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2021年1月6日

7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略 その3    自分史

投稿者 : rfuruya
★『7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略 その3』は、
 当時の広報活動私自身の経営に対する考え方である。
 当時の広告宣伝課を担当していたのが小林茂くんである。
   
 『彼の講演会での話』はこんなことからスタートしている。
  
  いきなり『ヌードの写真』だが、
  『男カワサキ』などの固いイメージを払拭する様な
  『新しいカワサキのイメージ創造』がこの時期の広告では続いている。
  私自身は若い頃、広告宣伝課長なども経験しているのだが、
  この時期、小林君に任せきりで具体的な指示など出したことはない。
  彼の発想で自由な広報活動が続いているのである。
  『経営の方向』は確りとグループ全体に徹底はするのだが、
  その細部は全て『部下に任す』のが『私のやり方』なのである。
  『権限とは、その人に与えられた「誤りの量」である』
   その『誤りの量』の範囲なら一切口は挟まないのである。
   当時は小林君も課長と言っても多分40歳前後の若さだったと思うが、
   結構自由に思い切ってやっていたと思う。
         業界の申し合わせで『スピード』などを直接訴えることはペケなのだが
  上手に『たまよりも早く』と猫を使ってすり抜けている。
        
 このように、小林君独特のユニークなトークが続いている。
   
★ この時期のグループ全体の狙いと考え方を次のように纏めている。
  それは7万台の目標達成のためには
  『新しいカワサキのイメージ創造』がMUSTだと思っていて、
  そのための対策方針としては
  ● 時流にのっていること
  ● 他社との差別化(追随を許さないレベルを狙う)
  ● 話題性
  ● ネットワーク
  ● 末端ユーザーとのダイレクトコミユニケーション
  などを挙げている。
     
 当時の広報活動もその線に沿ったものになっているのである。
 折角の機会だから30年前の小林茂くんの話っぷりを
 ご紹介しておこう。
  
  
 ★この講演会の最後は私が纏めているのだが、
 いろいろ話している中で、
『私独特のバランスシート』の部分をご紹介することにしたい。
 それはこんな形のバランスシートなのである。
  
  特に販売会社のバランスシートは『ソフト分野』が最も重要で、
  その『ソフト』は高質人材によってのみ創造される。
  従って『人材の育成』こそが最も重要だと思っている。
  それをこのように話している。
  
  このバランスシートは、私の部長研修会の時に私が発表したもので、
  その時出席されていた財務担当重役からお褒めの言葉を頂いたので、
  それ以来、社内でも使っているもので、
  当時のカワ販は日本では珍しい無借金経営の超優良企業になっていた。
  400億円の売り上げを総資産100億円で回していたので、
  年4回転もしたのである。
  日本の経営ではどちらかというと量の拡大・売上高に注目されるのだが、
  そんな対応からは『いい人材』は育たない。
 この講演会でも3人のスピーカーに何の打ち合わせもなく喋らしたのも、
 『人材育成のいいチャンス』だと思っているからなのである。
 『7万台への挑戦の時代』1990年代は
 カワサキ50年のカワサキ二輪事業の中で国内販売の最高の時代であった。
 ホンダ・スズキ・ヤマハの方とも非常に懇意にして頂いたし、
 親しくして頂いたホンダの方から年賀状で、
 『カワサキに10年遅れた』と言って頂いたりしたのである。
 業界でも『1強3弱』と冗談で言って頂いたりしたが、
 ホンダさんの青山で、二輪業界全体のユーザー対策として
 『カワサキのKAZEの状況』を隠さずすべてお話などしたのも、
 『二輪業界の発展』こそが最も重要な課題だと思ったからなのである。
2021年1月5日

2021年を迎えて

投稿者 : rfuruya
 
★今年の『三が日』も終わって『仕事はじめ』である。
 菅総理の年頭会見もあったが、もう一つ迫力に欠けたように思った。
 今年は私は米寿で88歳を迎えるし、家内は干支の丑年で84歳になる。
 私自身の今年のご挨拶をFacebookにアップしたら、
 200人を超す方が訪れて、130人もの方から
 年頭のご挨拶を頂いてびっくりした。
 
