2022 1月

2022年1月21日

三木市とテニス      雑感

投稿者 : rfuruya

★ 毎朝スロー・ジョッギングしている三木綜合防災公園には、

 日本最大と言われている屋内テニスコートの「ブルボンビーンズドーム」がある。
 日本は勿論、世界でも例がないのではと思ったりする。
 こんな屋内テニスコートが「総合防災公園」に造られている理由は
 あの阪神・淡路大震災の時に、全国から送られてきた救援物資の貯蔵場所に困ったようで、
 東日本大震災では実際に兵庫県における救援物資の集積・仕分作業の拠点として災害支援活動に貢献した実績がある。
 こんな外観で、
  
 中はこんなメインコートの周囲に、8面のテニスコートがあって、
 そこに災害などの場合は救援物資の貯蔵に充てようというのである。
 そんな災害時には物資が簡単に入れられるように、
 トラックが入れるように設計されている。
 ちょうど今はテニスの「日本リーグ」開催中なのである。
★ 三木市は旧くから「金物の町」などで知られているが、
 ここ50年ぐらいの間に、広大な山地が住宅街に開拓され
 その周辺にはいくつもの公園がつくられて
 そのいずれにも沢山のテニスコートがある。
 三木はゴルフ場西日本一で25もあって、
 「ゴルフの町・三木」として年間100万人もの人たちが来られるのだが、
 実は「三木に来る方」で一番多いのは「テニス人口」で、
 年間130万人もの方が訪れるのである。
 このことは意外に知られていないのだが、
 テニスコートも結構広い平面の場所が必要なので、
 それを造れる場所は意外に限られていて、
 広大な平地の面積を有する三木にテニスコートは集中しているのである。
 こんなことを知ってるのは、ひょっとしたら私だけかも知れない。
 10年ほど前に、ちょっと関心があったので、
 市役所の直接担当のお嬢さんに聞いた数値なので間違いないのである。
 兵庫県のテニスコートを見ても、三木に集中しているし、
 
 三木市内には20ものテニスコートがあって、
 そのいずれもがコート数の多い大きな施設が多く、
 吉川総合公園のコートは、国体のテニス大会の会場にもなったのである。
 
 特に私が住んでいる「緑ヶ丘周辺」はテニスコートが集中していて、
 休日などはテニスをする人でいっぱいなのである。
★ゴルフに関しては、三木市もゴルフの町としての活動を
 いろいろとやっているのだが、
 「テニス」のほうの底辺のほうが「こどもから大人まで
 「男女を問わず」大きな広がりがあるように思うので、
 もう少し積極的に取り上げたらと思ったりしている。
 その頂点に、世界一ともいえる「ビーンズ・ドーム」があることが、
 ほかの都市にない「大きな要素」だと思っている。
 「日本一の」さらには「世界一」と言える「テニスの町」は、
 結構「かっこいい」と思うので、
 三木市あたりがもう少し、積極的に動けばと、思ったりしている。
 「ビーンズ・ドーム」の存在価値を再認識されてはと思ったりする。
2022年1月20日

初めての耳鼻科

投稿者 : rfuruya
耳鼻科に行ったのは初めてのことだと思う。
 私は電話機はずっと右耳で聞いていたのだが、
 先日、左耳にあててみると聞こえ方が違うのである。
 右耳が聞こえないというわけではないのだが、明らかに違うので、
 気になっていたのだが、
 だんだんと差が広がるような気もして
 「一度耳鼻科にでも行ってみるか」ということになったのである。
 何事も「気にしだすと」気になるものである。
 耳鼻科ではいろいろと耳の検査をしてもらった。
 その結果である。
 上が左耳で、下が右耳である。
 若い時の正常値はゼロの位置だというから、
 右も左も聞こえにくくなっているのは間違いない。
 
 年を取ると「耳が遠くなる」というが、
 それを「老人性難聴」といって、
 内耳の感覚細胞は、加齢とともに徐々に数が減っていくそうである。
 これが高齢になると聞こえにくくなるのが老人性難聴だから、
 88才では仕方がないのかも知れない。
 ただ「補聴器を付ける」段階ではないということで一安心だった。
 ネットで調べてみると、
 80代は一番下の線だが、
 こんなに聴力は落ちるのである。
 
 少々、右耳がおかしいぐらいは仕方がないのかも知れない。
★ 初めての病院だったが、
 看護婦さんに「歩き方が若い」と言って頂いて、
 気分をよくして帰って来た。
2022年1月19日

