2021 12月

2021年12月21日

私の周りにいた人たちはどんどん立派になる

投稿者 : rfuruya

★こんな4人が「MFJモーターサイクルスポーツ殿堂入り 」をしたというニュースが流れた。

 左から久保和夫・鈴木忠男・山本隆・吉村太一さんである。
 私がカワサキでレース担当をしていたころの
 ライダー諸君で当時は久保和夫さんは名実ともに日本のトップライダーだったが、
 山本隆さんがちょっと有名になりかけた頃、
 吉村太一ちゃんと鈴木忠さんはまだ新人ライダーだった。
 なぜか、いろいろと関係があった。
 久保さんは当時の名門城北ライダースのTOPライダーで、
 久保さんだけでなく、城北ライダースの人たちと何となく繋がっていた。
 藤井敏雄さんを私に紹介してくれたのは久保さんだった。
 山本隆さんはカワサキのライダーだったから当時は毎日会っていた。
 私は彼の仲人でもある。
 吉村太一ちゃんは、当時カワサキにいた星野一義のライバルで、
 二人が18歳の頃からよく知っている。
 鈴木忠さんも知っているが、
 彼の師匠・スポーツライダースの野口種晴さんとも結構親しかった。
 この写真後列の一番右は、大久保力さんである。
 当時はバイク雑誌はオートバイ誌モーターサイクリストの二誌しかなくて、
 大久保力さんはサイクリストで新車のテストライデイング記事担当で、
 よく明石に来られてた。
  今は二輪車業界の大御所なのである。
★ それにしても、みんな立派になられるものである。
 50年前、皆さんがこんなことになるとは夢にも思わなかったのである。
 この数年でも、いろんな機会にいろんなところでお会いはしているのだが、
 みんな昔のご縁で繋がっているのである。
 たまたま、若いころレースを担当したお陰で、
 当時はただのライダーだった方たちが「世界の~」とか「日本の~」とかがつく
 有名人になっていくので私としても嬉しい限りなのである。
 いろんなライダーたちとの思い出の写真がいっぱいなのでご紹介してみよう。
これは東京で、サイクリスト誌の会合で久しぶりにお会いした久保和夫さん
   
 これは同じ会合で、私がシャッターを押してるが
 山本隆・久保和夫・菅家安智さんである。
  
これはかってのモトクロスライダーの集まりに、ご招待頂いたときに
 菅谷・久保・吉村さん
 これは「片山義美をしのぶ会」での私のテーブルで、
 有名人いっぱいである。
 私の左の大槻幸雄さんも殿堂入りされたし、
 吉田純一さんは叙勲を受けられたが、
 今回は山本隆さんも殿堂入りなのである。
 私の右が大久保力さん、この時は同じテーブルだった。
  これはまだ片山義美さんがお元気なころ、
 確か「神戸木の実50周年記念」だったと思う。
 これはマウンテンライダースの50周年記念で、
 当日は私の誕生日だったものだから、
 太一ちゃんが気を遣ってくれて、こんな花束を頂いた。
 
 その会合の始まる前に、こんなライダーたちと
 鈴木忠さんもいるし、金谷もいる。
 金谷秀夫とはこの日が最後になってしまった。
 
 超有名人になった星野一義とも、想い出いっぱいなのである。
 これはちょっと珍しいトリオ。
 北川圭一のスタートはカワサキなのである。
 京都の吉川健一さんに頼まれてチーム・グリーンに推薦したのがレースの始まり、
 真ん中の女性は、今ちょっと話題のKMJの社長になられた桐野英子さんである。
★ 私自身は長く二輪に関係はしたが、
 自分ではバイクにも乗らないし、バイクを持ったこともない。
 それなのに、若いころちょっとレースに首を突っ込んでいただけで、
 こんなレース界のいろんな会合にいろいろと声を掛けて頂けるのは嬉しいことである。
 特に定年後の今、そんな二輪界の方たちとネットでは、殆ど毎日繋がっている。
 そういう意味では「私の財産」と言ってよく、
 そんな方たちが単なる有名人からさらに社会的な表彰を受けられることは
 私にとっても「誇り」なのである。
 沢山ある写真の中から、Facebook の私の表紙にこの写真を使っているのは、
 私がレース担当をした時代の5メーカー
 ホンダ・スズキ・ヤマハ・BS・カワサキのレース関係者が揃っているからである。
 右からホンダ渡辺さん
 ブルジストン田中隆造
 スズキとホンダにいた村太一
 カワサキとスズキ木村夏也
 それに「カワサキ星野一義金谷秀
 このお二人はカワサキから移動後が有名だが、
 レースのスタートのその故郷は「カワサキ」なのである
 こんな皆さんとの思い出いっぱいなのである。
 ほんとに「私の周りにいた人たちはどんどん立派になる」が実感なのである。
2021年12月20日

