2020 12月

2020年12月21日

カワサキのバイクファンたちと・・・

投稿者 : rfuruya

★ 昨日の日曜日、カワサキのバイクファンたちが、
 KAWASAKI Z1 FAN CLUB の事務局長でもある
 三木の登山道夫さんのところに集まった。
 
 私自身は、カワサキの二輪事業には色濃く関係もしたのだが、
 マシンそのものの、特に技術的なことなどは、
 『全く解らない門外漢』なのである。
 でも、こんな集まりに『お呼びがかかる』だけでも有難いと思っている。
★いろんな話題になるのだが、
 90年代前半の『多田喜代一』さんが未だ現役時代の頃、
 皆さん未だお若い頃の話が、
 当時はみなさん面識はないはずなのに、
 『バイクの話』になると繋がっていくから不思議である。
 延々と切れることなく『バイク話』から脱線するでもなく
 3時間も続いたのである。
 90年代と言えば、私も未だ現役最後の10年間なので、
 何となく解らぬでもなかった。
 お開きになっても、なかなか話は尽きないようである。
 店の前での『バイク話』は続いたのである。
 これは室内で撮った記念撮影だが、
 集まったのはこんなメンバーなのである。
 バイクに関心がおありの方は、お解りになる方も多いのかも知れない。
 多田喜代一さんが、直ぐFacebook に写真をアップされたので、
 お借りしてきた。
 
 登山さんの愛車が半分隠れてしまっているが、
 ごく最近、新しく登録された『登山さんの愛車』なのである
 
 
★ こんな『カワサキのZ』も2022年には50周年になる。
  カワサキZの関係者や、Zファンたちが集まって、
カワサキZ 50周年の記念イベント
 をどこかでやりたいなという話になって
 その場所は『神戸のカワサキワールドがいい』と
 勝手に決めたりしたのだが、
 若し、ホントに『実現したら
    
 
 それは2020年12月20日のこの雑談の中で、
 最初にその話になったことは間違いないのである。
 まだ、2年も先の話だが、
 果たしてホントに実現するだろうか?
 こんな『夢物語』は話していても、なかなか楽しいものである。
 『ひょっとしたら、ひょっとする
 可能性はあるのかな、と思ったりしている。
2020年12月20日

88歳の新目標

投稿者 : rfuruya

★ 昨年の12月、ちょうど今頃に、孫がFit bitをくれたので、
  目標を立てて1年を過ごしてきたのだが、
  1年経ったので改めてこんな新目標を立ててみた。
 
 今までの目標はこちらなのだが、これは殆ど実行できたので、
 目標値を高めてみたのである。
 
腕に付けているだけで、こんな数値が自動的に測れるFit bit はなかなかいい。
 
★『88歳の目標』は、改めて昨年よりは高い目標を設定したのだが、
 幾らか高い目標だが、それをクリアする自信みたいなものが出来ている。
 『88歳の目標』は
 
 ● 1日の歩数        10000歩
 ● 1日の動く距離       7km
 ● アクテイブタイム     1時間
 ● 消費カロリー       2000kcal
   ● 睡眠時間         7時間
 
 と流石に『以上』とは付けなかったが、
 この数値を目標に頑張ってみたいと思っている。
 昨日の実績値はこのようなことになっていて、殆ど目標達成なのである。
     
 消費カロリーは、今は午後1時の数値なので、
 間違いなく2000カロリーはクリアすると思う。
 ここ3週間の『歩数の実績』はこのようになっていて、
 ほぼ1万歩に近い実績になっている。
 目標『1万歩』と明示しておけば、この実績は歩いているのではなくて、
 スロージョッギングの歩数なのだが、不足分を歩けばいいのだから、
 これは大丈夫達成できると思っている。
  
★ 来年3月には満で米寿88歳になるのだが、
 この1年間を振り返ってみて『体力の衰え』などは全く感じてはいなくて、
 むしろその逆に『体が確りした実感』がある。
 週3回ほど『ジム・トレーニング』もやってるので、
 ホントに『筋肉は何歳になっても付く』のである。
 殆ど毎日近くの公園でスロージョッギングとダッシュをやっている。
 いま、秘かに目指してるのは、『ゴルフスイングの腰の回転』で、
 女子プロのような柔らかさにはなかなかならぬとは思うが、
 一歩でもそれに近い『フル回転』が出来るように
 腰回りのストレッチと筋トレに頑張っているのである。
 毎朝のストレッチで『柔軟性は20歳』は間違いなく維持できてるので、
 『何とかなる可能性もある』と自分では思っている。
 このようにブログで目標を公言しておけば、
 幾らかでも『励み』になるだろうと思って、敢えて書いている。
 人のためではなくて、間違いなく『自分自身のた』だから、
 これからまた1年、新たな目標に向かって頑張ってみたいと思っている。
2020年12月19日

