私のアーカイブス・定年後 その8
投稿者 : rfuruya
★2008年は75歳、今から13年前のことなのだが、
若し日記やブログがなかったら、
その年に何をやってたかなど「全く解らない」
何となくいろいろと覚えてはいるのだが、
若い時代と違って、その「あとさき」は全然覚えてはいないのである。
そういう意味では、日記を書いていたり、ブログをやったりして
その記録が正確に残っているのは有難いことである。
★ この年は「ミニSL]で始まって「ミニSL」で終わった年とも言えるのである。
鉄道マニアの福井昇くんから私に「神戸臨港線を復活できないか」というトンでもない話が舞い込んだのだが1月半ばのことで、
これは流石に実現の可能性はないが「ミニSL」なら何とかなるのではと、
川崎重工業会長の田崎さんにその話を持ち込んだのが1月末だった。
田崎さんはすぐ動いてくれて、
翌日神戸副市長にメリケンパーク広場をお借りできないかと申し込んだら、
すぐOKになったのが始まりなのである。
メリケンパークとは、カワサキワールドのすぐ前のこんな広場なのである。
そして、11月にはこんな「ミニSL」の走行会が実現したのである。
ミニSLに跨ってるのは「言い出しべえーの福井昇くん」である。
ひょんなことから始まった「ミニSL」だが、
スタート当時は私も田崎さんも参加して「ミニSL」楽しんでいる。
そして「ミニ鉄道フェスタい in 神戸メリケンパーク」と銘打った
カワサキのイベントとして定着しているのである。
ほんとにひょんなことから、ひょんなことになるものである。
★ 振り返って調べてみたら2008年はこんな年なのである。
何だかイベントが続いていて
三木市役所の若いメンバーや、三木の登山さん、新井さん、草間さんなど
それに山本隆さんなども加わって、
こんな三木のこどもたちとの「どこ竹の竹とんぼ教室」を
三木山森林公園で開催したのもこの年の4月のことなのである。
「どこ竹の竹とんぼ・雑感日記」 と画像検索すると
こんな写真がいっぱい現れるのである。
そして、それがこの年の4月だったことも解るのである。
あの肥後守の永尾元佑さんもまだお元気で、特別参加して頂いたのも懐かしい。
このイベントのお陰で、地元三木のいろんな方たちと出会うことになって、
私にとっては「新しい世界」に出会ったと言っていいのである。
★ 若いころには、毎日のように会っていた山本隆クンだが、
その後ずっと疎遠になっていたのを、
何故かこの年から、また頻繁に会うことになった。
名阪スポーツランドであったモトクロスにも誘われて
一緒に出掛けているのだが、
こんな人たちに出会って、VIP待遇でこんな特等席でレースを見ることが出来たのである。
現役時代から何かと関係のあった名古屋の「斎藤昇さん」とは
直接お会いしたのはこれが最後になってしまったのである。
★ 夏にはアメリカに行った娘が遊びに来て
7・8月と2か月も滞在している
次男の真也が小学6年生、哲也が2年生の頃だが、
2年生の哲也は6年生と変わらぬくらい大きいのである。
樋渡啓祐武雄市長に頂いた「がばいばあちゃん」の大人のシャツが気に入って、
このシャツはボロボロになるまで着続けたのである。
そんな3兄弟も13年経つとこんなに成長するのである。
ひときわい大きいのが末弟・門野哲也なのだが、
何故、一人だけこんなに大きくなったのだろう?
突然変異だとしか、思えない。
上の二人が小さく見えるが、これが普通なのである。
こんな13年前の2008年、私は75歳だったのである。
孫たちは見違えるほど変わっているのに、
私はさほど変わってはいないのである。