2022 12月

2022年12月31日

志染の石室 と 六地蔵

投稿者 : rfuruya
★1年間殆ど毎朝お世話になった「三木総合防災公園」だが、
 この公園に隣接してというか、中にあると言ってもいい位置に、
 「志染の石室 と 六地蔵」はある。
 孫・門野真也は行ったことがないというので、案内してきた。
 彼が毎朝10本の「坂道ダッシュ」をする坂道を更に下ったところにある。
 「志染の石室」とはこんなところである。
 
 短い歴史のアメリカに住んでいる孫にとっては
 アメリカではこんな遺跡は観られない。
 石室の中にはこんな黄金の水が常に溜まっている。
 
 今は公園のほうから簡単に行けるのだが、
 昔は逆に里のほうから山道を登って
 こんなところに二人の天皇になられた方が身を潜めたというから
 不思議なことである。
 
志染の石室」と検索するとこんな説明文が現れる。
 志染の石室しじみのいわむろ)は、兵庫県三木市にある説話伝承地。
『播磨国風土記』美嚢郡志深里(しじみのさと)条によると5世紀頃、皇位継承争いで雄略天皇派に殺された市辺押磐皇子の二人の王子、後の23代顕宗天である袁奚と後の24代仁賢天皇である意奚の兄弟は志深(志染)の石室に隠れ住んだとされる。(『日本書紀』では「縮見山石室」と表記)。
ひかり藻が生息する石室の湧水は水面が金色に輝くことから「窟屋の金水」と呼ばれる。
この現象は永らく観察できていなかったが、2002年頃から再び見られるようになった。
★「志染の石室」は公園のホントに外れの位置にあるのだが、
 「六地蔵・どっこいさん」は公園の中にあると言ってもいい。
 こんな感じだが、
 
  こんな説明版に詳しく説明されている。
 新興住宅や新しい公園のすぐ横にこんな旧い遺跡があるのが三木である。
2022年12月30日

孫とのいろいろ  雑感

投稿者 : rfuruya
★ 世の中に「ネット」というものが出来て、
 私自身の生活も定年後一変したと言っていい。
 ただ70歳を過ぎてからの独学で、勝手に覚えたものだから、
 「できることは出来る」のだが、
 「新しいこと」「できないこと」はなかなかムツカシイ。
 今はアメリカから孫が来てるので、いろんなことを教えて貰っている。
 写真のアップは大体できるのだが、
 動画のアップはなかなかムツカシイ。
 Facebook にはできるのだが、
 このgooのブログにアップするのが出来ないのである。
 かって「ニコニコ動画」でやってた時代は出来たのだが、
 パソコンが新しくなり、スマホで写真や動画を撮るようになってからは、
 どうしても取り込むことが出来ないのである。
 そんなことはないのだと思うが、それがダメなのである。
 これはFacebook にアップした動画だが、
 動画がアップできないので
 Facebook 自体をコピーしてみたので、
 ご覧になってみて下さい。
 来年は90歳になるのだが、これくらいの速さで「ダッシュ」が出来てるのが自慢なのだが、
 これも孫が伴走しながら撮ってくれ動画の一部である。
    
 
★昨日は孫二人と公園にトレーニングに出掛けた。
  
 次男は動画でもあるようにいろいろやってるが、
 彼のやる「筋トレ」はちょっと真似ができない。
 こんなことや
   
  こんなことをいとも簡単にやってもける。
  
 年末に孫たちがやって来て
 ホントに生活が一変なのである。
 大晦日にはアメリカから末弟・門野哲也がやって来て
 3人兄弟が揃うのだが、賑やかな新春になるのだろう。
2022年12月29日

孫との温泉巡り

投稿者 : rfuruya
★12月初旬から日本に遊びに来ている孫・門野真也はめちゃ温泉が好きで、
 ずっと日本の温泉巡りをしている。
 このところはずっと三木にいるのだが、
 三木の近辺の温泉の特にサウナ・ファンで
 温泉めぐりというか「サウナ巡り」かも知れない。
 昨日は小野の「白雲谷温泉 ゆぴか」に行った。
 家から30分は掛からないような距離だが、
 私も孫がまだ日本にいた小学生の頃一緒に行ったぐらいなので
 もう20年ぶりかも知れない。
 