ものの価値とは何なのか?

投稿者 : rfuruya

★いつ頃だったか、私も時計に凝った時期があって家にはいっぱい腕時計がある。

 この頃は腕には四六時中、寝ている時もFitbitを付けているので、
 時計たちの電池はみんな切れて、止まってしまっている。
 時計などその機能は「時間を知らせる」ことなのだから、
 高くても安くても全く「機能には差がない」はずなのだが、
 昨今はいろんな形の時計が現れて様々で、
 同じ腕時計でもその値段もびっくりするような差があるようである。
 以下の4つの値段は300円から3000円クラス、
 そして4番目は64百万円というのだが、
 だれが、どのようにしてその値を付けるのだろうか?
 そしてそれは納得されるから、買う人もいるのである。
 
   
   
 最後のリシャール・ミル  はスイスの高級腕時計ブランドで、
 複数の高級ブランドに携わった経験を持つフランスのリシャール・ミルによって
 2001年に設立されたというからそんなに歴史があるわけでもないのだが、
 作った人の希少価値なのか?
 その製品は1千万円から1億円以上と高額だが、限定品なので入手困難なのだという。
 その作者によって値が付くというのだから
 絵画の世界のようである。
    こんな昔では考えられなかったようなデザインのものもある。
 みんな、高いらしい。
       
★ 世の中には金持ちも多いから、
 そんな金持ちや高額所得者の有名人にとってみると
 格好の「自己満足」が得られて、満足しているのだろうが、
 私自身も一時期時計に凝ったが、それはこんな高級品とはケタが違うが、
 その時はそれなりに「高い時計」が欲しかったのだが、
 いまはみんな眠ってしまっていているのは、
 同じ人間なのだが「価値観に変化」があったのだろうか?
 
 人間は不思議な生き物だと思う。
 生きてきた時期によってその「価値観」に変化があるのは間違いない。
 それは自分自身のことなのだが、
 なぜそうなのかが、よく解らないのである。
 いま、一番私にとって必要なのは「家内」かも知れない。
 毎日の生活が、自由にのんびりと過ごせているのも、
 「家内」がいろいろとやってくれるから、
 私自身は「好きなこと」に集中できているのだと思う。
 こんなブログを書いてるのも、今の私には非常に大事な時間なのである。
 家内は忘れていると思うが、明日は59回目結婚記念日なのである。
 腕時計などは、別に大したものではなくなってしまっている昨今である。
2021年12月19日

川崎重工業の二輪事業   雑感 

投稿者 : rfuruya

★川崎重工業の株主あてにこんなチラシが送られてきた。
 この半年間の売り上げ比率である。
  
 モーターサイクルの比率が30%を占めていて最大なのである。
 これを見て正直びっくりだし、
 かっての川崎航空機工業の明石工場のロボット・ガスタービンも大きくなったし、
 岐阜工場の航空機を含めると、
 川崎重工業の売上高の50%以上を占めているのである。
 私は昭和32年(1957)に、川崎航空機に入社したのだが、
 当時は新会社設立4年目で、バイクエンジンはやっていたが、
 二輪事業はまだスタートしていなかった時期である。
 私自身が明石出身なので川崎航空機とはいろいろと関係もあったのだが、
 軍事工場だということで戦時中には爆撃を受け、
 まだ事業再開されていない昭和24年(1949)はまだ空襲を受けたままのこんな状態だったのである。
  
