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2021年10月7日

カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス    その 

投稿者 : rfuruya

 私の生き方、考え方&意見
★ カワサキアーカイブスはこんな画面からスタートする。
  手前のモペットは多分M5でバイクはB7だろう。
  その後ろは、カワサキベルヘリコプターである。
 
  カワサキの二輪事業スタートの昭和35年(1960)
  国内市場だけでその販売先はカワサキ自動車販売だった。
  通称『カワサキ自販』、トヨタも『トヨタ自販』があった時代である。
  そしてすぐ私のインタビューに入り、
     
 私は、昭和32年(1957)4月、川崎航空機工業に入社するのだが、
 まず入社動機なぜ川崎航空機に入ったのかという言う質問で始まり、
 その答えが結構長く続くのである。
      
  『なぜ、川崎航空機に入ったのか?』と言われると、
  当時の副社長だった砂野仁さんが『入れたるわ』と仰ったので、
  それに従って『入れて頂いた』のである。
  
  その経緯はいろいろあって、
  私の祖父の話からスタートするのである。
  私の祖父古谷虎雄は私が産まれた時にはもうこの世にはいなかったが、
  いろんな方が『偉かったよ』と言われる話を聞いて育った。
  ネットにもこのように現れたりする。
  
   そんな話をしているのでこんな画面が現れたりするのである。
  
 祖父が亡くなってその後を継いだ伯父古谷修一南鮮電力のオーナー副社長をしていて、
 同時に明石では『錦江ホテル』の経営もしていたのだが、
 このホテルが戦時中に、川崎航空機の明石工場に来ていた軍人の宿舎にと、
 川崎航空機に接収されることになったのである。
その時の売買契約伯父と川崎航空機の砂野仁総務部長さんとの間で締結され、
そんな関係でその後も伯父とは親交があったのである。
私は戦後朝鮮から引き揚げてきて名門と言われた神戸一中に入るのだが、
それは息子さんの砂野耕一さんが一中に行ってたこともあって、
砂野仁さんの薦めがあったからなのである。
そんな関係だったのだが、伯父が私の大学2年の時に亡くなって、
その葬儀に来られた砂野仁さんが、当時は就職難の時代でもあったので、
もし行くところがなかったら、うちにいらっしゃい』と言って頂いたのである。
そんなことで、私は川崎航空機以外の会社の入社試験など一切受けずに、
川崎航空機に行くことに決めていたのである。
 ところが、私の卒業年度の昭和31年(1956)は全くの不景気で、
砂野さんが『今年は採らぬから、もう1年大学におれ』と仰るので、
私は卒業を伸ばして、大学5回生を野球部の監督をしていたのである。
結構呑気と言えば呑気な性格で、
何でも、何とかなるだろうと思うのは若いころから同じで、
それが結構『いい運に繋がっている』という結果になっているのである。
翌年の昭和32年は様変わりの『神武景気』となって、
川崎航空機に入社することが出来たのである。
 
★勿論、入社試験も社長以下重役陣のおられた面接も受けたのだが、
 その面接は『君は成績悪いねえ』から始まったのである。
 当時の総務部長が岩城さん人事課長が塚本さんだったのだが、
 『君は成績悪いねえ』と第一声を放たれたのは、塚本さんである。
 
