Z1FAN   
 

Inside story of Graeme Crosby invitation            05/Sep/2013

          Written by  Atsushi Sunayama


2013年の今年は、私達が愛して止まないKAWASAKI Z1/2が発売されて、ちょうど40周年に当たる年です。我々「KAWASAKI Z1 FAN CLUB」もZ1/Z2、40周年に向けて2012年9月に、有志が立ち上がり結成されました。オーナーズクラブとは違い、ただZ1/Z2やカワサキオートバイ、いや二輪車が好きなら、大歓迎です!! しかし、二輪文化の向上等の理念は高く揚げ、異種・異質・異地域の人間を繋いで、共にGood Timesを!! と言う、とても間口が広く、またユニークなクラブ作りを目指している団体です。さて、「KAWASAKI Z1 FAN CLUBとしても、40周年を祝うイベントを何かしたいですね?」と言う、数人の会話からこの計画がスタートしました。まず、東京地区でのイベント開催を計画してみました。 しかし残念ながら、会場の問題等も有り、実現不可能と判断。急遽KAWASAKI Z1 FAN CLUB 事務局の有る三木市、グリーンピア三木での開催が決定したのです。その中で、どの様なゲストが相応しいか等と言う井戸端会議的なやり取りの中で、ミッキー・ヘッセ、グレッグ・ウオーカー、エディー・ローソン、コーク・バリントン、ワイン・ガードナー等の声が上がりました。3月4日に清水久美樹さんよりグレアム。クロスビーさんの名前が出て来て、私がそれらの方々にメールで我々のイベントに参加して貰えるかどうか確認した所、残念ながら誰からも返事は、来ませんでした。
それから、10日程経った3月14日、突然クロスビーさんから、「君達のクラブの理念やイベントの主旨を聞き、是非協力したい」とのメッセージと共に、我々が驚く様な有り難い条件の提示が有ったのです。」こちらとしては、レジェンド・ライダー達が「瓢箪から駒」的に来てくれれば良いな、と思っていたものですから、ビックリして大騒ぎでした。これには、運営委員全員が、大喜びしたのは言うまでも有りません。その後、ファンクラブでの会議で却下された時は、全員が、非常に落胆していたのですが、3人の運営委員で運営委員会に内緒で秘密裏に「グレアム・クロスビー招待」を、計画、実行に移すべくクロスビーさんに連絡を、再開しました。そこで、思ったのが、もしかしたらフェイスブックの彼が、「成り済まし」では無いか? とか、「ドタキャン」が発生したらどうしようか? と言う、招待に関する重要な疑問でした。しかし運良くニュージーランドにいる私の友人がクロスビーさんと共通の友人で、彼が本人と確認してくれて、一つの案件は、クリアーしましたが、もう一つの「ドタキャン」に関しては、浜松で彼の顔を実際に見る迄は、胃が痛くなる毎日でした。幸運だったのは、彼が奥様同伴で今回のイベントに参加出来ると聞いた時で、話の中に日本に対する感謝、敬意が非常に強い事でした。私の感想を述べると、日本人よりも「義理、人情」にとても熱い方だと思いました。紆余曲折、いろいろ大変な事が、5か月間の準備期間にはありましたが、メンバー、運営委員全員が、「出来る人が、出来る時に、出来る事をする」と、言う精神で皆が一致団結した事に依り、Graeme Crosby さんと言うLegend Rider を今回のイベントに招待出来たのだと思います。

