2022 2月

2022年2月8日

冬眠  雑感

投稿者 : rfuruya
★昨夜はオリンピックを遅くまで見ていたので、今朝は8時まで寝ていた。
 高齢者の睡眠時間は短くなるというのだが、
 私の場合は、夜中には目覚めて小便に行ったりはするが、
 平均の睡眠時間は7時間を超えている。
 これがこの1か月の毎日の睡眠時間だが、
 昼寝をすることもあるので、8時間に近い。
 
 一般の年齢別睡眠時間は、
 年を取るごとに短くなり、65歳以上になると6時間になっている。
 
 「いい睡眠」のためには日光に当たること、適度の運動などとあるが、
 毎日、午前中に約7キロ、1万歩のスロー・ジョッギングをやってるので、
 よく眠れるのかも知れない。
★ だが昨日は、そんな毎日の運動をする気になれなくて、さぼってしまった。
 朝8時まで寝ていたので、時間が遅くなってしまったのと、
 珍しく氷が張るほど寒かったからである。
 外の水道が凍ってしまったし、メダカの鉢も氷が張った。
 そんなに寒かったので、人間も動きたくなかったのかも知れない。
 ところで「メダカ」は冬の間はじっとしていて、
 餌も食べない。メダカは冬の間は水底の比較的温かいところでじっとしていて、動かないのはエネルギーを無駄に使わないためだという。
 冬眠と言えば熊だが、何か月もの間、食事もせずに寝ていて生きてるのは、
 それなりに理由があるのだろうが不思議としか思えない。
 ただ、毎日していることを休むと、何となく1日がおかしい感じになる。
 明日からは、毎日のスケジュールに戻して、運動することにしよう。
 それにしても、地球温暖化でずっと「暖冬」が続いていたのに、
 今年の冬の寒さと大雪はどうなってしまったのだろう。
 この寒さもあと20日ぐらいだろう。
2022年2月7日

第1号メダルは銅 そして 第2号は金

投稿者 : rfuruya
北京オリンピックが始まった。
 いろんな競技が各放送局で流れるので、観るのもなかなかムツカシイ。
 日本勢メダル第1号は「男子モーグル・堀島行真選手の銅メダル」だった。
 
 たまたまテレビを観たのだが、ルールがどうもよく解らない。
 タイム得点もあって、堀尾選手はひとり23秒台で最速だったので、
 金メダルかと思ったが、銅メダルだった。
 得点方法を調べてみると、
 ターン50点、エア25点、スピード25点、計100点満点のポイント比較により勝敗を決するとある。
 どうも審判の得点がある競技はもう一つよく解らない部分がある。
 それは兎も角、堀島行真選手・メダル第1号おめでとう」である。
★そして夕方からは、アイスホッケーもあったし、
 女子モーグルの放送もあって、チャンネルの切り替えが忙しかったが、
 極めつけは 小林領侑選手のジャンプの金だった。
  ジャンプは一瞬の勝負だが、
  1回・2回の決勝を危なげなく勝ち切った。
   
 日本の金メダル第1号である。
 小林領侑選手、 本当におめでとう
2022年2月6日

人の運命と自信などいろいろ・・・

投稿者 : rfuruya
★あと1か月で89歳になる。
 そんなに生きるとは全く思ってもいなかった。
 振り返ってみるとオモシロイ人生だったと思う。
    子供の頃は、朝鮮にいて間違いなく「良家のボン」だった。
 父は何をしてたのかよく解らない。
 家で絵を描いたり、のんびりとしてたが、会社などには行っていなかった。
         
