昔々の二輪市場
★ 私がまだ30代の若いころだが、カワサキの東北6県を仙台で担当していた。
昭和42年(1964)からの4年間だが、当時の東北はカワサキの販売台数で断然他地区を圧倒したTOP市場だったのである。
まだ実用車のカワサキの時代で扱っていた車は125ccB8やM50のモペットだった。

まだスポーツ車は世に出ていない時代で、当時は3万店もあった自転車屋にオートバイを委託するという委託販売方式の頃である。

まだ地方の代理店があった時代で、岩手カワサキの岩手県が日本で一番の販売台数を誇っていた。
南北200キロ、東西100キロの広大な岩手県だけでも何百軒ものサブ店を持ち、そこにクルマを委託していた委託販売なのである。
そんな各県の代理店を管理するというか応援する形で仙台に事務所を創り、東北6県の販売を担当していたのだが、東北6県で約4000台、そのうち1500台を岩手県が販売していた。
因みに関東などの都市部はモペットは兎も角125㏄などは全く売れなかった時代なのである。
そんな時代、メーカーの出先の仙台事務所の所長と言う肩書は販売店である自転車屋さんにとっては結構エライ存在だったのである。
各地の代理店の社長さんもエライのだが、さらに一段上の『メーカーの人』なので店を訪問するだけで『結構な販売促進』になったので、各代理店の社長に頼まれて地方のサブ店(自転車屋)を訪問するのが仕事だった。
そんなサブ店は各地の地方にあるのでそんな『サブ店訪問』で東北6県は隅々まで知っている。
地方に行くとまだ舗装道路ではないそんな時代で、『峠越え』は大変だった。
当時の峠道はまだ殆ど砂利道の頃で、雪が降った冬のほうが、舗装されたような感じになって走り易かったようにも思うそんな時代だったのである。
岩手県など全県の販売店を訪問したとも言えるので、こんな地図にある殆どの道は知っている。

カワサキ色とネーミングが入った 『カローラバン』を運転して東北6県を走り回っていたので東北六県は隅々まで知っていると言っていい。

そんなバンの後部には2級酒がいっぱい積んであって、サブ店へのお土産で渡すのだが、1000円もしない『2級酒』が大変喜ばれたりした。
いまはもう『2級酒』などはないのだが、2級酒とは、1940年から1992年まで存在した。日本酒の特級・一級以外の品質審査を受けていない普通酒に付けられた区分で、主に日常的な晩酌用として親しまれた大衆酒の代表格だったのである。
いまはどうかは解らぬが、当時の東北はホントに『酒飲み』が多くて、それは関西などとは比較にならないレベルだった。
青森など『酒が切れる』のはタブーで、床の間には1斗樽を置いての宴会だったのである。
まだモトクロスレースが、山野で行われていた時代で、そんな自然がいっぱいの東北は、日本で一番モトクロスの盛んな地方だったのである。

東北に来る前までは、広告宣伝とレース担当だったので、
カワサキのレース部門には顔も聞いたので、ファクトリーチームのメンバーたちが
東北のレースにはやって来て、そんなことでも結構楽しい4年間だった。
昭和45年(1970)まで仙台にいたのだが、ちょうどその頃カワサキも250A1などのスポーツ車など『スポーツ車のカワサキ』となって、市場は東北や九州から、関東圏や近畿圏の大市場が主力市場となり、私は新しく出来た大阪営業所の署長に転勤になるのだが、それまでの4年間の「東北時代」は本当に懐かしい時代だったのである。







































































