 私は大学時代は全く勉強などしていなくて、野球一筋だったので、
 優体育実技体育理論・誰にでも優をくれる中国語の1・2 と
 野球部の部長の経済地理の5つだけで、可が二桁もあったのである。
成績が悪い』のは自分でもよく解っていたので、動ずることなく、
会社の仕事など絶対に他人に負けたりはしません』などと言ってたのだが、
岩城さんに『ところで君は野球をやってたな』と話題を振って頂いて、
あとで砂野さんから『君は面接だけはよかったよ』と言って頂いたのである。
岩城さんが『野球』に話を振って頂いたのは『私が砂野さんのコネ』ということをご存知だったので、そんな配慮があったのだろうと感謝している。
ただ砂野さんは、神戸一中時代、学年の10番以内にいた私の成績はよくご存じだから『バカではない』ことはお解りだったとは思っている。
ただこの面接での『人には絶対負けません』と言い切った一言は、
現役時代ずっとアタマに残っていて、頑張り続けたのは間違いないのである。
★ そんな入社時代の話がいろいろ続いたあと、
 当時の川崎航空機の社風はどうだったか?という質問があって、
 『やりたいことが自由に何でもやれた』と答えているし、
 事実、新入社員の1年目からホントに自由に動けたのである。
 軍事会社ということで戦後の中断があって
 昭和27年(1952)に分散していた幾つかの会社が集って、
 再開されたばかりの若い会社だったから、
 いろんなことがことがまだ整っていなかった面もあったのだと思う。
 業務部財産課という地味でオモシロくないという部門に配属されたが、
 すぐに財産物件の管理担当者というシステムを創って、
 夫々の課の財産物件の管理をお願いしたのである。
 この全事業所の管理担当者の統括が新人社員の私なので、
 不思議なことに『沢山の部下?』がいるような形にもなったのである。
 2年目には当時のJETエンジン部門に米軍がいて、IBMがあったので、
 財産物件の償却計算のIBM化などをやっている。
 これは全社でも初めてのことだったし、
 日本にはまだIBMもIBMという会社もない時代のことである。
 因みに、IBMが日本で一般化したのはオリンピックの頃のことだから、
 その10年も前の話なのである。
ただ、当時は私だけではなくて、オモシロい方がいっぱいいた。
後、アメリカ市場を開拓し、KMCの社長をされた浜脇洋二さん
   
 あのZ1を創られた、大槻幸雄さんなど
 当時の若い方々は、ホントにオモシロかったのである。
   
 それにしても、お二人ともお若い。
★今でも広い明石工場だが、当時はその面積だけは今の2倍もあった。
 ただ、空襲でやられてしまっていたので、こんなに空き地ばかりだったのである。
手前の広場のようなのは飛行機が飛べる滑走路なのである。
会社は苦しくて、土地や機械の『売り食い』の時代でもあったのである。
  
★ まずは『アーカイブス第1稿』、入社したころの川崎航空機工業である。
  この頃は、まだオートバイなどは未だ造っていない。
  戦前、明石工場は航空機のエンジン工場だったので、
  技術屋さんの殆どが『エンジン屋』さんだったし、
  そんな関係で、ジェットエンジン工場発動機の小型エンジン
  ミッション歯車などの生産が行われていたのである。
2021年10月6日

『カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス』  序章

投稿者 : rfuruya
★ 『カワサキアーカイブス 古谷錬太郎インタビュー』という
  こんなデイスクが我が家にある。
  
  
 カワサキの二輪事業の60周年記念に川崎重工の単車部門が
 二輪事業の歴史を残そうとOB達にインタビューなどして創り上げたものだと思う。
 アーカイブスとは
 『アーカイブ (archive) とは、重要記録を保存・活用し、未来に伝達することをいい、保存記録などと訳されることが多い』とある。
 そういう意味で
 ● 私の1時間ちょっとのインタビューと
 ● 私が保持していたカワサキ単車の膨大な資料
 がデイスクに収められている。
★ これは2019年2月15日に登山道夫さんのGood Times Plaza 
  こんなメンバーたちでの取材が行われた。
 インタビュアーは川重OBの山田淳一さんだったが
      事前に私のネットの記事を詳細に読んでおられて
 それに基づいた質問でもあったので答えやすかったし、よく纏まっている。
 昨日、久しぶりにそれを聞き直してみたのだが、
 これはカワサキの二輪事業の歴史であると同時に、
 私自身が生きてきたカワサキの現役時代の人生そのものでもあると思った。
  
★いままでもカワサキの単車事業についてはいろいろと書いてきたが
 『私自身の人生の回顧録』として、私のその時々の想いを中心に、
 もう一度纏めなおしてみたいと思っている。
 特に私の現役時代の記録資料はこんなファイルが20冊ほどあったのだが、
 それは全部ご提供したので川重には正規の資料として残されたと思うので、
 現在はこの3冊に集約してあとは全て捨ててしまっている。
  
 その資料は、川重ではこのように綺麗に整理されてお持ちのようで、
 多分ほかに、こんなに纏まった資料はないのではないかと思うのである。
 これは大項目だが、その詳細はデイスク1枚に収まるほどの量で、
 何十年に亘る、カワサキの単車事業の歴史が収まっている。
  
