雨上がりの日曜日
★ 雨上がりの日曜日、何日ぶりかで三木総合防災公園を1万歩歩いてきた。

2月半ばだが梅林の梅のつぼみも何となく膨らみかけている。

春ももうそこまで来ていると言っていいだろう。

1万歩は私の足ではほぼ2時間掛かる。
気温は6℃だったが汗ばんでセーターも脱いで歩いてきた。
家に戻って風呂で汗を流したら、こんな時間になった。
昼からは駅伝もあるし、阪神―広島のオープン戦のテレビもある。
春ももう近いのかなと言う季節になった。

★ 雨上がりの日曜日、何日ぶりかで三木総合防災公園を1万歩歩いてきた。

2月半ばだが梅林の梅のつぼみも何となく膨らみかけている。

春ももうそこまで来ていると言っていいだろう。

1万歩は私の足ではほぼ2時間掛かる。
気温は6℃だったが汗ばんでセーターも脱いで歩いてきた。
家に戻って風呂で汗を流したら、こんな時間になった。
昼からは駅伝もあるし、阪神―広島のオープン戦のテレビもある。
春ももう近いのかなと言う季節になった。
★ 今日は午後から有馬温泉に一泊旅行に行くことになっている。
家から東に殆ど一直線の立地でクルマで1時間は掛からないぐらいの距離である。

『有馬温泉 六彩』と言う南の山の麓にある結構大きなホテルのようである。
神戸からも近いし、有馬温泉は現役時代からいろいろとお世話になった温泉地で、行った回数はやはり一番多いのだろう。
今回は3年振りの有馬である。

昨今は温泉などは無縁なのだが、
アメリカから娘が日本に来ると一緒に温泉に行くことになっている。
世界中に温泉はあるのだが、やはり温泉と言えば『日本の文化』なのだろう。

★ 現役時代は北海道・東北は札幌・仙台に6年もいて、
出張の機会も多かったのだが移動はすべてクルマだったので、
青森・盛岡・秋田・山形・福島・宮城の各県の間にある地方の温泉地にはよく泊まった。
温泉と言っても市内のホテルと変わらない代金だった。

よくテレビに出てくる青森の酸ヶ湯温泉など何回泊ったか解らないほどよく泊まったので、
この大浴場は懐かしい。

九州の温泉もSPA直入の直入が温泉地だったし、
阿蘇近郊の温泉にもよく泊まっている。
そうい意味では結構な現役生活だったと言っていい。
★ 阪神淡路大震災から30年である。
テレビでもいろいろと当時のことを映し出しているが、これは本当に大災害だったのである。
その年の日記を読み返してみた。
1月17日の日記にはこのように書いている。
6時少し前、大地震、約1分ほど家が倒れるのか。これはスゴイ、本当にこれは地震なのか。 地震とは別の爆発か何か別のものではないか?短い時間の間に思った。・・・
と書いている。所謂『地震』とはちょっと違った、経験したことのないような揺れだった。
幸い神戸の隣町の三木では家の倒壊などはなかったが、
停電になってしまって、神戸のことなどは全く解らなかったので、
いつものように、明石の会社までクルマで出勤している。
途中の信号は停電でついていなかった。
事務所は散乱していたが、大きな被害はなし、新車倉庫のバイク600台が転倒していた。
★ 10時過ぎだったと思うが、電気が通じてテレビを観て、
神戸の状況が写って、そのすさまじさにびっくりした。

