明石 & 三木
投稿者 : rfuruya
★ 「明石市上ノ丸町2丁目720番地」は私の生まれ故郷だし、
今も本籍になっているはずだが、
今は分筆されてしまってこんな番地はないと思う。
そんな「明石市」が今何かと人気なようである。
戻りたい街ランキングでは何と「全国1位」が明石市なのである。
何はともあれ「全国1位」は凄いなと思う。
「兵庫県で最も注目されている街」ランキングでも、
神戸市を抑えて「1位」なのである。
明石市のナニガそんなにいいのだろう?
★ 私は明石で生まれ、小学校時代はソウルで育ったが。
夏・冬の休みには毎年明石に帰省していたので、
戦前の明石市もよく知ってるし
戦後引き揚げてきてからは、ずっと明石に住み高校・大学に通い、
就職も川崎航空機の明石工場だったから、
昔の明石も、戦後の明石もよく知っている。
私自身は今の明石よりは戦前・戦後の城下町の風情が色濃く残っていた
明石のほうが好きである。
戦前の明石公園は、空襲で焼けてしまって今はないが
こんな高い松の樹がいっぱいだった。
このすぐ横の公園内にある明石球場には、
戦前も戦後も春には巨人軍がキャンプを張った。
「長嶋・王」の入団時ぐらいまでそれは続いていた。
その「明石球場」で高校時代は練習をしていたし、
甲子園にも出場したりしたのである。
実家はそんな明石公園の外堀のすぐ横にあって、
この池では高校生あたりまで「鮒釣り」をしたものである。
庭に隣接していて、庭から降りたら堀だった。
高校時代に堀を埋めて競輪場が出来る頃までは、
空襲で焼けてしまっていたが、
土地だけはそのまま残っていたのだが、
戦後父が病気で長く寝たので、
伯父が土地を売って1本2000円のマイシンの注射液を買ってくれたのだが、
土地一坪が2000円の時代で、殆ど土地は売りつくしてしまったのである。
今の明石は近代的な街に様変わりして
昔の風情は残っていない。
★ 私は昭和48年(1973)ごろに三木に土地を買って移り住んだので、
今ではもう50年近くになり、
生涯最も長く住んだ町が三木になった。
「戻りたい街」のトップが明石市だが、
実のところ「三木」は非常に気に入っていて、
「明石に戻ろう」とは思わなくなってしまった。
「住みやすいトカイナカ」では大阪圏で2位に位置している。
ここでは明石より上位にいて、
神戸市に隣接していて、ほんとに住みやすいトカイナカなのである。
明石にも立派な明石公園があるが、
三木には同じような広さの公園が幾つもあるし
それぞれ変化に富んでいる。
甲乙つけるつもりはないのだが、
どちらかというと、今は三木の公園群のほうが気に入っているのである。
生まれ故郷の明石もいいが、
「住めば都」で三木もいいよということにしておこう。
兎に角、一生三木で過ごしたのちは、
明石の「長寿院」に里帰りすることになるのだろう。