★ 私自身はおおざっぱな性格なのだが、それは個人的なことであって、
  公の会社の資料などは全て『私が作成』したものではあるが、
  時系列に非常にきっちりと整理されて残されているので、
  会社としてもこんな『デイスク』に収めて残そうとされたのだと思う。
  それは昭和32年(1957)4月の入社時からスタートしているが、
  当初の18年間は会社の資料はないので自分の日記から拾って月毎に纏めてある。
  昭和50年(1975)の10月からは川重企画部門に転籍したこともあって、
  ここからは会社の資料中心に年次ごと月毎、日毎に纏められていて、
  その最終稿は川崎重工で現実に第一線を担当した平成7年(1995)3月までで終わっている。
  いずれにしても約40年のカワサキ現役時代が纏められたのは、
  20歳の時から続いている日記が手元にあったからである。
★  これは私が別に纏めている20歳からの10年毎の『私の履歴書』である。
  表の真ん中にあるように、殆どの事項が『全く新しいこと』に挑戦してきたと言っていい。
  
 ● 20代は、大学から川崎航空機入社の時期だが、
   一言で言えば『勉強期間』この時期に二輪事業はスタートしている。
 ● 30代には、広告宣伝・レースなども担当し、
   特約店制度など新しいシステム構築などが始まっている。
 ● 40代に入ると、川重の企画室に復職し、
   東南アジアプロジェクトやアメリカダンピング問題対策として、
   国内販社新体制を構築し自ら常務として経営の旗を振ることになった。
 ● 50代はアメリカKMCの経営危機で、二輪事業撤退の危機でもあった。
   この時期は企画室に戻り事業部の経営再建を直接担当し、
   後半には、ようやく二輪事業も安定し国内事業経営に当たっている。
 ● 60代は現役時代の集大成の時期で最高の時代であった。
   国内市場念願の7万台の販売目標を実現している。
 ● そして退職後の70代も、NPO 法人The Good Times を立ち上げて、
   結構、楽しくやってきた。
  この取材を受けたGood Times Plaza はその事務局でもあった。
 ● そして今80代ももう終わりに近づいている。
  結構、元気なのがいい。
  まだ、纏めてはいないが、どのように書くのだろうか?
 
 こんな『私のアーカイブス』である。
 もう一度、このインタビュー記事を振り返りながら、
 私の生き方・考え方を纏めてみたいと思っている。
 結構、長い『カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス』になるかも知れぬが、お付き合い頂ければ幸いである。
2021年10月5日

ニュース いろいろ

投稿者 : rfuruya

★ 10月4日・岸田内閣がスタートした。
 第1回の内閣支持率はどんな感じになるのだろう?
 私自身は、何となく『大人しすぎて、あまり期待できない』ような気がする。
 安倍さんから続いた自民党の体質が変わるようには思えないのである。
 いろいろと言われてはいるが、
 岸田総理自らのトップとしての『リーダーシップ』が感じられないのが物足りない。
  
★ 菅総理は在任期間、384日で官邸を去られることになったが、
 世間の内閣支持率は最初は高かったのに、最後はしぼんでしまった。
 私自身は、それなりに地味ではあったが、いろいろやられたようにも思う。
  コロナ騒動で明け暮れた1年だったが、
 日本の『コロナ対策』は先進諸国の中で一番いい成果を残したのでは?
 中でも菅さんが先頭を走った『ワクチン接種』は素晴らしかった。
★ 今回の新総裁では期待を裏切った河野太郎さんだが、
  菅内閣最後の記者会見では『120点ぐらい頂けるのでは
  と言われている。
 
  政治家とはあまり『落ち込まない人種』なのかも知れない。
★ 国会の首相指名選挙で『高石早苗』票が1票あったとか。
 ご本人は『私ではありませんよ』と仰ってて、そうだと思うが、
 国会議員なのに不真面目な人もいるものだ。
★今年の大谷翔平は楽しませてくれたが、
 今シーズンは終わってしまった。
 毎日のテレビが楽しみだったが、半年ほどのおやすみである。
 来シーズンのエンゼルスとの契約には前向きとか。
 今の監督さんがいる間は、一緒にやるべきだと思う。
 大谷もいいが、監督さんもなかなかいい。
★ 久々にオモシロい選手が現れて、応援してたのだが、
 阪神佐藤輝明選手の『56打席連続無安打』の新記録はまさに貴重である。
     
 これは『やろう』と思ってもなかなか出来ない『貴重な記録』かも知れない。
 今シーズンの通算成績を調べてみたら、
 打率は2割4分1厘もあり、ホームランが23本打点が60出塁率は2割8分6厘もある。
 三振の数180はちょっとビックリである。
  
