2021年1月15日

私と田崎さんの人事を決めた方たち

投稿者 : rfuruya
★、昨日・一昨日と2日続けて、田崎雅元さんから電話があった。
 電話と言ってもちょっと普通ではなくて、
 2日間で『延べ5時間』ぐらい電話で喋っていた。
 ホントか?と思われるだろうが、ホントである。
 田崎雅元さんは川崎重工業の社長・会長を歴任しているのだが、
 私との電話は、ずっと昔のお互い若かった20歳代の頃と同じように、
 今でも喋っているのである。
 田崎さんは入社は私より1年あと、年は2つ下なのだが、
 初めて会った1962年以来、カワサキの単車事業でずっと密接な関係があったので、
 電話の中身は脱線することなく今でも、『カワサキの二輪事業』のこといろいろなのである。
★ 私は現役時代、カメラは持たなかったので写真はないが、事業の記録はきっちりと持っている。
 田崎さんは写真もいっぱい持っていて、いろんな写真を私に送ってくれるのである。
 昨日もこんな写真を送ってくれた。
 1990年代半ばの国内販社のデーラーミーテングだが、
 岩城滉一が来てたのでその記念撮影なのである。
 大庭浩さんは既に川重社長だったが、田崎さんも社長、髙橋鐵郎さんも
 後、副社長になられるので、所謂『エライさん』ばかりなのである。
   
 大庭さんも初めてお会いして密接な関係があったのは、
 二輪事業本部長時代の常務の時だし、
 高橋さんとも創生期のレース時代からだから、係長時代からのお付き合いなのである。
 私と田崎さんが密接な繋がりがあったからだと思うが、
 田崎さんが送ってくれる写真は、私にとっても懐かしい人ばかりである。
 岩城滉一さんも90年代に7年間ほど、カワサキとは密接に繋がっていた。
 田崎さんとは、そんな『共通の想い出』があるので、
 5時間も途切れることなく電話が続いたりするのである。
★ 田崎さんと一緒に写っているのは
 川崎重工業副社長 山田熙明さんである。
 山田さんは単車の技術部におられて、
 部長時代にレース運営委員会の委員長をされてて、
 委員には田崎さんもいたし、私が事務局長だったので、
 副社長になられてからも、KMCにはよく来られていた。
 私は神戸一中の後輩だということで特に目を掛けて頂いたのである。
 
