カワサキの赤とグリーン
★ カワサキはエンジンの専門メーカーではあったが、二輪は素人と言っていい段階からスタートした。
スタートの年に鈴鹿サーキットが出来て、日本で初めてのロードレースが開催され、
それを観戦した製造部の連中が、カワサキもレースをとスタートしたのがモトクロスの始まりである。
その時のレーサーのタンクが赤に塗られて、『赤タンクのカワサキ』の時代がスタートした。
別に会社の決済などはなくて、自然に発生した『赤』だった。

日本市場からのスタートだったが、1960年代末ごろには、アメリカ市場がメインとなり、デイトナ200マイルレースに出場するに当たって、当時の現地のアメリカ人が『ライムグリーン』のレーサーを出場させたのである。

この『ライムグリーン』も会社の決済など受けていない。
当時私は国内の広告宣伝とレースを担当していたが、この分野の経験者は皆無で、
全般に会社の決済などなしに、何となく何事もやれた『いい時代』だった。
当時の日本でもロードレースに出場したが、金谷秀夫が乗りFISCOを走ったそのロードレーサーは赤だった。

当時、モトクロスにはホンダは出場していなくて『赤タンクのカワサキ』は、
モトクロスレース時代だったのだが、
ロードレースの世界では、ホンダのレーサーのタンクが赤だったので、レースを担当してた私は『まずいな』と密かに思っていたのである。
そんなとき、アメリカでのレーサーが『ライムグリーン』で登場し、
製造部と広告宣伝課で担当していた『レース』も技術部に移管されたのである。
技術部では『レース』を百合草三佐雄さんが本格的に担当しカワサキのレーサーは『グリーン』となったのである。

更に、レーサーだけにとどまらず、
市販車にもグリーンが多く使われるようになって

カワサキの赤とグリーンは、カワサキの二輪事業の初期のこんな時代を経て、グリーンに定着することになったのである。
そんな初期の時代が懐かしいなと思っている。







































































