  この200人以上の方で、現役時代から知ってる方は21人で、
  殆どの方が定年後、いろんな形で繋がった方なのである。
  そういう意味では、私の定年後の生活も結構意味のあるものだったと言っていい。
  年賀状を出さなくなってもう何年もにもなるのだが、
  未だに沢山の賀状を頂く。
  毛筆でのこんな達筆の賀状は仙台時代からの仲間・石塚鎰司くんである。
       
★そんな今年のお正月も昨日新神戸駅に孫・門野力也を送って終わりである。
 暮れの29日から1週間、
 家内も私と二人だけの生活と違ってちょっと張りがあったと思うが、
 『疲れが出ませんように』と祈るばかりである。
        
★ さて、この2021年をどのように過ごすべきなのか?
 コロナは今年中に終焉を迎えるのだろうか?
 2月末からは『ワクチン』も出るようだから、
 オリンピックの頃には何とか納まっていることを願うものである。
● 今年1年『体力の低下』がないようにトレーニングを続けることである。
  これは昨年同様『ジムと公園でのトレーニング併用』で頑張りたい。
● 20歳の時からだから68年続いている日記は、
  今年が5年目だから秋には新しい日記帳を買わねばならない。
               
 日記帳は1年・3年・5年連続と形を変えたが、
 多分、最後になると思うので、
 思い切って10年連続にしようかなと思っている。
     
● 時間はいっぱいあるから『庭仕事』にも精を出したい。
 庭木やバラは、その努力には正直に応えてくれるものである。
● それでも時間があれば、『パンダ碁』を楽しみたい。
 20年前は初段からスタートしたのに、この数年は最高1級、
 ダメなときは3級まで落ちたりする。
  
 アタマの体操にはなるのだが、最近は勘で打っていて、
 『ヨム』のがしんどくなったのは、やはり歳かなと思う。
 できれば、もう一度頑張ってみたい。
★ ほんとにこの1年、どんな年になるのだろうか?
 なかなか予想がムツカシイ1年になりそうだが、
 去年が、去年だっただけに輝かしい1年になる可能性はある。
 オリンピックも無事開催されて欲しいし、
 希望は大きく持って、日々を過ごしたいものである。
    年末には、アメリカの孫などやってくることを期待したい。
2021年1月3日

昨日の1月2日は・・・・

投稿者 : rfuruya
★ 1月2日は実は『父の命日』なのである。
 何年か病で臥せていたのだが、私の高校3年の1月2日に亡くなった。
 若し、もう少し父が生きていたら、私は大学など行かずに就職してただろう。
 こんな時期に亡くなったので、
 伯父が『もう金は要らなくなったから、大学に行け』というので、
 それから試験勉強を始めたのである。
 父は『私を大学に行かすために』こんな日に亡くなったのではと思ったりしている。
 そんなこともあって、毎年新春には墓参りをすることにしている。
  明石の長寿院は明石城主松平家の菩提寺である。
    
 昨日は久しぶりに『お殿様の墓』も参ってきた。
 一般の墓地とは別に、松平家歴代のお墓がある。
   
 これがお殿様のお墓である。
  
  戒名は院号の『九文字』で『居士』がつけば立派だなどと言うが、
  お殿様の戒名の字数は27文字もあって『大居士』で終わっている。
  松平家の方々のお墓が並んでいる。
  