一番日ビックリしたのは高速道路が倒れてしまったことである。
家は兎も角、こんな構造物が倒れるとは考えられなかった。

★ 幸いJRは何とか大丈夫だったが、
幹線道路がみんなやられて、国道2号線なども通行止めになった。
そんな状態だったから、バイクを寄贈しようと県に電話したら『寄付申請をしてください』などと言うのでびっくりして、
明石警察の知った方に言ったら現物を直接受け取って頂けたので、確か30台ほどのバイクを寄贈した。
道路が大変だったので役に立ったと喜んで頂いて、特別の『道路通行許可証』など頂いたりした。
一般車はあちこちの道路が通行禁止で大変だったのだが、
この許可証は本当に役に立ったのを覚えている。
一般にバイクは本当に役に立ったのである。
バイクのオーダーが急増して月末にはバックオーダーが2000台にもなったと、これも日記に書いている。
伊丹空港は飛行機は飛んでいるのだが、空港に行くのが大変で、
三木からタクシーで三田まで行き、そこからJRで伊丹まで行ったりした。
兎に角、海岸方面は全く通れなかったのである。
★ あんなにひどかった神戸の街も30年経つと
特にひどかった長田区辺りは、昔よりは数倍立派な街になって復活しているのだが、
人間の記憶はそんなにいろいろとは覚えていないものである。
日記を読み返してみて、いろいろと当時のことを想いだしたりしたのである。
The Good Times 創設者の古谷さんが、ブログで初詣と神社について書かれていたので、それを受けて。
→ 柏手 雑感 – 雑感日記
初詣にはもう行かれましたか?
それは、神社ですか? お寺ですか?
私自身は、ごく一般的な日本人的宗教観で、神社にもお寺にもお参りするし、なんなら幼少の頃は教会の礼拝にも行っていました。
葬式は仏式ですが、子供のお宮参りや七五三もやりました。
新年を迎えて、初詣に行かれる方が多いと思いますが、神道とか仏教とかあまり気にせずにお参りに行ってる人も多いのではないでしょうか。
自分もそんなタイプなこともあり、神道と仏教の違いが曖昧なことが結構あったりします。
鳥居があれば神社、仏像があるのは寺院くらいはわかりますが、観音様って? お地蔵さんは? 門松は? 鏡餅は? 御朱印は?
意外と即答できないものです。
〇〇神社、〇〇神宮、□□寺、□□院とか、名前を聞けばある程度は判断できます。
仏像、大仏があるのは、「仏」が付いているので仏教寺院とわかります。
では、観音様、お地蔵さん、狛犬、お稲荷さんは……? だんだん怪しくなってきます。
門松、鏡餅、お祭りは?
ちょっと調べて確かめながら、次回つづきを書いてみたいと思います。





明けましておめでとうございます。
昨年は、NPO法人の事務所の移転・所轄庁の変更のほか、事務的なことを優先したため、「The Good Times 良い時を過ごす」ためのことがあまりできなかったのですが、今年は昭和100年にあたることもあり、古谷さんをはじめ諸先輩方の足跡や体験談などをお聞きしつつ、異種・異質・異地域の人をつないで、Good Times を共有できればと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。
(まつしま)

ブログやSNSを使って発信したいことは山ほどあるのですが、どうにもうまくまとめることができないのが悩みのタネ。
そこで、最近その進歩と精度の向上が目覚ましい人工知能(AI : Artificial Intelligence)を活用してみることにしてみました。
「ChatGPT」は、会話型で文章を書き出す生成AIの代表格ですが、ChatGPTでどんなことができるのかをざっと説明しようとするのは案外難しい。
そんな時にこそ生成AIを使うのが今風ですね。
ChatGPTについてを、ChatGPTに聞いてみました。

ということです。
ちょっと前までは、キーワードを使って検索して、たくさんの検索結果から端的にまとめられたページをいくつか見つけ出し、それをさらにまとめて要約して…。
これでも20世紀に比べたら格段に調べ物が楽になったのですが、生成AIの進化はそれをさらに加速させた感じです。
大幅に「タイパ」が向上しますね。
「タイパ」をうまく説明できない時は、ChatGPTを使ってみてください。
当然のことながらGoogleも生成AIサービスには取り組んでいています。Googleの「Gemini」は、文章だけでなく、画像や音声も生成してくれます(まだまだ開発途中な感じですが)。
画像の生成AIは他にもいろいろとありますが、ひとまずこのGeminiで「人工知能と生成AIとチャットAIを表現した画像」で生成してみると・・・

こんな画像が生成されました。
せっかくなので、The Good Times のコンセプトから「良い時を過ごしていると感じさせてくれる写真」と入力してみるとこんな画像が。

