2021 8月

2021年8月10日

旭日旗問題  雑感

投稿者 : rfuruya

オリンピックのスポーツクライミングに使われた形が

旭日旗に似ていると問題になった』とか。

  
 『旭日旗』とはこんなデザインで
 私のこどもの頃は単に『軍隊の旗』だと思っていて、
 韓国がよく問題にするのだが、その理由はよく解っていなかったのである。

  

ところがこんなことで問題になったとかというニュースを見て

旭日旗』についていろいろ調べてみた。

別に『旭日旗』そのものを使用したわけではないし、
IOCも『旭日旗の使用』を禁止している訳でもないようである。
これは2019年のニュースだが『旭日旗応援を許容』という記事が出て、
韓国が『是正を要求』している。
 
こんな記事もあった。

『韓国は今年の夏季五輪での使用禁止を求めている。然し、東京五輪・パラリンピック組織委員会は、旭日旗の競技会場への持ち込みを禁止しない方針だ。「旭日旗のデザインは日本国内で広く使用されており、政治的主張にはあたらない」というのがその理由という。』

日章旗も旭日旗も、数百年前から使われている意匠だが、
19世紀から軍の旗として使われ、第2次世界大戦では海軍の旗となり、
今も海上自衛隊の艦の旗で、陸上自衛隊は少し異なる意匠の旭日旗を使っているそうである。

ではなぜ韓国は問題視するのか?

2000年代までは旭日旗への大規模な反発はほとんど起きていなかった』ようで、
1998年と2008年に韓国で開催された国際観艦式では、
旭日旗である自衛艦旗で参加しているが、
これに対する韓国政府やマスコミ、国内世論による反発は特段生じていない。
それが2011年1月25日にAFCアジアカップの準決勝の日韓戦で、
韓国代表の奇誠が「猿の真似」パフォーマンスを行ったことにあるとされる。
観客席に旭日旗が掲げられていた』のでというのがその理由で、
その旭日旗発言以降、旭日旗は韓国社会での攻撃対象となったというのである。
そう言えば『そんなこともあったかな』ぐらいは覚えているのだが、
詳しくは今回調べてみて初めて知ったのである。
旭日旗を連想し、ほんの少し類似点があるだけでも旭日旗だと騒ぎ立てる韓国だが、
どのデザインよりも旭日旗に近い『朝日新聞の社旗』に対し反応を起こさない理由は簡単で、
朝日は韓国に友好的な記事を量産してきたメディアだからだそうである。
韓国左派の立場から見れば「味方」だというのである。
 
 オリンピックのスポーツクライミングの形が『旭日旗』に見えて、
 朝日新聞の社旗はその範疇にないというのは不思議としか言いようがない。
 韓国は私にとってはこどもの頃育った『故郷』のような国なのだが、
 中国をはじめどこの国も問題にしないこんな『旭日旗問題』が出るのは
 本当に悲しいことなのである。
2021年8月8日

『TOKYO 2020』 感動をありがとう!

投稿者 : rfuruya
★ 東京でのオリンピック開催が決まったのは2013年、今から8年も前のことだった。
当時私は80歳、果たしてこのオリンピックを観ることが出来るのだろうか?
と本当にそう思ったものである。
そんな東京オリンピック、始まる前まではいろいろあった『TOKYO 2020』だったが、観ることが出来たのである。
そして、あっという間に今日が最終日である。
開催期間中に頂いた幾つもの感動!
ひょっとしたら私にとっては『最後のオリンピック』になるかも知れないのである。
中止などにはならずに、本当に良かったと思っている。
★特に昨日は、朝から終日家にいてずっとテレビを観ていた。
 女子マラソンの8位入賞もよく頑張ったし、
 女子ゴルフの銀メダルもよかったが、
 何と言っても野球の金メダル、世界一は素晴らしかった。
 野球王国アメリカを破っての『37年ぶりの全勝優勝』である。
 2-0の完封勝利はまた格別である。
 
 村上のホームランで1点を先取し
 
 投手陣はみんな頑張ったが
 特に、8回裏無死1塁からリリーフした岩崎の力投が光った。
 
 優勝直後のテレビの画面からである。
  
 戦い終わった選手たちのスポーツマンらしい行動にも感動!
 