★ 午後からは、朝は明石に行って行けなかったので、
  三木総合防災公園に走りに行った。
  娘の方の孫の長男の門野力也が来てたので一緒に行った。
  彼はなぜか長距離走も得意だし、ネットや数学などが得意というか、
  頭がよくて、弟たちもそれには一目置いている。
  久しぶりに一緒に行ったので、私の走るところを動画に撮ってもらった。
  それは直ぐ、Facebook にアップしたので、ご覧になった方も多いと思うが、
  このブログにその動画を貼り付ける方法が解らないのである。
  それを力也に『どうするのか?』と聞いてみたら、
  いろいろページを観ていたが、すぐに出来たのである。
  私は、その辺りが一番弱いところで、教えて貰っても直ぐ忘れるし、
  なぜそんなことが、あちこち見てたらすぐ解るのかが不思議である。
  ただ、力也の『教え方』は丁寧とは言い難いので、
  余計に解らないので、以下のように文字にして貰った。
1. ニコニコ動画にログインして動画を投稿
2. 貼り付けたい動画のある投稿の右上にある「く」みたいなマークをクリック
3. 「コードをコピーする」をクリック
   ここまでは『ニコニコ動画』
  以下はgooブログ
4. 記事編集の下の方にあるブログパーツをクリック
5. 3でコピーしたコードを貼り付けて挿入をクリック
 これでホントに動画が貼り付けられているのである。
 1分の動画に纏めてるので、是非ご覧になって下さい。
今年88歳の米寿を迎える『年寄りとは思えない走り』だと思います。
 かってYouTubeのときは、これも力也に教えて貰って、
 動画の貼り付けも出来てたのだが、
 You Tubeがなぜか止められてしまって、
ニコニコ動画』になってからは、その方法ではダメだったのである。
 力也のようなのが横にいると、私のネット力もさらに上がると思うのだが、
 周囲に解る人がいない環境では、『出来ることしかできない』のである。
 彼はなぜか、ネットにアップされたりするのは嫌いなのである。
 『マスクをはずしたら』と言っても、
 『そのままでいい』とはずさないのである。
  
 だから、滅多に私のブログにも登場しないのだが、
 今は独り日本にいての会社勤めだから、
 年末年始私が無理に呼び寄せたのである。
 それもあと1日、4日には戻ってしまう。
★4人いる孫の中でも『力也』はなぜか、家内のお気に入りである。
 暮れに力也が来てから、一度の我が家の家計は贅沢になった?
 甘いものが好きな力也、
 こんな菓子を、ちゃんと迎えに行った新神戸駅で買ってきている。
  
 多分今日は昼は『こさる』の焼き肉に行くのだろう。
 力也は肉にも『目がない』のである。
 教えて貰った動画に撮って、明日にでもアップすることにする。
 教えて貰ったことは、身に付くまで数多く『やってみる』ことが大事である。
 その辺は、私の特技の一つである。
 『こさるの焼き肉』などの動画を撮って、FBにアップしたら
 アメリカの弟たち、どんな反応を示すのだろう?
 肉はいっぱいあるアメリカだが『日本の焼き肉』はまた格別のようである。
2021年1月2日

初日の出

投稿者 : rfuruya

初日の出

2021-01-02 06:47:41 | 発想$感想
★元旦の朝、三木総合防災公園に初日の出を拝みに出かけた。
 7時に現地到着、既にこんなに沢山のクルマだった。
 
 そこからいつものようにスロージョッギングしながら、
 あちこちで初日の出を写してきた。
 
 7時ごろ未だ上っていない。
 少し高台の展望台、ここからが最初に初日の出を見ることが出来る。
 7時5分ごろもう少しである。
 
 上りかけた7時10分ごろである。
 上った一瞬。
 
  逆に写すと。こんな感じ。
 これは高台から降りて、7時15分ごろ。
 その間、ずっとスロージョッギングしながら移動している。
 これは橋の上から、7時30分ごろである。
 サッカーグランドから、7時40分ごろ。
 そして、もう一度最初の高台の展望台に戻ってきた。
 7時50分ごろ。
 もうすっかり陽は上がって、朝の雰囲気である。
 そして、車には8時過ぎに戻った。
 元旦早々、1時間以上のアクテイブ・タイムが記録出来て、
 汗びっしょりだった。
 2021年のスタートの1時間だった。
 今年も健康的に1年はスタートを切ったのである。
2020年12月31日

2020年という年は・・・・

投稿者 : rfuruya

★ 2020年という1年も大晦日を迎えた。
     珍しく、朝はうっすらと雪が見られた。
 『2020年という年は大変な年であった』ことは間違いない。
 世界中が『コロナで始まりコロナで終わろう』としている。
 長い歴史の中でも世界中がこんなに困惑した1年はなかったのではないか?
 今年、このブログに初めてコロナが登場したのは1月31日、
 こんな武漢からの帰国者の記事である。
 
