rfuruya

2024年4月22日

春の協同学苑

投稿者 : rfuruya

2024-04-22 05:55:39 | 発想$感想

★久しぶりに協同学苑を歩いてきた。

 ここはco-op教育施設で公園ではないのだが、

 自然豊かで散歩される方も多い。

 

 

 桜が終って『つつじの季節』になった。

 紅白のつつじが美しい。

 

 

 並木道も新緑である。

 右は庭園だが、裏手は散歩道になっていて、

 

 竹林へと続いている。

  小さな筍も

  大きな筍も出ていた。

  こんな山道の遊歩道があり、下の池まで続いている。

 山つつじの赤が新緑に映える。

 坂を下り切ったところにある池も新緑が美しい。

 

 振り返ると『志染の里』である。

 三木はニュータウンもあるが、こんな昔ながらの田舎の風景もいい。

 

 

 苔が綺麗な坂道を登って戻ってきた。

 つい先日まで満開だった桜の並木も今はもう葉桜である。

  ざっとこんな行程、約1時間5000歩ちょっとだった。

2024年4月18日

時間があるのはいいことだ

投稿者 : rfuruya

2024-04-16 16:56:56 | 発想$感想

★ 毎日有り余る時間があるのだが、結構退屈などせずに過ごしている。

  朝は2時間ほど、公園をうろついているし、

  時間があったら『パンダ碁』で碁を打つ。

  時間つぶしにはもってこいである。

  毎日、殆ど昼寝をするのだが、目が覚めたら庭仕事をすることが多い。

  こうして見ると、特に何もないように思いうのだが、

  

  

  つい先日まで、綺麗に花を咲かせていた『花かいどう』だが、

  当たり前のことだが、花が散りかけて

  地面には花びらがいっぱいである。

  放っておいても、どうと言うことはないのだが、

  

   

  昨日は、ちょっと気になって、

  その花びらを拾ったら、こんなになった。

  ただ、ここにはまだごみも残っていたが

  ちょっと広いので、

  

    隣の小さな枠のごみを拾ったら

  こんなになった。

  5分も掛からなったが、

  ごみは100個拾ったのである。

 有り余る時間があることはいいことだ。

★ここまで書いたのだが、

 明日は久しぶりのゴルフで、朝6時半に家を出る。

 そんなことで時間がないので、

 このブログ、今アップしておくことにする。

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2024年4月11日

カワサキの二輪車の歴史について    その2

投稿者 : rfuruya

2024-04-11 05:43:12 | カワサキ単車の昔話

★カワサキの二輪車の歴史・その2は

 1960年。神戸製作所で二輪車の一貫生産を開始とある。

  

 私は昭和32年4月(1957)に川崎航空機に入社したのだが、

 最初の配属先は業務部財産課だった。

 そこでも新しいことばかりやっていて、木製の椅子から金属製のネコスの椅子に変えたり、財産物件の償却計算を民需では初めてIBMを使ったりした。

 当時はアメリカ空軍のジェットエンジンのオーバーホールを明石工場でやっていて、明石工場にはIBMの器械装置があったのである。

 日本で一般にIBMが使われ出したのは昭和40年代だから、それより10年も早い時期のことなのである。

 そんな財産課にいたのだが、肺結核にかかって1年ほど入院していたのだが、その退院の時期が1961年12月で、たまたま新しく単車営業課が発足したのである。

 初めてのことだからそこには誰もいなかったのだが、

新しい仕事』なら古谷は出来るだろうと思われたのか、その単車営業課の所属になったのである。

 その部門の上司は業務部時代にもいろいろお世話になった小野助治さんで、その小野助さんに『私は引っ張って』頂いたのである。

 小野助治さんは、当時小野助さんと皆に呼ばれて、ホントに面倒見のいい上司だったのだが、私はその後、結婚するときは仲人をお願いしたりしたのである。

★これがきっかけで、私はその後、1999年に退職するまで、一貫して二輪事業を担当することになったのだが、

 一番最初の車はニューエースとあるが、それはほんの数か月のことで、私が営業課に異動した時の車は、125ccB7モペットM5が主力車種だったのである。

  

 

 

