2020年12月6日

旧いカワサキの創生期の写真から  2

投稿者 : rfuruya

★ この写真に写っている方、私にとってはいろんな思い出いっぱいの方たちである。
 まずは最後尾の列の中央の大柄な方が、営業部で青野が原のレースを支援された『小野助治さん』である。
新しく出来た単車営業を担当されて、私をその営業に引っ張られたのも小野さんだし、
私の仲人をして頂いたのも『小野助治さん』である。
当時の営業部には『苧野豊秋さん』と二人の次長がおられて、
小さい小野さん』『いもの苧野さん』などと言っていたのである。
その苧野さんは写真前列右から2番目である。
苧野豊秋さんも明石高校の先輩で、
その後もご縁があって長く国内を担当されたし、
最後の方では国内のジェットスキー販売時に大いに援けて頂いて、
初代のJJSBA会長もされたのである。
青野ヶ原に出場したライダーたちは、みんな社内の人たちだったのだが、
左から3番目が秋原くんである。
私が新しく出来た単車の営業部に移って一番最初に仕事でおつきあいの出来た人である。
カワサキB7、ご存じだろうか?
カワサキが最初に世に出したバイクだが、フレームに欠陥があって
毎日、毎日返品が続いたのである。
当時はまだ125cc以上のバイクには物品税が掛けられていて、
物品税の納入は至極簡単なのだが、
返品した場合の戻入はなかなか大変なのである。
要は、工場を出たままの形でないと、戻入は出来ない。
少しでもメーターが回っていたりすると許可にならなくて、
メーターの巻き戻し』などという中古車屋のようなことを当時はメーカーでもやってたのである。
秋原くんとは、そんな作業で毎日のように会っていたが、
彼がレースのライダーをやれるなど知らなかったのである。
そんな大変だったB7は1年で生産中止になり、
翌年はB8が新発売されて、そのB8で青野ヶ原の優勝が決まったのである。
不思議なことに『カワサキ優勝』・『1位から6位まで独占』と言われるのだが、
1位が誰だったのかはよく解っていないのである。
なぜそれをみんな話題にしなかったのだろう?
この写真には4人のライダーが写っているが、
右側の二人は加藤・飯原くんで
彼らは鈴鹿6時間耐久レースにペアで出場している。
因みにそのレースに神戸木の実から金谷秀夫・歳森康師コンビが出場し、
それが金谷のカワサキでの最初のレースだったのである。
 
★ この写真の髙橋鐵郎さんの右が川合寿一さんである。
 営業部には私の後に入ってきて、青野ヶ原のチームの面倒を見たのだが、
最初のレース担当が川合さんで『ライダー契約』などをやったリ、チーム運営などもやっていた。
当時は全国各地で毎週草レースがあったのだが、
城北ライダースなど強いチームがくるところは避けて出場していたので、
カワサキは連戦連勝だったのである。
私が担当してた広告宣伝課がレースも担当してたので、
その結果は新聞社に広報してたので『カワサキはレースは強い』ということになっていたのである。
 レースのことなど全く知らない私もホントに『強いのだ』と思っていた。
青野ヶ原』の翌年、MFJ 第1回全日本モトクロスが相馬ヶ原で開催されたが、
川合さんが『困った困った』と言うので、
なぜそんなことを言うのかと思ったら、
そこには全国の強豪が集まるので、なかなか勝てないというのである。
結果はホントにその通りで7位が最高の成績だった。
然し、この年の秋のMCFAJ全日本では4種目中3種目に優勝するなど、
カワサキのレース活動の進化は早かったのである。
ところがその年の暮れだったか『歳森・山本のBS仮契』事件が発生して、川合さんが私に『片山義美さんに話をしてくれ』というのである。
そんなことで、レースなど全く解らなかった私が最初に話をしたのは、
歳森・山本の所属した神戸木の実の御大・片山義美さんなのである。
西海義治さんなども出てこられて、この件は何とか無事決着したのだが、
その時の話の流れで、レースを直接担当するようなことになったのである。
今思い出しても、純粋に川合寿一さんはいい人だった。
髙橋鐵郎さんの左隣が多賀井君である。
1976年に、10年間の国内出向から川重企画室に復帰するのだが、
小型車開発プロジェクト』として、
私は東南アジアの市場調査チームを起案すしたのである。
その時の調査団長を務めて頂いたのが髙橋鐵郎さんで、
現地の案内役を務めてくれたのが多賀井君なのである。
この調査団には、技術部から写真の川崎芳夫さんも参加されたし、
製造関係からは安藤佶郎さんが参加されていて副団長を務められた。
因みに、この東南アジア市場調査チームの団長は
当時の塚本事業部長は最初に『大槻幸雄』さんを指名されたのだが、
大槻さんが辞退されたので髙橋鐵郎さんに代わったという経緯なのである。
★この調査団は私にとっても髙橋鐵郎さんにとっても『転機』になったのは間違いない。
調査の結果は『このプロジェクト進めるべし』という結論になって、
市場開発プロジェクト室』が出来て、その室長を髙橋鐵郎さんが技術本部長と兼任されることになるのである。
そして『お前も来い』ということになって、
私も企画室から異動になったのである。
その後、髙橋鐵郎さんは技術本部長から、営業本部長・事業部長となられて、その後ずっとと言ってもいいほど、私とのコンビでの展開が続くのである。
これはずっと後の1990年代、
髙橋さんが川崎重工の副社長におなりになる直前まで、
高橋さんが社長を兼務され、私が専務を務めたのだが、
その最初が『市場開発プロジェクト室』でのコンビだったのである。
    
そういう意味では『青野ヶ原モトクロス』は単なるレースの優勝だけではなくて、
カワサキの二輪事業に大きな転機をもたらした出来事だったと言えるのである。

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