rfuruya

2022年7月14日

病院で先生に元気ですねと言われた

投稿者 : rfuruya
★ 昨年11月に突然膝が痛くて歩くことも出来なくなって、
 救急車で病院まで運ばれたことがある。
 痛みはその日だけで、大層に松葉杖なども付いていたのだが、
 10日ほどで元通りになった。
 1月からは朝のスロージョッギングも再開して、
 その後は特に問題もなかったのだが、3月に診察があり、
 念のため7月にもう一度『診る』ことになっていたのである。
 そんなことで昨日は朝から三木山陽病院に行ってきた。
 9時半の予約だったので、受付NO.113番だが予定通りの診察だった。
 
 こんな診察室で、
 私のカルテも一応はある。
  先生は開口一番『元気だね』と言われませんかと仰るのである。
 『男性で89歳でこんなに元気なのは珍しい』と膝のことはそっちのけで
  こんな会話から始まったのである。
  膝のほうは、今のところ特に痛みもないので、
 『診察はこれで終わり』また痛くなるようなことがあったらいらっしゃいと
 ものの5分ほどの診察だった。
★ 受付番号は113番なのに、会計は27番目で、
 ほんとに短時間で診察は終わり9時半の予約だったが、
 9時40分には病院を出たのである。
 
 最近はどこも自動精算だが、
 簡単なのだが、これが苦手で横にいた係の女性に教えても貰っての精算、
 因みに金額は130円だった。
 あと悪いところと言えば、右耳の聞こえが悪いのだが、
 いま補聴器をどうするか、考えているところである。
 耳鼻科の先生は「補聴器を付けるほどでもない」と仰るのだが・・・
 その他は特にどこも気になるところはなくて、自分でも不思議に思うほど元気なのである。
 これは最近の血液検査だが、すべてフェアウエイを通っていて、
 何の問題もないのである。
 特に健康に留意している訳でもないのにホントに不思議である。
   
2022年7月13日

メダカ 紅帝

投稿者 : rfuruya
★メダカにもハマっているのだが、
 紅帝というこんなメダカがいる。
 
 5月の中旬にAmazon で買ったのだが、6月中頃から卵を産みだした。
 メダカは卵を産み始めると、ホントに毎日産むのだが、
 ほかのメダカは毎日何匹かの親メダカが卵を産み続けるので
 数にしたら300匹以上生まれていて池に放している。
 ただこの紅帝は、赤くて珍しいので別にしてこればかりの入れ物にコドモたちも入れている。
 まだ赤くはなっていないが、これは紅帝の子供たちである。
 
 毎日産むので、別にこんなバケツに卵を産み付けたホテイ草を浮かべておくと、十日ばかりでメダカが泳ぎだす。
 まだ3ミリぐらいだから見えにくいが20匹もいる。
 毎日その数が増えるのが楽しみである。
 
  まずは左側の黄色のバケツにホテイ草を入れておいて、
 子供が生まれだすと大きなほうのバケツに移している。
 親は二つがいいたのだが、
 ごく最近死んでしまって今は2匹だけである。
 ただ運よく雄雌で残ったので、今も毎日卵を産んでいる。
 
  分かりにくいが、これが卵が産み付けられたホテイ草である。
 果たして9月まで、この2匹生きて卵を産み続づけるだろうか?
 このまま子供たちも順調に育って、一冬越せば
 来年は沢山の紅帝が泳ぎ回るだろうし、
 更に数も増えるだろうと楽しみなのである。
★ 入れ物が6つ並んでいるが、
 手前の左は沢山の親メダカがいて、毎日雑種だが卵を産み続ける。
 その右は7月に生まれているメダカ、
 その奥の左は6月に生まれたメダカが100匹以上入っている。
 そしてその右の少し小さな器に紅帝のつがいが入っていて、
 その奥のバケツがそのコドモたちなのである。
  