 入浴後、牛乳を飲んで戻ってきた。
★ 今日は吉川の「よかたん」に長男・門野力也も一緒に
 3人で行ってきた。
  
 温泉の「2日連ちゃん」で、少々「湯疲れ気味」である。
 直ぐ近くのラーメンは少々高かったが、高いだけに旨かった。
  
 このお店も20年ぶりかも知れぬ。
 
 孫は、「よかたん」のサウナはお気に入りだから
 日本滞在中にもう一度ぐらいは来るのではなかろうか?
 若いのが家にいると
 いつもとは「全く違った生活」になっている。
 1月11日にアメリカに戻るのだが、それまでは続くのだろう。
2022年12月28日

我が家での「テレワーク」と・・・

投稿者 : rfuruya
★ 今は当たり前になった「テレワーク」だが、
 我が家がその場所になるとは思わなかった。
12月の初旬からアメリカの孫の次男・門野真也が我が家に来ているのだが、
24日には長男・門野力也がやて来た。
 やっては来たのだが、休みではなくて我が家が「テレワークの場所」になったのである。
部屋にこもり切ってずっと仕事なので、殆ど話もしていない。
テレワークとは tele=「離れたところ」 work=「仕事」を合わせた造語だというのだが、
tele がそんな意味があるとは初めて知った。
telephone とか television というように使われているのだとか
 
在宅勤務とは、テレワークの1つの形態であり、テレワークは在宅勤務よりも広い概念で、本来、テレワークとは造語だが、情報通信技術(ICT)を活用した場所や時間にとらわれない柔軟な働き方のことだという。
特に場所には拘らないようだから、
我が家で孫がやってるのはまさしく「テレワーク」なのである。
★ そんな我が家での「テレワーク」だったので、
 家には来たのだが「テレワーク」中は言葉も掛けることもなかったのだが、
 昨日で「テレワーク」は終わって、
 今日からはめでたく「正月休み」なのである。
 そんなことで今朝からは
 長男・次男揃っての三木総合防災公園での
 朝のトレーニングを始めることになった。
 
 子供の頃は、長男・力也のほうがサッカーも上手かったのだが、
 今はちょっと運動不足で肥えすぎなのである。
 これは20年近く前の次男・真也と三男哲也だが、
 この頃スマートだった長男・力也は、
 今はこの頃の弟たちのように「ふっくら」としているのである。
 
 3人ともお父さんに似て「よく食う」ので
 トレーニングをしないと肥えてしまうのだと思う。
 この正月には3男もやって来て3兄弟揃うので
 その時3人揃っての写真をご披露することにしたい。
 20年も経つと様変わりするものである。
2022年12月27日

スマホを新しくした

投稿者 : rfuruya

スマホは持ってはいるのだが、
 私の場合は、その主たる機能の電話は使ったことはない。
 スマホはカメラ代わりとあとはFacebook などを見るだけで、
 主たる機能は「写真や動画」が撮れたらそれで十分なのである。
 今のスマホは2台目だったのだが、
 1台目は、孫が新しくスマホを買ったときに以前の「電話機能のないスマ」を貰い受けて、カメラとして使っていた。
 そのスマホが壊れて、2台目のスマホになったのだが、
 電話はこの5年間で2,3回ほど家と息子に電話しただけなのである。
 今回、それを新しくしようと思ったのは、
 「電池」がダメになって直ぐなくなってしまうので、
 いまアメリカから孫が来ている間に買おうと思っただけである。
 というのもこんな器械ものの新しい機能などさっぱり解らないのである。
★そんなことで、昨日は「ドコモショップ」にスマホを買いに行った。
 店の方が丁寧に説明をしてくださるのだが、
 耳が聞こえにくいこともあるのだが、その殆どが理解できないのである。
 ただ、横に孫が付いていてくれてたので孫を信じて、
 4万円ほどの安いスマホを買って来た。
 これが新しいスマホで最初に撮った写真だが、
 この写真のパソコンへの取り込み方が、
 以前と違ってめちゃ楽になったのだが、それがなぜかは解らない。
  