最後に彼の想いを原語で載せて置きますので、時間を掛けて読んでみて下さい。
 
In early in 1973 I was a young 17 year old kid working in the workshop doing basic service work on a range of two stroke triples and trail bikes. Being employed by New Zealand’s Kawasaki importer I was first exposed to the Z1 when it arrived unannounced in a crate on the back of a truck on a sunny day.
In a hand game competition of ‘rocks, scissors, paper’ I won the opportunity to be first to assemble New Zealand’s first Z1.
Later that year Ginger Molloy, a New Zealand rider who placed 2nd in the 500cc World Champion 1971, rode that bike to victory in a 6 hour production race.
A year later (1974) I also rode to victory on a Z1-A in the same 6hr race, riding alone and being so far in front I even had time during a pit stop for fuel to take a toilet break.
We began fitting close ratio gearboxes and Yoshimura exhausts to our street Z1’s and in an effort to get more power we began porting cylinder heads and fitting big valves, modifying carburettors etc…. These modified Z1’s became very popular and I began winning against the traditional Yamaha racers of the mid 70’s on a Z1
I moved to Australia in 1976 and raced a modified Z1900 in many racers and we even used a Z1 in the “Bol D Or” 24hr (silhouette class) in 1977.
In 1978 Moriwaki provided me with a Moriwaki Monster to run the 8 hour and despite running out of Fuel we placed 3rd.
That same bike was then taken to the UK in 1979 and used very effectively in the British TTF1 Championship. A 4th place at the IOM gave Suzuki the confidence to give me a contract for the next two years and my time of riding the Z1’s was over.
40 years later here I am in Japan celebrating the Z1 and its success along with many Japanese fans of the Z1  It is a true measure of a successful product that 40 years after its birth long and before many of you were born the Z1 is still regarded as the – “best superbike ever”  
A few years ago I created a special small business in NZ restoring Z1’s and the triple two-stroke Kawasaki’s.  It is fun business and enjoyable and constantly reminds me of those days 40 years ago when history was being born. 
Enjoy the weekend and have fun “talking about Z1’s” it dosent matter which one you have love or want to own as they all have great history.
Graeme Crosby 
 
日本語訳
1973年初頭、私がまだ2スト3気筒やトレールバイクの簡単なサービスをしていた時は、17歳の子供でした。ニュージーランドカワサキの輸入代理店にいた時のある晴れた日にトラックに載せられた何も知らされていない一つの木箱が届き、それが初めて見たZ1 だったのです。
じゃんけんで勝った私が、ニュージーランドで初めてZ1を組み上げる機会を得たのであった。
その年の後半に、1971年に500cc世界選手権で2位になった Kiwi のジンジャー・モロイが、このZ1 に跨り「6時間市販車レース」で優勝したのである。
一年後(1974)、今度は私が、同じ「6時間市販車レース」にZ1Aで出場し、給油の為ピットストップをし、更にはトイレにも寄りながら、常に先頭を走りたった一人で完走し、優勝を果たしたのです。
我々は、街乗り用のZ1にクロスレシオミッションやヨシムラの集合管を付ける事によりパワーが上がる事が分かり、更にシリンダーヘッドを磨き、ビッグバルブを装着し、キャブの改造まで行った。この様に改造を施したZ1は、70年代中盤では一般的なヤマハのレーサー達を抑えて勝ち続けて行きました。
1976年に、オーストラリアにレースの拠点を移し、幾多のレースで沢山のレーサー達と改造Z1 で戦い、1977年には、ボルドー24時間耐久レース(シルエット・クラス)にも改造Z1で出場しました。
1978年には、鈴鹿で初めての「8時間耐久レース」にモリワキモンスターで出場し燃料切れに喘ぎながら3位でフィニッシュする事が出来ました。
1979年にそのバイクをイギリスに持って行き、イギリスTTF1選手権を戦いました。IOM(Isle of Man) での結果は総合4位となり、スズキと向こう2年間の契約を交わす事となり、私のZ1 でのレースは、幕を閉じる事となりました。
40年後の今、私はZ1 の40周年を祝う為そして多くの日本のZ1 ファンの方々と、ここ日本にいます。40年経った現在も、Z1 が生産されてから生れたZ1ファンに愛されているのを見ると、Z1は、本当に成功した製品の証ではないでしょうか。
Z1 は、いまだに「これ以上無いベストスーパーバイク」として認められていると思います。
数年前から、地元のニュージーランドに小さな会社を作り、そこでZ1 や マッハ等のレストアを始めました。とても楽しく、40年前にZ1 との歴史が始まった事や40年間のZ1 との日々を常に思い起こさせてくれます。
皆で一緒に、この40周年を祝い、Z1 の事を語り合いましょう。Z1 を持っているかいないかなんて関係無いです。皆、この素晴らしいZ1の歴史を共有しているのだから。
グレアム・クロスビー
Graeme Crosby