★マラソンも頑張ったし、
  朝からずっと観ていた『女子ゴルフ
 銀メダル獲得は日本ゴルフ界初の快挙、
 本当に素晴らしかった。
 
 そんなオリンピックも今日で最後、
 どんな1日になるのだろう。
 今日も『TOKYO 2020』の感動を頂きたいと思っている。
 『TOKYO 2020』 感動をありがとう!
2021年8月7日

夏の日陰と日向の道

投稿者 : rfuruya

★ ジムに行かない日は、協同学苑でスロー・ジョッギングすることにしているのだが、
 それは『日陰の道』があるからである。
 夏の日の『日陰と日向』はなぜこうも温度が違うのだろうと思うほど『差のある別世界』なのである。
 公園はいろいろあるのだが『日陰の道』があるのは協同学苑だけで、
 現実にはなかなか日陰の散歩道は少ない。
 そんなことで、7月・8月の夏場は協同学苑と決めている。
 朝8時前、まだ駐車場はガラガラで殆ど車は止まっていない。
 そこにも『日陰』があったりする。
 
 そこからこんな半分は日陰の道を通って、
 左に曲がると、こんな桜並木がずっと続いている。
 半分は日が差しているのだが、それでも暑さは全然違う。
 そんな道を通ってここから先は下の池まで急な下り坂、
 片道400メートルもあるのだが、
 夏場は『日向の道』よりも『急な坂道』の方が楽な気がする。
 こんな林の中の道がずっと続いている。
 こんな全くの林の中の『遊歩道』もあるのだが、
 最近はあまり通ったことがナイ。
 ひょっとして『倒れたりしたら・・・』などと思うようになったのは、
 やはり『88歳』の故かも知れぬ。
 登りはきついが、結構ちゃんと上ってこれる。
  そして車のところまで戻ってきたら約2.5kmである。
  スロー・ジョッギングだが、汗びっしょりになる。
  車の中でエアコンつけて少し休んでから、
  すぐ近くのこんな建物の全くの『日陰の道』で60メートルダッシュをやる。
  遠く見えるが走って50歩、ほぼ60メートルである。
 ほんの少しだけ勾配があるので、高いほうから低いほうに走って、
 ゆっくり戻ってダッシュをくり返し5本。
  
 こちらからが、一寸下っているのがお解りだろう。
 こちらの方から走っている。
 6月までの防災公園では休み休みで10本やってたのだが、
 夏場は5本に自重している。
 夏もあと1ヶ月、ホントに日向はなぜこうも暑いのだろうか?
 庭に出るのも日陰になってからである。
 9月になるのが待ち遠しい。
2021年8月6日

弦 HairWorks で散髪してきた

投稿者 : rfuruya

★先月に緑が丘に新しく開店した 『 弦 HairWorks  』で散髪をしてきた。

 
 
 実は今年になって初めての散髪なのである。
 コロナ禍があったので、つい床屋にも行かずに過ごしていたら、
 生涯で一番長く髪が伸びたので、何か切るのが惜しくなって放っておいたら8か月になっていたのである。
 
  たまたまそんな時に甥っ子の友達が『緑が丘で開店する』というので
 先日一度覗いてみたのだが、
 オモシロそうな方で、Facebook でも繋がったし、
 NPO The Good Times の団体会員にも参加されたりしたので、
 一度『散髪をしてみるか』ということになったのである。
  散髪をする前のアタマを記念に写真に撮ってもらった。
 こんなに伸び放題だったのである。
  
 折角、生涯で一番伸びたので、『あまり切らずにそのままで』と
 お願いしたら、こんな形に仕上がった。
 あまり変わっていないようにも見えるが、
 手で髪の毛を触ってみると『全く違ってさっぱりして』気分がいい。
 大満足である。
 こんなに丁寧に『髪を切って貰った』のが生涯初めてである。
 こんな最新型の『寝たまま髪が洗える椅子』で頭も洗って貰ったし、
 髭も丁寧に剃って貰ってめちゃ気分良かったのである。
  
