開発途上国・市場開発プロジェクト その1 自分史
投稿者 : rfuruya
★ 1975年10月に10年間の国内市場出向を終わって、
私は発動機事業本部企画室企画部課長として復帰したのである。
その当時のカワサキの二輪事業ががどんな状況だったのか?
あれだけ好調に推移してきたアメリカ市場にも陰りが見え、
ホンダがロードパルなどを出すなど業界は『小型車ブーム』の時代であった。
大型車のカワサキなのに、なぜかこの時期だけは、
『CMCプロジェクト』というプロジェクトがあって、
『CMC』とはCompact Motor Cycles という文字通りの小型車プロジェクトなのだが、
5年後の1980年に55万台を生産・販売しようというもので、
生産部門を中心に検討が進められていて、
川重の吉田専務が大乗り気で推進が図られていたのである。
76年1月には『発本戦略』の立案を指示されるのだが、
その中の中心課題が『小型車問題』だったのである。
★その発本戦略は私のグループの担当で、基本的に思っていたのはこんなことだった。
● 既に立案されている『CMCプロジェクト』などダメだと思った。
● 仮にそんな車が造れてもカワサキにはそれを売る販売網などどこにもない。
● ただ、もう進行中のプロジェクトで吉田専務も気に入っておられる計画だから露骨にダメだなどとは言えないのである。
● 『小型車』はそのまま生かして、開発途上国のCKD市場の小型車でスタートしようとしたのである。
● この小型車は同じ小型車でも、100㏄前後のオートバイタイプでCKDだから基本的に明石での生産投資は不要である。
● 中大型車と違って、結構数も読めるはずである。
そんな仮説からのスタートだった。
★既に纏められていたCMCプロジェクトの内容は、
最新鋭の生産設備で、大量に低コストで生産するというもので、
安くいいものができるから『どんどん売れる』という発想で、
全く市場のことは抜け落ちた『とんでもない』ものだったのである。
企画室に戻って半年目の3月には、私自身の意見も言えるような環境になったので、
同じ小型車だが開発途上国へのCKDプロジェクトをスタートさせようと、
企画室企画課からの『小型車に対する考察』という一文を起案したのである。
当時はみんな自筆の計画書なのである。
誰の援けも借りずに私独りの発想だが、25ページにも亘る結構な大論文だったのである。
冒頭にはこのような記述から始まっている。
要は
1.事業本部内に於ける『小型車の基本認識』の統一
2.今後の小型車検討の『方向づけ』
を明確にすべく、その中に開発途上国へのCKDプロジェクトを
明確に含めることを目論んだのである。
これは『搦め手(からめて)』からだが、
5年後と言わずすぐにでもスタートできるので、まずは『市場調査』をと思ったのである。
この論文は当時の塚本本部長・青野副本部長・堀川企画室長の評価も高く
このような市場調査メンバーが決まったのである。
団長には髙橋鐵郎さん
副には安藤佶朗さん、このお二人はかってのレース仲間だし、
山辺さんは私と同期、国内販売からは松田さんに商品企画の川崎さんという
非常にいい『メンバー構成』となったのである。
その調査団は、4月末から約1ヶ月
台湾-タイーインドネシヤ―イランーマレーシヤーフィリッピン
の各市場の末端まで視察したのである。
★ この年1976年、43歳の時である。
それまで海外はアメリカ市場の見学に一度だけ出たことはあるのだが、
『自らの仕事』出海外出張をしたのは、初めての経験であった。
同じ小型車のバイクを取り扱ってはいるのだが、
タイ・インドネシア・イランなどそれぞれの国で全く『商売のやり方』が
異なるのである。
タイは農村で客が逃げることは考えられないので、バイクは質草みたいなもので長期月賦でその金利収入が目当ての売り方に対して、
インドネシアは同じ華僑なのだが、ここは全て『現金商売』だし、
当時は未だ王政時代のイランでは。
まさにペルシャの商人で、価格というよりは『どんな払い方』なのか、
その決済条件によって売値が違うのである。
こんないろいろな世界も見れたし、大いに勉強になったのだが、
『CKD事業』は間違いなくカワサキにとっ『成算あり』と結論し、
そのような出張レポートを纏めたのである。
★ 単車業界はその競争は熾烈なのだが、
当時のCKD市場は各国で生産機種数や、現地出向者の数が制限されていて、
後発のカワサキにとってみれば、『競争条件』を各国が緩めてくれているようなものなので、
自国生産の部品もあるので、日本から輸出する部品を決めればいいのである。
このプロジェクトが3月に起案、5月現地調査、
そして10月には『市場開発プロジェクト室』がスタートし、
高橋さんが室長を兼務され、私は企画からその主務として異動することになるのである。
『古谷は企画といういいポジションに移れたのに、自ら飛び出した』
などと言う人もいたが、
確かにその通りではあったが、『新しい仕事』はなかなかオモシロいのである。
いろんな話があるので、何回かの連載でこのプロジェクトをアップしてみたい。