 入社して財産課に配属されたのだが、財産課が処分する、戦前の機械や工場の焼け跡の鉄骨が、結構大きな比率を占めていた、苦しい時代だったのである。
 実現はしなかったが、こんな4輪車の開発を手掛けていて
 Zのエンジンの開発担当者であった稲村暁一さんは入社当時、
 この4輪車のエンジン設計に携わっていたのである。
 
★ 川崎航空機工業時代の二輪車関連の推移は以下の通りで、
 二輪事業が本格的にスタートしたのは昭和36年で、
 その年に単車営業部が出来て、私はその新しい単車営業に異動したのである。
昭和28年(1953年)    バイク用エンジンを開発/販売
昭和29年(1954年)    明発工業を設立(出資/提携)
昭和34年(1959年)    川崎航空機工業内に単車部が出来る
昭和35年(1960年)    目黒製作所と提携し販売網を確保
昭和36年(1961年)    カワサキPET及びB7を発売・単車営業部発足
昭和38年(1963年)    完全新設計オートバイB8を発売
昭和44年(1969年)    川重、川車、川航3社合併し、川崎重工業
★そんな川崎航時代は、昭和44年(1969)まで続き、
 3社合併により川崎重工業となるのだが、
 合併当時の主事業は今は殆ど実績のない「造船事業」が主力で、
 単車事業もまだ赤字が続く不安定な時期だったのだが、
 それが継続できたのは、ひとえに「造船部門」が川重全社を支えていたのである。
 そんな時期を経験しているので、
 現在の川崎重工業の事業比率を見ると本当に感慨ひとしおなのである。
 かっては足を引っ張った「単車事業」が今は川重を支えているのである。
 ただ「カワサキ・Kawasaki」は、世界に事業展開した単車事業が、
 世界にその知名度を定着させたもので、
 車両や船が世界に出て行った時期には「カワサキは車両や船も造っているのか」などと言われたという話もあるのである。
 今年はカワサキ二輪事業のスタート60周年だし、
 来年はZの発売50周年なのである。
 50年も経つと、世の中は本当に変わってしまうものである。
2021年12月18日

私のひざ痛対策

投稿者 : rfuruya
右ひざがおかしいなと思いながら走っていたのは11月のことである。
 少し痛みが普通ではないのでランニングを止めたのが11月23日。
 1週間ほど休んだがもう一つなので三木山陽病院に診察に行ったのが12月2日。
 その時は普通の写真を撮っての「先生の診断」は大したことはないだろうだった。
 確かに「大したことはなかった」のだが、
 12月5日に椅子から立ち上がる時に「ギクッ」ときて、
 痛くて歩けなくなってしまったのである。
 この時はホントに痛くて歩けないものだから、
 翌朝救急車で病院まで運んで頂いて、
 MRI写真を撮ってもらったが「骨には異常なし」ということで、
 「ちょっと安静にしとくか」という診断だったのである。
 特別のサポーターと、松葉杖などお借りして、静かにしていたら、
 松葉杖などなくても歩けるようにはなったのだが、
 昨日は、こんな仰々しい格好での診察だったのである。
 
★「日にち薬だから焦らずに」ということで次回の診察は12月30日の年末なのである。
 「焦らずに」と先生は仰るのだが
  年末まであと2週間、じっとしているのも大変なのである。
 「じっとしている」ものだから、体重は85kgになって新記録になってしまった。
 ネットで「ひざ痛対策」など調べていたら
 こんな「百歳まで歩くには」とか
 「安静にすると逆効果・運動で治す」
   「自宅で楽しくできる運動法」などの見出しで、
 いろんな情報がいっぱいなのである。
 
 「安静にすると逆効果?
 「ひざ関節の痛みをとる対処法
 「痛くても動く」などいろいろ情報いっぱいである。
 「時間を持て余している」ので、早速どんな運動がいいのか調べてみた。
★ 以下はネットに出てきた「ひざ痛改善運動」の数々である。
 重複するのもあるが、忘れないように、全部掲載してみる。
 毎朝のストレッチでやってる運動もあるのだが、
 こんなのがいっぱい並んでいる。
 