そうか、そんな生き方もあったのか  3

投稿者 : rfuruya

★ 『そうか、そんな生き方もあったのか?
 は本の題名なのだが、その著者の『仲俊二郎』さんの
 『仲俊二郎読書友の会』というグループをFacebook 内に立ち上げて10日あまりになる。
 
メンバーは、今73名も集まって、予想以上に活発な展開なのである。
 その一部をご紹介すると、
 向笠暁彦さん、バイク仲間では名も通っているので、
 ご存知の方もいらっしゃるかと思うが、
 バイク雑誌の記事なども書かれるとあって、
 その投稿はなかなかオモシロい。
★なかなかの読書家で、大槻幸雄さんの本を読み終わったところだが、
 次に仲俊二郎さんの『ドーバー海峡の朝霧』を読まれるとか。
  
 そんな告知があったのは、12月11日だったのだが、
 12月16日には読み終わられて、
 こんな書評をアップされている。
「ドーバー海峡の朝霧」
本日の帰りの電車、通勤図書館にて無事読了しました。
トンネル工事が主題の作品としては、吉村昭の高熱隧道を読んだことがあります。
黒部ダムに設ける発電所のトンネルを掘る話で、湧き出す温泉やガス、暴風雪に発破、落盤事故に苦しみながら遂に完成に至ります。
この作品が専ら「掘る」ことに主眼を置いているのに対して、
ドーバー海峡の朝霧は「工事の受注に至る駆け引き」がテーマです。
本書を読みながらTVドラマ「ハゲタカ」で描かれた、企業再生のスポンサー選定を巡る入札シーンを思い出しました。
そして、「ドーバー海峡の朝霧」というタイトルと内容の関連性に気づいて読み終えました。
とても苦味の効いた一冊です。
 それで終わるのではなく、更にこんなコメントが続いて、
 著者仲俊二郎さんとこんなやり取りとなっている。
  
★こんな本の著者との『直接のやり取り』が出来るのが
 『ネットの良さ』だと思う。
 いま、このグループは立ち上がったばかりだが、
 管理者になっていると『小西一彦先生』の招待による
 メンバーが70名ばかり参加している。
 ただ、小西先生も私も、そんなにネット関連には強くはないので、
 その辺りがよく解った方に『管理者』になって頂くと、
 このサイトもさらにオモシロい展開になるのではと思っている。
 例えば、私のこの記事を読んで、
 ・『面白そうだから入ってみよう』と思われた方が
 ・『入会する術』があるのかないのか?
 ・どうすれば一般の方の入会が出来るのか?
 ・この会に既に入会されている方がトモダチを招待できないのか
 その辺のところが、さっぱり解らないのである。
 そんなことで、小西先生にはその旨、Facebook のメッセージで
 ご連絡している。
 私が親しくしている登山道夫さんは結構ネットに強いので、
 管理人になって手伝って頂こうと思っている。
★『仲俊二郎』さんは、川崎重工業にかってはお勤めで、
  私は面識はないのだが、今回の件で繋がって、
  私のFacebook の記事にもコメントなど頂いたりしているのである。
   
  間違いなく『才人』である。
 『そうか、そんな人生もあったのか!』は10人の偉人たちの人生を書いているのだが、
 『仲俊二郎』さんの人生こそ
 ホントに『そんな人生もあったのか?』という感じなのである。
 ご本人がこのように語っておられるのである。
40歳の時に急に作家になりたいと思ったことを思い出し・・
実際、4年間、小説学校に通って小説の書き方を勉強した・・
「そうだ、僕は川重を辞める前に、営業のプロジェクトマネジャーとして20世紀最大のプロジェクトを受注し、成功させた。
そのことをフィクションも交えて小説にしてみたい。
ふとそう思って、半年ほどかかって書き上げました。
 ドーバー海峡のトンネル工事のことは、聞いていて知ってはいたが、
 詳しくお聞きするのは初めてのことなのである。
 
