2021 11月

2021年11月20日

大谷翔平の「南部の国の人の良さ」    雑感

投稿者 : rfuruya

大谷翔平が大リーグのアメリカンリーグのMVPを満票で獲得した。

 昨日はどのテレビも「大谷翔平」ばかりだった。
  
 野球の本場アメリカ大リーグでのMVPである。
 選手間投票による年間最優秀選手
 7年ぶりの選出となったコミッショナー表彰
 米誌「ベースボール・アメリカ」の年間最優秀選手
 米メディア「スポーティング・ニュース」の年間最優秀選手
 などなど、それぞれ選出されて、今オフはこれで“8冠”となったという。
 さらにはギネス世界記録にも次の二つで認定されたとか。
 その1つは「投手として100投球回、100奪三振をマークし打者として安打、打点、得点で100超えをマークした初の選手
 もう1つが「オールスター戦で投打の二刀流で先発出場した初の選手」としてということのようである。
★これは凄いことである。
 今後、大谷翔平はどんな選手になっていくのだろうか?
 よくベーブルースと比較されるが、既にベーブルースを超えているように思う。
 そんな大選手に、既になっているのに「あの謙虚さ」がいいし、
 目標を一筋に追い続け、「お金」などには拘らない「純粋さ」みたいなのがいい。
 「大谷翔平」は岩手県かっての水沢(今の奥州)の出身だという。
  岩手県は東西100キロ、南北200キロの広さだが、
  200キロと言えば神戸から名古屋まで
  そこには兵庫・大阪・京都・滋賀・愛知の5県があるので、
  その広さはお分かり頂けると思う。
  ただ、県の人口は120万人という、「まさに田舎大県」なのである。
 
 私は若いころ東北6県を担当していたのだが、
 当時の「実用車時代のカワサキ」では
 岩手県が毎年最大の販売台数を上げて「金賞」に輝き続けたのである。
 「田舎なれども南部の国はよ 西も東も金の山」と唄われる
 「南部牛追い唄」の岩手県の人たちは
  幾らトップに立ち続けても、
  純粋に素朴で実直で、威張ったりはしないのである。
  そんな南部の国の人たちに、私は自然な愛着を持っていて
  「岩手県」は日本で一番好きな県かも知れないのだが、
  「岩手出身の大谷翔平」にこの「南部の国」の人たちの伝統を感じるのである。
★ 大谷が育った「花巻東」はまさに「南部の国」なのである。
   
  高校生時代に160キロを記録し、
  卒業時に大リーグを目指していたのを
  日ハムが独り指名をしてからの経緯やその後の大谷を見ても、
  人生に対して非常に素直だし、
  ただひたすら目標に向かって前進し
  何よりも「お金に拘らない」ところがいい。
  そんな岩手の人南部の人らしい「大谷翔平の良さ」に
  日本人だけでなく、アメリカの人たちも自然に惹かれるのだと思う。
★ いろんな野球の先人たちに、いろいろと言われた大谷だが、
  既にその人たちの一歩上に位置するところに来たのだと思う。
  これからも岩手県人・南部の国の人の良さを受け継いで
  さらに前進を続ける「大谷翔平」を来シーズンも見たいものだと思っている。
  まさにそれは「前人未踏の世界」なのだと思うのである。
2021年11月19日

私のアーカイブス・定年後  その2

投稿者 : rfuruya

★1999年の6月まで札幌の北海道川重建機の社長を務めていたが、
 お約束通り2年間でその職を辞して三木に戻ってきた。
 そんなことでこの年の6月以降が私の定年以降の生活が始まったのである。
 これは娘のほうの次男・門野真也今はサッカーのプロ選手だが、
 まだこんなに小さかったし、家には柴犬トム・ラブがいて、
 犬の散歩が日課の一つであった。
   振り返ってみると我が家にはずっと犬がいたのだが、
 2匹いたのはこのトムとラブの時代だけである。
 
 それ以前には、近所に捨てられていた子犬を娘と私が拾ってきて、
 可愛がっていたのだが、ある日突然車にひかれて死んでしまったのである。
 これがそのコロである。
 これがそのコロだが、犬も若いが娘も若い。確かまだ大学生のころである。
 
 ちょうど娘の長男・門野力也が生まれた直後のことで、
 娘が悲しむものだから、産後に悪いとまずラブを買ってきたのである。
 その3日後ぐらいに、西神のそごうの犬の売り場にトムがいて可愛いいと思って、
 私が衝動買いしてきたものだから、つがいの柴犬がいたのである。
 何年かのちこんなかわいい子犬も産まれたのだが、
   これは流石に飼えなくて知人に差し上げたりしたのだが、
 血統証をつけるのに8万円ほどかかってびっくりした。
 