2月になって『マスク』のことを書いている。
当時はアメリカで、こんな記事が流れていた。
日本の『首相官邸HP』からもこんな報道が流れていたりした。
 
今は都会では、殆ど100%の人が付けている『マスク』だが、
私はブログでこのように、書いている。
マスクをしないと街を歩けない』中国は兎も角、
 日本で『マスクをする』 必要があるのだろうか?
 私事で恐縮だが、私は生まれて以来86年になるが
 『マスクをした記憶がない』 多分一度もマスクをつけたことがないし、
 今も付けていないし、多分これからも、付けないだろうと思う。
 なぜ? と言われても困るが、見るだけでも息苦しいし、
 兎に角『つけたくない』のである。
★世間の『コロナ禍』に比べたら、三木は静かであったと言えるし、
80台の高齢者二人の『我が家』も、特に何もなく静かであったと言っていい。
例年と違ったことと言えば『外食の機会が減った』ことぐらいかも知れない。
私自身の生活は『コロナのお陰?』で健康的に過ごせたとも言えそうだ。
3月にジムが閉鎖になったので、近くの防災公園にトレーニングに行く毎日となった。
広い広い公園だし、『マスクも不要』の環境だったし、
私自身はこの1年、スーパーの買い物に行く時以外、
マスクなし』の生活が出来たのはラッキーだった。
★ Fit bit にお世話になった1年だったが、
自分の健康状態が数値で記録され、見ることが出来る生活に初めて出会った。
   
 そしてこれが来る2021年を迎えるに当たっての目標なのである。
  
  3月には米寿、88歳になる。
  そんな米寿を迎える年に『こんな目標』を樹てることが出来たのは、
  『コロナのお陰』かも知れないと思っている。
 そんなことで、私にとっては『禍、福となった』一年だったかも知れない。
★ただ、世間一般の方たちにとっては、『コロナは大変』である。
 ワクチンが来れば収まるのだろうか?
 それがいつ頃になるのだろう?
 是非、新しい2021年は、まずはこの『コロナ禍』が収まって、
 新しい希望いっぱいの年になって欲しいものである。
2020年12月30日

7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略   その2   

投稿者 : rfuruya
★この講演会は私を入れた4人の講師で行われたのだが、
 その中で、どのように話しているのか、そのままの形でご紹介してみよう。
 その皮きりの私はこのように話をスタートさせている。
  
 ZEPHYR KAZE とARK が我々の2年間の成果だと言っているが、
ZEPHYRは発売2年経ったこの時期もバックオーダーを抱えている好調さで、
これが7万台の数値目標の中心になったのは間違いない。
  レーサーレプリカ全盛時のこの時代に、
特に大した特徴もないこのような車がベストセラーを続けたのである。
     
      このマシンにはKawasakiの表示が殆どないし
  かってのKawasaki らしくないところが一般受けしたのかも知れない。
 メーカー自体も最初はそんなに期待などしていなかったのは、
 発売時期が春先ではなくて5月末であったことを見ても明らかである。
 これが売れたのはいろいろあると思うが
 あとで出る広告宣伝などを含めて『マーケッテング』の成果だと思う。
   ★ KAZEは、私が88年10月当時のカワ販に出向して
  最初に取り上げ検討を開始したプロジェクトなのだが、
  それを具体的に展開出来たのは、
  遊びのソフト会社ケイ・スポーツ・システムなのである。
  その常務としてこの講演会でも講師を務めた南昌吾くんが、
  このように語っている。
           
  さらに続けて、KAZE活動についてはこのように述べている。
  
  ここでも述べているように、
  ホンダのHART 、ヤマハのYESSなどユーザー活動に熱心な時代で、
  カワサキは出遅れていたのだが、ユニークな対策で、
  2年後には各社を圧倒する成果を挙げている。
  それが実現した最も基本的なものは、
 これは『私自身の発想』なのだが、会員カードのJCBとの提携である。
 JCBカードにすることで『止めにくい』ので98%の自動更新率だった。
 最盛期には55000人の会員を誇ったのである。
  