 最後には『コーヒー』をご馳走になって
 3300円だった。
 今年初めての散髪代の支出である。
 今朝、今からジムに行くのだが、
 ジムの女性『気が付いてくれるだろうか?
2021年8月5日

60年の時代の変化、いろいろ

投稿者 : rfuruya

★2020東京オリンピックは開会までいろいろとあったが、
 成功裏に推移していると言っていいだろう。
 前回の1963年東京オリンピックとのこんな比較表が出ていた。
   
 この比較表を見ると、開催期間はあまり変わらないのだが、
 競技種目も参加国数などもほぼ倍増していて、
 オリンピックの規模が様変わりしているように思う。
 あの大会で『バレーボール』が新競技だったとは知らなかったが、
 『東洋の魔女』と言われて金メダルを獲得したことは鮮明に覚えている。
 
 そんな女子バレーを含めて女子選手は61名なのだが、
 今回の大会では276名5倍に近い増え方で、
 まさに『時代の変化』を感じることが出来る。
 1964年と言えばもう60年も前のことになるのだが、
 日本も戦後の時代からようやく新しく立ち上がった時期で、
 『東京オリンピック』がその契機になったことは間違いない。
 ● 競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資がなされ
 ● テレビ放送を見るための受像機購入の飛躍的増加などの消費も増え
 ●「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらした。
 ● 東京モノレール首都高速道路も出来たし、
 ● 東京から大阪までの新幹線も開会式9日前の10月1日に開業した。
 ホントに戦後の日本が様変わりしたのである。
 開会式が行われた10月10日は、『体育の日』として祝日に制定され、日本のスポーツ振興に貢献したように思う。
★ 各国のメダルの獲得数は以下の通りで、日本も開催国として16の金メダルを獲得しているが、
 この表を見ても世界が『様変わり』しているのがよく解る。
 今回のオリンピックで金メダル獲得のTOPを走っている中国の名前がないのである。
当時の中国はどんな国だったのか?
 定かには覚えていないが、オリンピックどころではない貧乏国だったのは間違いない。
その成長のきっかけは1978年からの改革開放政策によって計画経済から市場経済へと舵を切り、対外開放政策を推し進め、見事に経済を飛躍させることに成功したのである。

今回のメダル獲得数の途中経過だが、中國がTOPを走っているのである。

  
★ 60年前と言えば、当然乍ら私も若かった。
 カワサキのレースのマネージメントを担当していて。
 10月10日のオリンピック開会式の当日は、
 伊豆丸の山高原で行われたMCFAJの全日本モトクロスの会場にいたのである。
 そしてこの大会でカワサキは4種目中3種目に優勝して、
 モトクロスレースでの地位を確固とした大会だったのでよく覚えているのである。
 まだ若かった新人の山本隆が当時のスター久保和夫・荒井市次を抑えて
 表彰台に上ったのである。
 真ん中が山本、右が久保、左が荒井である。
 
 星野一義がまだデヴューしていないそんな時期なのである。
 このレースの帰りは、東京まで出て新しく出来た新幹線に乗って新大阪駅まで戻ってきた。未だ大阪駅までは来ていなかったのである。
 この次の日本でのオリンピックは、『これは観ることが出来ない』のは
 間違いないのだが、
 果たして、どんな大会になるのだろうか?
2021年8月4日

私とサッカー     雑感  

投稿者 : rfuruya

★『私とサッカー』というテーマだが、

 私自身は野球をしていて、『サッカー』をしていた訳ではない。
 ただ、息子がサッカーをしていて、小学校の時その親たちのサッカー試合があったのだが、
 そんな下手くそばかりのサッカー試合だったが、その2試合とも『得点した』というのが自慢なのである。
ところで、昨夜は、オリンピック・サッカー準決勝のスペイン戦だった。
 ベスト4に残ったのは
 日本・ブラジル・スペイン・メキシコ。
 『日本と歴史ある三国』とあるが
 奇しくも『アジア・北米・南米・欧州の地区代表』のような形になった。
  