そんなことで、このトム・ラブは孫・力也と同い年で15年ほどいたのだが、
この頃は8歳ぐらいのころである。
 札幌に2年間いっていた時に三木に戻ってきたときの喜びようは、めちゃ可愛かったのである。
 そんなことで定年後の生活の中で「トム・ラブ」は結構大きなウエイトを占めていた。
★ このまさに定年後の始まりの時期は、私もまだ66歳で、20年以上も前のことなのだが、日記を読み返してみると
 体重は75kgで、今の体重の83kgより8kgも軽いのだが、
 運動不足で足腰が痛くて、整形外科にずっと通っている。
 整形外科の先生に「時間が出来たのだから、ストレッチでもされたほうがいい。筋肉は何歳になっても付きますよ。」
と言われてストレッチを始めたのが2000年の2月67のころである。
 毎朝の「ストレッチ」は今も続いていて、22年続いていることになる。
 お陰様で、現在は体も柔らかいし筋肉も結構ついているのだが、
 この時期はストレッチの効果はすぐには現れずに、その後も3年ほどはずっと整形外科にも通っているのだが、
 いつの間にか日記に「整形外科」が出てこなくなって、それ以来筋肉が張ることはあるのだが、ひざや腰痛とは無縁の状態が続いている。
 「ストレッチ」が効いているのだと思う。
★ 定年後と言っても、2年間は顧問料を頂いていたので、
 経済的にはこの頃が一番余裕があったのだろう。
 何にもしなくても毎月結構な額が入ってくるのである。
 そんなことで2000年にはBMWの新車を買ったりしているし、
 家内とも国内だがあちこち小旅行を楽しんでいる。
 それ以前から、私は魚が好きで、庭に池を造って鯉を買っていたのだが、
 札幌から戻って、さらに鯉に凝っている。
 日記に「鯉2匹5万円」などの記述がある。
 池にかけた費用も結構な額だったし、水を循環するポンプの電気料だけでも
 相当な額で、電気代の集金に来るおばさんがいつもびっくりしていたのである。
 
                    
 そんな鯉も2008年までいたのだが、
 この年に「鯉ヘルプス」に罹って全滅してしまったので、
 そこで諦めて池も埋めてしまったし、きれいさっぱり「」とは惜別したのである。
 
 池を埋めてしまった直後の庭はまさに埋めてしまったのだが、
 今はこんな形になっている。
 こんな庭の様子の変遷を見ても、生活の様変わりがよく解る。
 今でも魚は好きなので、小さな池に金魚やメダカを飼っているが、
 その出費額は鯉の時代と比べると「カワイイ」ものである。
 そんなことで、私の定年後の2年間は結構豊かな生活から始まっているのである。
★ そのころから20年以上も経って、今は88歳ということもあるのだが、
 コロナということもあって、私は殆ど金など使わない。
 毎月出ていく現金は、ジム代1000円と金魚の餌代、たまに植木を買ったりするぐらいなのだが、
 今月は、今年はじめてのゴルフもしたし、新しいパソコンも買ったので、
 結構な出費だった。
 よく考えてみるとそのほかにも毎月車のガソリン代や、ネット関連の支出もあるのだが、それらは自動引き去りされるものだから、
 「自分で使った」という意識がないのである。
 然し定額の年金の中で賄えているので、年金生活は悪くはないのである。
そんな「年金」だけの「年金生活」は2001年68歳から始まったのである。
2021年11月18日