 これが今まで使ってた旧いスマホだが、
 多分今日でお別れしてしまうことだろう。
新しいスマホの機能がどんなものなのかもまだよく解っていない。
 孫が1月11日まで日本にいるので、それまでに勉強しようと思っている。
 一番よく使う写真関連は何とか理解出来たので、
 今後のFacebook での写真なども新しいスマホで撮ったものになるだろう。
2022年12月26日

投稿者 : rfuruya

サッカー話題いろいろ

2022-12-26 08:08:58 | スポーツ
★サッカーのワールドカップは終わったが、
 サッカーニュースが連日報じられている。
 注目されていた日本代表監督だが、
 どうやら森保一監督が2期連続で決まったようである。
 正式には来年の理事会で正式決定だとか。
 
 日本凱旋直後はなかなかの好評かだったように思うが、
 昨今の一般の評価はなぜかもう一つなのである。
 サッカーの監督に対しては野球の監督以上にその評価は厳しい。
 日本代表監督となると、代表メンバーの選考が大きな仕事の一つだが、
 これも監督の好みというかいろいろである。
★セルティックは、グラスゴーを本拠地とするスコットランドのサッカークラブで100以上のトロフィーを獲得した世界で5つしかないクラブの1つらしいが、11連勝と快調のようである。
 古橋と旗手がそれぞれ2得点してこんなに大きく取り上げられている。
 古橋享悟はヴィッセル神戸にいた頃から、
 私は好きな選手の一人だったのだが、
 今回のワールドカップには古橋も旗手も呼ばれなかった。
 このセルテックには日本人選手が5人もいて
 今回のワールドカップでも大活躍だった前田大然もいるのだが、
 この試合では出ていない。
 この辺のところがサッカー監督の采配の違うところなのだろうか?
 
 なかなかムツカシイものである。
 今回のワールドカップでは念願のベスト8にはなれなかったが、
 ドイツ・スペインに勝ったこともあって、
 「世界ランキング」は20位まで上がってきた。
 
今の日本代表が一番強いような気がするが、
 過去には世界15位ぐらいの頃もあったようである。
 サッカーの世界も、世界水準が上がるからか
 その評価はなかなかムツカシイものである。
 息子が小学生時代からサッカーをやりだしたので、
 40年以上も前からサッカーには関心を持っていたのだが、
 日本のサッカーのレベルもその当時に比べると格段の進歩だと思う。
 世界各地で活躍する日本選手の数を見ても明らかである。
2022年12月25日

NPO The Good Times の今後の方向

投稿者 : rfuruya
★ 昨夜はこんなメンバーで、
 NPO法人 The Good Times の方向性について検討をしたのだが、
 当初は、このNPO 法人もぼちぼち終わりにしようかということだったのだが、
 是非、引き継いでやらせて欲しいとの
 藤本喜子さんのお申し出があったので、
 当方も「ぜひそのようにして頂きたい」ということで
 その意思確認の集まりだったのである。
 現在は山本隆理事長で、
 こんな理事さんを中心なのだが、
 みんな歳も取って特に目立った活動もしていなかったのだが、
 もう10数年も前にはなるのだが、
 「異種・異質・異地域をみんな繋いで、いい時を過ごそう
 を基本コンセプトにネットの世界を中心に活発な活動もしていたのである。
  
 先日、明石で開催した「カワサキZ50周年祭」も
 このNPO The Good Times のメンバーが中心で、
 このコンセプト通りの催しだったのだが、
 これがこのNPO 法人の最後のイベントになるかなとも思っていたのだが、
 思わぬ「いい展開」が見られそうなのである。
 