  これが今月送られてきたKAZE機関誌である。
 32年の歳月を経て、今現存するのはKAZEだけなのである。
     
★そして3番目に登壇したのがスポーツ推進部の重本部長なのだが、
 この講演会は、1回の打ち合わせもなくぶっつけ本番で行われたのだが、
 『打ち合わせ』などしなくても、
 当時の基本企業戦略については徹底されていたので、
 各自に話させても『何の問題も生じない』という自信があったのだが、
 全体の活動は互いに協調し合う雰囲気は既に出来上がっていたのである。
 重本部長はこのように話をスタートさせている。
 
 ★一般の二輪ユーザーたちが走れるサーキットSPA直入を造ったのは、
 カワサキが初めてだったが、
 そのオープンセレモニーには4000人のユーザーが訪れて、
 『4000台のマシン』がコースを走ったのである。
 当時は本格的なレーサー以外はサーキットは走れなかったので、
 この試みは画期的なものだったのである。
ここで纏めているように『話題の提供』をレース活動の総括としている。
 レース活動については当時の販社でも、
 サーキット場に於ける『イメージ向上』に力を入れていた。
 これは鈴鹿サーキットでの活動の一端だが、
 この時代に『風太』というぬいぐるみのキャラクターを登場させている。
  
        
  『ひこにゃん』(2006)『くまもん』(2011)の登場が、
 こんな年なので1990年にはこれは珍しかったのである。
 NHKが実況放送で20分以上も追いかけてくれたのも、
 ホントにカワサキの先進性の成果だろう。
 ★このようにこの当時の『カワサキオートバイ販売』の活動は、
 単に『7万台の販売目標』を達成しただけではなく
 その基本的なテーマはより高次元な
 『新しいカワサキの創造』を目指しているのである。
  
 1970年代にアメリカの販社KMCでスタートした
 Kawasaki. Let the Good Times roll!  
 という基本コンセプトの復活を実現したのもこの時の国内市場なのである。
 それから30年経った現在にも
 受け継がれていることを嬉しく、且つ誇りに思うのである。
★『その3』で小林広告宣伝課長と私の話で終わるのだが、
 2日間半にも亘たり、冊子に纏めたら70ページにもなった講演会の
 ほんの一部分なのだが、
 何となく『好評だな』とは話していても感じられたのである。
 話というのは、聞く人と話す人の合意の上に成り立つものだから、
 『その場の雰囲気』が一番大事だと思っている。
 話の骨子なら兎も角、話の内容を記述して『読み上げる話』は、
 『雰囲気を無視』したものだから、どうももう一つだと思うのである。
 この時の講演会は『なかなかいい雰囲気』で進んでいったのである。
 ぶっつけ本番でスタートしたので、
 若し問題があったなら、最後に私が幾らかの修正をと思っていたが、
 そんな心配は無用の『いい雰囲気』で進行したのである。
2020年12月29日

我が家のガレージ   雑感

投稿者 : rfuruya

★ 年末である。
いつもはあまり掃除などしたこともない『我が家のガレージ』を洗ってみた。
 我が家で自慢できるものがあるとしたら、このガレージかも知れない。
 多分、日本で我が家にしかない、ガレージの下が池になっている。
 
 池の下を『T字型の池にする』アイデイァは私の発想なのである。
 子どもの時から魚が好きで、家を建てたらまず池が欲しかった。
 大きな池を造る金もなかったので、ガレージの下を池にしたのである。
 我が家の庭は、戦前から明石の本家に出入りしていた
 昔気質の庭師の藤本さんが長年かかって独りでコツコツと、
 ホントに『ある時払いの催促なし』という感じで、
 藤本さんが勝手に好きなように造ってくれた庭なのである。
 藤本さんは『私は造園屋ではない』が口癖で、
 最初はお金がなくて単なるセメント造りのガレージを長年かかって
 このように仕上げてくれたのである。
 T字型の池があるガレージは『私の自慢』だが、
 それ以外は『庭師藤本さんの自慢』の受け売りなのである。
 ガレージの周囲に張っている石は『小豆島の石』だというのが自慢である。
 小豆島は石の産地、大阪城の石垣に使われたというのである。
 確かにこんな記述もあって、小豆島は石の産地として有名なようである。
 