1957年(63年前)の1月19日

投稿者 : rfuruya
★今から63年前の今日1957年の1月19日は、
 神戸国際会館でのダンスパーテイーの日だったのである。
 神戸商大硬式野球部主催で、当時私は神戸商大5回生だったが、
 チームの監督をやっていたのである。
 生涯いろいろなイベントに関わってきたのだが、
 それはいずれも派手に大規模に行うのが常だったが、
 このダンスパーテイー起案者も実質的なかじ取りも私で、
 人生で初めての大規模イベントの主催だったのだが、
 その結果大成功で、今でもよく覚えている出来事だったのである。
 そのパーテイー券がこちらである。
 1枚100円は当時の相場で、今でいえば1000円ほどにあたると思う。
 日記の1月19日のページに挟まれていて、
 表は結構かっこいい、こんなデザインなのである。
 
★ なぜこんなダンスパーテイーを主催することになったのか?
 当時の関西の大学リーグは、関西6大学西宮球場で、
 近畿6大学甲子園球場で行われていたのである。
 神戸商大は近畿6大学だったので、
 大学3回生まではリーグ戦は甲子園球場であり、
 そんなこともあって私が一番多くプレーした球場甲子園球場なのである。
 高校時代の夏の予選も甲子園球場だったし、
 当時正月に行われていた兵庫県のOB戦も甲子園だったから、
 いまと違って甲子園がそんなに特別な球場でもなかったのである。
 当時の神戸商大は結構強くて、リーグに近大がいて常に優勝していたのだが、
 神戸商大も近大に次いでリーグ2,3位の位置にいた時代である。
 ちょっと脱線するが、
 当時の阪神の2軍にはあの小山正明がいたのだが、
 彼は私と同じ年次で、兵庫県の高砂高校出身で、
 明石高とは同じ東播地区なので何回か対戦しているが、
 正直、そんなに印象には残っていないのである。
 当然明石が勝っていたし、印象に残るような投手ではなかったのだが、
 その小山は1953年に(私が大学1年の時)阪神に、
 契約金なしの月給5,000円打撃投手も兼ねたテスト生として入団していたのである。
 小山は阪神の野田球団オーナーの遠縁にあたることから、
 お情け採用だった可能性もあるとかの記事もあったのだが、
 当時は、あんな大投手になるとは夢にも思わなかったのである。
★ 私は大学では勉強はしなかったが、
 野球だけは一生懸命で3,4回生で主将を務め、
 大学を1年延ばして5回生の時には監督をしていたのである。
 そんなこともあって、大学ではよく練習もしたのだが、
 バットやボール代や、明石球場の使用料などが嵩んで、
 運動具店などに結構大きな10万円ほどの借金が残っていたのである。
 10万円かと思われるかも知れぬが、
 当時の大学卒の初任給が1万円の時代だから、
 今でいうと100万円相当の額なのである。
 この借金を何とかしなければと思い立ったのがダンスパーテイーなのである。
 当時は大学主催のパーテイーも数多くあったが、
 それらは2~300名規模のものが普通で、
 そんな規模では10万円の借金などとても返せないのである。
 そんなことで起案したのが、普通のパーテイーの10倍ぐらいの規模
 2000名ぐらいの大規模なものを考えたのである。
 それは普通では無理なので
 その会場は、スタートしたばかりの「神戸国際会館の大ホール」とし、
 当初から部員全員で2000枚を売る目標を立てたのである。
 「神戸国際会館」は1956年に、進駐軍イーストキャンプ跡の遊休地に、
 当時最新鋭の設備をそなえたコンサートホールとして開館し、
 神戸国際会館大ホール、映画館、神戸国際ホテルなどでオープンしたばかりで、
 そのネームバリューだけでも非常に高かったのである。
     
 1995年の阪神・淡路大震災で全壊したので、
 現在はこんな形になっているが、
 旧・神戸国際会館もオープン当時は時代の最先端を行くものだったのである。
 
★そんなこともあって、2000枚のパーテイー券はほぼ売り切ったのだが、
 2000名も集めると、大ホールだけでは1坪20名にもなってしまうので、
 隣接する別のホールも借り増ししたりしたのである。
 日記のページにはこんな当日の「収支報告」もあったが、
 収入が204000円、 支出が 103000円
 見事目標通りの 10万円の利益となっているのである。
 