 日本のサッカーも強くなったものである。
 若しスペインに勝ったりすると、
 1968年のメキシコ・オリンピック以来の53年振りのことである。
 メキシコオリンピックではあの釜本が2点を入れてメキシコに快勝したのである。
 日本は勿論、アジアでも『初めての銅メダル』だったのだが、
 あの時の試合の実況を観たのだが、
 調べてみたら、
この時の映像は日本では後半戦の一部が生中継されただけだった』ということなので、そんな映像だったが観ていたのである。
当時はまだサッカーは今のようにポピュラーではなくて、
 サッカーに関心があったり、サッカーの試合を見た人など少なかった時代である。
★ 私が中学校・高校時代は戦後の『野球ブーム』で子どもから大人まで
野球一筋』のような時代であった。
 私自身も野球をしていたが、『サッカー』にもそれなりの関心は持っていて、50年以上も前のメキシコ戦を観たり、ヤンマーにいた現役時代の釜本の試合はよく観に行ったりしたのである。
 それは中学校時代に旧制神戸一中にいて、神戸一中は伝統的にサッカーの名門校であり、当時の日本代表のメンバーの半数が神戸一中の先輩たちだったりしたのである。
 野球部も結構強くて甲子園に出たりもしていたのだが、
 当時の校長先生がサッカー部のOBだったりサッカー部はちょっと別格の存だったのである。
 兵庫県のサッカー育成に尽力された『賀川浩』さんがこんな講演をされているのだが、こんな目次になっている。
 賀川さんも神戸一中のOBなのだが、この講演の『目次の7番目』に
弁当を食べながらボールを蹴っていた』というのがあるが、
不思議な伝統で、弁当は運動場で『立ち食い』だったのである。
 私も男女共学になる中学2年生までは、運動場で弁当の『立ち食い』をしていたのである。
 確かにたまにはボールを蹴ったりしていたようにも思う。
  そんなことで、何となく『サッカー』にも関心を持っていたのである。
★ 今の時代は『サッカー全盛期』と言ってもよく、オリンピック競技の中でも一番関心がある競技なのかも知れない。
 昨日のスペイン戦は、スペインがボールを持つ時間は長かったが、
 よく頑張って0-0で延長戦に入り、延長前半も0-0で終わり、
 後半あと数分を残して、またPK戦かなと思っていたら、
 まさかの1点を決められた。
 
  呆然と見守るベンチ、
 
 選手たちも120分戦ってがっくりだが、
 これで『優勝・金メダル』はなくなった。
 
 3位決定戦を頑張って、
 是非『銅メダル』は取って欲しい。
 優勝候補の呼び声も高いスペイン相手によく頑張ったと思う。
★ 息子がサッカーをしていたからか、時代がそうだったのか?
  娘も小学校時代はサッカーをしていて、
  そんな関係で『我が家』はサッカーが身近な存在になった。
  孫たちはみんなサッカーをしている。
  特に娘の方の孫たちの下二人はアメリカで本格的にやっている。
  それにしても日本のサッカー、本当に強くなったものである。
 
2021年8月3日

双翼の日の丸エンジニア  百合草三佐雄さんのこと

投稿者 : rfuruya
★昨日、こんな『双翼の日の丸エンジニア』という
元産新聞新聞記者・戸津井康之さんの書かれた本が
発行所の株・学研から 何故か私宛に送られてきた。
 この本の発行日を見ると『2021年8月1日』とあるから、
 その本の発行日に送られてきたのである。
   