 果たしてこの記録、どこまで続くのか?
 優勝を争ってるチームだが、
 矢野監督は今後、どのような使い方をするのか?
   個人的な見解だが、守備も意外にいいし強肩だし、
  是非、使い続けて欲しいと思っている
  突如の大変身を期待しているのである。
2021年10月4日

Kawasaki Let the Good Times roll と 私

投稿者 : rfuruya

★ 10月1日、川崎重工業から分社化し、

 『新会社カワサキモータース』が発足した。
 1960年当時の川崎航空機工業が明石工場の中に『単車の一貫生産』をスタートさせたのが、カワサキの『二輪事業のスタート』だが、
それからほぼ60年の年月を経ての新会社の発足なのである。
 1960年のスタートの時期に、新しくできた単車営業部に配属された者として、本当に感慨ひとしおなものがある。
 この60年間、カワサキの二輪事業はそんなに順調な時代ばかりではなく
 むしろ『難しい時期』の連続だったのだが、
 1990年代に入ってようやく事業の安定をみたのである。
 その間、川崎重工業の多くの事業の中で末端・民需・大量生産事業として
特異な存在であったのだが、
 今回の分社独立はご同慶の至りなのである。
★ スタートから約40年間、私自身はカワサキの二輪事業一筋に担当してきたのだが
  個人的に秘かにそのベースにあった基本コンセプトが
  Kawasaki  Let the Good Times roll !   だったのである。
 これは1975年頃アメリカのKMCで採用されたコンセプトで
 当時のKMC社長浜脇洋二さんのその報告会に出席したのだが、
 その時は私は国内担当だったのだが『これは素晴らしい』といたく感動したのを鮮明に覚えている。
 このコンセプトはアメリカのカワサキだけで使われたもので、その後数年で消えてしまっていたのである。
 それから20年近い年月が流れて1990年代に国内のKMJで、このコンセプトを私が復活したのである。
 あの時国内市場で復活しなければ、このコンセプトが世に残ることはなかったに違いないのである。
 これは当時の明石のショールームに展示されていたものである。
 こんな風に言ってるが、スタートの発想がアメリカなので正規の日本語訳は存在しない。
  
 当時のKMJの社長であり単車事業本部長であった髙橋鐵郎さんが、
 それを『世界のカワサキ二輪販社での展開』とし
 田崎雅元さんが川重社長の時には川﨑重工業のコンセプトにもなったのである。
 それが川重社長が交替して一時消えかけて非常に心配した時期があった。
 もう10年も以上も前の話だが、髙橋鐵郎さんとも相談して、
 NPO法人The Good Times を創ってそのコンセプトだけでも世に残そうとしたのである。
 私にとっては、そんなにも思いつめた時期もあったコンセプトなので、
 今回、新会社カワサキモータースの基本コンセプトとしてこのように大々的に採用されたことは非常に嬉しいことなのである。
★二輪事業はスタートの時期、国内市場では苦難の時期が続いたのだが、
 ● 若し アメリカ市場がなければ
 ● 若し Z1などのカワサキ独特のスポーツバイクがなければ
 ● 若し Let the Good Times roll のような楽しいコンセプトがなければ
 現在ある独特の『カワサキイメージの創造』はなかったと思っている。
★今回の新会社は、
 こんな『楽しんじゃえ宣言』という形でのスタートとなった。
 このバイクにまたがってるのが新社長の伊藤浩さんだが、
 
 Kawasaki Let the good times roll  がそのメインコンセプトになったのは
 何よりで、私にとっては何物にも代えがたい感慨深いものがある。
★ これは数年前『カワサキアーカイブス』制作時に
 『後輩に送る言葉』と言われて
 この時私が語った言葉が Kawasaki Let the Good Times roll だったのである。
私にとってこのコンセプトはカワサキの二輪の歴史と共に歩んできた『基本コンセプト』なのである。
 そう言う意味で、今回の『カワサキモータース』の新社長伊藤浩さんに本当に感謝なのである。
 これで Kawasaki  Let the good times roll はもう消えてしまうことはない。
 当時のKMC社長だった浜脇洋二さんもきっと喜ばれるに違いないのである。
2021年10月3日