これはこのプロジェクトの責任者であった、
仲俊二郎さんご本人のコメントだが、このように書かれている。
『・・・受注時は2割ほどの赤字を覚悟で決めたのですが、
その後詳細設計をするにつれ赤字がどんどん増えて、5割ほどにまで膨張。
社内は「誰がこんな赤字工事を受注したのだ」と、てんやわんや。
関連役員たちは「わしは関係ない」と逃げまわります。
しかし営業の受注契約書の中に或る工夫をしておいたのが功を奏して、
トンネル貫通時には4割ほどの利益が出たという、
川重にとって画期的なプロジェクトでした。
このプロジェクトはエリザベス女王に褒められ、川重の大庭社長がイギリスに招待されてナイトの勲章を授与されました。』
 最後の大庭社長への勲章の授与と、この関連から大庭さんはサッチャーさんと繋がって、
 サッチャーさんは川重にお越しになったし『記念講演』をされたのはよく知っている。
★それにしても、ひょんなことでひょんなことになるものである。
 『そうか、そんな生き方もあったのか?』
 このプロジェクトはどんな方向に進んでいくのだろうか?
2020年12月18日

人生で出会ったエライさんたち    雑感

投稿者 : rfuruya
★ 私は人生の半分以上を川崎航空機と川崎重工業で過ごしたのだが、
 不思議なほど社長・副社長という会社のトップの方とのご縁が多かった。
 ホントに特に親しくして頂いたのである。
 でも、昔のお殿様とは違って、
 昨今の社会の『エライさん』はみんな若い時は普通の人なのである。
 若い頃を知ってる方は、その方が偉くなられても、
 昔のままで話ができるから、不思議である。
 川崎航空機に入れて頂いたのは当時の副社長砂野仁さんなのだが、
 伯父の知人だった砂野さんにお会いしたのは子供の頃だし、
 神戸一中も砂野さんの薦めで入学したのである。
 そんなことだったので、新入社員の時から会社の上司で一番気安く
 『モノが言えた』のは砂野仁さんだった。
★昔のアルバムが出てきた。
 その中の写真には、『社会のエライさん』の写真がいっぱいである。
  これは現役の時私がお世話になった方が、顔を揃えておられる。
1990年代の初めだと思うが、私も国内販社の専務をしていた時だと思う。
     
 一番左が私だが、
 奥におられるのが『山田熙明さん川重副社長をされてたのだが、
 この時は多分、もう引退後だと思う。
 神戸一中の先輩で、私の現役時代の後半は山田熙明さんの人事で企画に動いたのだと思う。
 山田熙明さんは、神戸一中・1高・東大、それも航空機科という秀才で、
 私は後輩であったことから、ホントに若い頃から面倒を見て頂いた。
 そのお隣が『苧野豊秋さん』永年私の直接の上司であった。
 明石高校の先輩なのである。
 このお二人には本当にお世話になったのである。
 一番最初が、カワサキ創成期のレース関係で
 お二人は『レース運営委員会』の技術・営業分野での委員長をされていて、
 その事務局長を私が担当していたのである。
 当時はお二人とも課長から部長になられたばかりの頃で、
 カワサキでのレースの初めての外人契約であった『デグナーとの契約』は
 山田・古谷コンビでの契約だったのである。
 私は未だ30歳にはなっていなかった頃だから、山田さんも若かった。
 苧野さんは長く国内販社の専務で直接の上司であったが、
 晩年は国内の部品会社の社長JJSBAの会長などで支えて頂いたのである。
★ 真ん中にお座りなのが、『小野寺和夫さん』
 全国カワサキ会会長で私がその副会長で支えた仲なのである。
 多分ここは、小野寺さんが行きつけの銀座のバーである。
 二輪業界での活動でお国から叙勲を受けられたりもしたのだが、
 独特のお人柄で、誰とでも親しく且つ対等に話をされるそんなところがあった。
 勿論私よりは年上だったのだが、よく支えて頂いて本当にお世話になったのである。
 小野寺さん、横浜で二輪のご商売をされてたのだが、
 その活動範囲は半端ではなくて、
 ごく最近になって解ったのだが、
 小野寺さんの葬儀の葬儀委員長を務められたのが、
 若い日の菅義偉さ、今の総理大臣なのである。
 これにはちょっとビックリだった。
    こんな昼の部の写真も出てきた。
    