 結構毎日世話が忙しい。
2022年7月12日

ホッとした1日

投稿者 : rfuruya
★ 7月になって6日にアメリカにいる娘夫婦がやって来て、
 7日には暑い最中ゴルフなどに誘われて頑張ったりして、
 いつもと違う生活が続いていたのだが、
 今朝娘夫婦は旦那は会社の出張業務に戻り、
 娘は今は東京にいる長男と会いに上京するので朝伊丹まで送ってやった。
 そんなことで何となくホッとした1日だった。
 いろんな1日があるが、ホントにホッとする1日もある。
 別に娘夫婦が来ると言っても気を遣うわけでもないのだが、
 ゴルフは1日付き合ったし、
 昨日はゴルフの打ちっぱなしに付き合って、
 そのあと外食などいつもと違う生活が続いたので、そんな風に思ったのかも知れない。
 ゴルフ場で写した写真だが、
 ひょっとしたら娘との2ショットはこの写真が初めてかも知れない。
  
 娘夫婦との3ショッは、これは間違いなく初めてである。
 娘婿、娘以上に私が気に入っていて、ホントに『いい奴』なのである。
 そう言う意味では、少々暑かったがいい1日が過ごせたことになる。
 昨日は家内の誕生日で、これも初めて娘夫婦と一緒だったし、
 家内にとってもよかったのかなと思っている。
★ 家内も85歳の誕生日だったし、
 私も89歳だから、こんな写真が写せるのもみんな健康だからで、
 やはり健康が一番かも知れない。
 娘は7月末まで日本に滞在で、
 来週末までには三木に戻ってくるし、鎌倉にいる息子もやって来るらしい。
 娘も結構若く見えるが、息子も娘ももうすぐ還暦なのである。
 ほんとに私も『よく生きたな』というのが実感である。
 そんな長い人生の中では『ホッとする1日』があってもいい。
 また、週末から賑やかなことになるのだろう。
2022年7月11日

家内の85歳の誕生日だった

投稿者 : rfuruya
7月10日は家内の誕生日である。
 今年はたまたまアメリカにいる娘夫婦が日本に戻って来ていて、
 一緒に誕生日祝が出来たので最高だった。
 家のすぐ近くのカレー屋さんで誕生日祝いの食事
 
 こんな本格的なナムのカレーでお祝いをした。
 娘夫婦もいて、4人で賑やかだった。
 最近はこんなことは滅多にないことである。
 娘夫婦、二人とも頭を刈ったばかりなのだが、
 娘のアタマは大阪の美容師で、アメリカからネット予約、
 料金は25000円もしたらしい。
 娘婿は三木で約2000円の散髪代だったとか。
これが25000円なりのアタマである。
4
★家に戻っても、誕生日ケーキがあった。
 これも娘夫婦からである。
 ロウソクに火をともして貰ってご機嫌の家内、
 バックの掛け軸の字は家内の書である。
 娘が気に入って、今回貰ってアメリカに持って帰るらしい。
  
 みなさんそれぞれこんなケーキを。
 楽しい会話あったし、いい誕生日の1日だった。
 なかなか、こんな巡りあわせにはならないのだが、
 ほんとに今年はラッキーだった。
 よかったなと思う。
 因みに今年は結婚60周年なのである。
2022年7月10日