  そして、ここにあるように各運動具店などの借金
  何とか支払うことが出来て、
  無事、卒業することが出来たのである。
    
★ このことは、その後の私の人生にとって、
 「大きな自信」に繋がっているのである。
 「大きな目標」を達成するするためには、
 努力ももちろん大事なのだが、
 それ以上に、それを可能にする「仕組み」こそが、
 成功のMUST条件なのである。
 この時、新装なった「新神戸国際会館」という舞台がなかったら
 こんなことにはなっていないのである。
 あの時「新国際会館」がオープンしていなかったら、
 野球部の借金は、そのまま後輩たちに引き継いで卒業したかも知れないのである。
 そういう意味では「幸運に恵まれていた」と言っていい。
 いずれにしても、「よかったな」と思っている
 私にとってもこの経験が自信に繋がった大きな出来事」だったのである。
2022年1月17日

私のアーカイブス・定年後  その12

投稿者 : rfuruya
★ 私のアーカイブス・定年後も12回目になった。
 2012年は79才である。
 70歳代の最後の年なのでこのシリーズも一応ここで区切りをつけて、
 80歳代のことはまた何年かのちに纏めてみることにしたい。
 この年も結構いろいろとやっている。
 ほぼ10年前のことなのだが、そういう意味ではやはり10年若かったし、
 いまのコロナ時代と違って自由に動けた時代なのである。
 2009年に立ち上げたNPO The Good Times の活動も
 一番頑張った時期かも知れない。
 いまも活動を続けている
 「二輪文化を語る会」「粟生線の未来を考える市民の会』や
 「KAWASAKI Z1 FAN CLUB 」などがスタートしたのがこの年なのである。
    これらの活動が、みんなFacebook を舞台に活動を開始したもので、
 個人的にも吉田純一さんを誘ったら5月にFacebook に登場しているのである。
★ いろんなイベントもいろいろやってるが
  特に5月10日、三木綜合防災公園で開催した
  「笑って遊ぼう三木ランド」は盛りだくさんのイベントで、
  大成功だった。
   
  こんな自転車の曲乗りを披露してるのは 山本隆さんである。
 
 あちこちで開催していた「ミニSL」はここでも大人気だった。
 
★ この年が「Kawasaki Z1発売40周年 Reunion」で
  
アメリカのKMCを舞台に、浜脇洋二さん以下当時の従業員たちが集まったのだが、
 そんな会合に私も誘われて久しぶりのアメリカだった。
 
    年末には 「カワサキZの源流と軌跡」という本も発売され、
 当時のカワサキのZに関わった人たちが
 それぞれ、その思い出を語っている。
 私もその販売網構築などについて語っている。
 
★ この年、母はまだ元気で103歳を迎えているし、
 私たち夫婦は結婚50周年で、
 アメリカの娘一家のところに遊びに行ってるし、
  
 日本でもこんなお祝を頂いている。
 
 早いもので、今年の12月には
 「結婚60周年」になるのだが、何とかそこまでは大丈夫かも知れない。
2022年1月16日

1月15日の自然

投稿者 : rfuruya
★毎年、暖冬と言われ続けていたが今年の冬はどうなったのだろう?
 この辺りは雪は降らないが、日本海側や北海道は大変なようである。
 1月も半ば15日になった。
 1月は新春というが、
 公園の風景もこんな感じで、まだ「冬の景色」だが
  
 近づいてみると、
 木の芽も膨らみかけている。
 
 小さな芽がいっぱい、動き始めたと言っていい。
 我が家のしだれ梅の芽は、まだこんなに小さいが、
公園の陽だまりの梅のつぼみは、少し大きくなり始めている。
 苔にも何となく「春を感じる」そんな季節である。
 
 立春はいつだったかな?
 春は間違いなく、もうすぐやってくる。
2022年1月15日

3回目のワクチン接種    雑感

投稿者 : rfuruya
★世の中はオミクロン株の急増で大変なことになりそうである。
 3回目のワクチン接種が急がれるところだが、
 三木市から「3回目のワクチン接種」の案内が届いた。
 電話予約インターネット予約の2種類だが、
 電話予約のほうは簡単なのだと思うが、
 電話が込み合っていて、幾ら掛けても繋がらないのである。
 インターネット予約のほうは、途中までは出来るのだが、
 最後のほうの肝心の「予約」のところは
 ネットでのやり方がムツカシクて、最後まで行く着くことは出来なかった。
 若い方ならともかく、高齢者の人は大変だと思う。
 どうしようかと思ったが、三木市役所の「健康増進課」に電話して
 「ネットで予約しようと思ったが。ムツカシクテ出来ない」と伝えたら、
 「よく解る方に代わります」と言って詳しい方が出てこられて、
 「私がご案内します」と仰って頂いて、
 インターネットでの申し込みを、20分ぐらいも掛かったと思うが、
 最初から最後まで丁寧に付き合って頂いたのである。
  その結果がこれである。
  めでたく2月2日の14時から旧三木志染中学校会場での
  第1日目の予約が取れたのである。
 