★ 一番右は、国内販社10年の出向の後、
 事業本部の企画室に戻ったのだが、その時の直接の上司の髙橋宏さん
 当時川重に中國班なるものが初めてできて、
 その中國班への異動が殆ど決まっていた私を、
 高橋さんが『取返しに』行って頂いての『企画室異動』だったようである。
 私は大学時代第2外国語を試験さえ受ければ『』をくれる中国語を受けていて、
 記録の上では『中国語=優』だったものだからそうなったのだと思う。
 そういう意味では、『髙橋宏さん』は大恩人なのである。
 若し中國班などに行っていたら、
 私の現役時代は全く変わったものになったであろう。
★ 私が若い頃から、一番長く一緒に仕事をした人と言えば
 それは田崎雅元さん、元川崎重工社長だが、
 彼は私の1年下で、レース仲間でもあったし、
 その後もいろいろご縁があって、
 お互い気心の知れたお付き合いが今でも続いている。
この当時川重副社長であった『大西 胖』さんとの写真を送ってくれたのも、
田﨑雅元さんなのである。
 KMCの新社屋の土地、建物については、
 当時の副社長大西 胖さんのお世話になったのである。
 『大西 胖』さんとは私がまだ課長時代、
 アメリカのダンピング問題でこれはちょっと大変な問題だったのだが、
 それを直接担当してたのが田崎さんで、
 その対策として国内販社体制の構造改革対策が求められたのだが、
 その起案をしたのが私で、当時の本社財務担当だった『大西 胖』さんに、
 毎月報告に上がっていて、その結果がよかったものだから、
 大西さんには『絶大な信頼』があったのである。
 そんなこともあって、
 KMCの新社屋には社内で反対論も多かったのだが、
 私や田崎さんの起案ということで、
 大西さんはわざわざアメリカまで足を運んで現地を視察され、
 この案に『賛成』して頂いた結果、実現したのである。
 その時の大西副社長とのツーショットである。
 この時は私も新参部長にはなっていたと思うが、
 普通では川重副社長とこんなことにはならないのである。
  
★ これは大庭浩事業本部長・髙橋鐵郎副本部長時代
 それに企画室長だった私、当時のカワ販専務をされていた髙橋宏さん、
 二輪車新聞の年頭記事の記者会見の時の写真である。
 大庭さんは後、川重社長、髙橋さんは川重副社長を務められるのだが、
 当時私はその番頭役をしていたので、
 非常に気安くお付き合いをさせて頂いていたのである。
 大庭さんの事業本部長人事私や髙橋さんの企画室人事をされたのは、
 冒頭、ご紹介した山田熙明さん なのである。
   
  当時は山田さんは、川重副社長をされていたのである。
  この写真も田崎さんが私に送ってくれたものだが、
  当時田崎さんはアメリカの現地販社KMCの社長をしていたのである。
  単車事業本部の大庭本部長・髙橋副本部長と田崎さんだが、
  後、川重社長が二人、高橋鐵郎さんが副社長というスリー・ショット
  なのである。
★ こうしてみると、川崎重工業の中では
 錚々たる社長・副社長の方々と、密接にお付き合いする機会を得ているのだが、
 それは『カワサキグループ』の中のことだから、
 ホントはそんなに大したことではないのかも知れない。
 そういう意味では、小野寺和夫さんはお国が認めての表賞だから、
 それは『偉いさん』だと言えると思うし、
 もう一人、私が親しくさせて頂いている世の中のエライさんは、
 『吉田純一、吉田純ちゃん』なのである。
 彼も叙勲を受けたし、政界のお偉方にもいっぱいトモダチはいるし、
 純ちゃんが一番の『出世頭』だと思っている。
  彼は、東京都知事とも
 三原じゅん子さんとも仲良しだし、
 レース界のこんな大御所たちとも 仲良しなのである。
 星野一義は『日本一速い男』と言われる有名人なのだが、
 彼が17歳の無名の新人時代からのお付き合いで、
 我々の仲間では、今でも『ホシノ』と呼び捨てなのである。
 山本隆が星野のお師匠さんだし、その山本隆の仲人は私。
 私はカワサキでは『純ちゃんよりは先輩』だから、
 いまは『エライさんの吉田純一さん』を『純ちゃん』と呼べる間柄なのである。
 私も『捨てたものではない』と勝手にそう思っているのである。
 こうしてみると
 世の中のエライさんたちも、いろいろあってオモシロいなと思っている。
2020年12月17日