運動と昼寝と体重と年齢など いろいろ  雑感

投稿者 : rfuruya
★ コロナでやることもないし、
  コロナでなくても、そんなにやることもない超高齢者の日常なのだが、
  午前中はジムに行くか、防災公園に走りに行く。
  ジムではいろいろやるのだが、Fitbitに記録されないので何となく頼りない。
  その点、防災公園に走りに行くとちゃんと記録が残るので、
  意外に『やる気』になる。
  例えばこんな記録が残るのである。
  これが歩数だが1万歩と出ているのは公園を走った日で、
  ジムで幾らランニングマシンで走ってもそれはなのである。
     
  特に公園を走った日は昼寝をすることが多い。
  1時間ちょっとだがホントに熟睡出来ている。
   
 これが夜だとこんな感じで夜中にトイレに立つし、
 『落ち着きのない眠りの状態』も多いので、
 『昼寝』はいいのかなと思っている。
 
★ いろいろやってる目標の一つに
  『体重を少し落とそう』というのがあるのだが、
  これが一向に落ちないのである。
  消費カロリーは2000カロリーを越えてるので
  高齢者としては多いのだが、それ以上に食っているのである。
        体脂肪率はまずまずだが、体重は83キロになることもあり
  どうしても 『81キロ台』にならないのである。
     
   いま『痩せた』ことが話題の北朝鮮の金正恩はどのようにして
  『痩せた』のだろうか?
 体重と体脂肪率は風呂上りにこんな秤で測っているのだが、
 これには『体重・体脂肪率』などと共に『年齢』が出るのだが、
 大体『73歳~76歳』ぐらいの間だから、
 実年齢よりは10歳以上若いのだが、
 これは筋肉量などが普通の方よりは多いからだろう。
  
 ただ、不思議なことに『体重が増える方』が『年齢は若く』でる傾向である。
 そんなことで、『体重』は一向に減らないのだが、
 『年齢が75歳』ぐらいと出ているので『まあ、いいか』と思っているのである。
  この『年齢75歳』がいつまで続くだろうか?
  少なくともこの2,3年は変わっていないのである。
  この2年程、コロナで市の体力測定会がないのだが、
  この体力測定会には『柔軟性』という項目があって、
  これが『20歳』と出るものだから
  『体力年齢』は50歳代の値が出るのである。
  早くコロナが終わって、市の体力測定会が再開されるのが待ち遠しい。
2021年10月2日

技監という職位    雑

投稿者 : rfuruya
★ 私は人生で『何になりたい』と思ったことはホントに一度もない。
  ただ、自分で『やりたいこと』をやって過ごしてきたし、
  幸運にも恵まれて『やりたいことが出来た人生』を過ごせたと思っている。
  社会の中では
  会長・社長・専務・常務・部長・課長などいろいろな職位があるが
  幸いにそのすべてを曲がりなりにも経験できたのである。
  その職位も世の中には大小いろいろな企業があるから、
  同じ社長でもピンキリであることは間違いない。
  私の最終職位川崎重工業の技監なのである。
  技監とは技術屋さんで博士号をとった技術の権威者や
  官公庁から川重に天下りしたお役人などを取締役待遇で遇する役職で、
  そのすべてが技術屋さんだったのだが、
  私は川重で初めての事務屋の技監だったのである。
    
  これは間違いなく当時の川重社長だった大庭浩さんの人事で、
  大庭さんからは直接私に『お前はマーケッテングの専門家だから』という
  説明付きの人事だったのである。
  大庭さんの最後の事業本部長が単車で、私はその番頭役の企画室長だったのだが、
  技術以外の経営・財務に関することはほぼ100%任されていたのである。
  大庭浩さんは『めちゃこわい』という評判の方だったが、
  その怖い顔をものともせず自論を述べていくと、
  その論理を納得されると『常にOK』が出るのである。
  そんなことで私の現役時代に私の意見を一番多く聞いて頂いた上司は大庭さんなのである。
      
★ この技監という職位を私が気に入っているのは、
  ● 川崎重工業で初めての事務屋の技監であったこと
  ● その職位は大庭浩社長直々の決裁であったこと
  ● その職の理由を大庭さん自らがわざわざ私に説明されたこと
 などから、私を取締役にせずに技監にされるまで、
 大庭さんなりにいろい熟慮されたのは間違いないのである。
 そして『技監』という職位は特に中央官庁では大いに役に立ったのである。
 中央官庁に行くと会社の社長や専務の名刺を出しても特別なことはないのだが、
 『技監』の名刺は結構尊重して頂けたのである。
 多分それは官公庁の結構な地位の方が天下りされて『技監』になられているので、
 多分、その方と同じ『技監』ということなのだ思うのである。
★ 今は川重の役職も形が変わって『技監』という職位があるのかどうか、
 私には解らないのだが、
 当時は私の実際の職務はカワサキの国内販社専務して、
 実質すべてを統括して国内7万台の達成の実績を上げることが出来たし、
 当時の国内カワサキのイメージは最高の時代で、
 大庭さんが言われる『マーケッテングの専門家』としての技監に恥じない実績が残せたのを嬉しく思っているのである。
 社長は当時の川重副社長をされていた髙橋鐵郎さんが兼務されていたのである。
         