「二輪文化を伝える会」のように、「文化」といった非常に曖昧で広範囲な意味を持つ言葉については、自分自身の理解も、他人への説明も難しいのですが、これらのAIを使うことで、うまく表現させることができそうです。
そのことについてはまた。
★ 先日来「ばね指」だと言われていたのだが、
ストレッチをするようにと言われて、毎日延ばしたりしていたのだが、
もう一つよく解らなくて、近くの整形外科の先生に聞きに行ってきた。
親指がばね指になっていて、曲げると「かくかく」するのである。
その周辺のストレッチをやっていたのだが、
先生に聞くと親指を曲げて「かくかく」言わすのはダメなのだそうである。
こんなテープと塗り薬を貰ってきて、

このテープを巻いて親指が曲がらないようにして、
その周りに「塗り薬」を日に3回ぐらい塗って、
そして周辺のストレッチをやればいいよ言う。

そして、病院で10分ほどの電気治療をして戻ってきた。
親指を曲げて「かくかく」言わないように成れば完治だと言うのだが、
果たして「治る」だろうか?
先生は、「電気治療を並行してやると早く治るので、毎日いらっしゃい」と仰る。
そんなことで、毎日通ってみることにする。
治ればいいのだが・・・
2024-09-24 16:09:29 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
★今朝の水温は18℃だった。
昨日まで卵を産み続けてきたのだが、今朝は卵を抱いていなかった。
9月24日、今年も「メダカの季節の終焉」である。
例年は9月になると卵を産まなくなるのだが、今年は猛暑で昨日まで産み続けた。
そなことで鉢の水を替え、ちょっとだけ残っていた今年のメダカも鉢に入れた。

小さなメダカがいるのがお解りだろうか?

何とか食べられずに生き延びることを願う。

今まで生まれたメダカは数えきれないぐらいだが、
小さな池だが、池に入れた。

お解り難いと思うが、沢山のメダカが泳いでいる。
池には鯉も金魚もドジョウもいる。
毎朝餌をやって眺めているのが楽しみである。

今年お世話になっ入れ物も片付けた。

来年の春には、多分また始めだろう。
★ 学生時代から肺浸潤になり入社当時も空洞があったりしたのだが、
全然休むこともなく野球などもやめなかった。
入社してからも3年間休まずに勤めていたのだが、
昭和35年(1960)に診療所の先生が代わって、当時も空洞があったので「野球は止めるように」と言われていた。
夏頃だったと思うが、ユニホーム姿を先生に見つかってしまい。
その直後の血液検査で「菌が出てる」ので「入院しなさい」と仰るのである。
菌が出てたのでは仕方がないなと、この年の10月25日から
当時三田・大原にあった川重の「大原療養所」に入院したのである。
いまは無くなってしまったが、この辺りは国立の病院もあり、一大結核療養病院だった。
当時はそれくらい「結核になる方」は多かったのである。
入院してから療養所でも「菌の検査」は有ったのだが、
菌など出ていなかったのである。
「菌が出ています」は私を入院させる方便だったようだが、
今になって思うと「天の声」だったような気がする。

★ この約1年の入院は私の人生で大きな転機になった。
1年で空洞も消えてしまったのである。
当時家内と付き合っていた最中だったが、
家内はよく見舞に三田まで来てくれたし、
週に1度ほどの頻度で手紙もくれたのである。
ここに入院するまではそんな病気のこともあって、
家内とは付き合ってはいたのだが、「結婚する」と言う決断は下しきれなかったのである。
1年間の療養生活で完全に全治したこともあり、
退院後1年で結婚することになるのである。
この写真が手紙の中に入っていた。
当時はカメラは持っていなかったので、3年も付き合ったのだが、
当時の写真は手紙の中にあったこの2枚の写真だけである。