 そのほかにも、井関のタフ50なども委託生産していた時代なのである。

★ 私が営業課に配属されて小野部長に最初に言われた指示は『物品税を研究してくれ』だったのである。

  この125B7は出荷もしていたが、フレームに欠陥があって多くの車が返却され、明石工場は返却車の山だったのである。

 私が配属されて2か月目の1962年1月の出荷台数は返却が出荷を上回って『マイナス17台の出荷』と言う信じられないことが起ったのである。

 当時125cc以上のバイクは贅沢品に掛けられる『物品税』が掛けられていて、この物品税の納入は至って簡単なのだが、

 返却されて治めた『物品税を戻入』して貰おうとするとこれが大変なのである。

 1台1台、明石税務署の署員の実地検査があって、そこで認可されないと戻して頂けないのだが、

 それは出荷当時のままと言うのが条件で、例えばメーターはゼロ出ないとダメなので、メーターの巻き戻しなどもやるという、大変な作業だったのである。

 さらにこの物品税は申告税だから、若し不正があると体刑になるというムツカシイ処理で、ホントに大変だったのである。

 そんな大変な時代が1年続いたのだが翌年には名車とも言われる25B8が出て、単車事業はやっと何とか軌道に乗り始めたのである。

  

 

 

 私の単車1年目はこんな大変な時代だったのである。

 いまは隆盛を極めるカワサキの単車事業だが、

 スタートから10年はずっと大変な時代が続いたのである。

 100社近くもあった単車の事業体がどんどん脱落して、

 いまの4社体制になるのだが、浜松の3社以外に生き残ったのはワサキだけなのである。

 そんな時代をずっと一緒に過ごせたのは今となっては貴重な体験だったと言えるだろう。

  

 

 私の入社当時の川崎航空機の明石工場はまだ単車工場もなくこんな状態だったのである。

 この広大な土地や戦前の機械の売り食いでやっと経営を繋いだ時代で、そう言う意味でも財産課は至って貴重な部門だったのである。

 

櫻満開

投稿者 : rfuruya

2024-04-09 05:10:36 | 発想$感想

★この地域でも桜満開になった。

 今朝の協同学苑の桜である。

  

  日本の花・桜、ホントに綺麗だなと思う。

  しだれ桜も見事である。

  

 

  でもあっという間に散ってしまう。

  

  今日の午後から明日にかけては雨なのだが、

  何とかこの雨には持ちこたえて欲しいものである。

★ 日本以外にも桜はあるのだが、

  何となく『桜は日本』と言うことになっているようだ。

  私は子どもの頃は今のソウル・京城にいたのだが、

  住所は城東区桜丘で、通った小学校は桜が丘小学校だった。

  当時は日本だったし、その開拓地に桜をいっぱい植えたのは

  間違いなく日本人である。

  昌慶苑の桜 は有名だった。

  

  

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三木の桜巡り  雑感

投稿者 : rfuruya

2024-04-05 06:03:56 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 4月になって桜の季節である。

  まだ先始めで満開ではないが、三木市の桜を写真に撮ってきた。

  毎年この季節になると思うのだが、ひょっとしたら三木市は日本で一番の本数が多いのではないかと、私は密かにそう思っている。

  『日本一美しいまちをめざす三木』なのだが、

  『日本一桜の多いまち三木』と言うのも悪くない。

  桜の本数は『植える場所』の問題だと思う。

  三木市はホントに広いから『植える場所』には事欠かない。

  今朝は3時間ほどかけて、三木市の桜の写真を撮ってきた。

  もっと他にもゴルフ場など桜が植わっている場所は多いのだと思うが、

  今朝廻って来たところは一応は桜並木なのである。

  この地図の赤い線を引いているところの写真である。

  

  ちょっと枚数が多いが、撮ってきた順番に並べてみる。

  1枚目は我が家の目の前のおうちの桜の木である。

  大きくて見事である。

  

  これはさくら公園の桜たち

  

  協同学苑の桜並木である。

  この時期になると春爛漫、花見をされる方も多い。

   500メートルほどあるかも知れない。

   ここは緑ヶ丘と  の境の川沿いの桜、

   

  

  大きくて見事である。

  隣接する公園の名前も『さくら公園』、

  『さくら公園』がいっぱいある。

  ここは防災公園の Eデイフェンス の敷地の桜

  その本数が素晴らしい。

  

 これは防災公園の桜並木の一つ

  なだらかな坂道の下まで桜並木で、

  神戸の丹生山をバックに美しい。

★ ちょっと足を延ばして吉川の川沿いの桜を撮りに行ってきた。

  延々と川沿いに植えられていて、何キロメートルあるのか、

  何本あるのか解らない。

  兎に角、桜並木が続いている。

  この4枚の桜がすべて繋がっている。

 

    

  これも川沿いの桜だが、

  これは三木市内を流れる 美嚢川河川敷の桜並木である。

 これも何キロあるのだろう?