  椅子に座った運動が昼間にはいい。
         
         
  
  
 こんなお皿のマッサージも載っていた。
 
★ 11月までは朝2時間ほど走っていたので、
  これからは朝走る代わりに、
  こんなストレッチや足の運動をやることにする。
  体重も元通り82kgに戻さねばならない。
  ただ「やり過ぎないように」気を付けてやってみたい。
  12月末の次回の診察時には、どんな状態になっているのだろうか?
2021年12月17日

ウソみたいなホントの話

投稿者 : rfuruya

★ 昨年度のニューイヤー駅伝を制した富士通が、
 その優勝旗が所在不明になっていると発表したという「ウソみたいな話」がニュースに流れた。
 その記事によると、
次回大会に向けて返還準備を始めた先月下旬に判明したという
都内の本社事務所内にケースに入れて保管していて、
6月までは社内にあったのは確認できてるという。
    
富士通によると、
優勝旗は元日のレース直後、開催地の群馬県から東京・汐留の本社に配送
社内で保管していたが、6月に社内のレイアウト変更で優勝旗を管理していた部署を別の階に移動しており、
荷物の運搬作業のなかで誤って廃棄した可能性もあるのだという。
優勝旗を飾っていなかったようだから、
若し箱になど入っていたら、そんなに大きなものにはならないだろうし、
特に目立つわけでもないので、
事務所移動の「ドサクサ」に紛れて捨ててしまったという可能性は否定できない。
事務所の移動の際の物品整理など、いろんな人が当たるので、
優勝旗への関心」など特別にはナイので捨ててしまったのではないかと思う。
盗難」などと記事にあったが、それは可能性は薄いのではないだろうか。
  
★ 大会は文字通り1月1日だから、
 時間もないし改めて新しい旗を創ることもできないようである。
 主催者は「特に大会参加への支障はありませんし、
ペナルティーなどもありません。
ただ表彰式で優勝チームへ渡せる旗がないということです」
 と回答したと言う。
来年以降はどうするのか、従来通りの旗でいいのか、
 それとも時代に合ったものにするのか、現時点では保留です。
 富士通さんの意向も含めて、今後の対応を考えたい」とか。
 主催者は、そんなに慌てた様子もないし、
 主催者がミスしたわけではないのだから、
 確かに特別困るわけでもない。
 大会の運営そのものには何の問題もないのである。
 果たして結果は、どうなるのか?
 来年の「ニューイヤー駅伝」はこんなニュースのお陰で、
 注目度は上がるかも知れない。
 主催者にとっては「話題になるほうがいい」のかも知れない。
2021年12月16日

私のアーカイブス・定年後  その8

投稿者 : rfuruya

2008年は75歳、今から13年前のことなのだが、

 若し日記やブログがなかったら、
 その年に何をやってたかなど「全く解らない
 何となくいろいろと覚えてはいるのだが、
 若い時代と違って、その「あとさき」は全然覚えてはいないのである。
 そういう意味では、日記を書いていたり、ブログをやったりして
 その記録が正確に残っているのは有難いことである。
★ この年は「ミニSL]で始まって「ミニSL」で終わった年とも言えるのである。
 鉄道マニアの福井昇くんから私に「神戸臨港線を復活できないか」というトンでもない話が舞い込んだのだが月半ばのことで、
これは流石に実現の可能性はないが「ミニSL」なら何とかなるのではと、
川崎重工業会長田崎さんにその話を持ち込んだのが1月末だった。
田崎さんはすぐ動いてくれて、
翌日神戸副市長メリケンパーク広場をお借りできないかと申し込んだら、
すぐOKになったのが始まりなのである。
メリケンパークとは、カワサキワールドのすぐ前のこんな広場なのである。
 