  父と特に話をした記憶などもないのだが、
  何となく、私は父が好きだった。
  祖父が朝鮮で立ち上げた電力会社を伯父が継いだので、
  父は多分その配当などで悠々自適の生活だったのだと思う。
  その南鮮合同電力は今の韓国の地域担当の電力会社で、
  その規模は大きかったのである。
    そんな生活が終戦で一変し、明石に引き揚げてきたのが終戦の年の12月で、
  翌年4月に神戸一中に入学するのだが、私は試験など受けてはいない。
  父に「お前は試験もなしに入学出来たのだから、勉強はちゃんとやれ
  と言われたのである。
  多分、伯父の伝手か何かの裏口入学であったことは間違いない。
  そんなこともあったので中学2年生までは勉強もちゃんとして、
  学年の中で10番以内にいたのだが、
  このことが人生を通しての自信に繋がっているのである。
  「名門神戸一中」と言われて秀才が集まり、その50番までを「」というのだが、
  「」は間違いなく指定席だったのである。
  中学3年生の時に男女共学となって、県一女と一緒になったのだが、
  英語と数学などは1年、授業の内容が逆戻りしたので、
  中学3年生以降は、勉強した記憶が全くないのである。
  神戸一中はほんとに名門だったのだろう、
  昭和天皇の戦後初めての神戸行幸の時には神戸にお泊りになるホテルがなくて、
  神戸一中の教室を改造されてお泊りになり、
  私のクラスは天覧授業の栄に輝いたのである。
  ほんとにまだ戦後で、
  社会などの科目も、歴史の教科書もなかったからそんな科目は習ていないのである。
  その代わり英語・数学・国語などは非常に高いレベルの教育だったのだと思う。
★英語などもスタートは、This is a pen.から始まったのだろうが、
1年の夏休みの宿題に『「舌きり雀」の物語の英文』があって、
それはこんな英文から始まるのである。

Once upon a time, there lived an old man and his wife. 

They treated the bird tenderly as if it were their child. ・・・・・
as if it were』などのムツカシい表現がある文章で、
そんな宿題だったものだから、今でも覚えているのである。
これは『まるで自分の子供のように可愛がった』ということなのである。
 こんなレベルでの授業に2年間は頑張ばったのだが、
 私はそれ以降は全く勉強などしていないので、「学歴は中学卒」だと言っていいし、それ以降の学校の成績は全くダメだったのだが、
 この神戸一中時代の成績が「そんなにアタマは悪くない」という自信に、
 一生繋がって今に至っているのである。
★ 人生「」でいろいろと左右されるのだが、
 そういう意味では、私は抜群に「いい運命」に恵まれていたと思ている。
 それはどんなことが続いたのかというと、
 ● 神戸一中に行っていたのだが3年の時に学区制で明石高校転校
 ● 明石高校に変わったので野球一筋、甲子園にも出場できた
 ● 高校時代に父が病気になりそのまま就職のはずだったが、
 ● 高校3年の1月2日に父が亡くなって、急遽大学進学に変更
 ● 父は私を大学にやるために正月に死んだのかなと思ったりする
 ● 受験勉強など全くなしに16.5倍の競争率だった神戸商大に入学
 ● 野球一筋の大学生活、野球部の部長に聞いたら「君は県会議長のコネ」だったとか
 ● 伯父が頼んだのだと思うがそんなことが通用する時代だった
 ● その伯父も私の大学時代に亡くなったのだが
 ● その葬儀に来られた砂野仁さんが川崎航空機でよければと言って頂いて
 ● 川崎航空機に入社したのだが
 ● 新しい事業の単車事業に従事し、広告やレースなどを経験することが出来たし、オモシロイ現役生活だった
 ● 家内と巡り合えたのもラッキーだったと思う
 ● 突然「くも膜下」になって死にかけたが、その場所が警察本部だったので
 ● 最高の脳外科専門病院に入院、手術もせずに1か月で退院、
 ● 70歳からは健康に留意し、毎日トレーニングを始めた。
 ● 定年後から、娘婿にパソコンを買わされたが、これで人生が変わった
 ● そして現在の生活パターンに繋がっている。
★ もう一度生まれ変わっても「このままの人生でいい」と思うほど満足している。
 祖父・古谷虎雄は私が生まれた時にはすでに亡くなっていて、
 知らないのだが、誰もが立派だったという。
  
 これは祖父の家族で伯父も父もまだ早稲田の学生時代だが、
 私はこの祖父の別荘だった場所で生まれている。
 これはまだ戦時中の写真で、場所は錦江ホテルの庭なのだが、
 このホテルが川崎航空機の軍の人たちの宿舎に接収されて、
 当時の総務部長砂野仁さんと伯父は繋がって戦後も親交が続いたのである。
 