本の内容は『百合草三佐雄』と『葛城衛』という二人のエンジニアの物語なのである。
本の内容を読んでみると前半が『百合草三佐雄』さんについて書かれていて、
彼の少年時代から川崎航空機・川崎重工業時代のことが書かれているのだが、その中心は『カワサキの二輪時代』のことが非常に詳しく書かれているのである。
 百合草三佐雄さんは1935年3月2日生まれらしいが、
 私は1933年3月2日生まれで、奇しくも誕生日が一緒なのである。
 私より2歳年下で、川崎航空機には昭和35年(1960)年の入社だが、
   カワサキが二輪事業に本格的に参入したのがこの年からで彼は入社早々カワサキの単車事業部技術部に配属されたのである。
 私は昭和32年入社なのだが、初めて創設された『単車営業課』に異動したのが昭和36年(1961)なのである。
この本そのものは『百合草三佐雄』について書かれているのだが、
単車事業スタートの時期のことから、航空機事業本部に異動するまでの
1960年から1991年までの約30年間単車事業にいて
この間のカワサキ単車のことが非常に詳しく書かれている。
カワサキの二輪車で言えば最初の125B7からZEPHYRまでの時代になるのだが、
A1とZ については彼は実験研究関連を担当していて、密接にその開発に関わっているのである。
★でも、なぜこの本が『私のところに送られてきたのか?
 私も百合草さんとほぼ同じ時期を川崎重工業で過ごしているのだが、
 会社ではいろんな人たちとの出会いもあり、一緒に仕事をする機会もあるのだが、
 ほんとにお互い『信頼し合っている関係』というのは意外に少ないのかも知れない、
 『私と百合草さん』との関係はまさに『お互い信頼関係』で結ばれていて、
 彼は技術屋、私は事務屋だったのだが、不思議なほどいろいろと直接関係があって、
 私が一番信頼し合って密接に仕事をした仲間は『百合ちゃん』だったのである。
私の方が年齢的にちょっと上だったので、常に『百合ちゃん』と呼んでいたし、今会っても同じように『百合ちゃん』と呼べる仲なのである。
★そんな『百合ちゃん会社での人生』を一番変えたのは、
 彼が技術屋乍らアメリカKMC販売会社の社長をしたことかも知れない。
それは彼の単車での最後の仕事となったのだが、
この人事を決めたのは当時業本部の企画室長をしていた私であることは、間違いないのである。
 その時のことが本の中にこのように書かれている。
     
   
 この本に私の名前が登場するのは、この2ページだけなのだが、
 この本を読んでみて非常に正確にカワサキの単車事業の進展状況が描かれている。
上のページにも『カワサキが生きるか死ぬか』の大変な時代であったとあるが、
まさにその通りで、それは単に『カワサキの単車事業部』だけではなくて、川崎重工業本体を揺るがす危機だったのである。
それを救ったのは500億円もの財務支出を本社財務部が行い、
販社KMCの増減資などの財務対策であったために、
単車事業本部の殆どの人がそのことをご存じないのである。
この本の中には『川重本社からの指示』などといろいろ出てくるのだが、
それは『単車事業再建』に500億円の資金を動かした本社財務本部が当時の事業本部の経営に色濃く参画していたからで、
その本社対策の窓口を担当したのが、当時企画室長をしていた私なのである。
上のページに記されている『100億円の累積赤字』もその大きな対策の後KMCも本社も何とか正常に動きかけた後の『後始末の100億円』なのである。
こんなことが書けるのは、ひょっとしたら今では私だけかも知れない。
          
★カワサキの二輪事業について、興味・関心のある方やカワサキ・ファンは
是非この本を読んでみて欲しい』
 『百合ちゃん』と私は親しく呼んでいるが、
 彼は航空機事業本部に異動して後、
 川崎重工業の常務取締役を務めている。
 そんな百合草三佐雄が語ったことを、元産経記者の戸津井康之さんが纏めているのである。
 