カワサキZ1/Z2が「日本自動車殿堂の歴史遺産車に認定」

投稿者 : rfuruya

★カワサキZ1/Z2が「日本自動車殿堂の歴史遺産車に認定」されたという嬉しいニュースが流れた。
 昭和47年(1972)に発売され、来年は記念すべき50周年を迎えるのだが、50年経った今もなお多くのバイクファンに愛され、走り続けている名車である。
「大排気量のスーパースポーツバイクとして開発され、海外市場で高く評価され、日本仕様のZ2と合わせて空前の販売台数を記録し、カワサキのブランド構築の源流となる歴史的名車である」
ことがその選考理由となっている。
この10月1日に新しくスタートしたカワサキモータースの代表取締役社長の伊藤浩さん(写真左)が、表彰式に出席し、
「Z1は1972年に製造を開始し、来年には50周年の節目の年を迎えたいま、素晴らしい賞を頂けたことをこのうえなく誇りに思います」とコメントしている。
★このZ1が開発された時代は、カワサキが二輪車生産を開始した昭和35年(1970)からほぼ10年を経過し、
 新しくアメリカ市場への進出が250A1やマッハⅢのスポーツ車によりようやく軌道に乗り始めた時期で、
 このZ1によりアメリカ市場で確固たる地位を築き得た車なのである。
 その開発責任者は大槻幸雄さんなのだが
「Z1の開発計画書には手書きで“能世界一”」と大槻さんらしい「思いがこもった一節」が書かれてあったという。
その大槻さんは、2019年に自動車殿堂入りされているし、
当時のアメリカのKMCは、同じく2014年に自動車殿堂入りされた濱脇洋二さんで、日本の開発本部の大槻さんとの二人三脚での開発だったのである。
 大槻幸雄さんは1966年、初めての富士スピードウエイでの日本GP までは、カワサキのレース監督をされていて、
私はチームのマネージャーをしていたのだが、この年のレースを最後に技術本部の市販車開発分野に戻られたのである。
 私もこの年でレースから離れ、東北6県の営業担当となるのだが、
 1967年の春に東北の代理店会議に来られた大槻さんが私に、「世界一のバイクを創る」と言われたのだが、
 この時大槻さんのアタマにあったのが「Z1」だったことは間違いないのである。
 その開発当初は750ccで開発されていたのだが、
 1969年にホンダがCB750FOURを発売したので、急遽900ccに変更され、あくまでも「世界一」を目指されたのだと思うが、
 国内市場は750ccまでという規制があったので、国内市場のみ「750Z2」ということになったのである。
 当時私は大阪市場を担当していて、業界に先駆けて「二輪車専門販売網=カワサキ特約店制度」を推進していたのだが、
 この「特約店制度」がスムースに軌道に乗ったのも「750Z2」があったからだとも言えるのである。
 今回新しくスタートした新会社カワサキモータースのミッションは、
 Kawasaki.Let the good times roll なのだが、
 このフレーズも、Z1発表1年後の米国で使われ始めたものなのである。
 このミッションも20年ほどの空間があったのだが、1990年代に国内市場で復活し、
 今回改めて「新会社カワサキモータース」のミッションとされたことは、
 50年ほど前の「カワサキのZ時代の企業風土」が今に生きているということなのである。
★これはごく最近、11月10日に開催された大槻幸雄さんが会長を務められる「Z1会」の写真である。
 「第78回」とあるように延々と続いているコンペで、92歳の大槻幸雄さんはまだ現役でプレされている。
 濱脇洋二さんも、エンジン担当の稲村さんもデザイン担当の多田さんもかってはプレーされていたのである。
 この「Z1会」はスタートは技術部のメンバーだけであったのだが、
 製造部も営業関係もレースライダー諸君もさらにはZ1ファンたちもメンバーに加わって、このように盛大に行われているのである。
 
 これはこのコンペの表彰式での大槻幸雄会長である。
 今年はコロナでこの1回だけだったが、
 来年は通常に戻って「年4回」のコンペになることを願っているのである。
  
 78回も続いているコンペなのだが、
 私はその第11回に優勝させて頂いて、家にはこんな盾が残っている
 いろんな意味で、私にとってもいろいろと想い出多いZ1なのである。
 そのZ1/Z2が 日本自動車殿堂の歴史遺産車に認定されたことは、
 本当におめでたい喜ばしい出来事なのである。
2021年11月17日

松本新さんのこと

投稿者 : rfuruya

★ 「当社元副社長・松本 新 あらた 様(享年92歳)におかれ ましては11月7日にご逝去されました。 ここに謹んでお知らせいたします。」
という訃報が届いた。
本当にお世話になった松本新さんだっただけに、
一度改めて当時のお礼をと思っていたのだが、その機会もなく逝ってしまわれたのである。
 KMCの経営危機で当時の単車事業本部は勿論、本体の川崎重工業まで、その影響で無配になってしまった当時、
 松本新さんは本社の財務担当常務だったのである。
 川重本社はこのKMC対策のために2年間で500億円の資金を投入し、
 その再建にあたったのだが、本社でその先頭に立たれたのが松本新さんなのである。
 松本さんは第一勧銀から川重に来られたのだが、単車事業に非常に強い関心と愛情を持たれていて、
 いろんな面で援けて頂いたのだが、当時単車に関わられたのは、財務対策・資金調達の面だったので、表に出ることは少なかったので、
 当時の事業本部の殆どの方は松本さんのことはご存じないのだと思うのである。
 若しあの当時、本社の財務対策がなかったら「カワサキの二輪事業は終わってしまっていた」であろう、それほどの経営危機だったのである。
 当時は大庭浩本部長・高橋鐵郎副本部長の時代で私は企画室長だったので、
 松本さんと直接関係があった窓口を務めたのである。
 手元に田崎さんが送ってくれたこんな写真があるが、
 一番右が松本新さんである。
 真ん中が高橋鐵郎さん、左は当時のKMC社長の田崎雅元さんである。
 
★ 当時の川崎重工業の取締役会では「KMC報告」なるものが
 毎月議題にあり、その報告者は大庭本部長ではなく「松本常務」だったのである。
 それは財務本部が500億円もの資金を投入した先のKMCの経営状況経過を毎月の取締役会に定例的に報告されるほど、
KMCの経営健全化」は川重本体にとっても大きな課題だったのである。
 この毎月の「KMCの経営報告」はKMCから企画室に送らた資料を
 私が川重取締役会用に纏めて、松本さんに報告しそれを松本さんが財務担当報告者として取締役会に報告されていたのである。
 私はそんな担当をしていたので取締役会にも陪席していたし、
 松本新さんとは親しくお話する機会も多かったのだが、
 絶大の信頼を頂いて、いろんな面でお世話になったのである。
★こんな経営健全化を進めている時期に、KMCの4か所にも分散していた社屋を本社を売却することで1か所に統合しようという案を提出した時には、
 「赤字会社が」と監査役が反対されて、松本さんも立場上最初は反対されたのだが、
 その内容をつぶさに説明すると理解を示されて、こんな立派なKMC社屋が建ったのである。
 それは今のIrvine がまだ開拓途上のころでサンタナの本社を売却することで
 こんな広大な土地が買えたのである。
 これは工場などではなくて「事務所」なのである。
 日本では考えられないような広さだが、
 土地はサンタナの本社売却代で買えたし、本社建築費は18億円でできたのである。
  