そして、11月にはこんな「ミニSL」の走行会が実現したのである。
ミニSLに跨ってるのは「言い出しべえーの福井昇くん」である。
 
 ひょんなことから始まった「ミニSL」だが、
 スタート当時は私も田崎さんも参加して「ミニSL」楽しんでいる。
 
 そして「ミニ鉄道フェスタい in 神戸メリケンパーク」と銘打った
 カワサキのイベントとして定着しているのである。
  
 ほんとにひょんなことから、ひょんなことになるものである。
★ 振り返って調べてみたら2008年はこんな年なのである。
  何だかイベントが続いていて
  三木市役所の若いメンバーや、三木の登山さん、新井さん、草間さんなど
  それに山本隆さんなども加わって、
  こんな三木のこどもたちとの「どこ竹の竹とんぼ教室」を
  三木山森林公園で開催したのもこの年の4月のことなのである。
  「どこ竹の竹とんぼ雑感日記」 と画像検索すると
  こんな写真がいっぱい現れるのである。
  そして、それがこの年の4月だったことも解るのである。
  
 あの肥後守の永尾元佑さんもまだお元気で、特別参加して頂いたのも懐かしい。
 このイベントのお陰で、地元三木のいろんな方たちと出会うことになって、
 私にとっては「新しい世界」に出会ったと言っていいのである。
   
★ 若いころには、毎日のように会っていた山本隆クンだが、
 その後ずっと疎遠になっていたのを、
 何故かこの年から、また頻繁に会うことになった。
 名阪スポーツランドであったモトクロスにも誘われて
 一緒に出掛けているのだが、
 こんな人たちに出会って、VIP待遇でこんな特等席でレースを見ることが出来たのである。
 現役時代から何かと関係のあった名古屋の「斎藤昇さん」とは
 直接お会いしたのはこれが最後になってしまったのである。
    
★ 夏にはアメリカに行った娘が遊びに来て
 7・8月と2か月も滞在している
 次男の真也が小学6年生哲也が2年生の頃だが、
 2年生の哲也は6年生と変わらぬくらい大きいのである。
 
 樋渡啓祐武雄市長に頂いた「がばいばあちゃん」の大人のシャツが気に入って、
 このシャツはボロボロになるまで着続けたのである。
  
 そんな3兄弟も13年経つとこんなに成長するのである。
    ひときわい大きいのが末弟・門野哲也なのだが、
 何故、一人だけこんなに大きくなったのだろう?
 突然変異だとしか、思えない。
 上の二人が小さく見えるが、これが普通なのである。
 
    こんな13年前の2008年、私は75歳だったのである。
 孫たちは見違えるほど変わっているのに、
 私はさほど変わってはいないのである。
2021年12月15日

父の絵 と 私の年賀状 と 孫の絵    雑感

投稿者 : rfuruya

★ 師走である。

 かっては12月は年賀状を書くのに結構大変だった。
 1枚1枚手書きで書いていたので、時間も手間も掛ったのである。
 別に習字など習たことはないのだが、字を書くことは嫌いではなかった。
 橋本関雪に、は関雪の父・橋本海関に習ったというのが自慢だった。
 橋本海関は明石の出で長寿院にはその墓もある。
 我が家とは「遠い親戚筋」だとは聞いていたが詳しくは解らない。
「嘉永五年、明石藩士の家に生まれる。
 父方は剣術師範、母方は儒家の系統という出自もあり、文武に励んで藩校敬義館や維新後は兵庫県師範学校の教師を歴任、
 晩年は明石に居を定めた」というから父はその頃書を習ったのかも知れない。
「現代では息子の関雪のほうが有名であるが、
 当時は海外にも知られるほどの名士であった海関は書画にも深い味わいのある作品が多く、
 播州一円の旧家に多く遺されている。」などとある。
 戦災でみんな焼けてしまったが、関雪の絵も海関の書もいっぱいあったのだが、今は一つも残っていない。
 剣術師範とあるが、ひょっとして明石松平藩の剣道指南番をしていたという
 曾祖父「古谷満平」のことかも知れない。
 阪神大震災で潰れてしまったが、長寿院にその墓はあった。
 「素雪」が父の号で、はないがそのは残っている。
 