 そのほかの石も、私は忘れてしまったが『いい石』だというのである。
 周囲に張っている『青い石』の名前は忘れてしまったが、
 その上に横に張っている石は『大谷石』で
 欠点は『持ちが悪い』などと言ってたが確かになくなっている所もある。
 
 『大谷石』を調べてみたら、こんな記述に出会ったので、
 確かに『いい石』なのだろう。
大谷石(おおやいし)と読みます。古くから様々な用途で使用されてきた大谷石は、石塀や蔵、住宅の内外装に使われている建材としての石、巨大な地下神殿や、帝国ホテルや教会で使用されている石、特別史跡、重要文化財、名勝に指定された石、工芸品やインテリアとしての石。
 さらに下の貼り方をいろいろな種類に仕分けているのは、
 別に私が頼んだわけではなくて、
 藤本さんんに『任せきり』だったのだが、
 この下の部分だけは、『藤本さんの展示場』のようなもので、
 よくお客を連れてきて『石の貼り方を説明していたのである。
 そういう意味では、藤本さんの凝り様が入っていて、
 その最たるものは水の入口で、
 滝のように流れ落ちるようになっているのである。
      
 今はこの池に20匹ほどの金魚と数えきれないほどのメダカとエビ、
 それに田螺などがいる。
 ホントに久しぶりに水で洗ったら、
 綺麗になったので、写真など撮る気になったのである。
 もうすぐ新年、綺麗にして年の瀬を越したいと思ったので・・・・
2020年12月28日

今年のジム最後の日

投稿者 : rfuruya
★ 今年も押し迫った歳末である。
 ジムも昨日が最後だった。
 ジムは三木山総合公園と三木山森林公園という二つの公園が隣接している
 こんな立地の中にある。
 50年前、私が三木に来たころは、まさに『三木山』で、
 山以外に何もなかったのに、
 今はいろいろ開発されて、公園も出来たし、新興住宅も出来ている。
 
 ごく最近新しい目標でこんな目標を立てたので、
 1万歩、7キロ、アクテイブタイム1時間をクリアしようと思ったので、
 昨日はジムでのトレーニングの後、周辺をぐるっとひと廻り
 スロージョッギングしてきた。
   その結果がコレである。
   ちゃんとクリアできている。
   昼、この消費カロリーなら、2000カロリーは間違いない。
   
  青い線の通りに一周したのだが、
  これで7キロ以上あるのでこの辺りは結構広い。
  こんな住宅街の中を通って、
  
 住宅街の中にもこんな広い公園がある。
 ちょっと道をそれると、こんな昔の三木山の名残の道がある。
 
 この辺りが、三木で一番の高所で、海抜150メートルぐらいなのである。
 向うの山の頂上にある白い建物は、三木のゴミ焼却場だが、
 そこよりは多分高いだろう。
 そこから先は小野市である。
  正面の山が多分三木山の頂上だと思う。
 そこから同じ方角の写真だが、
 かっての三木の街はその下、美嚢川沿いに広がっていた。
 
  本当に、今年も残り少なくなった。
 やはり、ちょっと疲れたのか、1時間ほど昼寝をした。
2020年12月27日

年末の庭仕事

投稿者 : rfuruya

★年の瀬である。

 毎年のことだがこの時期『蔓バラの整枝』の時期である。
 昨日は日差しが暖かかったので、やり始めたが
 半日以上かかって前庭の蔓バラは何とか出来たが、
 あと4本残っている。
 お解り難いかも知れぬがこんな伸び放題の枝の葉を取って、
 枝をヨコに引っ張って固定すればいいだけのことなのだが、
 朝のスロージョッギングよりキツイ感じで、
 『ふうふう』言いながらやっと半分仕上がった。
 
