現役時代初めてのことばかり その6 『新カワ販』プロジェクト
★ 1978年のことだが、突如アメリカで二輪のダンピング問題が起ったのだが、
これには日本の販売会社問題が絡んでいて、当時国内に販売会社本社を持っていたのは、カワサキだけだったので、その体制ではカワサキだけがダンピングにひっかかるというややこしい問題になったのである。
端的には国内の各社の経費率の「問題なのだが、カワサキは一段階多いので『経費率』が他社に比べて高いのである。
地方の販売会社は他社と一緒なのだが『カワ販本社』だけが一段階多いのだが、当時のカワ販本社はかっての川崎航空機の取締役の方がされていて、結構大きな組織だったのでその費用も大きかったのである。
私は開発市場室と言う東南アジアのCKDプロジェクトの営業担当で、この『カワ販問題』は企画室のメンバーの担当し、当時の最大市場のアメリカに関係することなので本社財務なども絡んでいたのだが、なかなか上手くいかないのである。

そんな時、突如事業本部長から呼び出しがあって『ダンピング対策の起案をせよ』との指示があったのである。
それは私が約10年カワ販に出向していたので、国内の販売事情には通じていたので、そんなことから『その起案』を任されたのである。
カワ販本社の経費率が問題なので、それを下げる対策をしたのだが、まずは当時扱っていた部品事業を別会社にして分離し、大物が座っている本社の社長以下重役さんを全部除いて、人事、出荷、広報の最低の機能だけを残した10人ほどの本社にした案を創っ
たのである。
川重本社に報告したら、それは『通った』のだが、その時本社の財務担当副社長が『ところでこの新本社は実際は誰が旗を振るのか?』と仰ったのだが、本部長が『それは古谷がKHIから旗を振ります。』と答えられたのである。
『それなら古谷をカワ販常務にせよ』と指示されて、私はKHI課長だったが、突然『常務』と言う肩書を頂くことになったのである。
★ この『新カワ販』は10人ほどの陣容だが、その傘下には全国に地域販売会社があり、その陣容は500人近くになったのだが、そんな大所帯のTOPになったので、職位は川重では課長だが、『常務』と呼ばれることになったのである。
そう言う意味では、私は『ツイている』のだが、私が担当した1979年に『ZX400』 が発売されるのである。
これが本当によく売れて、当時苦しかったカワ販の経営も改善されて初年度の1年目に累損が消えて黒字になったりしたのである。
この『新カワ販プロジェクト』はそこ起案の時から本社財務が絡んだので、毎月本社副社長への『経営報告』があったのだが、1年で赤字が消えて、期間損益は10億ほどにもなるものだから、私を『常務に』指名された副社長からは、『こんなになることが初めから解っていたのか?』と言われたりしたのだが、これはみんな『ツキ』で、その最大は『FX400』によるものなのである。
この『FX400』が私が『カワ販担当』となったと同時に新発売されたのである。
この車はカワサキの国内では初めて大量に売れたヒット商品で、何か月もの『バックオーダー』が付いたのである。
そんなことだから値引きなども一切なく経営的にも大いに貢献したのである。

量産品がヒットすると、会社の経営は一変する。
そんな経験をさせて頂いた『新カワ販』だったのだが、誰言うとなくこの会社を『新カワ販』と呼ぶようになったのである。







































































