  これは三木の街から市役所に通ずる旧い桜並木。

  ここからの何枚かは三木山総合公園の桜。

  ここだけでも樹は若いが本数はいっぱいである。

 そして最後の1枚は、わが町緑ヶ丘に降りる『桜坂の桜

 

 

 ★ その名の通りの『チェリーヒルズ・カントリー』は桜がウリである。

  このゴルフ場一つで5000本の桜が植えられているというので、

  ご覧の通り、三木は桜がいっぱいなのである。

春の庭

投稿者 : rfuruya

2024-04-04 05:49:05 | 発想$感想

★ 春の日差しで庭の雰囲気も一気に春らしくなるから不思議である。

  何となく陽ざしが柔らかい。

 

  

  クリスマスローズがいっぱい花を付けている。

 

  

  春の花『椿』も花開いた。

  

  薔薇の新芽が一番きれいな時期である。

  

  今年もいっぱい花を付けることだろう。

 

  春の花『はなかいどう』がかわいらしい蕾を付けた。

  

 もう花も終わりに近く、いっぱいの新芽だが、

 これは桜ではなくて『サクランボウ』である。

 今年も実を付けてくれるだろうか。

  

  

★ 冬の間も『草抜き』はサボらずにやってたので、庭には草は生えていない。

 草にとっても春だから、油断をすると草いっぱいになってしまう。

 庭仕事も忙しくなる、そんな春がやって来た。

FX400と私とカワサキ

投稿者 : rfuruya

2024-04-01 06:21:18 | カワサキ単車の昔話

★最近はネットのニュースにカワサキが登場する機会が多い。

 昨日もこんなFX400の柏秀樹さんの記事が載っていた。

空冷DOHC4気筒400ccバイクの中でもっとも威風堂々としていたバイク、といえば1979年登場のカワサキZ400FXです。

Z400FXは当時、最先端のデザイントレンドというべき角張ったカフェレーサースタイルを導入しながら、同時に見た目の大きさが際立っていたことです。

と柏秀樹さんに紹介されているFX400は、

  

 空冷4ストローク並列4気筒DOHC 399cc 、43ps/9500rpm で

 当時の販売価格は38万5000円でした。

★1979年当時は、実はカワサキにとっては大変な時期だったのである。

 1977年以降のアメリカ市場はHY戦争が日本からアメリカまで飛び火して、

 カワサキもその乱売合戦に巻き込まれてアメリカのKMCは毎年100億円を超える赤字の連続で、日本の事業本部も赤字になって、川崎重工業の本社財務部門が救済に当たっていたような時期だったのである。

 

 国内のカワサキオートバイ販売は、アメリカのダンピング問題もあって、

 そのままの体制ではカワサキだけがダンピングに引っかかるということで、

 従来の社長以下の大きな本社をなくして、ホントに小さな体制にしたのだが、

 そのTOPをまだ新米課長だった私が引き受けることになったのである。

★それが1979年なのだが、

 何も解らぬままカワサキオートバイの常務として全軍の旗を振っていたのだが、

 この年に登場したのがFX400で、何もしないのにどんどん売れるものだから、販売会社にあった10億近い赤字を消去して、

 カワサキオートバイ販売は優良会社に変身したのである。

 そう言う意味で、二輪事業は一つのヒット商品で様子が一変するのである。

  

 カワサキにとっての最初のヒット商品は、あのZ1/Z2と言っていいのだが、

 国内市場では750㏄の市場はそんなに大きくなかったのだが、

 この400ccの市場は750㏄とは違って、非常に大きかったから、

 カワサキの販売会社の状況が一変してしまったのである。

 

