現役時代、初めてのことばかり その2 単車営業
★ 戦前の川崎航空機工業は文字通り航空機のメーカだったが、そのエンジンが明石工場で、機体は岐阜工場で造られていた。
そんなことから戦後再開された川崎航空機の明石工場もJETエンジンや農業用の小型エンジンなどを扱っていて、オートバイのエンジンも川崎明発工業に提供して『メイハツ』と言う二輪車が世に出ていたのである。

昭和35年(1960)に川崎航空機工業は単車の車体も含めた一貫生産を明石工場でスタートさせて、カワサキオートバイ販売と言う販社を創って、「カワサキ」二輪販売を開始することになり、明石工場の発動機営業部の中に昭和36年11月に新しく『単車営業部』を立ち上げたのである。
それまでは販売は川崎明発に任せていたので、販売の経験者など誰もいなかったので、新しく出来た『単車営業部』も部長以下みんな全くの素人だったのである。
そんな新しい単車営業の実務者として入社4年目の私が抜擢されたのである。
営業と言っても川崎航空機から新しく出来た『カワサキオートバイ販売』に単車を販売するのだが、そのカワ販は社長・専務は川崎航空機から出向していたが、それ以外はメイハツやメグロの方ばかりで構成されていたのである。
50㏄のモペットと125㏄の単車を開発・製造していたのだが、

モペットは兎も角、『125B7』は大変な代物で、フレームに欠陥があって、
私が新しい営業課に配属されてみると、生産するより返却される台数のほうが多くて生産台数が『マイナス17台』と言うとんでもないことになっていたのである。
当時の二輪車は贅沢品と言うことで125cc以上のバイクには『物品税』が掛けられていて、工場出荷時に国税局に納税するのだが、納税そのものは至極簡単なのだが、それが工場に返却されると『物品税の戻入手続き』が要るのだが、これが大変厳しくて
すべて税務署員の立ち合い検査がMUSTなのである。
基本的には工場出荷時と全く同じであることがMUSTで、メーターが回っていたらダメなので、そんな車はメーターの巻き戻しなどやったりして大変だったのである。
そんな物品税戻入手続きなど社内での経験者は皆無なので新人の私がみんな担当したのだが、若しその手続きに間違いがあったりするとこれは申告税だから罰則としては体刑になると脅かされたりしたのである。
そんな私の『初めての営業業務』だったのだが、現在の『企画部の業務すべて』が営業担当だったので、広告宣伝も今は品質保証部と言うサービス業務もすべて私の担当で、入社4年目だったが2人の男性部下と2人の女子社員の5人ですべてをまかなっていたのである。
当然上には課長も部長もおられたのだが、すべて単車営業など全く初めての方ばかりなので、全く教えて貰えなくて、ホントに大変だったのである。
カワサキの最初のバイクはそんな散々な出来だったのだが、2代目のB8がそこそこの好評で何とか事業部も存続出来たのである。

入社してすぐ、財産課の償却計算のIBM化や、こんな全く新しい単車営業の仕事をやり切ったものだから、『あいつは初めてのことは得意』と言うような評価になったのだろう。
それ以降退社するまでの40年間の殆どが『全く新しい仕事』の連続だったのである。







































































