勝手な思い込みはダメだな

投稿者 : rfuruya
★つい先日『国民生活基礎調査』のことで『物忘れがひどくなった』とアップしたのだが、
私の『勝手な思い込み』の結果がそうさせてしまったので、実際にはそうでもなかったようである。
この件でその後、北播磨県民局 加東健康福祉事務所・加東保健所の方から
電話があって、いろいろお聞きしてみたら、
今回の調査も、前回私の記憶にあった調査も同じ厚生省の『国民生活基礎調査』で、
前回の調査は私の記憶通り翌日に郵送したのは間違いなくて、
加東保健所のほうにもそのように記録されていると仰るので『郵送した』という私の記憶は間違いなかったのである。
今回の調査は同じ厚生省の『国民生活基礎調査』なのだが別件の調査で、
初めて訪問されたのだが私が不在だったので、明日10日の9時半に再度訪問されるという単にそれだけの話なのである。
★前回も写真でアップしたが、ネットで調べたらこんな『国民生活基礎調査 ご協力のお願い』というのが出てきて、
4月中旬ごろから調査員が伺います』と書かれているし、
そのスケジュールもこのように「4月中旬ごろ」・「5月下旬ごろ」・「6月2日以降」と何度も来られると書かれているので、
勝手に思い込んで、こんがらがってしまったのである。
★ 加東保健所の方が仰るには、
 厚生省の『国民基礎調査』は何度もいろんなことをやられるので、
 今回は前回とは別件の『新しい調査』だと仰るのである。
 確かに、4月に来られた調査員の方は女性だったが、今回は男性なのでおかしいなとは思ったのだが、『国民基礎調査』が2回も続いて当たるとは全く思わなかったのである。
 7月3日に調査員の方が初めて来られたが
 単に不在だったので、7月10日の9時半にもう一度来られるということのようである。
 それを私自身が勝手に厚生省の『国民基礎調査』は4月に来られたが、
その調査がまだ続いていて『6月2日以降』受け取りに来ると書かれているネットの説明書を見たばかりに、こんがらがってしまったのである。
 本件は私がネットなどで調べなければ何の問題も起こらなかったのだが、
 ネットで調べてそこに書かれていることをそのまま信じたことから起こった間違いのようである。
 それにしても『国民基礎調査』が2度も続いて私に当たるのは、これはたまたまそうなったのだろうか?
 私の記憶力も悪くはなっているのは間違いないが、全然ダメなことでもなかったようで、
 明日9時半、調査員の方が来られるのが楽しみである。
2022年7月9日

運転免許更新手続き    雑感

投稿者 : rfuruya
★ いまアメリカから、日本に来ている娘は日本の運転免許証も持っているのだが、
 コロナで日本に帰ってこれなかったこともあってその期限が切れてしまっていて、その更新も今回の帰国の目的の一つだった。
 免許期限が切れているから、娘が運転して一人で行けないので、
今日はその免許証の書き換えに朝から明石の兵庫県自動車運転免許試験場に、その免許更新に行ってきた。
 
 運転免許の更新にこんなに沢山の人が来るのかと思うほどいっぱいの人で、
 11時前には着いていたのだが、
 免許証を貰ったのは2時半で、3時間半も掛った。
 期限が切れたり、違反で免許が無くなったりした人たちの更新は、
 一般の更新と違ってこんなに面倒なのである。
 地下の食堂で昼飯も食った時間も入ってはいるが、
 こんなにいろいろな手続きが要るのかと思うほど、いろいろやっていた。
 カメラでの撮影禁止なので、写真は取れなかったが、
 これはネットに出ている兵庫県運転免許試験場である。
 
 1番から5番まで番号通りに進んで、更に講話やいろんな手続きがあって、
 結構なお金も掛かるようである。
★ 自分の免許更新は、高齢者なので別に『高齢者講習』を受けなければならないのだが、
 それで別に半日は掛かってはいるのだが、その関係もあって
 講話も省略だし、免許更新そのものはホントに簡単で短かったと思ったが、
 今日の3時間半は如何にも長かったなと思ったのが、正直な感想である。
 それにしても、免許の期限の切れた人や、違反など、普通の免許更新以外の人がこんなに多いのはびっくりだった。
 朝10時過ぎに出て、家に戻ったのは4時前だったから、
 ほんとに1日仕事だったのである。
2022年7月8日

長かったが、いい1日だった

投稿者 : rfuruya
★ 昨夜来るはずだった娘婿が昨日羽田の乗り継ぎに手間取って、
神戸泊となり朝一番の神戸電鉄でやってくる出迎えから1日が始まった。
 娘夫婦と3人でのゴルフに三木セブンハンドレッドに。
 これは初めての3人でのゴルフだった。
  
 アメリカでずっとゴルフをやってるお二人を相手に
 午前中は結構勝負になって、気分をよくしてたのだが、
 昼からの暑さと、上りのコースが続いて後半は4コースほどはカートの中から見学するいい加減なゴルフだったが、楽しいゴルフであったことは間違いない。
 朝のうち全然ダメだった娘も、昼からは見違えるようによくなって、
 グロスで旦那を上回って、ご機嫌だった。
★ 晩飯は『焼肉こさる』に
 運転手の私を除いての3人の生ビールの乾杯から始まった。
  