★ ただ抜群によかったのは国内市場だけで、

 アメリカ市場をはじめ海外市場は苦戦の連続だったのだが、

 国内市場の販売のノウハウをと私は単車事業本部の企画部に移籍することになるのだが、

 そんなことが私のその後の経歴にも大いにいい影響を与えてくれるのだが、そのきっかけを作ってくれたのがこのFX400なのである。

 この車がきっかけで、その後のNinjaに繋がり

 さらにはZEPHREに繋がっていくのだが、

 そのベースにあったのはFX400で、これは私にとってもカワサキの二輪事業にとっても多大の好影響を与えてくれた車だと言っていいのである。

 そんなFX400だが、確かに今見てもなかなかカッコいい。

2024年3月27日

幸運な人生  2

投稿者 : rfuruya

2024-03-26 06:15:16 | 発想$感想

★ 昨日は『幸運な人生』孫編をアップしたが、

  私の人生も『幸運の連続』だったと書いた。

  ホントに『幸運な時代』を生きることが出来たと思うのだが、

  考えようでは戦時中を生きたし、不運な時代だったのかも知れぬが、

  モノは考えようなのである。

   

  

★ 突然話題は変わるが、大相撲春場所は新入幕の尊富士が優勝した。

  新入幕の優勝は110年振りだという。

  その尊富士の出身地が青森県の五所川原市だという。  

  五所川原市とはこんなところだが、私は何度も行ったことがある。

  そんな経験があると、尊富士にも何となく親近感を覚えるから不思議なのだが、

  極端に言うと日本国中どこでも何となく関係があったようなところがあって、

 大相撲の力士の誰が優勝しても、

 外国人以外、日本人なら親近感を感じるのかも知れない。

 残念ながらモンゴルには行ったことがない。

 

 

★ なぜ、そんなに日本国中を知ってるのかと言うと、

 カワサキの創成期の二輪事業を担当して、

 当初は世界で日本国内だけだったので、当時国内の殆どの地域を知るようなことになったのである。

 当時の販売網はその殆どが自転車屋で、全国に何万店もあったし、

 その営業はそんな自転車屋にバイクを委託し訪問するスタイルだったから、

 会社のカネで毎日、日本国中を極端に言うと旅行してたようなところがあって、

 ホントに日本国中どこでも何となく解っているのである。

 だから、五所川原市だけではなくて、

 青森県なら最北端の大間町も知ってるし、

 秋田県の男鹿十和田八幡平も1回2回ではなく、

 何回行ったか解らぬほど行ったことがある。

 そんな人生経験をしたのである。

 

 

★ 営業をやる前はカワサキの二輪のレースを担当してて、

 そのレース担当時代も、当時はモトクロスのレースが日本全国で開催されていて

 それも何故か富士山の裾野だったり、伊豆丸の山など観光名所が多かったので、そこにも行くことが出来たのである。

 尊富士の出身地の五所川原の近くには『岩木山』と言う有名な山があるのだが、

 この岩木山麓でもモトクロスの全日本が開催されて、

 その時は明石から岩木山の現地まで車で2日泊まりで走ったりしたので、

 東海道は勿論、関東から東北の道を走ったりしているのである。

 こんな経験は現在の二輪事業では経験できないし、

 日本だけでなくアメリカも欧州も東南アジアもみんなスタート時代を経験したので、

 世界の観光旅行を公費でやらして頂いたようなところがある。

  

 こんな意味でも、私の人生は幸運だったと言えるのではなかろうか?