 ご覧の通り、2月2日から3回目のワクチン接種が始まるのだが、
 なぜ、こんなにややこしいのかというと、
 今回集団接種会場での接種はすべて「モデルナ」で
ファイザー」を希望する人は個別病院での接種でないとダメなのである。
 そして、個別接種の申し込みは、各医療機関でまちまちで、
 「一番早くても、2月20日から・・・」などと仰るのである。
 そんな複雑な対応を、文書で纏めてあるので
 説明が複雑になってしまうのは致し方ないのかも知れない。
 
★「私の場合」は2回とも「ファイザー」だから、
 3回目も「ファイザー」にしようとすると、
 個別病院での申し込みになってしまうのだが、
 これはとても大変だと思ったので「3回目はモデルナ」ということにしたのである。
 3回目もファイザーに拘る方の対応は、個別病院対応となるから、
 これは大変で、電話で説明する方も説明は複雑で大変だと思う。
 私は何事も「迅速に」いかないと気が済まないものだから、
 すぐ「ファイザー」から「モデルナ」に変更したのだが、
 これは正解だったと思っている。
 兎に角、今回の接種日程で最も早い2月2日の14時確定できたことに、
 大満足なのである。
 3回目のワクチン接種は「記憶を強固にして長続きさせる」とあるし、
  
 モデルナワクチンのオミクロン株への効果も
 このように「効果あり」と言われている。
 2月2日まで、あと半月なので、
 それまでに間違ってもオミクロン株に感染などしないように、
 従来通りよく注意して、毎日を過ごしたいと思っている。
2022年1月14日

減量できるだろうか?   

投稿者 : rfuruya

★日ハム新庄監督になってから、選手たちの変貌が話題になっている。
 木田2軍監督も5kg減量したようだし、
  
 清原幸太郎のこんな記事が出たのは昨年の11月10日だが、
  
 極く最近の記事では、5.4キロの減量に成功したとか。
 トレーニングで落としたのか?
 食う量を減らしたのか?
 両方だとは思うが、「食う量を減らした」のは間違ないだろう。
 兎に角、目標達成なのである。
★ 私事だが、昨年11月中旬に右膝を痛めて、
 スロージョギングが出来なくなって、年末までに2kgほど体重が増え、
 更にこの正月に食い過ぎて、体重は86kgを記録してしまっている。
 これは生涯の新記録なのである。
 大体4kgほど肥えてしまって、腹は出たし体も重い。
 1月4日からスロー・ジョッギングを再開したのだが、
 歩数は1万歩の以前の状況に戻ってはいるのだが、
  
  運動だけでは、簡単に体重は減りそうにないのである。
  出来るかどうか?
  思い切って、食う量を減らしてみようかと思っている。
  簡単なようだが、
  戦後の食糧難の時代に育ったので、これがなかなかムツカシイ。
  でも、このままでは減量できそうにもないので
  2か月かけて3月初めの「89才の誕生日までに82kg以下にする
  ことを目標にチャレンジしてみようかと思っている。
  黙ってやると多分間違いなく挫折すると思うので、
  ここにアップして「目標公表」しているのだが、
  果たし「減量できるだろうか?
2022年1月13日

50年前の1月13日

投稿者 : rfuruya
★20歳の頃から日記を書いているので、
 何年前であろうが、その日に何をしていたかは、日記帳をめくりさえすれば解る。
   最近は閑に任せて昔の日記を読み返したりしているので、
 「何年前の今日」何をやってたのか。
 その頃は、どんなことをやり、どんなことを考えていたのか。
    意外に覚えていることも、忘れてしまっていることもあるので、
 「何年前かの今日」ということで、1週間に1度ぐらいの頻度で、
 ご紹介してみることにする。
 まずは50年前の今日、38歳の1月13日の日記である。
 