 こんな感じに枝をヨコに寝かすと、その上一面に花が咲く。
 表の方は何本かの蔓バラが枝を伸ばしているのだが、
 こんな感じだったのが
  
 このように整枝した、
 この中に4本の蔓バラの枝が入り込んでいるので、
 この面に4種類の薔薇が咲くことになっている。
 
 まだ、こんな風に残っているのもあるので、もう1日ぐらいは掛かるだろう。
 年末で家の中などの整理もしないいけないのだが、
 それは殆ど手を付けずに外まうぇありばかりやっている。
  もう正月だなと思うのは
  千両も万両も赤い実を付けている。
  
 この赤い実を見ると
 毎年、『冬が来たな』と思うのである。
 今年もホントに残り少なくなった。
2020年12月26日

7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略   その1   

投稿者 : rfuruya

★ 平成3年(1991)4月に川崎重工業・CP事業本部が制作した
7万台への挑戦・新しいカワサキのイメージ戦略』と題した冊子は、
私以下当時の国内販社の3人の担当者の社内での講演内容を記録したものである。
   
 相当数創られて当時の川崎重工の社長以下役員全員にも配られ、
 英文にも翻訳されて海外販社にも配布されたりしたのである。
★ 1988年10月に、私は当時の髙橋鐵郎本部長から国内市場での『7万台の販売目標』を与えられ、
当時のカワサキオートバイ販売に専務として出向することとなったのである。
 台数的にはとてつもない目標だったのだが、
 3年目の4月には『ほぼ目標の達成』が見込まれるという状況になって、
 事業本部の課長以上の幹部に対し講演会という形で、
 その対策内容の発表を求められたのである。
 この3年間は私の現役生活の中で『最も頑張った時期』であったのは間違いないのだが、
そこに盛られた政策は、全く『差別化された』私特有のもので、
それらを実行してくれたのはグループの部下たちだが、
基本的な発想は企画・営業部門・末端市場を経験した私自身のソフトの集大成と言えるもので、全く私独自の発想なのである。
 冒頭に書かれた紹介文である。
 今回の『自分史』はこの冊子の紹介を中心に展開したいので、
 極力冊子の中の文章をご紹介したいので、それをお読み頂きたいのである。
       
 これは私自身の『マーケッテングの哲学』でもあり
 その殆どの部分は、末端市場対応する『ソフト戦略』で、
 副題にもあるように『新しいカワサキのイメージ戦略』という
 『新しいカワサキのブランド創造』なのである。
★ この会の冒頭髙橋鐵郎本部長がこれもぶっつけ本番でご挨拶をされているのだが、私も高橋さんとは永年コンビを組んできたが、
どんな大きな会合でも、話す内容を書面にしたりしたことはない。
常にその場で、『自分の言葉』で話すのが常だったのである。
この会合でも、突然のこれは私のお願いだったと思うのだが、
このようなご挨拶をされたのである。
お読み頂けば解ると思うが、流石に上手く話されている。
 
★この冊子の中で、私以下が語っていることは、
 私自身の『自分史』そのものでもあるとも思うので、
 数回に亘って、この冊子の内容のご紹介をしてみたい。
 私に与えられた『7万台の目標』は、
 普通一般の販売努力ではとても達成できないようなそんな数値なのである。
    目標を与えられた時点では、二輪車が約4万台、JSが3000台の実力なのだが、
 それを合計7万台を目標に、3年目でもう一息のところまで来ていて、
 この年の6月に『目標7万台』を達成しているのである。
       
★ 戦略立案の基礎は『正確な現状認識』がなければならない。
 まず博報堂に依頼して『カワサキの現状のイメージ調査』を行った。
 イメージとは『他人の評価』なのだが、
 いろんな活動や、情報発信を積極的にやらない限り、
 『イメージは創造されない』のである。
 これがスタート時点の88年10月の二輪業界各社のイメージである。
  
