現役時代初めてのことばかり その7 関連事業課
★ 川重課長と言う時代に『カワサキオートバイ販売・常務取締役』と言う肩書を頂いてカワサキの国内販売を担当し、全国の販売会社を指揮することになったのだが、
FX400と言うヒット商品に援けられて、累損も消去して、スタート以来初めての黒字経営となったのである。
1970年代後半のことなのだが、この当時世界に展開する販売会社がみんな赤字で、大変な時代だったのである。なぜそうなったのか?一言でいえば販売会社経営の経験者がいなかったということだと思う。
販売会社とはモノを売って利益を上げるのだが、沢山売るほど利益は増えるので、どうしても、『沢山売ろう』とし過ぎてしまうのである。
勿論『売れればいいのだが』売れ残ると在庫になって、金利負担は出るし値引きも発生する。みんな頑張った結果の赤字なのである。
そんな時期、国内だけが黒字経営だったので、川重本社からも注目されていたのだが、国内担当の4年目に山田副社長に本社に呼ばれて『単車事業部の販社はみんな赤字だが黒字になると思うか?』と言う質問なので『直ぐ黒字になると思います』と答えたら、『それならお前は事業部に戻って企画をやれ』と言うことになって、1975年10月に企画に復帰したのである。
当時、海外ではアメリカ・カナダ・イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・オーストラリアに販売会社があったのだが、その殆どが赤字経営なのである。

10月に事業本部に復帰したのだが、ちょうど翌年度の事業計画を立てる時期だったのである。
企画に戻った私が最初にやったことは、新しく『関連事業課』を創り、販売会社の経営はその『新関連事業課担当』とし、各社の事業計画策定は現地販社と関連事業課の協同作業としたのである。
そして市場規模にあった適正な販売台数とし、全世界の販売を明石でコントロールできるようにしたのである。
この方式は、国内の『カワ販』が全国の販売会社をコントロールしているのと同じ方式なのである。
その当時本当に現地の販売会社経営を担当した経験のある人は本当に少なかったのだが、たまたま私は10年間の国内販社経験もあって、第1線販売もその本部の管理も経験していたので、それが『役に立った』のである。
欲張らなければ『販社経営』など簡単なのだが、どうしても『シェア競争』などがあって、実力以上に売ろうとしてしまうのである。
そのベースになるのが『事業計画射』なのだが、皆さん、どのように策定されているのだろうか?

当時のカワサキの場合は、新しく関連事業課を創って、そこで全世界の販社をコントロールしたことが、結果的にもよかった思う。
翌年は川崎重工業の本社部門が『単車再建』を旗印に7月には大庭浩本部長(後の川重社長)が就任されるのだが、その頃には既に『黒字経営路線』に乗っていたのである。
現役時代、新しい組織や会社をいろいろと創ったりしたのだが、その一番初めに新設したのが『関連事業課』だったのである。
これは大成功の新組織だったと今でも思っている。







































































