 これは、国内販社の社長はずっと単車事業部の本部長が兼務されていたのだが、
 当時の単車本部長は田崎雅元さんで、年次では私が1年上なものだから
 それを気にされて川重副社長の髙橋さんの社長兼務だったのだと思うのである。
 長い歴史を誇るカワサキオートバイ販売(現在のKMJ)で川崎重工の副社長が社長を兼務されたのは、唯一私の専務時代だけなのである。
 そんなことで、上の方たちが『私のこと』をいろいろ気を遣って頂いた『技監人事』だったので、
 私は今でも一番気に入っている『私の職位』なのである。
 本当にありがたかったと思っている懐かしい『技監』の職位なのである。
2021年10月1日

私と松茸の昔話 

投稿者 : rfuruya

★10月になった。 松茸の最盛期である。
 昔は幾らでも採れたのだが、
 今は貴重品で一箱15000円もするらしい。
 最近は松茸など食ったことがナイ。
 
 私は若いころ肺結核で1年間、療養所に入院したことがある。
 場所は兵庫県三田市のこんな山手で周囲は山ばかりの環境だった。
 秋には松茸がいっぱい生えるのである。
 昭和35年(1960)のことで当時は松茸を山で採ってきても、
 そんなに問題にもならなかった悠長な時代であった。
 入院者が散歩がてらに山に入って、松茸をいっぱい採ってくるのである。
 採ってきた松茸は大きな籠に入れて貯めていたので、
 食おうと思えば幾らでも食えたのである。
 多分、普通の方が一生のうちに食う松茸の何倍もの量を食ったし、
 見舞いに来た方のお土産に上げたりしていた。
 毎朝、誰かが採ってくるものだから、籠の松茸は絶えることはなかったのである。
 松茸の他にも、カスミ網でヒヨドリを獲ったりする趣味の人もいた。
 私は松茸もヒヨドリも『頂く』ばかりでとったことはない。
 趣味が違って、もっぱら地図にも出ている野池で鮒釣をしていた。
 ただ、入院期間も1年だけだったので、
 松茸をたらふく食ったのもこの年だけの話である。
 
★ あんなに沢山採れていたのに、最近はなぜ採れないのか?
 ちょっと調べてみたら
松茸は基本的に赤松の林で発生、それも25年ぐらいの松の根元に生えるらしい。
松茸の生える条件がよければ環状に何本も出たりするが、
『松茸が生える山は落ち葉が積もっていないきれいな山、地面が乾燥している痩せた土地で、日当たりの良い南向きの斜面に生えやすい』のだという。
昔は人が山に入って落ち葉を持ち帰ったりしていたので、どこの山でも松茸は生えたのだが、
昨今は人は山に入らぬし、落ち葉は貯まり放題だから、
手入れをされた山にしか生えないのだという。
   
豊作になるかは、その年の気候の影響を強く受けて、
春から夏にかけて降水量が多く、梅雨の時期は雨がしっかり降る・台風が多い
・7月~8月は暑い・9月の残暑が厳しくなく、気温がゆっくり下がりながら雨が降るなどと言われているが今年はどうなのだろう?
★ 今は、三田のこの山に松茸は生えるのだろうか?
 写真を見ると、新しい住宅地も出来てるし、環境も変わってしまったのかも知れない。
いずれにしても『60年も前の昔話』で『いい時代』だったのかも知れない。
カワサキが二輪事業をスタートさせた年でもある。
 私はこの療養所から11月に退院して、新しくできた『単車営業課』に配属され、二輪と関係が出来ることになったのである。
ちょうど『松茸のシーズン』が終わると同時の退院だった。
2021年9月30日