★これを引き続き、引っ張って頂ける藤本喜子さんは、
 ご自身の「ブログ」にこのように書かれている。
来年3月に
全世界で1万人会員がいるNPO法人事業継承をすることとなった。
事業継承、、、少し不安はある。
だって無知なんだもの。どうしよう、、、、悩む
いや悩む前にとりあえずやっちゃえ。
 これは、その決心をされる前の
 藤本さんと私のお話合いだったのだが、
 
 いろいろあったのだが、
 なんとか無事引き継ぐ方向だけは決またので、
 これから来年3月まで、
 いろいろと具体的に動きたいなと思っている。
 藤本さん、私も出来る限り応援しますので
 NPO The Good Times をよろしくお願いいたします
2022年12月24日

昨日は、そして今日は

投稿者 : rfuruya
★ 昨日は新幹線の乗り放題切符を買って、
 京都・名古屋・東京とアメリカからやって来たノア君日本漫遊をしていた
 孫・門野真也が戻ってきたので、新神戸まで迎えに行った。
 
 最近は殆ど神戸にも出ることがなくなって、
 神戸に出るというとこの新神戸の送り迎えばかりである。
 
 その往復は新神戸トンネルを抜けて、ドントダムの横の道を走るので、
 全く都会の街の中は通らない。
 家から新神戸の駅まで40分は掛からないので、
 三木は車さえあれば結構便利な位置にある。
 今日は3人兄弟の長男・門野力也が東京からやってくるので、
 またこの新神戸に迎えに来るかも知れない。
 大晦日にはアメリカから末弟・門野哲也がやって来て
 三兄弟揃っての新春を三木で迎えることになる。
★ 今日は18日から日本にやって来てたノア君が夕方にはアメリカに帰るという。
 ホントにあっという間の日本滞在ではあったが、
 六甲山にも上ったし有馬越えもしたし、温泉にも入って
 そのあとの京都・名古屋・東京だったのである。
 孫・真也は東京で食った「鯖寿司」に当たって食中毒で大変だったようである。
 昨日は戻って来て何も食わずに寝てしまった。
 ノア君は「鯖寿司」を食わなかったので大丈夫だったようである。
 そして私は、こんな若い人たちの「送り迎え」ばかりやってるのだが、
 今夜はNPO The Good Times の理事会明石の柏原邸で久しぶりにある。
 そのあとちょっとアルコールが入るので、運転手は飲めないのだが、
 私は酒は飲むが、飲まなくても大丈夫なのでその運転手を務めることになっている。
 5時頃に登山さんを乗せて、
 加古川で山本隆さんを拾って、明石に行く。
 そして帰りはその逆のルートで戻ってくる。
 「クルマの運転」は嫌いな方ではないので、少々走ったりするのは大丈夫なのである。
 若いころ東北6県や北海道をクルマで走った距離に比べたら、
 40分や1時間の運転は全く気にならない。
 何でも若いころの経験など、この歳になっても生きているのである。
2022年12月23日

カワサキコンバットのこと

投稿者 : rfuruya
★昨日アップしたモトクロスの写真に映っている
 カワサキのライダーはカワサキコンバット13番が岡部能夫9番は三橋実だと思う。
 ヘルメットの1の字のマークがあるから間違いない。
 左側はそのライデイングから神戸木の実の歳森康師ではないかと思うが、
 よく解らない。
★このブログは2006年9月にスタートさせたのだが、その年の11月3日の記事である。
 文章もそっけないが、当時を思い出しながら補足してみたい
●「カワサキコンバットのこと
2006-11-03 15:34:38 | M/Cレース
1965年前後、神奈川県海老名で三橋実の率いたカワサキコンバットは、有名ライダーを擁しモトクロス界で名を馳せていた。
カワサキファクトリーの契約ライダーとしては、三橋、安良岡、梅津、岡部、星野がいた。
私はその頃、このクラブとの契約やライダー個人との契約を直接担当していたのだが、どのようにしてこのクラブがスタートしたのか詳しいことは解らない。私がレースを担当したのは、63年だが既にコンバットは存在していた。」
カワサキの初レースとされる青野ヶ原モトクロスは1963年5月で、
マシンは125B8なのだが、
その前の125B7でもカワサキ自動車販売でMCFAJのレースに出場していた記録がある。
 そのライダーは三吉一行とかではなかったのか?
 ライダー契約を川崎航空機工業が正規に行ったのは1963年末からで
それは私が担当した部門だったのだが、私は直接の担当でなかったので、詳細は解らない。
 気が付いた時にはカワサキコンバット三橋実・梅津次郎・岡部能夫
 神戸木の実歳森康師・山本隆がすでにいた。
  