 砂野さんはその後、川崎航空機・川崎重工業の社長もされるのだが、
 私が川崎航空機に入れたのは砂野仁さんのお陰なのである。
 神戸一中への入学を勧めてくれたのも砂野さんだったようである。
   
 伯父は当時は南鮮合同電力のオーナー副社長の傍ら、
 明石では錦江ホテルの経営などにも当たっていて、
 当時は私は小学校の低学年の時代だが、伯父には可愛がって貰って育った。
 毎年、夏・冬には明石に里帰りして、
 夏などこのホテルから海に泳ぎに行っていたのである。
★大学の成績は悪かったのに、川崎航空機に入れたのは、
 間違いなく「砂野仁さんのコネだった」からで
砂野さんの顔をつぶしてはいけない」と思って、
 頑張った一面は有ったのである。
 人の人生いろいろだが、
 「私の人生」に色濃く影響のあった人
 それは父と伯父と砂野仁さんだったのかなと思っている。
2022年2月5日

石原慎太郎 逝く

投稿者 : rfuruya

★ 石原慎太郎さんが逝ってしまった。
 石原慎太郎が一つ上裕次郎が一つ下、私と同じ昭和一桁生まれの世代である。
 特に関係があった訳でもないのだが、
 昭和一桁はまさに戦前派で、同じ昭和でも昭和二桁の方とはちょっと違ったところがある。
 所謂「旧制中学校の世代」で戦後も何となく戦前教育の続きを受けた感じで、
 一つ下の世代からは新制中学校が出来て「戦後の教育」がスタートしたのである。
 私はその旧制中学の最終学年で2年生になっても1年生の入学はなく
 当時の野球部で中学3年間と高校の1年間の4年間運動部の最下級生生活を経験したのである。
★ 石原慎太郎と何となく出会ったのは、
 彼が一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞し、「太陽族」が生まれる契機となったのだが、
その時は私も大学4回生の頃だった。
 その頃、まず石原慎太郎の名前が有名になったのだが、
 大学の野球部の先輩の住所がなぜか「石原慎太郎宅」であって、
 その方が明石の野球部の先輩だったことから、
 石原慎太郎のこととともに、慶応にいる弟は無茶苦茶面白いらしいと「裕次」のことが話題になったりしたので、
 石原裕次郎のことは、デヴュー前から何となく知っていたのである。
そんなことがあたので、
太陽の季節」の映画は勿論見たし慎太郎・裕次郎兄弟のファンになったのである。
★それ以降のこの兄弟の活躍は改めて言う必要もないのだが、
 石原慎太郎さんは70歳にして東京都知事をされたりしたので、
 2017年2月20日の私のブログに
 「築地市場 と 石原慎太郎さん」というテーマでアップしているのだが、
 その時にこんな写真とともに、このように書いている。
同じ年代で一番、比較して注目しているのは、石原慎太郎さんである。
6ヶ月年上だが学年は同期で、ちょうど大学のころに石原裕次郎が『太陽の季節』でデビューした。
高校、大学の野球部の先輩が石原慎太郎と関係があって、未だ有名になっていないころから、同じ年代だと意識していたし、当時慶応の学生だった裕次郎のことは映画にデビューする前に話題にしたりしていた。

特に70にもなって東京都知事をやられたりして、都知事の業績の中身などよりは、ずっとその『元気さ』に注目してきたのである。
今年からは衆議院議員に復帰だし日本維新の会代表としてまだまだ元気だから、そんな元気さだけには負けないように頑張りたいとも思っている。

★「そんな元気さだけには負けないように」と思って
ある意味「目標にしていた石原慎太郎」なのである。
   
 それなのに、突然先に逝ってしまわれた。
 昭和も遠くなってしまった。
 そんな昭和を代表する素晴らしい兄弟だった。
  安らかにお眠りください。
2022年2月4日

今年の2月の庭仕事

投稿者 : rfuruya
★ 2月、節分である。
 毎年、2月は庭の薔薇の冬剪定をすることになっているのだが、
 今年も木薔薇の剪定も、つる薔薇の整枝もやったのだが、
 同時に今年は庭自体の変貌にチャレンジした。
 
