カワサキバイクマガジン新年号
投稿者 : rfuruya
★先日取材を受けたカワサキバイクマガジンの新年号が送られてきた。
今回は「川重事変」と称して
カワサキの単車の創成期の出来事から現在までを繋いだ内容になっている。
それはこんな内容になっていて、
私の知っている仲間たちもいっぱい登場する。
そんな中で、特に個人的に親しく今もお付き合いのある方も沢山登場するので、
ご紹介をしてみよう。
まずは山田浩平さん、今はニンジャH2Rの開発者として有名だが
若いころは X11 の開発担当をしていて、
そのころいろいろとサーキットなどいろいろ面倒をみたので、
そんなことからのご縁である。
今でもFacebook の友達で「いいね」など頂いている。
ここでは二輪開発について彼独特の熱い想いを語っている。
百合草三佐雄さんも登場する。
若いころ250ccA1の開発やレースなども担当したのだが、
ここでは、もっと若いころの「メグロとの関係」を語っている。
私も百合草さんがメグロ工場に出張していたなど、初めて知ったのである。
メグロから来た北見紀生さんも登場する。
北見さんは私が東京営業所の所長を兼務してた時のサービス工場長だった。
その頃から独特の個性で面白かった人である。
こんな写真も載っていたが、
このトラックの後ろに立っているのは、
間違いなく、当時の神戸営業所の営業だった「渡部達也」さんである。
旧い写真では、もっと旧い旧明発時代の「平井稔男」さんの
若いころである。
お二人とも、今でもお付き合いが続いている仲間たちなのだが、
当時はこんなに若かったのである。
因みに、平井稔男さんは、私と同い年で、
カワサキの国内営業の最古参であることは間違いないのである。
★ 取材を受けた「私の関係」の記事も6ページに亘っていて、
結構、詳しく昔のことが語られているので、
ご関心のある方はぜひお読みになればと思う。
SPA直入のことにも触れられているし、
30年前の私の担当時代に創られた、KAZEについては
2ページに亘っての記事となっている。
これは大阪の特約店制度の記事の中で使われている
当時はまだ「伊藤モータース」と称してた現在の「株・忍者」の展示会風景と
当時のお店の写真なのである。
旧い写真と言えば、
これは間違いなく昭和35年(1960)当時の60年も前の写真だが、
明石工場も建物など少なかった時代に、テストコースだけは作られていたのである。
「単車製造準備室」は昭和34年頃の話で、
私も入社3年目ぐらいだったのだが、資材の方に熱心に誘われたのだが、
当時は財産物件の減価償却のIBM化に取り組んでいる最中でお断りしたのを思いだす。
私が新設された「単車営業課」に異動したのは昭和36年11月のことなのである。
当時はまだ明発を引き継いだ「カワサキ自動車販売」が国内市場を担当していた時代で、そのメンバーの殆どが明発とメグロの方たちで
社長・専務だけが川崎航空機工業籍だった時代で、
新設された単車営業課はその「カワサキ自動車販売」に出荷・販売していたのである。
その時代の営業を語れるのも、ホントに私だけになってしまったのである。