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今年も1.17に想う

このNPO法人The Good Times の創設地は兵庫県ということもあり、神戸をはじめ兵庫県にはこれまでに何度も訪れる機会がありました。
神戸は横浜と同じ港町で親近感もあります。
そしてメリケンパーク、海洋博物館・カワサキワールド を訪れたら必ずここ神戸港震災メモリアルパークにも立ち寄り、あの日のことを思います。
1995年1月17日の未明、神奈川県内で運転中、ラジオの臨時ニュースで一報を聞きました。
初めは被害の大きさが全然伝わってこなくて、あとからテレビの映像を見て愕然としたことを覚えています。
あらためて亡くなられた方に哀悼の意を表します。また被災されたすべての方にお見舞い申し上げます。癒えることのない傷の痛みは想像を超えるものと思います。
2ヶ月後には3.11が訪れます。
いつ起こるかわからない自然災害。油断せず、備えよ常に。
そして今日も悔いのない一日を。

第102回 箱根駅伝 を観戦

古谷さんもブログ「雑感日記」で取り上げられていましたが、今年の箱根駅伝は青山学院大が往路の5区で大逆転、復路もハイペースで大会記録で総合優勝しました。
箱根駅伝はテレビやラジオで全国放送されていて知名度が高い大会。
私は神奈川県在住なので、毎年正月は注目しています。ものすごく「地元のイベント感」があります。
沿道の様子を見て、「お、あの辺りだな」と、よく知っている景色の中を走っているのを見るのも好きです。
で、地元があの「権太坂」の近くなので、今年も往路9区を沿道で観戦してきました。
毎度近くで見て思うのが、「このペースでよくずっと走れるなぁ」というのと、「沿道を埋めるたくさんの人、交通規制と警察やスタッフの数と動き、長年かけて築き上げられたものだなぁ」「準備にいったいどれだけの時間と労力をかけてるのかなぁ」ということ。
関係者の皆さんお疲れさまでした。

バイクで言えば
さてこの「駅伝」という長距離のリレー競走。個人の頑張り、チームでの戦い、いろいろなドラマもあって、日本人が好きそうだし得意な分野の競技ですね。
オートバイで言えば、「鈴鹿8耐」に代表される耐久レースでしょうか。
大会の略称というか愛称があるのも人気イベントの特徴ですね。
「箱根駅伝」の正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。
「鈴鹿8耐」は「鈴鹿8時間耐久ロードレース」。
ちなみに今年の鈴鹿8耐は、開催時期が少し早まって7月頭(3日〜5日)です。
二十四節気と雑節

年始なので暦(こよみ)を再確認。
今年2026年の二十四節気を国立天文台のホームページで調べました。
よく聞くものもあれば、ほとんど話題にならないものもありますね。
夏至、冬至、春分、秋分、立春、大寒は馴染み深いですが、「清明」とか「芒種」はなかなか耳にすることがない気がします。
日付は閏年などで1日ずれることはありますが、だいたい毎年同じ。
もうひとつ「雑節」も季節を示す用語ですが、こちらはどれも聞く機会が多いです。
「節分」「夏も近づく八十八夜」「土用の丑の日」。
「半夏生(はんげしょう)」はここ数年、よく耳にするようになりました(気付くようになった?)。
その他それぞれの意味については、同じく国立天文台のこよみ用語解説のページで。
気象変動のせいか、春や秋が短くなって「二季」などと言われますが、二十四節気や雑節を意識して季節を感じることも大事かなと思っています。
日本バイクオブザイヤー2025表彰式

12月14日に日本二輪車文化協会主催の第8回日本バイクオブザイヤーの表彰式に出席してきました。
ここ数年はニューモデルの登場が少なく、選考に苦慮されていることと思います。
しかしこの賞は、今回から経済産業省の後援を受けるなど、各省庁や国会議員をはじめとする政治家からのご支援(今回は高市早苗総理からも祝電が届いていました)、さまざまなジャンルの著名人による選考委員会といった、各界に強いパイプを持つ一般社団法人日本二輪車文化協会・吉田純一会長のこれまで二輪車業界を陰で支えつづけてきた活動の結晶とも言える賞でもあります。
このような賞ですから、単純に「いちばん売れた」「人気があった」というだけではない、意義深い賞であると私は思っています。
日本バイクオブザイヤー2025 大賞に輝いたのは、ヤマハXSR125でした。
大賞をはじめとした各賞受賞車両についてはこちらでどうぞ(→ 第8回 日本バイクオブザイヤー2025 受賞結果)