 食うことにかけては『人並み外れたレベル』の娘婿、
 こんな結構ボリュームのあった肉の半分は娘婿が食ったのでは・・・
  
 つられて私もよく食った。
 長い人生の中には、こんな1日もある。
 これが毎日ではとても持たぬが、
 『たまの1日』となると想い出となって貴重である。
 長かったが、いい1日だった。
2022年7月7日

アメリカから娘夫婦がやって来る

投稿者 : rfuruya
★朝にはが、夜遅くには娘の旦那がいずれもアメリカからやって来ることになっていて、
 明日は三木セブンで私と3人でのゴルフである。
 娘は朝5時に羽田について伊丹には7時半には着いたのだが、
 7時50分のバスには乗れずに次は8時50分までないというので、
 それから伊丹まで迎えに行ってやった。
 最初から迎えに行ってあげると言ってたのに、
 三宮までバス、そこから三木行きのバスに乗り継ぐと、家のすぐ横まで来るので、
 今回はバスで行くと言ってたのだが1時間伊丹でバスを待つ間に、
 家から伊丹空港までは45分で行けるので、
 結局迎えに行くことになったのである。
★今回は7月末まで日本に滞在だが
 その間、三木市民になると健康保険など使えたりするので、
 そのまま三木市役所に行って
  転入手続きや、健康保険証など貰って来た。
   
 結構時間が掛かって11時を過ぎたので、
 帰りに『丸亀製麺のうどん』を食いに行った。
 3人3様のメニューだが
 
 娘だけは、うどんの鉢が二つある。
 細いくせに、よく食うものである。
 こんな写真をFacebook で見ると、
 孫の末弟・哲也はうらやましがるに違いない、
 『丸亀製麺のうどん』のチェーンはアメリカにもあるのだが、
 日本と違って20ドルに近く、なかなか食えないそうである。
★ 7月はこんな来客があって、何となくいろいろとある月になりそうである。
  ずっと家内と二人の生活だったが、
  娘一人でも、全然違った1日になった。
  毎日暑いが、ゴルフ大丈夫かな?
2022年7月6日

台風4号は温帯低気圧から天気に

投稿者 : rfuruya
★ 夕方のニュースを見ると全国各地、大雨で大変なようである。
 三木は永年住んでいるが、災害のないいいまちだと言えるだろう。
 特に雨はあまり降らないし、50年住んでいるのに台風が来たことがない。
 ただ、今回の台風4号はこれは「やばい」と思った。
 7月1日の進路予想である。
 5日にやって来て、それも台風の右側になるから、
 『これは大変なこと』になるかもと思ったりした。
  
 2日になると進路は南に下がったので
 台風の左側になって幾らかホッとしたが、
 まだ台風の進路上であることには違いはない。
 それが昨日になると、更に南に下がった。
 これならまずまず『安心』である。
★そして今日、朝は少し雨だったが、
 10時には雨も上がったので
 協同学苑にスロージョッギングに行ってきた。
 こんな曇り空、雨は殆ど降っていない。
 いつもの通り下の池から
 400mの急な坂道を登って、約6000歩の行程だった。
 午後1時、台風から温帯低気圧に変わって、
 日本各地、大雨のところもあるようだが、
 三木は陽が射してきた。
  
  今回もまた、大丈夫だった。
2022年7月5日

鈴鹿サーキットの想い出

投稿者 : rfuruya
★つい先日のFacebook に松嶋裕さんが、
 こんなコメントで鈴鹿サーキットの開業前の写真をアップされていた。
『ひと足もふた足も早く梅雨が明けて夏がやって来てしまいました。
夏といえば、そう、鈴鹿8耐。3年ぶりの開催となります。
舞台となる鈴鹿サーキットは今年60周年
ということで60年前の夏鈴鹿サーキット開業直前の姿をどうぞ。』
  