 たまたまNinja 900などの新車も出たし、
 ジェットスキーの急激な拡販などもあって、
 KMCの経営健全化は順調に進み、カワサキの二輪事業も安定期に入って行くのである。
 そんな一番のきっかけは何と言っても本社財務の500億円の資金投入であったことは間違いなく、
 その大きな決断をされた「松本新さん」には、本当に感謝なのである。
 92歳のご高齢であったので、
 天寿を全うされたというべきであろうが、
 ここに改めて感謝の念を表したいと思うのである。
 有難うございました。安らかにお眠りください。
2021年11月16日

いつまで続くのだろう?

投稿者 : rfuruya

★   最近は「毎日1万歩」を目標というか目途にしているのだが、
 なんとかそれくらいはスロー・ジョッギングが出来ている。
 歩数にして1万歩は大体7kmぐらいで、途中で休んだりもするので大体時間半は掛かる。
 今朝も1万歩を目途に三木総合防災公園に行ってきた。
 Fitbitをつけてるのであちこちと毎日コースを変えても大丈夫なのである。
 11月になっての歩数はこんなところで、
   歩数の少ない日は、雨かジムに行って筋トレをやってるのである。
 一言でいえば「至って元気な88歳」なのである。
       
★ 公園やジムまでは車で行くので、
 街の中を歩いたり、走ったりはしない。
 こんないい環境の、空気のいいところでやってるので、
 こんないい環境があることも、あと押しになっていることは間違いない。
  
★ あとはパソコンに向かって毎日のブログを発信したり、
 Facebook のコメントに返事をしたりしていると、
 何となく午前中は過ぎてしまうのでのである。
 午後はブログを書いたり、パソコンでニュース検索をしたり、
 昼寝も大体1時間ぐらいする日も多いので、退屈などせずに大体過ぎてしまう。
 今週からは大相撲の九州場所が始まったので、夕方は相撲を観ている。
 夜は、興味のある番組があるとテレビも見るのだが、
 最近は「お笑い番組」など全然興味がなくなってしまった。
 時間があればパソコンで「パンダ碁」を打つので全く退屈な時間などはないのである。
★ コロナ禍でも、こんな退屈しない毎日が続いているのだが、
  最近思うようになったのは、
 「こんな生活がいつまで続くのだろうか?」ということである。
 88歳だが、確かに結構元気なのだが、
 家内が「私はだんだん弱って死んでいくが、あなたは死ぬとしたら突然死ぬだろう」と言うのである
 実は、2度死にかけた前科があるので、それは否定できないのである。
 1回目は札幌の2年目で、駐車違反をして車をレッカーで持っていかれてしまって、
 警察署の本署で「駐車違反はしたが、なぜレッカーで車を持って行ったの」と文句を言ってたらだんだん頭に血が上って「くも膜下」で意識を失ってしまったのである。
 「頭に血が上る」というがほんとに血が上ってくる。
 胸を過ぎて喉元あたりまでは覚えているが、そこから失神してしまった。
 皆さんも「頭に血が上る」ほど怒らないようにされたほうがいい。
 この時は倒れた場所が警察の本署だったので10分後には脳外科専門のこんないい病院にいたのである。
 「中村記念病院」は日本で最初の「脳外科専門病院」で
 この病院すべてが「脳外科」だけの「専門医が30人」もいるまさに専門病院なのである。
  