 「サンフランシスコ2日目、デーラー訪問。
  そのあとは市内観光、ゴールデン・ブリッジ、美しい眺めである。
 本土最後のナイトツアー、日本では流行語のポルノ、
 米国では映画も写真も本も公然と販売され、上映されている。
 すごい世の中になっている。」
 などと書いている。
 まだ日本とアメリカではいろんなことで格差のあった時代なのである。
★実はこの年1月8日から1月15日まで、
カワサキの販売店100人ほどのアメリカ本土・ハワイへの招待旅行を実施して、
ロス・サンフランシスコでの市場調査などをやっている。
まだこの時代海外旅行など一般的ではなかった頃で、
参加者全員が『初めての海外旅行』だったのだが、
当時、カワサキは業界に先駆けて、二輪専門の販売店網、特約店制度を起案の時期で、
そんな二輪専門店を目指す東京・大阪・名古屋の販売店を
先進的なアメリカの販売店がどのようなものか、
実地に見学しようというそんなツアーだったのである。
 当時私は大阪・近畿二府4県の母店長をしていたのだが、
 このツアーの企画もやった関係で、調査団の団長を仰せつかっていたのである。
★ 当時のアメリカのKMCサンタナに本社があった時代で、
 カワサキの二輪事業をアメリカ市場が引っ張っていた時代であった。
 車でいえば250A1や、マッハⅢの時代で、
 Z1が出る「ちょっと前」の時代だったのである。
 
 日本人とともにアメリカ人がその経営の中心にいた
 KMCが現地主義という方針を摂り、トップは浜脇さんだったが、
 その具体的な経営は、二輪に詳しいアメリカ人がやっていた。
 逆に言うと、川崎航空機工業にはまだ販売会社の経営など経験のある人はいなくて、
 日本でも第一線の経営はメグロ明発の人がやっていた。
 私などは川崎航空機からそんな販社に出向していたほんとに数少ない中の一人だったのである。
 一番左は当時の杉沼浩さんで、後年MFJの常務理事もされたから、
 面識のおありの方も多いと思うが、
 当時英語を喋れた唯一の日本人だったのである。
 いまと違って英語などは通訳が喋るものという、そんな時代だったのである。
 そんなサンタナのKMC本社も訪問して、
 浜脇社長からいろいろと説明を伺ったりしたのである。
★50年前だから、私も50年も若くてまだ38歳の若さなのだが、
 カワサキの二輪事業も若かったので、
 各営業所のトップは私以上に若い人たちが担当していた時代なのである。
 当時の販売店で今も残っているところは少ないが、
 大阪でいえば船場の岡田博社長時代で、株・忍者の伊藤さんがまだ本当に若かった頃のことなのである。
 当時の二輪業界はまだ販売店は自転車屋さんが主力で、
 販売機種も50ccのモペットが主体で、
 カワサキだけがモペットを持たずに、中大型のスポーツ車が主体だったのである。
 そんなことから、大阪でも二輪専門の販売店を目指す25店を中心に
 カワサキ協栄会を組織していたころで、
 翌年、Z2の発売とともに特約店制度がスタートしたのである。
 ちょうどその1年前の「アメリカ市場視察団」だったのである。
★この視察旅行では、二輪業界以外のことで世界には日本と異なる文化がいっぱいあることも体験した。
 ホテルのロビーでは静かにしていないといけないこと、
 ロビーで日本語で大声で喋っていたら、警官が来たりした。
 食事などあてがえられたものを食うものだと思っていたら、
 各自が注文しなければならないのである。
 「ビール」と言えば「どこのどんなビール?」と聞かれて大変だった。
 ツアーの最後がハワイだったのだが、
 ハワイでは「日本式」が結構通じて、みんなホットしたのを覚えている。
 50年前の日本は、やはり今とは全然違った社会だったのである。
2022年1月12日

私のアーカイブス・定年後  その11

投稿者 : rfuruya
2011年は78才の年である。
 いろんなことがあった年だが、私もまだ元気に社会に出歩いている。
 この年の1月22日にFacebook をスタートしていて、
 やりかけると何でも熱心にやるものだから、
 1月末から2月にかけてはFacebook の話題も日記に多く出てくる。
 まだ、トモダチも少ないが 樋渡さんのこんなサイトも出てくるから、
 すぐ繋がっていたのだろう。
 
1月29日には神戸木の実クラブの50周年記念パーテイーに出席していて。
こんな錚々たるメンバーたちとの写真が残っている。
 
この会の主役であった片山義美さんも、金谷秀夫も、今はもういない。
★ 3月4日には「カワサキの想い出、そして未来」の会合だった。
平井稔男さんが主宰をしてNPO The Good Times が後援したいい会合で、
全国から100名以上が集まった。
その時の写真がいっぱいである。
 主宰者の平井稔男さん、
  