★ そして退院してから配属されたのが、
新しくスタートした単車事業の単車営業課なのである。
これが私の「二輪との出会い」になったし、
退職する1998年までの約40年間一貫して「二輪事業」を担当したのである。
いまもFacebookなどで、二輪の愛好者とは親しく関係もあるので、
「二輪車」は持っていないし乗りもしないのだが、
「二輪車」は私の一生のトモダチとなったのである。
そう言う意味でも私の人生にとって、
この1年間の療養生活は、その後の人生の核となった1年間なのでる。
こんな日記を書きだしたきっかけの一つも「長くは生きられない」と思っていたからなのに、
以来、結構元気に生き続けて今91歳なのある。
「菌が出ています」が私の人生を決定づけた一言だったと思っている。
★ 川崎航空機に入社したのは昭和32年(1957)だが、会社は戦後の中断の後再開したばかりの頃で、バイクもエンジンだけで完成車はまだ造っていなかった時代である。
いま、その頃の日記を読み返している。
私は業務部財産課に配属されたのだが、財産物件の償却計算と言う業務が毎期行われていた。
こんなタイガー計算機を使って、財産物件の償却計算をするのだが、件数が多いので大変なのである。

2年間はそんな計算業務をやっていたのだが、昭和34年(1959)9月に当時の会計機などを使っての事務機械化に取り組んだのだが、
どうももう一つで画期的なことにはならないのである。

★当時JETエンジン部門のアメリカ空軍が持っていたIBMが使えないかとその研究を始めたのが、翌月の10月のことである。
当時日本にはIBMなどはなかった時代なのだが、アメリカ空軍のJetエンジンのオーバーホールをやっていてアメリカ空軍が常駐していたので、明石工場にはIBM室があったのである。
日本のIBMの歴史を調べてみるとこんな図表が出てきた。
日本に初のIBMの設置が1958年とあり
私がIBMと出会たのはその翌年のことだから、日本の一般社会にはIBMなど存在しなかった時代のことなのである。
日本初のオンラインシステムは1965年三井銀行とあるから、
この話はその5年も前のことなのである。
そういう意味では「日本初」と言えるのだろう。
ずっと後のことだが、IBMの研修に出席して「1960年にIBMでの減価償却計算をやった」と言ったら。
「10年間違っていませんか?日本でIBMがスタートしたのはオリンピック以降です」と言われたのを想い出す。

これは単なる計算機などとは違ってIBMの大型器械を使っての計算なので、
その効果は抜群なのだが、IBMに載せるためには物件名の統一に始まって、そのコード化など非常にムツカシイ作業が要るのだが、
それをやろうということで取り組み始めたのである。
やる限りは明石工場だけでなく、本社も岐阜工場も巻き込んでの「全社統一方式」にしようと、新人社員ながら本社と岐阜工場を巻き込んでの「一大プロジェクト」にしたのである。
ホントによくやったなと思う。
翌年3月22日に岐阜工場に出張してるのだが、岐阜の係長さんが、「古谷さん、よく研究してるなと」2度も仰ったと日記に書いている。
このIBM化は川崎航空機の民需部門では初めてのことだったし今思うとよくやったなと思う。そのシステムの完成までにはちょうど1年掛るのだが、見事完成することが出来たのである。
★ これが財産物件のIBM用カードで、償却計算に必要な項目が網羅されている。
ちょっと詳細に触れると1枚のカードの桁数約100桁の中に必要項目を網羅しなければならないので、その「コード化」は大変な仕事なのである。

そしてこれがIBM室への連絡票である。

こんなカードが日記に挟まれていたので、こんな話をアップする気になったのである。
★ この結果、業務部財産課はどうなったか?
いままで償却計算のためにいたと言ってもいい女子社員を含め10名ほどの課員だったのだが、償却計算の時間が無くなって人員が余ってしまい、半減することになったのである。
その減員の中の一人が私自身で、私は新しく出来た単車営業課に
昭和36年12月に異動し、新しく始まった二輪事業の担当になったのである。
この「償却計算のIBM化」は当時の社内でも結構な話題になり、
その後の「給与計算」「会計処理」などのIBM化が進むのだが、新人ながらその教師役を務めたりしたのである。
財産課も人員が半減したが、給与計算などは大勢いた女子社員がいなくなってしまったのである。
いま改めて思うと、新人ながらこれは結構な大仕事だったなと思うのである。