自民党総裁選     雑感

投稿者 : rfuruya

★ 政治の世界には関心はあるが、
 別に自民党でもないし、勿論立憲民主党でもない。
 まあ『無党派層』なのだろう。
 今回の自民党総裁選挙は、自民党の総裁を選ぶのだが、
 その方が日本の総理大臣になるので、
 実質的には『一国の総理』を選ぶ選挙なのだが、
 一般国民にとっては『成す術なし』の選挙なのである。
 国民の人気は『河野太郎さん』なのだろうが、
 結果は 岸田文雄さんの圧勝に終わった。
  
 これからの岸田新総裁の人事がどうなるのか?
 幹事長は誰になるのだろう?
 今日にでも党4役は決まるのだろうが、
 巷にはこんなニュースも流れている。
  
 11月には衆議院選挙があるので、国民に人気の河野太郎さんも要職起用されるのだろう。
 総裁選中、4人の候補はいずれも、自身が勝利したらほかの3候補を党や内閣の要職で起用するという考えを示し、選挙後の「挙党一致」をアピールしているので、
 まずは岸田新総裁の初仕事の党4役とそれに続く組閣人事に注目したい。
★ 岸田新総裁に対する野党の評価はいつもながらの酷評が多いが、
  ざっとこんな感じである。
立憲民主党・枝野幸男代表:
自民党は変わらない、自民党は変われないということを示した新総裁の選出だったと思っている。
共産党・志位和夫委員長:
自民党が安倍・菅直系政治を選んだということだ。
 
日本維新の会・馬場伸幸幹事長:
自民党らしいな、ということが、いの一番に浮かんだ。国民が感じている政治に対する要求と永田町で考えられていることが大きく乖離している。
 
国民民主党・玉木雄一郎代表:
非常に安倍元首相の影響が強く表れた選挙だった。岸田氏が掲げた『政治の信頼の回復』が、安倍氏の影響下でどれだけ実現できるか、厳しく見定めていきたい。
 
社民党・福島みずほ党首:
変わらない自民党の象徴としての『変わらん総裁』だ。広島1区選出なら、核兵器禁止条約も批准すべき、と言ったらどうか
★ 私の感想は『維新に近い
 まさに『自民党らしい』のだが、こんな自民党から脱した
 『新しいイメージの人事』が出来たら、見直すかも知れない。
 いずれにしても10月は『政治』から目が離せない。
 どんなことになっていくのだろう。
2021年9月29日

結婚30周年&58歳の誕生日 おめでとう

投稿者 : rfuruya

★『9月28日は結婚30周年&58歳の誕生日』と言っても私のことではない。
 息子『古谷大治』のことである。
 1991年9月28日、28歳の誕生日に結婚式を挙げている。
 『仏滅だよ』と言ったら『誕生日だから』という。
 なるほどと思った。
 『仏滅』だったので、大阪の全日空ホテルだったがガラガラで、
 ただサービスはめちゃよかった。
 当時はまだ珍しい仲人などいない『人前結婚式』で身内だけのものだったが、
 そのあと、トモダチ連中と2次会、3次会の結婚披露宴を盛大にやり、
 来週は『東京でまたやる』という。
 いずれも私には『お呼びは掛からなかった』が
 本人にとってはいい結婚式であったに違いない。
★ そんなことなので『誕生日&結婚記念日』で覚えやすくていい。
  息子・古谷大治とは、こういうとおかしいが『私は結構仲がいい
  こどもの頃から『魚釣り』に連れまわしたのだが、
  それが高じて『息子の魚釣り』は半端ではない。
  