その時の先生曰く「脳の病気はすぐ治療すると大したことにはならない」と仰るのである。
 田中角栄さんも、小渕さんも、長嶋茂雄も病院に来るまでに「時間が経ち過ぎている」と仰るのである。
 確かに私は1か月半は入院したが、特に手術などせずに治ってしまったのである。
 非常にムツカシイところが切れたので、「手術をしない」ことは会議で決めたと仰るのである。もし手術をしてたら、どんな結果になっていたのかは解らない。
 これが一度目だが、2度目は一昨年の夏、風呂に長く入っていたら、いつの間にか湯船の中で失神していたのである。
 その時は、アメリカから娘と孫が来ていて、湯船から引き揚げてくれて、
 救急車が来た時にはちゃんと意識はあって、一応は病院までは行ったがすぐ戻ってきたのである。
 そんなことで「突然死にかけた前科」があるのだが「運がいい」のだと思う。もし手術などしていたら、今のように元気にはなっていないかも知れない。
 単身赴任であった札幌で「くも膜下」で倒れたりしたら危なかったし、
 二度目の風呂の時も、アメリカから娘と孫が来てたのでよかったのである。
 二度「失神」を経験したが、これはホントに何にも解らない世界である。
 ひょっとしたら「」とはあんな状態かもしれない。
★何か訳の分からぬことを書いているが、
 実際にそんな風にいろいろ思うようになった昨今なのである。
 今の生活に不満があるわけではない。
 家内も84歳になって、昔のように水泳に行ったりする元気はないのだが、
 何とか家事一切、私は家のことは何にもしない何十年続いた生活の通りなのである。
 毎日着る服もすべて家内任せで、ちゃんと揃えて出してくれるものを着ているだけだし、食事の手伝いなども一切しない。
 洗濯物を2階に持っていくことだけが、家の中で私がしている唯一の仕事なのである。
 でもこんな生活は、よく続いてあと5年かなと思っている。
 私はあと5年は大丈夫だとは思うが、突然3度目の失神があるかも知れぬし、
 5年経ったら家内も89歳なのである。
 そんな5年先ではなくて、あと1年半で90歳なのだが、
 もし90歳になったらどんな風に考えるようになるのだろう?
 ほんとに今の生活が「いつまで続くのだろう?」と思う昨今なのである。
2021年11月15日

私のアーカイブス・定年後  その1 

投稿者 : rfuruya

★ 私のカワサキでの現役時代は「単車事業」のスタートの時期からずっと単車事業とともに歩んできたのだが、
 その現役時代は「カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス」と題して10回の連載で纏めている。
 カワサキを引退したのは64歳の時だったのだが、
 まずは80歳までの約15年間がどんなものだったのか?
 日記を読み返しながら、「私のアーカイブス・定年後」と題して、
 何回かに分けて纏めてみたいと思っていて、まずはその第1回目である。
★ まだ川重籍だった1997年のある日の夜、高橋鐵郎さんから家に電話があって、
 「突然だが北海道に行ってくれないか」と仰るのである。
 当時は高橋さんは川重副社長で単車と建機を担当されていたのだが、北海道は単車ではなくて建機のことなのである。
    現在は建機事業そのものを日立に移管したので社名も「北海道川崎建機」と変わっているが、当時は「北海道川重建機」という社名だったのである。
 
北海道川重建機」という名前から川重の子会社のように思われるかも知れぬが、実はそうではなくて自前資本の優良会社なのである。
 たまたま社長が亡くなられたことから、川重に社長派遣依頼があったようなのである。
 私は単車一筋で建機など全く経験もないのだが、若いころに東北で自前の代理店を担当した経験があったので、
自前の代理店」のことは解るだろうということでのご指名だったようである。
 確かに自前の代理店は伝統もあるし、独特の経営スタイルもあって、
 メーカーの系列代理店や販社とは全く異なった、歴然とした「独立経営企」なのである。
 単車事業なども世界に販売会社があってそれぞれ独立経営をしてはいるが、
 所詮はメーカー系列企業であって、独立した自前企業とは根本的に異なるのである。
 単車とは全く違う商品だし、単車の経験など殆ど役に立たないので、
 もし役立つものがあるとしたら、若い時に東北6県の代理店を担当した時の
 「代理店経営」なるものを横からだが見ていてな何となく「解っている」ことだったのである。
北海道川重建機」という名前の通り、二輪車とは全く異なる商品だし、
こんなに沢山の支店・営業所もある企業で、従業員の数も多いしなかなか大変だとは思ったが、
高橋鐵郎さんからの指名なので断るわけにはいかないのである。
そんなことで「2年間」という期間を設けて、札幌に「単身赴任」したのである。
 