 これらはみんな田崎さんが私に送ってくれたものだが、
 よく考えてみると
 この写真に登場する方たちが、『私と田崎さんの課長以降の人事』に
 関係した方たちであることは間違いないのである。
 それはカワサキの二輪事業の歩みと密接に関係があって
 『私と田崎さん』は課長時代からその中枢にいたのである。
★ 話のスタートは1978年にアメリカでハーレーが起こした『ダンピング訴訟』で、
これは日本の4メーカーに対するものだったのだが、
この『ダンピング対』を担当したのが課長時代の田崎さんなのである。
 別にアメリカ市場で安売りなどはしていないのだが、
アメリカ市場での『経費率以上のものは認めない』という規定があって、
国内市場で『カワサキオートバイ販売』というカワサキだけがひとつ多い流通段階を持っていたために、
このままでは『カワサキだけ』がダンピングになってしまうという状況で、
カワサキオートバイ販売』をどうするかという具体的対策が必要だったのだが、
この具体的対策が川重本社も絡んで対策案を起案したのだが、なかなか上手くいかないのである。
 本社も事業部も困り果ててしまって、
突然、当時の塚本本部長に呼ばれて『私に対策案を作れ』という指示があったのである。
私自身はそれ以前にカワサキオートバイ販売に10年間出向していて、
その実態はよく解っていたのだが、当時の『カワ販のトップ人』にも関わる問題なので、
古谷にやらすのは気の毒だ』と気を遣って頂いていたのだが、
どうしようもなくなって、事業本部長からの直接の指示となったのである。
 そんなことから、約1ヶ月掛って小さくした『新カワ販案』を創り、
 本社の財務本部の了解もとれたのである。
 当時の本社財務本部長は堀川運平さんで、私が単車企画に復職した時の企画室長でもあったことから、
古谷君が1ヶ月も掛かって創った案ならそれに乗りましょう』とOKして頂いたのである。
この案は『カワ販本社』を10名くらいの小さなものとして、形では残したのだが、
この最終案を当時の髙橋鐵郎部長が当時の財務担当役員の大西常務に説明に行ったのだが、
 大西さんから『このカワ販は実際は誰がやるのか?』という質問があって、
 高橋さんが『古谷が川重の営業から旗を振ります』と答えたら、
 『それを常務にせよ』という指示があって、私は突如、当時の大カワ販グループの常務となったのである。
★この問題が解決した後も、HY戦争がアメリカ市場に飛び火したりしたこともあって、KMCの経営危機となるのだが、
その赤字が巨大で川崎重工本体も無配に陥ってしまうのである。
その対策には川重本社も乗り出して大変なことになっていくのだが、
そのアメリカ市場対策に私や田崎さんの名前が出たりするのだが、
私は『カワ販常務』となっていたので、髙橋・田崎コンビでKMCを担当することになったのである。
本社は何百億円の資金手当てをするのだが、KMCの赤字は止まらないのである。
 当時のKMC対策委員長を専務の山田熙明さんがやられていたのだが、
1982年7月1日に山田さんから突然呼び出しがあって、
KMCの赤字は止まると思うか』と仰るので、『それは止まるでしょ』と
お応えしたら、
お前が企画に戻ってやれ』ということになり、82年10月から企画部長に戻ることになるのである。
当時の川重には販売会社の第1線の経験のある人がいなくて、具体的な対策が立てられなかったのである。
 カワ販常務の人事も、この時の人事も事業部の上司ではなくて、本社の専務の指示で動いているのである。
 さらにはこの人事にはおまけがついて、私が企画部長は引き受けるが企画室長に『髙橋鐵郎さんを』と条件を付けて、
問題もあったのだが高橋さんはKMCの会長から企画室長に戻られることになったのである。
その時に、山田さん曰く『KMCを田崎ができると思うか?』と仰るので、
田崎さんとは1年違いだけなので、田崎さんがKMCをできないなら、私が企画などは出来ません。』と言ってこの人事は成立したのである。
私が企画室長に髙橋鐵郎さんをお願いしたのは、
具体的な実行案は作れるが、それを全軍に指揮するのは『新参部長』では荷が重くて
髙橋鐵郎さんの旗振りが必要だったのである。
その翌年の83年7月には大庭浩常務が再建屋として単車事業本部長に赴任されるのだが、
その時点では既に全世界の販社の健全経営の目途はついていたのである。
大庭さんは、ズケズケ本音でモノを言う単車事業を本当に気に入って頂いて、
来られて3か月後の10月には『単車は思ったより確りしている』と言われている。
 そしてあれだけ問題だった単車事業の再建が成って、
 1986年には川重副社長で本社に戻られたのである。
 このカワサキの単車の危機は、すべてが第1線の販売会社の経営問題だったので、
 その対策については大庭さんは殆ど私に任せて頂いたのである。
 現役当時『私の言うことを一番聞いて頂けた上司は大庭さ』である。
そんなことで、大問題であったKMCも私と田崎さんコンビで結構上手くいったのである。
それは営業問題というよりも『営業外対策』としての資金繰り問題であり、
企業のバランスシート対策だったので、最初にちょっと教えたのは私だが、
技術屋さんは勉強しだすとどんどん詳しくなって、
当時、KMCの社長をした田崎雅元さんは技術屋さんなのだが、
この時期の担当で、事務屋以上にバランスシートがよくお解りなのである。
後、川崎重工業の社長を担当されるのだが、
これはあまり言う人は少ないが、川重のバランスシートの内容が、歴然と改善されたのは、田崎雅元社長時代なのである。
★ その後の私や田崎さんの人事は、間違いなく『大庭ー髙橋ライン』で決められているのだが、
 私は大庭さんが、川崎重工で初めての『事務屋の技監』にして頂いて、
 国内販売を担当し『7万台の販売目標に挑戦』することになったのである。
 こうして振り返ってみると、私も田崎さんも、
 課長以後は、川崎重工のトップの方々との関係が密接に続いたのである。
 大赤字がまだ残っている時代に、KMCの新社屋建設には反対論も多かったのだが、
 当時の大西副社長がわざわざ現地まで足を運んで応援して頂けたのは、
 それなりの『信用』があったからだと思うのである。
  
    
 大西さんは、私を『カワ販常務』に指名されたのだが、
 当時は毎月直接、大西さんに報告していたのだが、
 運よく『FX400』などが出て10億近くあった赤字が解消するなど、
 当時の『カワ販』は抜群の信頼があったのである。
 後、大庭さんが単身単車に来られる時には、
 大西副社長は、髙橋鐵郎さんと私をわざわざ呼ばれて
 『大庭くんをよろしく頼む』と仰ったのである。
 大庭さんが単車におられた3年間、髙橋鐵郎さんは本当によく尽くされたと思うのである。
★ こんな話が、田崎さんとは共通の話題としてあるので、
 昔話は切りがないし、
 今のカワサキの二輪事業も、今回は川重からの分社問題もあって、
 いろいろと気になることも多いのである。
 私は兎も角、田崎さんは今でも川重中枢とは繋がっているので、
 こんな田﨑さんとの雑談も、ひょっとすれば、ひょっとするかなと
 思ったりしているし、
 何の役にも立たないと思うなら、電話など掛けてこられないだろうし、
 雑談だが、なかなかムツカシイところもあるようにも思う。
 お互い80代になってしまって、昔のように声を掛けてくれる上司など
 おられないのである。
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