 この年はこんな大学ノートで書き出したのである。
 まだ私は大学2回生の頃で、20歳だったから、69年間続いていて、
 それだけで言うと蒋介石の日記より長く続いたことになる。
 
★ その第1日目に何と書いているのか?
  
 ちょっと読みづらいので、写してみることにする。
 平安の昔より十六夜・かげろう・紫式部日記と上の部類では文学として1000年の年代を経て現在に残っている。そのような部類のものにしようとは毛頭考えていないのだが、ただ単なる青春の想い出として、後々には自分の脳裏から消え失せてしまうであろう些細な日々の出来事をまた考え、大げさに言えば思想というものを、つたない筆ではあるが記していこうと思うのである。
 日記というものを記そうと思いたったのは、これが初めてである。そしてその生まれて初めての日記の書き出しが、肺浸潤とかいう病気に悩まされている日々であることは思っても不幸極まりないことである。
 日記とは読んで字のごとく日々の記である。このようなものは少なくとも後に自分の考えなり行動なりを残そうとする意志表示であると言わねばならないだろう。
 健康な時には日記なんて見向きもしなかった代物である。10日間ほど寝たというだけで日記を記そうというような気持ちになるのはどういう意味を持つのだろうか?
 人生50年という短いとされている期間を更に短縮されるかも知れないという人の弱い気持ちから出てくるのであろうか?いや一日の手持ち無沙汰からかも知れない。まあ兎にも角にも悪いことではなさそうである。世に名の聞こえた人も多く記していることではあるが、いつまで続くかが問題である。
 これから先一生続いたら大したものである。2,3日で止まってしまっても又それもよかろう。身分相応に「飽き性」の自分に最適な大学ノートによってその一頁を始めることにする。
 いつまでも続くことを願うや切である。
★一日目はこんな書き出しで始まっている。
 当時は肺浸潤・肺結核は多くてそれで死ぬ人も多かった。
 ここに書いたように、「短い人生」になるかもと思ったのも事実。
 「世に名の聞こえた人」とは蒋介石のことだが、当事肺浸潤になったばかりで、10日間ほど寝込んでいたのである。
 これは2回生の秋のリーグが終った時だったのだが、
 3回生・4回生の時も野球を止めることなく、
 キャプテンを務めたり、卒業は病気をいいことに1年延ばして野球部の監督をするなど、滅茶苦茶勝手な一般の人では考えられない人生を歩いている。
 就職は伯父のツテで川崎航空機に入社したのだが、その時には肺に空洞が出来たりしてたのである。
 そして入社4年目の時に1年間入院したら空洞も消え失せて元気になって、
 戻って来て、その時スタートした「単車事業の営業部配属」となったのである。
 この一事を見ても「普通の方」とは「差別化された」生き方である。
 この時始めた日記はお陰様で、今も続いていて蒋介石の日記よりは長くなったようである。
 私の生き方の幾つかを纏めてみたいのだが、
 これは間違いなく「普通の方」とは一寸違った「差別化された生き方」になっているのである。
 先ずはその「第1号は日記」である。
2022年10月15日

毎日やってること

投稿者 : rfuruya

★ 毎日特にやることもない。

 自由な時間がいっぱいだが、朝6時に起きて午後3時までの9時間は毎日大体決まっている。
 朝6時起床、朝食の後6時50分に車で家を出る。
 月・水・金はジムに行き、その他は三木総合防災公園に行くことにしている。
 昨日は金曜日、ジムに行った。
 7時過ぎには「三木山総合公園」につく。
 スロージョッギング、昨日は隣の三木山森林公園を走ってきた。
 約8000歩のコースである。
 
 朝7時過ぎ、まだ殆ど車はいない。
 山に入る道を選んで
 こんな山の中を走る。
 山を下りきると、こんな下池のところに出る。
 
 そこからなだらかな芝生を登って
 更に坂を上ると
 入ってきたところに出る。
 朝早いので、殆ど人にも会わない。
  そして8時半から、三木市総合体育館の中のジムで1時間ちょっと
  トレーニング
 
  ジムは「撮影禁止」なので
  残念ながら写真がない。
★ 家に戻るのは10時ごろである。
  それから昼までは、ちょっとパソコンの前に座って、
  庭仕事ぐらいかな。
  庭仕事と言っても「草抜き」が殆どである。
  草は「双葉」のうちに抜いてしまうので庭には殆ど草は生えていない。
  週に1,2度家内の買物に付き合う。
  そして、昼食の後は「昼寝
  朝の運動が結構きついので、ジムに行った日は3時ごろまで眠る。
★ 今から夜10時に寝るまでは、「自由時間」である。
 この間やってること順不同に
 ● パソコン
 ● 雑感日記をアップする
 ● メダカの世話
 ● ゴルフの素振り
 ● 庭仕事
 ● テレビを観る
 ● ニュースはネットで見るので新聞はほとんど読まない
 ● 読書も殆どしない
 ● 何かを考えている(今なら11月のZ記念祭でのスピーチの内容など)
 ● 時間が余ったらネットで囲碁を打つので退屈したりはしない
 ● あと入浴と食事
 ざっとこんな1日だが、
 こんなことで私のこれからの一生も続いていくのかな。
 年末にはアメリカの孫が来ると言ってるが、
 孫や息子が来るとちょっと生活にもちょっと変化がある。
 あまり変化のない毎日だが、
 住んでいる環境自然いっぱいでよかったなと思っている。
 これが都会だったら、どんな1日になるのだろう?

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