幸運な人生

投稿者 : rfuruya

2024-03-25 06:59:37 | 発想$感想

★ 人の人生には『』が伴っているのだが、

 何となく『幸運』に恵まれている場合もある。

 私自身の人生を振り返ってみても、それは『幸運の連続』で、それは今も続いているように思う。

 何を持って『幸運』というかは、その人それぞれの考え方かも知れない。

 何でも『幸運』と思えばどんどん幸運は続くのだろうし、

 『不運』と思えば『不運な人生』になるのかも知れない。

 私には4人の孫がいるのだが、その孫たちとも毎年何らかの接触があって、

 それが私の今の生活の楽しみの一つになっている。

★ そんな孫たちの一人・門野真也は娘のほうの孫の次男だが、

 何となく小さなころから、魚とりや蝉取りなどもして、

 孫の中でも一番接触の時間が長かったと思えるのだが、

 彼の人生を観ていると『幸運の連続』だなと思うのである。

 小学校に入ったころまでは日本にいたのだが、

 父の勤めの関係でアメリカに移住したのが『幸運の始まり』だと思う。

 アメリカのサッカーは独特で、子どものチームからいろんなチームがあり、

 その一番強いと思われるチームには参加すること自体がムツカシイのだが、

 彼はそんなチームに体重を落としてやっと3年目に入れたのである。

 『デブはダメ』と言われて、入れなかったのが幸運の始まりだったと思う。

 2年間頑張って体重を落とし、3年目にやっとチームに入れてどんどん上手くなり、

 大学は世界でも名門中の名門のバークレー大学に『サッカーでの推薦入学』し、

 4回生では日本人ながらキャプテンになり、卒業後はサッカーのプロチームに入団『プロ選手』になったのである。

 多分、日本にいたらこんなことにはなっていない。

 普通のサッカー選手で終わっているだろう。

★ その環境の変化は『幸運』とみるべきで

  今年はIrvine に新しく出来たプロ・チームに入団し、キャプテンを務めている。

  そしてつい先日、リーグ開幕前の全米トーナメント大会の第1戦があって、

 その試合は1-0で勝利したのだが、

 その1点を入れてその試合の Man of The Machi になっている。

  

 いろんな写真を送って来てくれて、

 得点のシーンの動画もあるのだが、その動画の『転写の仕方』が解らない。

 娘・Noriko Kadono のFBにはその動画が載っている。

 ロング・シュートの見事な1点である。

  

 

  

  今年も頑張っていい1年になることを祈っている。

  

★ いつまで『サッカー』をやれるのかよく解らないが、

  一応『名門・バークレー卒業』だし

  サッカーを辞めてからでも、就職は大丈夫と思うのだが、

  多分彼はもっと何か別の『新しい人生』を歩むことになるのだろう。

  いまでも動画を創らせたらプロ並みで結構な収入があるようだし、

  を描かせててもなかなかなのである。

  そんな門野真也の将来は見ることは出来ないのだが、

  多分、彼の人生は『幸運の連続』だと思っている。

  新しくスタートした新チームの最初の1点は『歴史に残る』ものだと思うし、

  それも『1-0の勝利』は貴重で『幸運を背負った人生』の象徴的な出来事である。

  真也、おめでとう。

コメント

明石へお彼岸の墓参りに

投稿者 : rfuruya

2024-03-23 06:23:34 | 発想$感想

★三木に移り住んでもう50年になり、生涯で一番長く住んだ町になったのだが、

 生まれ故郷も本籍も明石市上ノ丸である。

 三木と明石はこんな立地なのだが、

 昨日は彼岸の墓参りにこんなルートで行き帰りした。

 どちらもクルマで約40分の距離である。

 

  明石の町はざっとこんな感じだが、

  私の生地は明石公園のすぐ横だったし、右の方には卒業した明石高校が、

  左の方にはずっと勤めていた川崎重工業の明石工場がある。

  明石公園の中には高校時代毎日練習していた野球場もあるし

  そして我が家の墓地もある。

 旧明石藩主松平家の菩提寺という由緒ある長寿院には

  

こんなお殿様の立派なお墓もある。

  

 

  お殿様の戒名はこんなに長く文字数も多いのである。

   

  そんな由緒ある長寿院の檀家総代を伯父が務めていたこともあって、

  我が家の墓はいい場所に、結構広く存在する。

  柿本人丸神社や明石市の天文科学館のすぐ下で、

  ちょうど子午線が通っている位置に当たるのである。

  

 

 東経135度の子午線は明石も三木も通っていて、

 私はそんな子午線の通る街で過ごしたことになるのだが、

 いつかはこのお墓でずっと長く眠ることになる。

 この長寿院には正月・春秋の彼岸とお盆の年4回お参りに来ているのだが、

 明石の町は子どもの頃から育ったし、

 カワサキにも勤めたので想い出いっぱいなのである。

 子供の頃は細く曲がりくねった道が多く城下町の雰囲気だったのだが、

 いまは高いビルが立ち並ぶ近代的な街になっているし、

 それも年々立派に変わっていく。

★ずっと昔はこんな「魚ん棚」だったのだが、

  いまはこんなに立派な街になっている。

  

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