 ホンダ・ヤマハに比べて、カワサキのイメージ総量が小さいのが、
 まず、問題なのである。
 事業の健全経営を目標にするのならそれも許されるのだが、
 『7万台の目標達成』という業容の拡大を図るためには、
 『カワサキのイメージ総量の増大』が必須の課題だと思って
 その対策からスタートするのである。
★ こんな『市場調査』は結構金は掛かるので、
 まず、普通の人はこんなアプローチはしないのだが、
 こんなところからスタートするのが、私流なのである。
 そんなことで1988年10月に就任しての最初の1年間は、
 こんな『カワサキのイメージの総量拡大策』に集中している。
 ● 88年10月 ファクトリOB会 レース活動の復活宣言
        博報堂のイメージ調査
 ● 88年11月 グループの対策基本方針 本部長了承
 ● 88年12月 新KAZE基本方針 会員カードJCBと基本契約
 ● 89年1月  カワサキジェットスキー販売の社長に就任
 ● 89年2月  新ソフト会社KSS設立を川重経営会議で承認
 ● 89年3月  鈴鹿2&4宗和3位、大分県サーキットSPA直入着工
 ● 89年4月  遊び会社ケイスポーツシステムスタート
        ルマン24時間多田・宗和・塚本 3位入賞
 ● 89年5月 ゼファー発売、
 ● 89年6月 全国各販売会社訪問開始
 ● 89年7月 鈴鹿6時間耐久、鶴田・北川優勝藤坂2位
       鈴鹿4時間耐久、髙橋優勝(BEET)
 ● 89年8月 国内カワ販の活動内容を大庭社長以下全役員に発表
       ゼファー好調で雑誌記事など多数、
 ● 89年9月 地方販社の構造計画、西日本からスタート
       ジェットスキー関連業界、ヤマハさんとの対応
 ● 89年10月 ジェットスキー販売店のアメリカ市場見学旅行
 ● 89年11月 阪神ライデイングスクール有馬社長と自動車学校話スタート
 ● 89年12月 新宿ヒルトンで 販売店ARK構想説明
        岡山ショールーム構想スタート
 30年経った今でもFacebook などでお付き合いのあるライダーたちの
 名前が出てきたりする。
 この1年ざっとこんなことだった。
 販売も好調であったし、川重社長から説明会を求められるなど、
 社内でも話題を集めたし、これくらい積極的に動くと、
 『カワサキのイメージ』も1年でこのように変わったのである
 
 積極的に活動し広報した成果で『イメージ総量の増大』が実現した。
 『レースに弱く』『広告のセンスがなく』『常にチャレンジしな』カワサキが様変わりして、そこそこの実績を残したし、
玄人受け』などの従来からのいいイメージもさらに大きくなったのである。
★ 一番大きかったのは4月スタートした『遊びの新ソフト会社KSS』である。
遊び半分ではいい遊びは出来ない』とホントに真剣に取り組んだのである。
この新会社KSSは、1990年代のカワサキの大躍進の中核的存在となったのである。
 こんなソフト会社は川﨑重工業の中でも初めてのことなのだが、
 この新会社の社長は私が兼務して、ここでは陣頭指揮を採ったので、
 KAZE活動を中心に、レース活動SPA直入運営などの新事業を、
 1年目で軌道に乗せることが出来たのである。
★その後も、『ソフト分野の活動並びに仕組みの創造』を中心の活動とし、
遊んでいても自然に売れる仕組みの構築』を目指したので、
この川崎重工の人たちへの講演会の講師のメンバーも、
と、
ケイスポーツシステムの南常務
スポーツ推進部の重本部長
広告宣伝の小林課長の4人で、
事前打ち合わせなど全くなく『ぶっつけ本番』でやったのである。
★ 次回から何回かに分けてこの講演会での話した内容をご紹介してみたい。
 それがこの時代の私の『自分史』に代わるものだと思っているし、
 87歳になった現在も、その延長線上を走っていると言っていい。
    因みに、この小林広告宣伝課長は、
 Facebookで今も、毎日親しくお付き合いのある『Shigeru Kobayashi』くんである。
  
  彼がどんなことを喋ってるかも、ご紹介するので
  楽しみに、ご期待ください。

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