  小学校4年生からはサッカーを始めて『サッカー一筋
  大学も全日空もサッカーのご縁でお世話になった。
  こんな一途なところは『親父似』なのかも知れない。
  私は彼の大学も就職も一切相談など受けてはいない。
  男の子は自分の進路など『自分で決めたらいい』と何の相談にも乗らずに、
  自分で決めるように躾けた。
  結婚相手も自分で見つけてきたのだが、
  私が東京出張の時に、突然『会いたい』と言って連れてきたのが、
  『今の奥様』なのである。
  その時だけは私に一番に知らせてくれたのである。
★ 私と違って、フェイスブックなど登録はしているが、
  一切何も発信しない。
  そんなところは『家内似』なのである。
  フェイスブックには一応『誕生日おめでとう。幾つになったのかな?』とは発信した。
  こんなこと書いてるのも、日記が1階に降りてきたので、
 『大治の誕生の日にはどうしてたのかな?
 と58年前の日記をめくってみたのである。
 こんな風に書いている。
 『3時半に電話があり、入院したという。いよいよである。
電話の調子では早くても夜だろうという。
会社が引けてから明石で食事して、7時半に社に着いた。
病院で「古谷です」というと看護婦さんが「もう済みました。部屋におられます」という。
あんまり簡単なので信じられなかった。
部屋に入り清美の顔を真っ先に見る。案外元気である。
男の子である。希望通り。赤ちゃんの顔は文字通り赤く小さい。
顔を見ても自分の息子とはすぐには思えない、信じられないような気持である。
然し一人の息子が出来た。改めて「妻子」を持つ身となった。』
 なるほどと思うが、日記がないとよく覚えていない。
 名前は翌日『大治』と決めた。
 最近の方は、出産に立ち会うのが普通なのかも知れぬが、
 私の場合は会社を休めるほど『暇ではなかった』し、
 9月28日は土曜日だったが、当時は出勤だったのである。
★ そんな息子ももう58歳で、結婚30周年である。
  多分今夜は鎌倉で一家でお祝いなのだと思う。
  今になって思うと『誕生日に結婚』はなかなかいい。
  大治、結婚30周年&58歳の誕生日 おめでとう。
2021年9月28日

投稿者 : rfuruya

私とゴルフ  雑感

2021-09-28 06:30:32 | スポーツ
★ 昨日部屋の模様替えをした時に、いろんなものを整理したのだが、
 いろんな旧い写真などが出てきた。
 その中の一つにこんな写真があった。
 私が主催していたカワサキオートバイ販売のコンペの写真である。
 誰が撮ってくれたのか結構ちゃんと撮れてるし、ちゃんと打ててる。
 懐かしいカワ販の連中の顔が並んでいるので、
 これは出だしの1番ホールの第1打なのだと思う。
  この頃が一番熱心にゴルフをやってた時期かも知れない。
★ 私がゴルフを始めたのは昭和50年(1975)42歳の時なのだが、
戦時中敵国のスポーツということで長い中断があったが、
神武景気の頃からサラリーマンの給料も上がりゴルフ人気もじわじわと向上して、
1975年にはゴルフ場の数も1,000を突破したゴルフブームとなって、
私もゴルフを始めることになったのである。
尾崎・青木がそのブームを引っ張った時代である。
全国カワサキ会会長をされていた小野寺和夫さんが、
ゴルフをやれ』とクラブ一式を家に送ってこられたのが私がゴルフを始めたきっかけである。
そんなことで始めたゴルフだが、やりかけると熱心に練習もしたし、播磨カントリークラブのメンバーになって、月例にも出たのだが、このコースは非常に難しいので『月例でアンダー』が出るとそのままハンデーが上がるのである。
スタートはハンデー18からだったが、1年程で『ハンデー10』まで行ったので、そこで月例に出るのは止めてしまったのである。
シングルを目指す』のが普通だとは思うが、とても5以下の『片手シングル』はムツカシイと思ったし、
そこそこ恰好も付いたので『これでいいか』と思ったのである。
こんなところが私の性格で、私の人生は全て『ハンデー10の人生』で、
そこそこまでは行くがそれ以上は『専門家の分野』と思ってしまうのである。
★これも昨日出てきたゴルフの優勝カップである。
 中央にある『第7回優勝カップ』がゴルフの初優勝で、やりかけて2年目、44歳の時である。
 このコンペは15回まで続いたのだが、その『取り切り戦に優勝』したので
 こんな純銀製の立派なカップが家にあるのである。
  
50歳当時がゴルフは一番充実していて、30台で周ることも珍しくなかったし、ベストグロスは75なのである。
今は大槻幸雄さんが会長の『Z1会』に年4回出るのと
大学の野球部のOB会のコンペで、全部出ても年6回なのだが、
今年はコロナで、まだ1回もゴルフをしていない。
★実は『今年こそはエイジシュート』をと目標にしていたのだが、
 コロナでダメになってしまった。
 来年はゴルフを再開できるのか?
 来年は89歳だから、アタマの中では『遊んでいても出るスコア』なのに
 それがムツカシイのである。
 やはり物事は『練習をしてまともに取り組まないと』目標達成など出来ないのである。
 42歳から始めたゴルフだが、もう50年近くにもなる。
 ひょっとしたら11月にはZ1会のコンペが再開するかも知れないので、
 素振りでも始めようかなと『思ったりは』するのだが・・・・

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