紅葉・黄葉そして落葉の季節

投稿者 : rfuruya
★長く人生を生きてきたが、
 今年ほど自然の移り変わりを、
 直接この目で確かめながら過ごした年は、初めてだろうと思う。
 これは、『コロナ』のお陰である。
 春先からジムも閉鎖されたし、
 毎日公園をスロージョッギングする日が続いた。
 その頃は、梅が咲いていた。
 公園というのは1年中何かの花が咲くように、
 計画的に植樹されていることもよく解った。
 春から今まで、花が絶えたことがない。
★そして今は、紅葉から黄そして落ち葉の季節となっている。
 ごく最近まで黄葉だった並木道も12月も半ばになると、こんなになった。
 
でも、もみじ谷の中腹は未だ紅葉の季節でもある。
 手前は池なのだが、全く水面は見えず、落ち葉で埋まっている。
 この森は未だ、葉は散ってはいない。まさに『黄葉の季節』なのである。
 渡り鳥は今年もこの池にやってきた。
 これらは、いつになればホントに葉を落としてしまうのか?
 そうなれば、どんな景観になるのか?
 その辺りの興味を持ったのも、今年が初めてである。
 葉は落ちてしまったが、
 赤い実がいっぱいの樹もあるし、
  
 山茶花は冬の花である。
 
 こぶしは既に蕾を持っている。
 こぶしの花が開くのは、いつだったかな?
 『こぶし咲く春』というから、2月頃だったのかも知れない。
 あと15日で、いろいろあった2020年も終わりである。
 来年は1月から、改めて公園の樹々の変化や
 花をもう一度、確かめてみたいと思っている。
2020年12月16日

米寿を迎えて   

投稿者 : rfuruya

★ 来年の3月にならないと88歳にはならないのだが、
今年4月から始まった『今期内に米寿を迎える人』を対象にしているのだろう。
 今年は市役所をはじめあちこちから『米寿のお祝い』を頂いたりした。
 これは私の母校・明石高校から
 『米寿を迎えて』という小冊子が届いたのである。
 
 この冊子の『あとがき』にあるように、
 『明中1回生』から20年以上も続いていた
 『米寿を祝う会』が今年はコロナで開催出来なかったので、
 今年『米寿を迎える人たち』の文集を企画したのである。
  
  沢山の方々が寄稿されているのだが、やはり圧倒的に女性が多い。
  女性は苗字が変わっている方が多いので、どなたなのかよく解らないし、
  男性でも思い出させない方も多いのである。
  これが私の文章が載っているページなのだが、
  不思議なことにこのページは男性ばかりで、
  こんなページはこのページ以外は見当たらないのである。
   
  さらに言うと、
  このページの『堀晋』・『溝畑圭一郎』くんは野球部の同期だったし、
  『三河敏明』くんもよく覚えている。
  最近は全くのご無沙汰だが、みなさん元気だったのだ。
★ 特に溝畑圭一郎はどうしてるのかな?
 とずっと思っていたのである。
 高校時代は完全試合をやったり、
 神戸製鋼でもエースだったし、
 都市対抗にはどこが出ても補強選手で選ばれるので、常連だった。
 もうだいぶ前にはなるのだが、
 突然『溝から、電話があった』のである。
 調べてみたら2011年7月だから、もう10年近く経っている。
 その時のブログにこのように書いている。
昨日突然、『溝』から電話があった
久しぶり、昔の仲間、球友『溝畑圭一郎くん』からである。
『 日経新聞電子版 の中の「ライフ 暮らしの知恵」と言うサイトがあって・・・・』と話しだしたのである。
 同期の野球仲間だが、何故か野球だけは抜群に上手いのである。
運動神経があるのだから、ゴルフも上手いのかと思ったら、ゴルフは下手くそなので、『野球だけは』と言っているのだが、聞いてみると、
要は、日経新聞の電子版に、『78歳「イチロー」白球に懸ける想い』 と言う溝畑圭一郎の特集記事が出ているので、『それを広報しろ』と言うことなのである。
ゴルフもダメだが、パソコンもダメらしいのである。
私が何となく、ブログなどやっているのは知っていて、それで電話してきたのである。
 当時は78歳ぐらいだったが、
 4割も打っていたらしい。
 背もそんなに大きくはないのだが、ホントに『野球だけは上手かった
   