★ そんな父の血を引いているのか、
 絵は兎も角、は何となく好きである。
 こんな年賀状を、毎年100枚出していたので、
 12月はなかなか大変だったのである。
   
★ 以前は11月末から12月上旬は猛烈に忙しい毎日を何十年も過ごしていた。
毎年出していた100枚の年賀状を書き上げるのが大変だったのである。
そんな年賀状を出さなくなったのは、2014年に母を亡くして、
印刷した喪中はがき』を発送したものだから、
それで「手書きの年賀状」が途切れてしまったのである。
 実はそれまでは、 個人的に『印刷した葉書』を発送したことはなかったのである。
 「転勤時の連絡・挨拶状」などもすべて自筆で書いていたのだが、
喪中はがき』の発送で『私なりのやり方が途絶えてしまった』ので、
 今までの仕来りも途絶えて『やる気』を失ってしまったのだと思う。
★ それは兎も角、世の中で「年賀状」を出す方の推移はこんなことのようである。
 この表を見る限り、年賀状が始まったのは戦後のことなのである。
 昨今は、ネットの発達もあって急激に低下している。
 
★どんどん減ってしまうこんな状況を見ると、
 時間もできたし、90歳になる年には、
 「手書きの毛筆の年賀状」を再開してみようかなと思ったりする。
 1枚1枚相手の方に対して文章の違ったものを出すのは結構な労度で、
 再開するにはそれなりの覚悟みたいなものが要るのだが、
 若し、90歳も生きていたら希少価値もあるだろう。
 来年は、「翌年90歳を迎える」年末になるので、
 「手書きの毛筆の年賀状」を再開しようかと思ったりしているのである。
 果たして、どんなことになるのだろうか?
 
 それはそうと、アメリカの孫・門野真也
 絵が好きで、こんな絵を毎日アップしている。
  
  何となく、血を引いているのだろうか?
2021年12月14日

渋野日向子 米女子ツアーの出場権を獲得

投稿者 : rfuruya

★昨今の女子ゴルフのレベルは凄いなと思う。
    男子ゴルフよりは世界的なレベルは上かなと思う。
 世界のトップレベルのアメリカツアー出場の資格を取る予選会にも
 古江彩佳、渋野日向子が出場し、ともに来シーズンの出場権を獲得したというニュースが流れた。
渋野日向子は前の日に大きくスコアを落としたたが
 29位から巻き返しを図って通算10アンダーの20位となり、
来シーズンの出場権を獲得したという。
 アメリカで活躍する日本の女子プロゴルファーは、
 畑岡奈紗・横峯さくら・上原彩子・野村敏京・河本結・山口すず夏と6人もいるのだが、
 来シーズンは新たにこの二人が加わることになるので楽しみである。
 
★2人のツアーメンバーデビューは、最速なら来年1月末に米フロリダ州で行われるゲインブリッジLPGAとなるとかで、
来季は11月に日本で行われるTOTOジャパンクラシックを含む34試合が予定されているようだ。
 私は何となく渋野日向子を応援しているが、
 彼女の持つ「さわやかさ」がいいと思っている。
 世間一般にも人気があるのだろう。
 ネットの中には「渋野日向子速報」なるものがあって、
 プレー当日はスタートからラウンドごとのスコアや写真が刻々とアップされるのである。
★ 女子プロオルファーの「美人かわいいランキング」というのがいろいろあるのだが
 「渋野日向子」が2位に入っているランキングもあって、
 2位とは残念だなと思うが、
 そのほかのランキングでも常に上位にランクされている。
 
 それは兎も角、来シーズンはアメリカの女子ツアーが楽しみで、
 出場者が8人にもなると、優勝のチャンスも増えるだろう。
 アメリカの女子ゴルフでは、お隣の国韓国の選手が活躍しているが、
 来シーズンは、日本選手もぜひ頑張ってほしいと思っている。
 とりわけ「渋野日向子の優勝」に期待したい。
2021年12月13日

男の髪型  雑感

投稿者 : rfuruya

★いつの時代にもその時々の流行の髪型はあるのだと思うが、
 昨今のテレビなどで男の髪型を見ていると、
 だんだんと「女性の髪型」に近くなっているような気がする。
 私の年代はあの石原慎太郎・裕次郎兄弟の頃で、
 慎太郎が一つ上。裕次郎が一つ下なのである。
 その頃、いろいろと言われたのが「慎太郎刈り」である。
 
