カワサキ 赤とグリーン
★ カワサキのコーポレートカラーはと検索すると次のような文章が現われた。
川崎重工のコーポレートカラーは、ライムグリーンです。これは、モーターサイクル事業を中心に、川崎重工が持つものづくりへの挑戦心や厳格さ、そして開発・製品への妥協を許さない姿勢を象徴する色であり、レースでの活躍とともにカワサキの「不屈の挑戦者」としてのイメージを確立し、広く普及しました。
今ではモーターサイクルに使われたライムグリーンが、川崎重工業のコーポレートカラーになっているのである。
カワサキの単車事業のスタートから従事した一人として、時代は変わったなと思う。
カワサキが二輪事業に参入した当時は、川崎航空機工業の中には殆どと言っていいほど広告宣伝の知識ノウハウなどはなかったのである。
そんなカワサキが単車事業を進めるべきかどうかを調査した日本能率協会は事業推進の条件の一つとして『広告宣伝課を創るべし』と言うのがあって、私はその新しく出来た広告宣伝課を担当したのである。
そんなことでカワサキのコーポレートカラーの推移なども何となく考えるのだが、
スタート当初のカワサキの色と言えば、「赤タンクのカワサキ」だったと言えるだろう。
カワサキが事業再建のきっかけの一つになったのが青野ヶ原のモトクロスだが、
この時のレーサーのカラーが赤で、

その後、カワサキの本格的なスポーツバイクA1に使われたのも赤だったし、

金谷秀夫が乗ったカワサキの初めてのGPレーサーのタンクも赤だったのである。

当時のホンダはフォーサイクルだけで国内のモトクロスにはファクトリーは不参加だったのだが、そんな中でカワサキは「赤タンクのカワサキ」と言われていたのである。
カワサキがはじめてロードレスに鈴鹿サーキットに参加した時のからも赤だったのだが、私は当時はレースも担当していて、この時『ちょっとまずいな』と密かに思ったことを想いだす。
その理由はホンダのレーサーも赤だったのである。
ただ当時はカワサキの社内にもそんな『カラー』を気にするような雰囲気は全くない
『広告オンチ』の事業部だったのだが、
丁度その頃アメリカの販売会社KMCが販売も広告も事業部をリードする立場にあったのだが、そのKMCがレースにも本格的に参画し、そのレーサーのカラーを『ライムグリーン』としたのである。
これがその最初のチームだが、まさに『ライムグリーン』でいまのカワサキグリーンよりは淡い色になっている。

そんなことから、カワサキの国内のレースも『赤タンクのカワサキ』から変わって
『チームグリーン』としての活動に代わっていくのである。
この忍者・Ninjaの 名付け親も実はアメリカのKMCなのだが、当時アメリカでは『忍者』が何となく流行っていたとか。
この「ネーミング」は今も使われている。

そんな経緯のある『カワサキのコーポレートカラー』なのだが、アメリカの販売会社KMCのアメリカ人が創ったカラーが今では川崎重工業全体のコーポレートカラーになっているのである。
『ライムグリーン』使われたのは1969年デイトナ200のレースなのだが、欧米では緑色は『不吉の象徴』と言われていたのだが、そんな色を敢えて使ったカワサキがKR250・H2Rなどの活躍で『グリーンモンスター』と言われ、今ではコーポレートカラーにまでなってしまったのは、不思議だけどオモシロイ。
今では世界中に緑のバイクは走っているので、『不吉な色』と言うイメージも薄れているのかも知れない。







































































