  私なども、『当時は明石も強かった』と威張れるのは、
 ピッチャーに溝がいたからなのである。
 その溝も、84歳で病気して『人並に老化を重ねている』と書いている。
 でも、どうしてるのかな? とホントに気になっていたのだが、安心した。
 堀も元気でいたのは知らなかった。
 ほかの同期の連中はみんな逝ってしまったのである。
そういう意味では『米寿』まで生きることが出来て、よかったなと思っている。
2020年12月15日

本の著者と 直接お話するという機会   雑感

投稿者 : rfuruya
★ 私自身は特に読書家でもない。
  どちらかというと『本は読まない』ほうである。
  そんな私がいま仲俊二郎さんの書かれた
 『そうか、そんな生き方もあったのか!
  という本の『仲俊二郎 読書友の会』の管理者をやることになっている。
  
  仲さんとは『親友』と仰る
  兵庫県立大学名誉教授小西一彦先生にひょんなことで頼まれて、
  お引き受けした結果なのである。
  小西先生がFacebook の中に立ち上げられた
  仲俊二郎 読書友の会 は予想以上に活況で既に70名ものメンバーが
  参加されて、いろいろ投稿やコメントなど頂いているし、
  既に、何人かの方は本を購入されたりもしているのである。
  
★ こんな展開になるとは予想もしていなかったので、
  私も、ちょっとビックリなのである。
  そんな中のお一人に『向笠暁彦』さんがおられて、
  こんな記事をアップしておられるのである。
  大槻幸雄さんはバイクのユーザーならご存じの
  『カワサキZ1の開発責任者』なのだが、
  こんなガスタービン開発の本も書かれている著者でもある。
   
 実は昨日、『向笠暁彦』さんとご一緒に大槻幸雄さんとお会いしたのだが、
 大槻さんの本を読まれたばかりの向笠さんと大槻さんの会話を
 横で聞いていたのだが、これはなかなかオモシロかったのである。
 これは大槻さんと向笠さんの対談の一場面である。
 
 読者と著者が直接話などする機会は少ないはずだが、
 この仲俊二郎さんとも、
直接の会話』だ出来る舞台だけは出来上がりつつあるのである。
★ 仲さん、Facebook は初めてのようだが、
 既に登録されていて、トモダチは『私1人』だったはずだが、
 いつの間にか、39人もの方と繋がっているのである。
  
 これはその一部だが、こんな方たちが友達になっておられる。
 自由に本の著者との直接の会話ができる舞台が整いつつあると言っていい。
 
 ひょっとすると、
 これは 『本の著者と読者を直接つなぐ新しいシステム』
 になる可能性もある。
 電子書籍などの出現で、本の売れ行きがもう一つの現代社会のようだが、
 Facebookなどと言う、ネットシステムを使っての
 新しい『本の読み方』というか、
 著者と読者の繋がりが出来ればいいなと思ったりしている。
 Facebook をおやりの方なら、
 『仲俊二郎読書友の会 』 『仲俊二郎』と検索したら
 簡単に繋がることが出来ると思います。
2020年12月14日