  
 私自身は、あまり「髪型」などには拘らなかったように思うが、
 学生時代は「スポーツ刈り」とも言われた、GIカットに近いアタマで
    
 入社したころもそんなアタマだったが、
 「髪は伸ばせ」と注意されたりしたのである。
★コロナ時代になって、若年男性の間でコスメブームも続いているそうで、
 男性化粧品の「マンダムの社長の話」が載っていた。
  
「コロナ禍前は、ほとんどの男性は鏡越しに自分の髪や顔を大雑把に見る程度だったと思います。
ところが、オンライン会議が普及したことで、パソコンやスマホの画面越しに映る顔のシワやシミ、ニキビなどが気になってケアする人が増え、
新たなスキンケアマーケットが出てきました。
メンズサロンに行く方も増え、総じて清潔感への意識が高い若年男性が増えています。」と語っている。
★ 昨今は整髪料など使う機会はほとんどないが
  こんな商品もマンダムのようだから、
  私もかってはお世話になったことはある。
 
  マンダムとは昔の「丹頂」だったらしい。
 「丹頂チック」など懐かしいが、
 今の若い方は、「チック」など解らないのかも知れない。
  
 「男の髪型」など溯れば神代の昔から延々とその歴史はあるのだが、
  もうこんな昔の髪型に帰ることはないだろう。
  
 ★ 私自身は幸いにして、まだ髪はあるのだが、
 今年は一度散髪屋に行っただけで、
 前のほうは自分でカットし、後ろは伸ばし放題にしている。
 生涯で今が一番、長くなっているかも知れない。
 ただ無精なだけで髪型などに拘っている訳ではない。
2021年12月12日

「株式会社 斎藤祐樹」への ラブ・レター

投稿者 : rfuruya

★日ハムを引退した斎藤佑樹が「株式会社・斎藤佑樹」を立ち上げるというニュースが流れた。
 高校生時代の「斎藤佑樹」くんは兎も角
プロ選手になってからの「斎藤佑樹」にはそんなに関心もなかったのだが、
株式会社・斎藤佑樹」はソフト会社であることから、
 非常に関心をもって昨日あたりから、いろいろとチェックしているのである。
 既にこんなホームページが立ち上がっていて
 
 こんなページが現れるのだが
 
   「ぜひ何かご一緒に。ご依頼はこちらへ 」とあって、
  こんなお問い合わせページもあったので
 どんなことになるかはよく解らないのだが
 私なりの「一文」をお送りしたのだが、
 果たして、返事など頂けるのだろうか?
     
★「株式会社・斎藤佑樹」ではざっとこんなことを考えているらしい。
 このような記述があった。
野球未来づくり。
この度、会社を立ち上げてこれからのキャリアをスタートさせることにしました。
同時に今日12月10日18時からホームページも開設しました。
 考えたのは引退を決めてからなので、正直、まだまだ決まりきっていない部分がたくさんありますし、これから社会勉強していきたいなと思っています。
野球人生のなかで感じてきた問題意識のようなものがいくつもあるので、それに対してなんらかできることがないかを考えて、カタチにしていきたいと思っています。
●野球をする選手やスタッフの働きやすさだったり。
●野球を見る人たちがもっと楽しめる場づくりだったり。
●怪我と向き合うときのメンタルの管理だったり。
●野球をする小中高生の育成だったり。
●選手のセカンドキャリアだったり。
地域との関係性だったり。
それらをより良くするためのアイデアを、さまざまな分野の人や企業の方々と組むことで見つけて、実現していくことを目指しています。
 これを読む限り間違いなく「ソフト会社」である。
 私自身は川崎重工業の二輪部門に40年勤務したのだが、
 最後の10年は国内販売を担当して、
 その時最も力を入れたのが「ソフト会社ケイ・スポーツシステム」だったし、
 定年後も NPO法人 The Good Times を立ち上げて
 いろんな活動をやってきた。
  