AJ(全国オートバイ組合連合会)の懇親パーティー

11月27日に、全国オートバイ組合連合会(AJ)の懇親パーティに行ってきました。
この日の直前に、国交省がAJを招いて、高速道路の料金区分で、軽自動車と二輪車を分けることについて審議会が開かれたとのことで、二輪車の高速料金値下げについてまたひとつ大きく前進したようです。
大村会長からは、沖縄の二輪車規制解除のこと、新原付のことも含めてお話がありました。
たくさんの国会議員の方も来られていました(高市首相からは祝電も来ていたようです)。
古谷さんとは古いお付き合いの吉田前会長をはじめ、大村会長、宍野管長(オートバイ神社第零号)ほか、業界関係の方々としばし歓談。
The Good Times としても、二輪文化を伝える会としても、AJの活動は「伝える」べきものと思っています。
- 全国オ協同組合連合会「第22回通常総会」で議案可決 大村会長、二輪「高速道料金」見えてきた – オートバイ流通新聞
- 【朗報】「バイクの高速料金値下げ」は近い!? 国交省審議会が初めて二輪業界団体にヒアリングを行い、実態を調査 – Webike +


カワサキの赤とグリーン
★ カワサキはエンジンの専門メーカーではあったが、二輪は素人と言っていい段階からスタートした。
スタートの年に鈴鹿サーキットが出来て、日本で初めてのロードレースが開催され、
それを観戦した製造部の連中が、カワサキもレースをとスタートしたのがモトクロスの始まりである。
その時のレーサーのタンクが赤に塗られて、『赤タンクのカワサキ』の時代がスタートした。
別に会社の決済などはなくて、自然に発生した『赤』だった。

日本市場からのスタートだったが、1960年代末ごろには、アメリカ市場がメインとなり、デイトナ200マイルレースに出場するに当たって、当時の現地のアメリカ人が『ライムグリーン』のレーサーを出場させたのである。

この『ライムグリーン』も会社の決済など受けていない。
当時私は国内の広告宣伝とレースを担当していたが、この分野の経験者は皆無で、
全般に会社の決済などなしに、何となく何事もやれた『いい時代』だった。
当時の日本でもロードレースに出場したが、金谷秀夫が乗りFISCOを走ったそのロードレーサーは赤だった。

当時、モトクロスにはホンダは出場していなくて『赤タンクのカワサキ』は、
モトクロスレース時代だったのだが、
ロードレースの世界では、ホンダのレーサーのタンクが赤だったので、レースを担当してた私は『まずいな』と密かに思っていたのである。
そんなとき、アメリカでのレーサーが『ライムグリーン』で登場し、
製造部と広告宣伝課で担当していた『レース』も技術部に移管されたのである。
技術部では『レース』を百合草三佐雄さんが本格的に担当しカワサキのレーサーは『グリーン』となったのである。

更に、レーサーだけにとどまらず、
市販車にもグリーンが多く使われるようになって

カワサキの赤とグリーンは、カワサキの二輪事業の初期のこんな時代を経て、グリーンに定着することになったのである。
そんな初期の時代が懐かしいなと思っている。
草抜き
★ 閑ですることもないので、庭の草抜きをした。
結構手入れをしているので、一見すると草など生えていないように見える。

ところが、大写しするとこんな具合で、小さな草が生えている。

それを抜いたらこれ位採れた。

普通はこんなのは草抜きの範囲に入らないのかも知れない。
この一画、草や落ち葉があったので、拾ったり抜いたりしたら、

これくらいにはなった。

ずっと奥の方もこんなになってたので、
草を抜き、ごみを拾って綺麗にした。

1時間ほど掛ったが、『自己満足』の範囲で、庭にそんなに変化などない。
時間がいっぱいあるので、暇な時にはこんなことをして時間を潰している。
晩秋の三木山自然公園もみじ谷
★ 毎年のことだが、私の『紅葉狩り』は三木山自然公園の『もみじ谷』と決めている。
公園全体が秋の雰囲気だが、

『もみじ谷』界隈は自然に生えたもみじがいっぱいで独特の雰囲気なのである。
やはり自生のもみじの雰囲気はいい。

谷に沿った道を上っていく。

毎年来るのだが、何度来ても素晴しい。

ずっと登り道が続いて、92歳にはちょっときついが、

登り切って、上の広場に出るのだが、
そこも秋の雰囲気だった。

『来年、来ることが出来るだろうか』
確か、去年も同じことを想った。
車を止めたところまで、ぐるっと1周・3300歩のいい散歩だった。













































































