 私も村島さんと
 カワサキの重鎮たちも揃って顔を見せたし、
  こんなに盛会だった。
平井さんを囲んでこんな懐かし顔が並んでいる。
 
カワサキだけでなく、ホンダ・スズキ・ヤマハ・BSのレース関係者
顔を揃えた。
いま私のFacebook に使ってる写真である。
 登山道夫さんもいるし、
 司会はこんなコンビで、
 みんな今もFacebookで繋がっている人たちである。。
★ そんな会合の1週間後、3月11日にあったのが、あの東北大震災
 地震もすごかったが、あの津波にはびっくりした。
 
 NPO The Good Times のまだ理事長時代で、
 その団体会員確保などに熱心に活動していて、
 社会のいろんな方たちと繋がっている。
 今も続いている「粟生線の未来を考える市民の会」と繋がったのもこの年だし、
 余川と緑ヶ丘こどもたちを繋いで
 どろんこドッチボールなどに関わっていたのもこの年のことである。
 
その時アップした「雑感日記」です。
この活動と、NPO The Good Timesの当時の活動など、
なかなかちゃんとアップしてるので、ぜひご覧になってみて下さい。
日記を読み返してみると、
この年、11月にひざを痛めていて、
1か月ほど治るのに掛かっているが、全然覚えていないのである。
今回の「ひざ痛」も、ほぼ10年ぶりだったのである。
2011年、78才はそんな1年だったのである。
2022年1月11日

成人の日に   雑感

投稿者 : rfuruya
★ 世の中は「成人の日」とかで3連休である。
 成人の日と言えば「成人式」で
 こんな晴れ着のお嬢さん方の印象が強いが、
 その出席率は6割程度で、特に昨今はコロナの関係もあって
成人式に参加する」という割合は、39%と4割を切り
  例年から20ポイントも減少したらしい。
 
 昭和23年(1948)に制定されたというが、
 私はその頃高校生だったが、「成人の日」など知らなかったし、
 「成人の日」の式典などもなかったのだろうと思う。
 こんなに成人の日のお祝などするようになったのはいつ頃からなのかな?
 息子も娘も「成人式」などはあったが、出席していないと思う。
 20歳になると大人だという感覚は有ったのだろうが、
 実際に酒を飲んだり、煙草を吸いだしたのは大学に入学した時からである。
酒とたばこ」が「大人の仲間入り」みたいなところがあったよう思う。
 歓迎会にはお酒が出たし、周囲人たちも煙草を吸いだして、
 たばこなど「旨い」と思ったわけではないのだが、
 そうすることが普通で、大人になったというそんな世の中だったのだろう。
★そんなことで始めた「酒と煙草」だが、
煙草」は50才の頃に止めてしまって以来1本も吸っていない。
 ただ「」は世の中でいう「酒飲み」の部類ではないのだが、
 家では夜は毎晩晩酌を欠かしたことがない。
 夕食には晩酌は付き物と思い込んでる節がある。
 晩酌と言っても缶ビール1本、それも発泡酒だが、
 ビールも発泡酒もその違いがよく解らぬ程度の酒飲みなのである。
 ただ、昨今の若い人たちは、酒もたばこもそんなに関心がないらしい。
 統計を見ても、若い人ほど「酒を飲まない」比率は高い。
  
  若者の半数はアルコールを飲んでいない とあったが、
  ホントである。
★ では一体「大人になる」とはどういうことか?
  と調べてみたら
  こんな6つの基準が現れた。
 精神的にも金銭的にも自立して、きちんと生活が出来て、
 責任感があり、人のために頑張れて、一般常識があること
 とあった。
  
 なるほどと思ったが、
 これはなかなか20才ではムツカシイ
 成人式の借り衣装代をどれくらいの人が自分で払ったのだろうか?
 大体「成人式」などが要るのだろうか?
 今年は6割の人が参加していない。
 こんな「子どもみたいなこと」やってるのは世界で日本だけだろう。
 その日1日、借り衣装で着飾る風習など、何の意味があるのだろう?
 まさに「こどもじみてる」と思うのだが。
 その成人の基準が今年の4月から18歳に若返るという。
 また4月に18歳で成人式などやるのだろうか?
 ちょっと斜めから見た感想になったが、
 成人の日成人式もなかった時代を過ごして
大人になった」 おじんの僻みだろうか?

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