 「庭の地面が見えないようにしよう」というブログをアップしたのは
 1月27日のことなのだが、
 それから1週間そのテーマに取り組んで
 ● 地面にを植えたのと
 ● その上に「おたふくなんてん」の挿し木を50本ばかり
 したのである。
 庭の何か所かには「おたふくなんてん」が植わっているのだが、
 そこから50本ほどの「挿し穂」を採って、
 庭のあちこちに挿して回ったのである。
 
 こんなところから挿し穂を採ったのだが、
 
 50本ぐらい採っても、
 親木には殆ど解らない程度である。
 これが挿したところだが、小さいけどお解り頂けるだろう。
  成長したら、地面いっぱい「おたふくなんてん」になるはずである。
 「おたふくなんてん」だけでなく、
 も植えてるのをお解り頂けると思う。
 苔を付かせるのに、2か月ほどは散水が欠かせないので、
 「おたふくなんてん」の挿し穂にもいいと思ったのである。
 「おたふくなんてん」の増やし方は「挿し穂」が基本で
 その時期は2月が最適なのである。
 想定通りに進展したら
 多分、間違いなく「庭の地面は見えなくなる」はずなのだが、
 昨秋から、いろんなものを新しく植えたので、
 今年の春は、ちょっと様変わりした庭になるかも知れない。
 今年は庭仕事に精を出したい。
 いまは枯葉などいっぱい落ちてるが、
 それらは全部掃除して地面の上は苔だけにしたいのだが、
 果たして、成功するだろうか?
2022年2月3日

3回目のワクチン接種     雑感

投稿者 : rfuruya
★ 世の中、一時は収まったのかと思ったコロナだが、
 オミクロン株なるものが現れて、また大変なことになっている。
 昨年も菅さんの「1日100万人ワクチン接種」で収まったこともあったが、
 オミクロン株に対しても
 『3回目のワクチン接種の効果は?
 とチェックしたら、「追加接種は効果あり」のようである。
 たまたま私は昨日が、その「3回目のワクチン接種」の日であった。
 家のすぐ近くの旧中学校跡がその会場になっていて、
 1回目、2回目はファイザーだったのだが、
 今回は モデルナ社製で、会場でも「モデルナ」ですよと大きく表示があった。
 実際に注射をするその場所でも「モデルナ」の表示がいっぱいだった。
  副作用がきついなどと言われたりして、
 実際に家内などは、ここの予約も取れたのだが、
 少し待てば「ファイザー」が打てることになって、
 2月中旬以降になるのだが、それまで待つことにしたのである。
   私の場合は、1回目、2回目は何の症状もなかったので、
 3回目も大丈夫だろうと「モデルナ」でも早く打つ方がいいと思ったのである。
  会場で頂いた説明書の中にあった
  3回目の接種あとの症状は「疼痛・疲労・頭痛」などが
  50%以上の確率となっている。
  
  午後2時過ぎに打って、2時間ほど何となく頭が重いような感じだったが、
  いま夜の9時だが、ほぼ普通の状態に戻っている。
  一晩寝たら、どんな感じになるのだろう?
 一晩明けて、今2月3日の朝である。
  注射を打ったところがちょっと痛むぐらいで特に大きな問題はない。
  ただ、今朝はスロージョッギングは止めておこうと思っている。
  兎に角、「3回目のワクチン接種」が終って一安心である。
★ 今朝のニュースはこのコロナ問題で始まった。
  新感染者の数は過去最高となって10万人に迫っている。
  
  昨日の国会でも取り上げられて
 「3回目のワクチン接種」についても議論されていたが、
  昨年の「1日100万人」というような勢いはなぜか見られない。
  オミクロン株の症状は、そんなにひどくはならなくて、
  インフルエンザに近い症状だとも言われているのだが、
  「3回目のワクチン接種」が効果があるのなら、
  もう少し積極性が見られてもいいと思うのだが、
  岸田内閣では、岸田総理にもコロナ担当大臣にも熱意が感じられないように思う。
  果たして、1か月後はどんなことになっているのだろうか?
2022年2月2日