 優良企業であることから役員の給料水準は高くて、専務よりちょとだけ高くして頂いたら、川重当時より高くなったりしたのである。
先方からの「社長派遣依頼」であったので、非常に気を遣って頂いて
社用車に運転手をつけましょうか」という申し出だったのだが、
それをお断りして、2800㏄の4駆のトヨタクラウンの新車を用意して頂いたのである。
★今更、建機車両の営業や商品のことなど覚えてみても仕方がないと思ったので、 営業内容や商品のことなどは一切覚えたりせずに、
 私自身の独特の経営ノウハウや経営管理システムを導入したのと、
 役員に比べて低かった一般従業員の給料水準を上げたりしたぐらいのことしかやらなかったのである。
北海道各地にある支店・営業所を自分で車を運転してよく回ったので、ある意味北海道旅行をしたような2年間だった。
お陰様で北海道の道は殆ど知っていると言ってもいいのである。
営業所では会食などもあって、従業員諸君とは面識もできたし、すぐ親しくなっていいお付き合いが出来たのである。
この点は二輪時代の販売店とのお付き合いのノウハウが役に立ったと思っている。
 北海道は4月の後半から10月までの約半年しかゴルフはできないのだが、
 期間が短いだけに、ゴルフにかけては熱心でその回数も多いのである。
 私の歓迎会も送別会もゴルフだったし、取引先とのゴルフの回数は多くてこの2年間に100回ぐらいのゴルフをしているのである。
 北海道独特のゴルフでアウト・インを通してやるので午前中はゴルフ場、午後からは会社で土日にゴルフなどはしなかった。
 会社に定時までいたら「社長なのになぜ定時までおられるのか」と仰るのでである。
そのあたりが自前の会社の社長の違うところで、以前の社長は幾つもの会社を兼務されていたので、実務は専務が取り仕切っていたようである。
 そんなことで私もウイークデーでも午前中はゴルフということも多かったので、
私のゴルフ人生」でもこの期間が一番充実していて、30台後半は珍しくはなかったし80台がほとんどというゴルフだったのである。
★そんな2年間だったのだが、北海道を離れてからもいろんな方たちとのお付き合いは続いたし、
会社側からも非常によくして頂いて、たった2年間の務めだったのに、更に2年間の顧問期間も設けて頂いたりしたので、
社長を離れてからの顧問時代も何度も北海道に行っている。
定年後のスタートはこんな北海道時代からスタートしたのである。
そんな4年間だったので、私の仕事を離れた定年後は自分では何となく「68歳から」だと思っているのである。
2021年11月14日

日本シリーズと人の記憶

投稿者 : rfuruya

★今年の日本シリーズヤクルトとオリックスとの対戦となった。
ヤクルトVSオリックス」はオリックス前身の阪急時代を含めて2度対戦し、ともにヤクルトが勝利し、
さらにオリックスと合併した近鉄もヤクルトと1度対戦したが、
これもヤクルトが勝利しているという。
 3回対戦して3回ともヤクルトが日本一になっているというのである。
  
88年も生きていると遭遇した出来事も多いのだが、
一体、どれくらいのことを覚えているのだろうか?
ひょっとしたら殆ど覚えていないのかも知れない。
プロ野球についてはずっと興味はあったと思うのだが、
ヤクルトオリックスが3度も対戦したことも全く覚えていなかったし、
ヤクルトが3度も日本一になったとは全く解らなかったのである。
記事によると、次のように3回日本一になっているのである。
 ◆1978年 ヤクルト4―3阪急 
 山田久志や福本豊らを擁し日本シリーズV4を狙う阪急が、シリーズ初出場のヤクルトと対戦とあるが、
 阪急がそんなに強かった時代があったのは何となく解るし、
 山田久志や福本豊はよく覚えているがV4を狙った年に敗れたのだとか。
1995年 ヤクルト4―1オリックス  
 2度目はヤクルトが野村監督時代で、イチローがオリックスにいた時代だという。イチローのオリックス時代は強かったのは覚えているが、
日本シリーズを戦ったとは記憶にない。
 ◆2001年 ヤクルト4―1近鉄 
 この年は退職しているのだが、全く記憶にないのである。
★この3回もそうだが新しいことよりも旧い時代のことのほうをむしろよく覚えていて、
 ずっと旧い1リーグ時代の阪神の別当・藤村のことなどはよく覚えているのである。
 別当薫は阪神にいて大人気だったのに、
 2リーグに分かれたときに毎日オリオンズに移籍し、
 そのオリオンズが優勝したことなども覚えている。
 人間の記憶力というのは一体どうなっているのだろうか?
 大体、昔のことのほうがよく覚えていて、
 最近のことは覚えていることも勿論あるのだが、
 年代がどうももう一つはっきりしないことが多いのである。
 その点、子供時代・中学・高校・大学時代等のことはもう60年以上も前のことなのに、
 その時々に何があったのかが解るのが不思議である。
 プロ野球でいえば1リーグ時代は中学生のころである。
 前述した別当薫のことなど、プロ入り前は全大阪のスター選手だったし、
 確か初代ミス神戸と結婚したことも覚えている。
★日本シリーズが始まったのはプロ野球が2リーグに分裂してからで、
 その第1回の1950年は高校2年生のころで、
 別当薫が移籍した毎日オリオンズ松竹ロビンスとの対戦だが、
 この時の松竹ロビンスには小鶴誠というホームラン王がいたことも覚えているのである。
  
 最近は調べたらこんな日本シリーズの年次ごとの結果表も出るのだが、
 水原茂・三原修・鶴岡一人・川上哲治などの監督の名前も懐かしいし、
 それぞれの監督時代の巨人も南海も西鉄も本当に強かったのである。
 水原時代の巨人は川上・千葉
 三原時代の西鉄には中西・豊田・稲尾、
 川上時代の巨人は長嶋・王の全盛期なのである。
 それにしても昔のことはなぜこんなに覚えているのだろうか?
 脳はやはり若い時のほうが確りしているのかも知れない。
★それは兎も角、今年の日本シリーズは「ヤクルト・オリックス」という
 どちらが勝ってもいいチーム同士の対戦になったから、
 「記憶に鮮明に残る」ような「いいゲーム」を展開してほしいと思っている。
2021年11月13日