カワサキZ1 と 大槻幸雄さん

投稿者 : rfuruya

★ カワサキZ1開発の功績で
 大槻幸雄さんが日本自動車殿堂入りをされたのは
 昨年の11月末のことだった。
 
Z1が発売されてから、もう50年近くにもなるのに
Zを愛する人たちで構成される二輪倶楽部は全国にいっぱいあって、
その一つでもある KAWASAKI Z1 FAN CLUB の方たちが
大槻さんの故郷でもある京都府の綾部で今年の4月18日に
盛大に『お祝いの会』を開こうと計画をスタートしたのは
昨年の12月初めのことだった。
それが『コロナ騒ぎ』で、一度は9月に延期はしたのだが、
それもダメになってしまったのである。
そんな大変な1年ではあったのだが、
この1年『大槻幸雄さんの殿堂入り』に関する事柄が
私の周りの大きな出来事であったような気もする。
★実は昨日の日曜日、
 KAWASAKI Z1 FAN CLUB事務局長の登山道夫さんとメンバーと
 大槻幸雄さんのお宅にお邪魔してきたのである。
 大槻さんの前に並んでいるのが
 右から 日本自動車殿堂入りの記念楯
 左が 大槻さんが創られて配られた殿堂入り記念グラス
 真ん中はそのグラスを頂いたKAWASAKI Z1 FAN CLUB のメンバーたちが
 お礼に大槻さんに差し上げた Z1シリンダーヘッドのカットモデル
 大槻さんが手に持っておられるのは
 大槻さんから記念のグラスを頂いた人たちからのお礼状なのである。
★ 世界の名車Z1が世に出たのは1972年なのだが、
 その開発総責任者が大槻幸雄さんなのである。
 50年近く経った今も、世界中にZのファンは健在で
 マシンも街を走り続けている。
 
 今年はZ1をこよなく愛するZ1ファンたちの要望に応えて
 川崎重工業はそのシリンダーヘッドを世に出されたりもしたのだが、
 この要望を川重に申し入れられたのも、実は大槻幸雄さんなのである。
 5年前のことだが、私も稲村暁一さんとご一緒にお伴したので、よく覚えてる。
 難しいプロジェクトだったと思うが、メーカーはよく実現されたと思う。
 そんなシリンダーヘッドのカットモデルを
 KAWASAKI Z1 FAN CLUB のメンバーたちから
 大槻幸雄さんに記念グラスを頂いたお礼にと贈られたのである。
 
★ 大槻さんは日本殿堂入りの栄誉を記念して『記念グラス』を創られるというので、7月以降そのお手伝いをさせて頂いたのである。
こんな素晴らしいチタンガラスのグラスに仕上がっている。
 
大槻幸雄さんからの感謝の言葉が添えられている。
   
川重関係者やZ1のファンたち、
 大槻さんが会長を務められるZ1会のメンバーたちに配られたのである。
これはその11月に開催されたZ1会に参加された
KAWASAKI Z1 FAN CLUB 事務局長登山道夫さんのFB記事である。
 
★そして昨日の日曜日、
記念グラス』を頂いたKAWASAKI Z1 FAN CLUBのメンバーたちが、
そのお礼にと、Z1シリンダーヘッドのカットモデル』を
大槻幸雄さん宅にお持ちしたのである。
みんなZ仲間、いい歓談のひとときを過ごせたのである。
二輪雑誌の記事のお手伝いをされている 向笠 暁彦 さんの取材もあったので、
年明けにはバイク雑誌に記事が出るかも知れない。
★ 大槻幸雄さん、既に90歳になっておられるのだが、
 まだまだ、お元気である。
 今月12月4日、私は参加できなかったのだが、
 『川郎会』という高齢者ばかりのコンペだが、優勝されたとか。
 Zの50周年は2022年だが、
 是非『Z50周年記念行事』をKAWASAKI Z1FAN CLUB主催
 開催しようという計画もあるのだが、
 是非、大槻幸雄さんも、私も、かってのカワサキの当時の現役たちも、
 参加出来ればいいな、と思っているのである。
2020年12月13日

隔世遺伝? 孫・門野真

投稿者 : rfuruya

★この世の中に私と家内の血を引き継いでくれてる人が6人いる。

 息子と娘、それに4人の孫たちである。
血の繋がり』などと言うが、みんなそれぞれ何となく似てるものを持っているからオモシロい。
 『隔世遺伝』などと言う言葉があるが、
 4人の孫たちを見ていると、夫々『私に似た』ところを持っている。
 そんな4人の孫たちの中で、
 今アメリカにいる孫・門野真也が『一番似ている』というか
 私自身の『生き方』に通じるところがあって、
 ホントに小さい子供の頃から、『虫取り』や『魚取り』など付き合ってやったのである。
 その門野真也は、物事の取り組み方が私によく似たところがあって、
 ●何事にも『熱心でハマってしまうし
 ●『継続性がある
 ●『個人情報の開示』というか『ネットで発進』などを憚らない。
 この『個人情報の開示』については家内は正反対で、
 一切ネットなどには発信しないのである。
 これは、息子がそうだし、娘の長男の力也がよく似ている。
★ 昨日の朝、その門野真也からLineで連絡があった。
 いま、彼は動画に凝っていて、『自分の人生の紹介動画』を創ったから、
 『私にネットで広報して欲しい』というのである。
 彼の短い人生のメインは『サッカー』で、
 そのサッカーでの歩みを『You Tube』に纏めているのである。
  3分ほどの短い動画だから、是非観てやって下さい。
 実は、既にツイッターでは『リツイート』してやったのだが、
 わざわざLine で言ってきたのは、
 『Facebookにもっと詳しくアップして欲しい』というので
 こんなブログをアップしているのである。
 今年の2月から毎日続いている『毎日てっちゃん』のモデルの
 末弟・門野哲也も出てきた。
 その『毎日てっちゃんのファン』が300人になったと
 喜んでいるのである。
絵の才能』は誰に似たのだろう。
 私の父は日本画だが、橋本関雪に習って結構本格的な絵を画いていた。
 