 この5人のライダーでレースがスタートしたことは間違いない。
 正規にカワサキに広告宣伝課が出来て、
 私がそれを担当したのは1964年1月のことである。
●「昔のことは、なかなか正確には残っていないものだ。
今からの話は、私の記憶と推測も混じるが、多分当たっていると思う。
当時、カワサキ自販の広宣課長に小野田滋郎さんが居た。
あのフィリッピンから生還された小野田中尉の弟さんである。
ヤマハにいた三橋を強引にカワサキに引っ張ったのは、これは間違いなく小野田さんである。川崎航空機が直接レースを担当するまでは、小野田さんが独りでライダー関係をやっておられたと思う。
カワサキコンバットも、多分この頃出来たのだと思う。」
川崎航空機の広告宣伝課カワサキ自販の宣伝課の業務を引き継いだのだが、 小野田滋郎さんには私はいろいろと教えて頂いた。
 当時の写真はないのだが、この写真の左側の方で
 陸士出だったから位はお兄さんよりも上だったのである。
  
●「どこの世界にもあることだが、カワサキのレースも、全員賛成でスタートしたわけではない。むしろ、その逆である
カワサキが、運よく青野ヶ原のレースで優勝ほか上位を独占し、数日後記念写真を撮ったとき、勿論苦労した直接の関係者もいたが、ひな壇に並んだ人の大半は反対をしていた人たちだった。」
 
 このレースは製造部と営業部の有志の人たちが非公式に出場したもので、
 カワサキが正規に認めたレース出場ではなかったのである。
 「大半は」はちょっと書き過ぎだと思うが、
 少なくとも勤労部長と企画室長は反対だったのである
●「その数ヶ月後、広告宣伝の仕事を小野田さんから引き継ぐことになり、レースも担当の一部になった。レースとの関わりのスタートである。
三橋とは個人契約のほかにカワサキコンバットの運営契約を結んだ。
クラブ員の募集、面倒、練習に拘る費用、宿舎、運搬車両など一切を含んで、月20万円の契約だった。私の年収が50万円に届かぬ時代であったから、相当な額である。」
 この青野ヶ原のレースの完全優勝も大きな契機となって、カワサキは二輪事業を本格的に進めることになり、
 広告宣伝課も出来たし、その予算は1億2000万円もあったのである。
★この青野ヶ原のレースはその前年、1962年11月に鈴鹿サーキットで開催された、日本で初めてのロードレースをカワサキの製造部のメンバーが観に行き、感動して「カワサキもレースを」とスタートしたものだったのだが、
 この250㏄の優勝者が三橋実350ccの優勝者が片山義美で、当時はいずれもヤマハだったのだが、
 その三橋実カワサキコンバットを創り、片山義美の神戸木の実クラブのメンバーが多数カワサキとの契約を結ぶことになったのである。
 鈴鹿サーキットが出来たのが1962年だから、
 若し鈴鹿が出来ていなかったら、カワサキの二輪事業もなかったかも知れないのである。
 その鈴鹿のレース観戦を裏で画策されたのは兵庫メグロの西海義治社長で、
 これは後年兵庫県のモトクロスの時の写真だと思うが、
 本田宗一郎と西海義治さんが若しいなかったらカワサキの二輪事業もなかったのではと思ったりもする。
   