生涯お付き合いのあった方々   雑感

投稿者 : rfuruya

★ 人間、一生のうちでどれくらいの方々とお付き合いがあるのだろうか?
 振り返ってみると、
   高校や大学の野球部の連中とは、親しく付き合ていたのだが、
 今ではみんな亡くなってしまったし、
 そんな年配の人たちはネットなどやる方は殆どいないので、
 今では全く誰もいないと言ってもいい。
 そんなネットを私自身がやりかけたのは70歳を過ぎてからだから、
 いま繋がっている方々の殆どは、70歳以降に出会った方々が殆どなのである。
 現役時代から親しかった方でネットをおやりの方とは現在も密接に繋がっていて、
 これは私にとってホントに貴重な存在なのである。
★ 私も3月には89歳になるので、今年は80歳代最後の1年なのだが、
 2006年9月からスタートしたブログ『雑感日記』を毎日アップして
 Facebook にも転記しているので Facebook で繋がっている方が殆どだと言っていい。
 実は昨日、Facebookのメッセージで Kumiki Shimizu さんから、
 こんにちは。ご無沙汰しております。いつもFBをみていますが、お元気そうでなによりです。
本日、久しぶりに北見さんに電話してみました。一年前に電話した時は元気そうでしたが、奥様が電話に出て今は毎日寝て休んでいるとのことです。 ・・・
 というメッセージを頂いたのである。
北見紀生君、バイクの雑誌などにも登場したりして、この世界では結構有名人だが、かってのブログにはこんな風にアップしているのである。

「私の交友関係というか人脈は、ちょっと普通の方とは変わっていて、
どちらかと言えば、社会的な地位と言うよりもその世界での実力者や有名人が意外に多いのである。
こう言えば失礼だが、そんな方たちも、お付き合いを始めたときはそんなに有名人でもなかったし、成功者でもなかった方も多いのである。
共通して言えることは、『奇人、変人』の類であることだけは間違いなくて、『奇人、変人』は成功する率は至って高いと言っていい。

北見紀生君は東京営業所のサービス主任で、腕は確かで、職人気質の実力で最右翼の人だった。」
 Kumiki Shimizu さんにはこの時のブログにアップしたこんな写真を、
 メッセージでお送りしたら、
 
 Kumiki Shimizu さんからは、こんなメッセージが戻って来たのだが、
 そんなことは全く忘れてしまっているのである。
一緒ご一緒しましたね。その時に北見さんを紹介していただいたんですよ。それが縁でお付き合いさせて頂いてます。 
 そんなことは全く忘れていた。
 確かに、この時のメンバーは北見さんを入れて5人ほどは
 現役時代からお付き合いのあるメンバーだが、
 そのほかはみんな、ネットをやりかけてから繋がった方たちで、
 今でも毎日のように私のfacebook に『いいね』を頂く方たちなのである。
 調べてみたらこの日は2012年7月2日だから もう10年も前のことなので、
 つい先日のことのように思うが、もうあれから10年経っているのである。
★ 私が生涯お付き合いのあった方たちは、結構その幅は広くて、
 どんな方とも気軽に『お付き合いが出来る』のは私の特技と言ってもいい。
 現役時代は会社関係の方たちよりも、
 むしろ業界関係やレース関係の方たちとのおつき合いが多かったし、
 現役を卒業してからも、三木の方たちや
 ネットなどで新しく繋がった方も多いのである。
 最近はFacebook で毎日のようにお会いしている「仲俊二郎さん」などは、
 ネットではひょんなことで一昨年の12月に繋がっているのだが、
 川崎重工にお勤めだった方で、作家で、川重時代は私の妹と同じ職場におられたというのだが、実際にはお会いしたことはないのである。
  
 ふとしたご縁で、こんな一冊の本から繋がっなのだが、
    仲俊二郎さんに限らず、お会いしたことはなくても毎日Facebooでお会いするトモダチはいっぱいなのである。
 そんな実際には「お会いできていない」方とのお付き合いを含めて、
 『生涯お付き合いできる方とのご縁』はほんとに不思議なのだが、
 その一つ一つを大事にしたいと思っている。
 あと何人ぐらいの方との新しい出会いがあるのだろか?

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