早食いの習慣
投稿者 : rfuruya
★ 昨日、家内がこんな新聞の切り抜きを、私の横に置いて行った。
「早食い」の習慣、高い肥満度 という見出しでいろいろと書いている。
確かに『早食いは太る』というのは間違いなく、
89歳だが、私も82kgと太っている。
理屈は解っていても『治らない』のである。
いつも口うるさく言われていることなのだが、
『新聞にもちゃんと書いてあるでしょう』ということなのだろうが、
そんな理屈は解っていても、永年の習慣は治らないのだと思う。
★もう何十年も前の昭和の時代の話だが、
会社の昼食は今のように立派な食堂ではなくて、
みんな一律に同じ弁当が配られていた時代があった。
その弁当は、何度も使えるように金属の入れ物でできていて、
通称『かんかん弁当』と称していたのだが、
みんな一斉に食事を始めても、
当時の中堅社員であった『昭和一桁の連中』が揃って早く食い終わるのである。
私は『昭和8年』だが、早生まれだから『昭和9年』の人たちと同学年だが、
この世代は、終戦の年・昭和20年が中学1年生で、
戦時中も食糧難であったかも知れぬが、戦後数年間の食糧難はホントにひどかったのである。
ちょうど食い盛りの中学生の時代がひどくて、
食い物もなかったし『ゆっくり食う』などのゆとりなどなくて、
早く食わねば、食うものがなくなるというような、考えられない時代が3,4年続いて、
その時期『食い盛り』だった世代が『昭和一桁』なのである。
そんな戦後の食糧難も昭和25年(1950)ぐらいには収まったので、
同じ昭和生まれでも『昭和二桁の世代』はそんな経験が少ないのだと思う。
だから、我々世代・昭和一桁の世代は総じて『早食い』なのである。
そんな時代があったのだと言っても、よく解らないのだと思う。
家内は『昭和12年』なのだが、
兎に角、全然育った時代が違っていて、
中学・高校の授業の内容も違うし、全くの戦後派で、
昭和一桁の戦中派とは違っていて、当然『早食い』などではないのである。
そんな『昭和一桁』の世代も、全く少なくなってしまって、
こんな話をしても、なかなか理解してもらえない時代になった。
そういう意味では『貴重な話』だと思ってご一読下さい。
川崎重工の社員とその家族だけでも、避難先と食料の確保を、無駄なく事業展開に組み込み、余力で、子供たちだけでも、救える事業展開を為さる事を強く御勧め致します。国内が機能不全に陥っても、企業力が失われない体制作りが出来れば、尚、安心だと考えます。世界に慈善農園と、クラシック音楽やスポーツ慈善教育を組み合わせて、先駆けとすると後進の育成を兼ねた途上国の社会基盤強化にも貢献出来ると思います。