オートバイ神社と川崎神社   雑感

投稿者 : rfuruya

★1昨日のゴルフは吉田純一さんと一緒だったのだが、
   久しぶりにいろんな話をさせて頂いて、楽しい1日を過ごしたのである。
 そんないろいろな話の中の一つが、
 いま吉田純一さんが推進されている「オートバイ神社」についても、
 いろいろお話することが出来たのである。
 この「オートバイ神社推進構想」は
 2014年10月に島根県浜田市に設立されたのが第1号
 私はそのころから関心を持っていたのである。
   
 バイクのユーザーの楽しみの一つが「ツーリング」なのだが、
 その「ツーリングの目的地」の一つとして
 全国各地に「オートバイ神社」ができることは非常にいいことで、
 どんどん広がればいいなと思っていたのである。
 以来7年、吉田さんは地道な活動を続けられて、
 すでに全国にはこのようなオートバイ神社が設立されていているのである。
 
 一つ一つ創っていくという地道な活動だが、
 積み上げていって減ることはないのだから
 この活動が続く限り「増え続けていく」ことは間違いないのである。
★現在、吉田純一さんは一般社団法人日本二輪車文化協会を設立されて、
 日本の「二輪車文化推進」を先頭に立って引っ張られているのだが、
そんな永年の地道な活動を国も評価して、
吉田純一さんは二輪業界で初の旭日小綬章を受章されたのだが、
そんな活動の中の一つに「オートバイ神社設立推進」がある。
 
その活動の目的は、
■ツーリングライダーの拠点となる全国オートバイ神社の認定
宗教的な目的ではなく、ツーリング拠点として、地域活性化にも貢献し、
その理念
オートバイ神社はツーリングライダーのランドマークとして、
今後各都道府県に1箇所以上設立を推進し、
昨今増えつつある海外からの観光ライダーに、バイク生産王国日本の良い所を旅して頂き、観光立国を目指す我が国の一助になることを目指している。
と書かれている。
 日本二輪車文化協会のホームページに、いろいろ書かれているので、
 是非、目を通して頂きたいと思っている。
★1昨日のゴルフの間には、こんな「オートバイ神社」の話になって、
 さらに「川崎神社」の話になったのである。
 川崎重工業の明石工場の中に「川崎神社」という立派な神社があることを、
 どれくらいの方がご存じだろうか?
 ひょっとしたら明石工場にお勤めの現役諸君の中にもご存じない方がおられるかも知れない。
 この「川崎神社」はずっと昔からあったのだが、
 1990年代の高橋鐵郎本部長の時に今のような立派に周辺の整備もされたのである。
  
 
 私はずっと以前から、この川崎神社が「オートバイ神社」の一つになって頂けないかと思っていたのだが、
 思っているだけでは、どんどん時だけが経ってしまうだけなので、
 昨日は吉田純一さんと「ほんとに何とかならないかな?」という話になったのである。
 以下は私の勝手な思いだが、「川崎神社」は川重の明石工場の中でも
 こんな立地にあって門のすぐ横なのでちょっと垣根を作るぐらいで、
 工場には関係なく、国道2号線からすぐ入れる最高の立地なのである。
 もし一般バイクユーザーが自由に入れるようにすれば、
 それだけでもカワサキユーザーにとってみれば一躍名所になるであろうし、
 それをオートバイ神社の一つとしたら
カワサキユーザー」だけでなく「世界のバイクユーザーの名所」になるのでは、とこんな話だったのである。
 
★たまたまだが、今年10月1日から、
 カワサキの二輪部門は川崎重工業から分離して「株・カワサキモータース」と分離独立したので、
 上記のような発想にも「従来よりはより自由に決定できるのでは」
思ったりしているのである。
 思っているだけでは、絶対に前に進んだりはしないので、
 何か行動をしないといけないのだが、それをどうすべきか?
 簡単なようだがなかなかムツカシイのである。
 1昨日は吉田純ちゃんとそんな話もしていたので、
 まずは、ブログにでももう一度アップしてみようかと思ったわけである。
2021年11月12日

ファン心理    雑感

投稿者 : rfuruya

★  ファン心理というのは、どんなことから始まるのだろう?
 私自身は意外に冷静で、とても「熱烈なファン」にはなれないのだが、
 それでも「好きなチーム」とか「好きな選手」などはいる。
 それには何かの繋がりがあったり「きっかけ」みたいなものが存在する。
 息子がサッカーをやっていた関係で、
 自分がやってた野球以上にサッカーには興味・関心があったりする。
 チームとしては断然「ヴィッセル神戸」を応援している。
 親会社の楽天の社長は明石高校の後輩だし、
 Kawasakiがサッカーのスポンサーをしていることもあるのだが、
 孫・門野真也・哲也の兄弟がアメリカから日本に遊びに来てた時に
 ヴィッセル神戸の練習に参加させて貰ったこともあったのでそんなことが原因だと思う。
 その時に末弟・哲也と石末コーチとの2ショットである。
 石末さんが息子の後輩だったこともあって、
 息子が頼んでくれたので練習にも参加できたのである。
 真也が高校生、哲也が中学生のころだったが、
 ヴィッセル神戸の若手チームの練習に参加させて貰ったのである。
 もう7年も前のことだが、真也はプロになれたし、哲也も多分プロになるのだろう。
 そんなこともあるのだが、イニエスタを筆頭に
 スター選手がいっぱいでなかなかも魅力チームなのである。
    