 そこには二輪事業スタートから30年間、
 苦難の道が続いた30年間のいろいろなことが非常に正確に書かれている。
 この期間私は事業展開の中枢の中にいたし、『カワサキ最大の危機』の時期には事業の中枢企画室を担当していたのでよく解っている。
 今までもカワサキのことを書いた本も出版されてはいるが、それは極く短い時期のことで、
 今回初めて30年間の長きに亘ってのいろいろなことが、
百合草三佐雄の人生』として纏められているのである。
 カワサキの二輪事業が本当に安定したのは90年代のZEPHYR・Ninjyaの時代からで、その時期は私は国内市場を担当して『7万台の販売達成』に携わっていた。
その時期は百合ちゃんは、航空機事業本部を担当していたのだが、私とは個人的に密接に繋がっていたのである。
★ こんな本が出て、「カワサキの二輪事業」が正確に詳しく書かれているので、
より『広い範囲』での『カワサキの二輪事業』の当時の状況を纏めてみようかなと思ったりしている。
私の手元には1960年から40年間の『カワサキ二輪事業』の詳細かつ精密な資料がある。
この『双翼の日の丸エンジニア』に書かれて紹介されている事柄をさらに客観的な立場で纏めてみようかなと思っているのである。
2021年8月2日

メダカ 毎日増えてる

投稿者 : rfuruya

★先日来、何度かブログにアップしたが、
 日常生活の中の目標の一つに『メダカを増やす』というのがある。
 こんなプラスチックの小さなたらいの中に『親メダカ』が10数匹いるのだが、そのうちの6匹が、卵を毎日産むようになっている。
 メダカは卵を産み出すと『毎日産む』のである。
 卵は浮かしている金魚藻に産み付けるのである。
 それを隣に置いている鉢の中に移して浮かしておけば、
 1週間もしないうちに小さなメダカになって泳ぎ出すのである。
     生まれたばかりは1mmぐらいだから、目では見えても写真に写すと、
 よほど注意しないとよく解らない。
 それでも最近は毎日10匹以上は生まれているので、
 この鉢の中にはもう50匹以上のメダカがいる。
 毎日それを飽きずに見て楽しんでいる。
 6匹の親メダカが卵を持ったのは昨日からで、その卵は未だ藻についいたままで孵ってはいないのだが、
あと1週間もすれば『毎日50匹』もメダカが孵ることになる。
★『メダカが毎日タマゴを産む』など知らなかったが、
 本などで調べてみると、ホントに春から秋にかけては毎日タマゴを産むようである。
 メダカの寿命は2年ぐらいと短いようだし、
 自然界では産んだタマゴも孵った仔メダカも親やほかの魚たちに食べられたりするので、毎日タマゴを産み続けないと『生き残れない』らしい。
 自然界は結構厳しいものである。
 そんなことなので藻に卵を産み付けたらすぐ別の鉢に移して保護しているのである。
2021年8月1日

オリンピック漬けの1日

投稿者 : rfuruya
★ 朝から晩まで『オリンピック』を観ていたような1日だった。
 テレビの番組も『朝から晩まで』民放も含めてぎっしり詰まっている。
 とても全部は観ることは出来ないが、
 ● トライアスロンに始まって、
 ● 松山がトップグループの最終組のゴルフ
 ● 侍ジャパンの野球が始まって、ゴルフとチャンネルを切り替えながら
 ● そして夜はニュージーランドと戦ったサッカー
 ● さらには民放の陸上競技
 などリモコンを片手にチャンネルを切り替えながらずっとテレビを観ていて、
 昨日は毎日やってるスロー・ジョッギングもやらずにずっと家にいた。
★ オリンピックの総合ニュースはYAHOO にこんなページがあって
 東京オリンピックのいろんな情報が網羅されているので重宝している。
 
 そんな中にゴルフで松山とTOPを争ってる
 『アメリカの選手のシャウフェレは親日家』だという情報があって、
 何かホッとしたような気分になっている。
 最終日も同じ組だから二人とも頑張って『いいゴルフ』を見せて欲しい。
  
★ 今日から8月である。
  始まったばかりだと思っていたオリンピックももう半分を過ぎた。
  いま日本の金メダルは17だが、これは『新記録』だそうである。
 
  あと8日、あと幾つの『金メダル』が増えるのだろう?

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