現役時代初めてのことばかり その5 東南アジアプロジェクト
★ 国内の特約店制度と言う新しい販売網制度を仕上げて、1975年10月に約10年間の国内販社出向期間を終えて、川重発動機事業本部企画室に復帰した。
まだ単車と発動機が同じ事業部だった時代で、カワサキはアメリカ市場が軌道に乗り、スタートの時代は単車は発動機の一部だったのだが、逆に単車が主流の時代になりつつあったのである。
国内の二輪車市場は、ホンダがロードパルを発売して、新しい『小型車時代』に突入し、ヤマハもそれに追随し、ホンダ。ヤマハ戦争が始まろうという時代である。
カワサキも一部製造部門を中心に『小型車開発』を試みようとした動きがあったが、企画に戻ったばかりの私はこれは『危ない』と思ったのである。
仮に小型車が開発・生産できても、カワサキにはその販売網がない。
そんなことで同じ小型車でも当時東南アジアを市場とした『CKD』への参入を企画室から提言したのである。
そんなことで東南アジア市場調査団が結成されて、1976年5月17日から約1ヶ月間、東南アジアのタイ・インドネシア・イランの3か国を中心にした『市場調査』を行ったのである。
その時回った国々は台湾・インドネシア・タイ・イラン・マレーシア。フィリッピンなどだが、今いろいろと問題になっているイランもその時に訪れている。
イランがまだ『王政時代』で二輪各社もタイヤメーカーなども現地に工場を持っていた。カワサキもテヘランから西南のサベイ―に工場を持とうとしていた時代で、テヘランを中心に南のシラーズなどイラン各地の市場調査をしたのである。
いろんな国に行ったことがあるが、一番びっくりしたのはやはり『イラン』である。
国全体が『砂漠』の中にあると言っていい。
会議をしていても、『お祈り』の時間になるとお祈りが始まるし、事業計画などそんな先の話は『神様の分野だ』と仰るのである。
テヘランは大都会で緑もいっぱいだが、

後方にある山から、こんな水路に定期的に水が流れてくるのである。

そんなことで、世界にはいろんな国あるとびっくりしたのだが、
この「東南アジアプロジェクト」で訪問した国々のうち『イラン』だけが、政治体制が変わって実現しなかったのである。。
この東南アジアプロジェクトはCKDなので部品輸出なのだが、現地で組み立てられたバイクでカワサキ一番のヒット商品と言えるのが、『GTO110』である。
部品出荷なので台数は解らないのだが、最盛時はタイのバンコックも、インドネシアもカワサキGTOで埋まった時期がある。

このGTOの開発設計者は、あの松本博之さんである。

そしてこの車の開発を技術部に他のみに行ったのは、『実は私』なのである。
『音など大きくてもいい。振動があってもいい。兎に角、実測110km走るクルマを・・』と言う粗っぽい頼み方だったのだが、ホントに名車に仕上がったのである。
前述したように『部品輸出』なので台数がないのだだが、間違いなくカワサキで一番沢山売れたクルマだと思っている。
そんな『東南アジアプロジェクト』が実を結ん初めての小型車プロジェクトも、CKDと言う形で大成功を収めたのである。
因みに、この『東南アジア調査団のメンバーは、高橋鐵郎さんが長、安藤佶郎さんが副、その他川崎、山辺、多賀井、古谷のメンバーだったのである。







































































































