2023年3月2日

カワサキの昔話 3題

投稿者 : rfuruya

カワサキの二輪事業には、私はご縁があって

 カワサキが2輪事業をスタートさせた1960年(昭和35年)から

 約40年1999年まで担当させていただいたので、

 その間の想い出話もいっぱい持っている。

 今では普通に語られていることも、

 ちょっとしたことから残っているので、

 若しあの時「そんな判断」をしなかったら、どんなことになっているのだろうか?

 そんな「カワサキの昔話 3題」をご紹介してみよう。

★まずはカワサキだけが今も持っている「ユーザークラブKAZE」だが、

 kAZEがスタートした1989年当時は、

 ホンダはHART,ヤマハはYESS、スズキはじゃじゃ馬など各メーカーともユーザークラブを持っていて、

 むしろカワサキはそれに追随する形だったのである。

 ただ遅れてスタートしたカワサキは、 

 KAZEのユーザー管理をするソフト会社ケイ・スポーツ・システム」を立ち上げて、

 本格的に取り組んでスタートしたので、30年も経った今も、残っているのはKAZEだけなので、

 当時は3万人に近い会員で他メーカーを圧倒していたのである。

 

 当時ホンダのHARTは会員10万人と豪語していたが、

 現場に集まるユーザーの数はカワサキが圧倒していたので、

 ホンダさんから「カワサキは一体何人いるの」との質問を受けたりしたのだが、

 「ホンダさんは10万人」と言ってるじゃないですかというと、

 「あれは延べ10万人で、現実は1万人ちょっとです」というお答えだったのである。

  

 カワサキが3万人もいて、今も残っている理由は、

 どのメーカーも年会費を取るので1年経つとその期限が来て、

 毎年人数を維持するのは結構ムツカシイのである。

 カワサキはそれを見越して会員カードをJCBと組んで「JCBカード」にしたので、

 その期限が来ても辞めることがムツカシイのである。

 

 その第1号の機関誌は1989年1月に発行されているのだが、

 こんな立派な形ではなくて、カワサキのニュースを何枚か、

 一つの封筒に入れて送っていたのが最初で、

 こんな立派な形になったのは数か月後のことなのである。

★今回の機関誌にはこんな「ジェットスキー」のニュースも載っているのだが、

 ジェットスキーがカワサキの正規の商品として取り扱われるようになったのは1983年からで、

 それまではこれは二輪事業部の商品ではなくて、

 発動機事業部が開発し、アメリカのリンカーン工場で生産し、

 アメリカの販社KMCだけがアメリカ市場で販売していて、

 当時、日本には商社を通じてホントに少数が輸入されていたのある。

 

 そういう意味では「カワサキの正規商品」ではなかったのだが、

 これを川崎重工業の正規商品として、取り扱うようになったのは、

 1983年大庭浩本部長の頃で、当時の企画課長武本一郎さんが発議し、

 ジェットスキーが日本を含め世界展開になったのは、それ以降のことなのである。

 若しあの時、武本課長がそんなことを言いださなかったら、

 ジェットスキーはその後どのような展開になってたのだろうか?

 ただ、その時も私は国内に「ジェットスキー専門」の販売会社を設立し、

 ボート屋などではなくて「ジェットスキー専門販売網」を創ったし、

 JJSBAなどのレース協会と新しい遊びジェットスキーの世界を創りだしたのである。

★ 今回のKAZEの裏表紙には「Ninja」が載っている。

 最初の「Ninja」もちょうどその頃、大庭本部長時代に開発されたものだが、

 そのネーミング「Ninja」はアメリカのKMCのアメリカ人の発案で、

 このネーミングに明石サイドの技術部が「忍者の印象」が暗いと猛反発だったのである。

 

 その「Ninjaのネーミング」について、

 今では日本側が反対したとネットなどでも書かれているが、その記述は何となく迫力がない。

 実はより具体的にその経緯を知ってるのは私だけなのである。

 日本側の猛反対の意向を受けて、アメリカ出張時大庭本部長自らKMCに説得を試みられたのだが、

 アメリカ側の反発が強硬で、当時のKMCの田崎社長が徹底的に反論、

「Ninja」はそんな暗いイメージではなくて「007ようにカッコいい」イメージだというのである。

 事実アメリカでは当時Ninja という映画などもあって、そのイメージは日本とは全く違った新しいものだったようである。

 その時は大庭本部長をしても説得することが出来ずに、

 最初のマシンはアメリカだけが「Ninja」で、

 欧州市場などには「GPZ900」のネーミングで発売されたのである。

 その大庭さんと田崎さんの「Ninja論争」のその場に同席してたのが私だけなので、そんな経緯を知ってるのも私だけなのである。

  

   

 

 その後、Ninja のネーミングは好評で

 このGPZ900シリーズだけではなくて、

 いまではカワサキを代表する「スーパースポーツ車の冠」として使われているのである。

★ こんなカワサキの昔話を語れるのも、今では私だけになってしまったのかも知れない。

 世の中は「ひょんなこと」から「ひょんなこと」になるのである。

 何事も物事は片手間ではなくて「ちゃんと専門的に取り組むこと」が肝用なのである。

 

 私だけが語れる「カワサキの昔話 3題」である。

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