★いま野球は、CSシリーズをやってる。
  ヤクルトとオリックスが勝てばいいなとは思っている。
  阪神ファンなど熱烈なファンの方々もおられるが、
  阪神は好きなチームではあるが「熱列」というわけでもない。
  関西の「阪神ファン」というか応援ぶりは、
  テレビ局も立場を鮮明にしているなどちょっと異常とも思える。
  プロ野球でいえばその本拠地が関係していると思う。
  私自身は関西が本拠地だが、仙台札幌には住んだことがあるので、
  阪神・オリックスとともに楽天・日ハムは何となく応援している。
  そんなことも「ファン心理」に繋がるのだろう。
          
          
ヤクルトはずっと昔、伯父が総監督をしてたので何となく関係があって、
別に「ファン」でもないのだが、
そんなことで日本シリーズはヤクルトーオリックスになればいいなと思っているのだが、果たしてどんな結果になるのだろう?
★ 一般に弱者を応援しようという心理も働くのだと思う。
 ヤクルトもオリックスも昨年までは最下位が定位置のようなチームだった。
 
 それが今年は大変身して、
 両チームともすでにペナントレースはすでに優勝を決めている。
 アメリカの真似などして、あまり意味のないCSシリーズなどやらずに、
 素直に両チームで日本シリーズを戦えばいいと思うのだが・・・
 CSシリーズもヤクルト・オリックスとも連勝して王手、
 あと1勝で日本シリーズ出場が決まりである。
2021年11月11日

特別なZ1会だった

投稿者 : rfuruya

★毎年は年に4回あるZ1会なのだが、
 今年はコロナ禍で最初で最後の第78回Z1会コンペだった。
 今日のパートナーはZ1会副会長の丹波さん吉田純一さんで、
 ゴルフのスコアは兎も角「めちゃ楽しい」ゴルフだった。
 これはゴルフの途中に吉田純ちゃんが、ご自身のFacebook にアップした写真だが、
 こんな3人でのゴルフだった。
 
 コースはいつもの通りの「三木セブンハンドレッド倶楽部
 コースから私の住んでいる町「緑が丘」が見える、家から15分のコースなのである。
 写真に見える山「雄岡山・雌岡山」は「おっこさん・めっこさん」と呼ぶのだが、そこは三木ではなくて神戸市なのである。
さらに向こうに見える山は、山ではなくて淡路島なのでらる。
 
★昨日のZ1会が私にとって特別だったのは
 ゴルフの後の表彰式で私の米寿のお祝にこんな花束と
 
 こんな記念ボールを頂いたのと
 何よりもZ1会会長の大槻幸雄さんから
 身に余る「祝辞」を頂いたことなのである。
  
そんな祝辞の中で、大槻さんは1960年代のカワサキ単車のスタートの時期のことに触れられて、
アメリカ市場は浜脇洋二さんが開拓されカワサキを引っ張ったが、
国内市場をひっぱたのは古谷だ」と仰っておい頂いたのは、
 私にとってこれ以上ない感激だったのである。
そんなことで私も答礼のご挨拶の中で1966年カワサキの初めての鈴鹿ロードレースのことなどをお話したのだが、
 それまではモトクロスだけであったカワサキが初めて鈴鹿を走ったのは、
 1966年5月でライダーは山本隆だったのだが、
 この時は会社には内緒で出場したのだがホンダ・ホンダ・カワサキと山本隆がホンダに次いで3位入賞したので、カワサキも正規にロードレースに参戦することになるのである。
 それは翌月の6月にカワサキ正規のロードレーサ3台を用意し
 「6時間耐久レース」に正規に3チームが参戦したのだが、
 その時の監督が大槻幸雄さんで、
 因みにその時神戸木の実チームのコンビが歳森康師・金谷秀夫だったのである。
 現在のZI会のメンバーの中にはそんなこともあって、レース関係者も多く、
 清原明彦・多田喜代一・塚本昭一など有名ライダーもいるし、
 カワサキフランスのオーナーだった遠藤治一さんもいるのである。
 ちなみに優勝者はその遠藤治一さんだったのである。
  
 私の88歳の人生の中でも
 花束など頂いたことは極く稀な出来事で、ホントに嬉しかったのである。
 
★ 今年は今回の1回だけだったが、
 来年は4月・6月・9月・11月の年4回に戻るだろうし、
 ぜひ来年も頑張って、参加したいと思っている。

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