  何でもやりかけると、凝るところがあって
いまハマっている動画作りのための撮影用のカメラも
『Go Pro』などと言う専門的なカメラを買ったらしい。
★ところで、門野真也の今までのサッカー人生だが、
 サッカーを始めたころは、こんなデブで、
 Strikers FCには『デブはダメ』と断られて、
 3年も減量してやっとは入れたのだが、
      
 こんなに様変わりして、
 当時のお師匠さんは息子だった。
 
 これは未だ小学生時代だったかも・・
 この頃から『プロを目指す』などと言ってたが、
 ホントにひょっとしてと思い出したのは
Berkeleyに入って日本人ながらキャプテンを務めたりしてからなのである。
 プロなどホントかなと思ったが、
 ホントに『プロ選手』にはなったから大したものだと言っておこう。
 さらに充実した『プロ人生』を送って欲しいものである。
★ 冒頭に『隔世遺伝』などと書いたのだが、
 先祖には、なかなかの人もいて
 曾祖父の古谷萬平は、明石松平藩の剣道指南番だったと言うし、
 私の母の兄 楠見幸信は昭和の初めベーブルースが来たころの
 全日本チームのセンター1番だったり、
 国鉄スワローズの初代総監督などを務めている名手だったようである。
 まあ、そんな血筋だから、門野真也・哲也兄弟も是非名選手になって欲しい。
 二人の『トレーニング』など観ていたら
 あの一途な熱心さは、誰に似てるのだろう?
 と思ってしまうのである。
 門野真也は、確かに私に似てるところはいっぱい持ってるのだが、
 その熱心さのレベルは全く異なるのである。
 まあ、これくらい詳しく紹介したら、多分真也も満足してくれるだろう。
2020年12月11日

三木の新しいまちを歩いてきた 2020-12-11 07:09:42 | 日常生活、園芸、バ

投稿者 : rfuruya
★ 1週間の内3日ばかりは、
  三木山総合公園内にある三木総合体育館のジムでトレーニングしているが、
  そのあと隣の三木山森林公園か、体育館の周りを
  スロージョッギングしている。
  こんな自然いっぱいのいい環境なのである。
  つい先日は隣接する『さつき台』の住宅街の中を通ってみた。
 この辺り一帯はかっての『三木山地帯』で
 『三木城址』よりも高い位置にある。
 三木市役所、三木山森林公園、三木総合公園などこの一帯が
 開拓されたのは1992年から1993年だから30年も前のことである。
  
 この公園に隣接する『さつき台』が出来たのは1999年だというから、
 多分三木市で一番新しい新興住宅地だと思う。
 そんな『さつき台』の方向をスロー・ジョッギングしてきた。
 野球場横はこんな紅葉が綺麗だった。
 
 三木市で一番新しい住宅街であるだけに、なかなかカッコいい。
 道も綺麗だし環境もいい。
 隣接する公園の横にはこんな大きな池がある。
 こんな道が残っているが、かっては山だったのがお解り頂けるだろう。
上の道から眺めた三木山総合公園、手前の庭は、プールに隣接していて、
プールからそのまま庭の散策が出来る。
 
 右の建物がジムのある体育館である。
 三木はどこに行っても駐車場が広い。
 ざっと一周して駐車場に戻ってきた。
 30分ちょっと5キロほどの行程である。
 隣の三木山森林公園もあるし、
 スロー・ジョッギングする環境は整っている。

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