● 「有望な若手ライダーが全国から集まった。その中に静岡の星野栗山もいたし、秋田の金子豊(星野インパル経営)もその一人であった。
何事も、逆風の中で、ものごとを進めた人を忘れてはならない。
小野田滋郎さんは、カワサキのレースをスタートさせた一人であることは間違いない。
然し、今、小野田さんのことも、カワサキコンバットのことも詳しく正確に知っている人は、カワサキの関係者でも、殆ど居ないだろう。
カワサキコンバッは、三橋、梅津、岡部の契約が切れた時点でなくなり、星野は神戸木の実へ移籍した。私には懐かしいクラブチームであった。」
 これはずっとのち、私がシャッターを押した写真だが、
 後列が金子豊・岡部能夫
 前列が山本隆・星野一義である。
もう金子と岡部はこの世にいない。
カワサキコンバットのこと」語れる人も私ぐらいしかいなくなってしまった。
 遠い昔の出来事なのである。
2022年12月22日

結婚記念日のプレゼント

投稿者 : rfuruya
★昨日はいろいろとあった1日だった。
 先ず、東京の松嶋裕さんがこんな懐かしい
 カワサキ85JIの動画Facebookの「二輪文化を伝える会」にアップされたのである。
 その中からの写真だが、
 85ーJ1Tとはこんな車で、
  
 そのモトクロスマシンも同時に発売された。
 動画にはこんな当時のモトクロスの写真も入っている。
 昭和30年代後半の時代なのでもう60年も前の話なのだが、
 当時私はカワサキの広告宣伝課を担当していて、
 このカタログは私が創った訳ではないが、
 当時の広告代理店に注文をしたのは間違いなく私だし、
 当時のレースチームも広告宣伝課の担当だったである。
 当時は「スズキの90㏄」が中間車種と称されてヒット商品だったのだが、
 カワサキもそれに追随して発表したのがこの「85-J1」なのである。
 そのデビューは山梨県のモトクロスだったのだが、
 その緒戦から優勝して圧倒的な強さを発揮したマシンで
 当時「実用車のカワサキ」がウリだったのだが
 カワサキの初めての「スポーツ車」のような車であったと言ってもいい。
 MCFAJ の第11回全日本モトクロスでも優勝を飾っている。
松嶋裕さんは今は「二輪文化を伝える会」を実質的におやりになっていて、
 その統轄をされている村島さんから今回その統轄を引き継がれるようで、
 そのホームページにはこのような記述がある。
二輪文化を伝える会」はNPO法人 The Good Times との繋がりをきっかけに、2012年6月より活動を開始しました。
バイクに乗らなくてもバイクが好き」という人を増やしたいこれは二輪文化を伝える会のスローガンでもあります。
 そんな「二輪文化を伝える会」には私も相談役として参加しているのだが、
 来年の2月にその新しい方向についてのご相談に、
 松島さんと村島さんが神戸までわざわざ来られることになっているのである。
★ところで話は変わるが、
 佐々木八太夫さんはカワサキを永く担当されている広告代理店を経営されていて、今もカワサキ担当は続いているのだが、
 年末には必ず我が家に挨拶に来られるので、昨日も2時間ほど昔話に華が咲いたのである。
 
実は昨日12月21日は私たち夫婦の結婚記念日だったのだが、
結婚記念日も60年以上にもなると特に何をするでもなく、
自然に過ごす1日になるのだが、
昨日は佐々木さんからこんな「ケーキ」も頂いたし、
松島・村島さんからの「新しいお申し出」も頂いて、
それが私にとっての「最高の結婚記念日のプレゼント」であったような気もするのである。
★ 私はなぜか、今でも何となくいろんな方とお会いしてお話する機会も多いのだが、
 佐々木さんとは50年にもなるし、
 松島裕さんとは定年後に出会ったお付き合いだがもう10年以上にもなる。
 NPO The Good Times のホームページは松嶋さんの作なのだが、
 実はNPO The Good Times も今回新しい方に引き継ぐ方向なので、
 来年の2月には松嶋・村島さんのほか佐々木さんや新しい方にも加わって頂いて、
 「今後の新しい方向」についての検討が出来たらいいなと思っている。
 どんどん時代は新しくなる。
 「新しい方たち」での「新しい時代」が始まればいい。
 幾らかでもそんなお手伝いが出来れば本望なのである。

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