 鈴鹿サーキットと言えば、私にとっていろんな想い出がいっぱいなのである。
 1962年6月に着工し、9月に完成して
 11月には第1回全日本ロードレースが開催されて、
 そのレースを観に行ったカワサキの製造部の連中が感激して、
 カワサキもレースをと翌年青野ヶ原のモトクロスで、
 1位から6位までを独占する完全優勝を果たしたのが、カワサキの二輪事業本格的進出に繋がったのである。
 そういう意味では若し鈴鹿が産まれなかったら
 カワサキの二輪事業はなかったかも知れない。
 ちょうど60年も前の話なのだが、
 実は私もこの年の10月5日鈴鹿サーキットに行ってるので、
 カワサキの中では私が一番乗りなのである。
 当時ちょうど広報も担当していて、新装なった鈴鹿サーキットに看板を付けないかという話があって、
 業者の方が何社かの候補を募って大阪から車で案内してくれたのである。
 ホンダのレーサーが爆音を立てて走っていて、初めてみるレーサーにびっくりしたのを覚えている。
★ その後、二輪事業を本格的にスタートしたカワサキは、
レース委員会』なるものが創られて私はその事務局や直接のレースマネージメントを担当していたのである。
当時の契約ライダー
左から岡部能夫・歳森康師・山本隆・三橋実・梅津次郎の5人のライダーが、そのスタート時期なのである。
 
 ただ当初はモトクロスオンリーだったのだが、
 1965年の5月に行われた鈴鹿ジュニアロードレースに、
 モトクロスのチャンピオンライダーだった山本隆がどうしても出場したいというのである。
 当時はまだロードレース出場の許可は会社からは出ていなかったのだが、
 レーサーを造ってこっそり出場してみたら、
 山本隆はホンダに次いで3位に入賞したのである。
 これがその時の写真でトップにいるのが3位になった山本隆だが、
その勝因は『』で、全体のスピードが落ちたのと
モトクロスライダー山本隆のテクニックが生きての3位入賞で、
カワサキもロードレースに本格的に取り組むことになるのである。
青野ヶ原のモトクロスで完全優勝出来た勝因も実は『』なのである。
カワサキにとってはこの二つのレースの雨は、
本当に恵みの雨だったということが出来ると思う。
★前述の松嶋裕さんがさらにこんな記述をされているのだが、
『1962年に開業した鈴鹿サーキット。
2年後の1964年8月1〜2日には鈴鹿18時間耐久レースが開催されています。
たぶんこれが初めての鈴鹿サーキットでの耐久レースだと思われます。
スタートは夜の8時。翌日の昼2時がゴール。
さらに翌1965年7月31日〜8月1日には、24時間耐久レースが開催されます。
24時間耐久は7月31日午後5時にスタートし、翌8月1日の午後5時がゴール。』
実は私はこの『24時間耐久レース』にはMFJの運営委員として鈴鹿の現場にいたのである。
これがその日の日記だが、こんな風に書いている。
参加台数は27台とちょっと寂しい。
鈴鹿サーキットは派手にデコレーションや催し物を準備、オールナイト映画劇場など。
完全にアメリカナイズされた催し物に集まった人たちも若くエネルギッシュで、イカス10代のカップルが圧倒的に多かった。
夜を徹しての行事「外泊はイケマセン」という時代は過ぎた、熱っぽい夏の一夜であった。』
 とこんな風に書いているが、そんな雰囲気だったのである。
            
後にこの若い人たちの夜の行動が問題になって、24時間耐久はこの1回で終わってしまったのである。
こんな不祥事があって中止になった『24時間耐久レース』なので、ネットにも出ていないのだが、
松島裕さんの記事はそういう意味でも非常に貴重なのである。
日本でも二輪の24時間耐久レースがあったことは間違いないのである。
その後も鈴鹿サーキットにはいろいろと関係があって、
現役時代の7月末は、8耐週間でずっと鈴鹿サーキットで過ごしていた時代もあったのである。
もう行くこともないのかも知れぬが、
鈴鹿サーキット』は想い出いっぱいの懐かしいサーキットなのである。

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