★ 私のブログの中に、
  こんな「重工業の中のソフト会社」という一文がある。
 ちょっと読み返してみたがざっとこのように書いている。
 89年2月ごろ『遊びやスポーツの事業化するソフト会社』の設立に熱心に取り組んでいた。
カワサキのバイクは通勤や通学など単なる移動手段にも使うが、
大型スポーツ車が主体なので,ツーリングやレース活動など遊びの要素は大きかった。
単にハードを売るだけでなく、それをどのように使って遊ぶのか
そのノウハウの提供や遊ぶ場所の提供などソフトの分野が重要な部分であった。
そんなソフトを専門に考えそれを事業化する会社の創立を目論んだのである。
この年の4月1日付けで新会社はスタートした。
今、手元に数値資料があるが、初年度から2,3億、2年目には4億、
3年目は5,6億、4年目は7,3億円と順調に推移している。
ベースになったKAZEの会員も2000人からスタートして、最盛期5万人までになったのである。
この年会費だけでも億の単位になった。
そこで得たソフトのノウハウはこれは知識として身についている。
販売は無理なく自然に売れる仕組みを造ることが第一で、一生懸命売ろうとしてもダメだと思っている。
遊んでいて自然に売れるそんな仕組みに乗っかっていれば楽しいのである。
★ 「株式会社・斎藤佑樹」はソフト会社でその扱う対象は、
 バイクではなく野球なのだが、私自身も中学・高校・大学と野球一筋だったから、
 野球に関する「ノウハウ」は人並み以上にはあると自負している。
 「野球のソフト化」はこれはバイク以上に底辺が広いし、
 このソフト会社は間違いなく「成功する可能性大」である。
 大学卒業後、プロ野球ではライバル田中に大きく水をあけられたが、
 世間でもまだ珍しいこの「野球のソフト会社」では斎藤佑樹クンは、
 世の中の注目を集めて、トップランナーとして走ることが可能だと思う。
 そんなことで、88歳のおじんが経験した「ソフト会社のノウハウ」や
私の情報発信システム」、さらには私のツイッターの「50万人のフォロワーなどを上手にお使いになればいい。
ツイッターの「50万人のフォロワー」の数はちょっとした「地方新聞」と同じだから「情報発信力」としては相当なものだと思う。
 Kawasaki. Let The Good Times Roll!
 カワサキにお会いになる方がハッピーになるような活動を続けますという
 カワサキのミッションのように、
 Furuya. Let The Good Times roll !
   私にお会いになる方が「グッド・タイム」になればいい。
 これは NPO The Good Times の基本コンセプトなのである。
★ 斎藤佑樹さんのホームぺージにあるお問い合わせフォームですでにご連絡し
 「明日の雑感日記」に「株式会社・斎藤佑樹」のことを書くので、
 ぜひ「ご覧になってみて下さい」と送ってあるのだが、
 果たして、斎藤佑樹くん、ご覧になるだろうか?
 こんなふとしたことが、人の繋がりのチャンスであり、
 その人の持っている「」みたいなものだと思っている。
 私は88歳のおじんだが、することだけは現役時代と同じく早いのである。
 12月10日18時からホームページはオープンしたというから、
 多分間違いなく「私の一文」は届いているはずである。
 このブログは12月12日の朝には発信される。
 お問い合わせには次のように書かれている。
 「お問い合わせいただき、誠にありがとうございました。
内容を確認させていただいた上で、おってこちらからご連絡いたします。」
 とあるのだが、「追って」というのはいつになるのだろうか?
 「ソフト会社」などある意味「時間の勝負」みたいなところがある。
 野球選手らしく「投げたボールはすぐ打ち返して欲しい」ものである。
    先ほど私のメールに返信はあった。
 「株式会社斎藤佑樹に、WEBサイトから以下のお問い合わせをいただきました。 おってご連絡いたしますので、しばらくお待ちください。」
 とあるから、間違いなく届いてはいるのだが、ご本人が見ての返信ではないようにも思う。
 ただ、届いていることは間違いないのである。
 以上が、私が送った「株式会社・斎藤佑樹」へのラブ・レターなのである。

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