2021 10月

2021年10月22日

ヤクルトが優勝するだろうか?

投稿者 : rfuruya
★ プロ野球も最終段階に入った。
 特にどの球団、という熱烈なファンでもないのだが、
 どこが優勝するかな?という興味はある。
 セントラルは途中まで阪神がぶっちぎりだったのに
 後半ヤクルトが躍進してほぼ優勝を決めたのではないかなと言われたのに
 昨日は阪神が勝って、ヤクルトが負けたので
 その差はハンゲームになった。
 今の順位表を見るとこんな状況である。
  
 この数値を見る限り、ヤクルトの優勝が順当かなと思う。
 こんなにはっきりと数字に表れるのかとびっくりした。
 得失点差が100点以上もあって、阪神の30点余りを圧倒しているし、
 打率・ホームランも阪神を上回っていて、
 防御率はほぼ並び、負けてるのは盗塁だが、それでも2位の位置にいる。
 『ヤクルトは0勝1敗5分けでも優勝』とあるが
 その1敗を昨日してしまった。
 ほんとに優勝するのだろうか?
 
★ ヤクルトは確か昨年度は最下位だったと思ったのだが、
 前回の優勝は6年前で、阪神は16年も優勝がないのである。
 阪神は常に上位にはいたと思うが、そんなに長く優勝がないとは思わなかった。
 全く個人的な感想だが、
 今年の阪神は特に後半の矢野監督の采配がおかしかったのでは?
 佐藤輝明が突然打てなくなったりはしたが、
 前半の快進撃は佐藤の貢献が大きかったし、
 辛抱して使い続けるべきだったと思っている。
 佐藤が打線からいなくなってから、阪神のテレビも観なくなってしまった。
 プロ野球なんだから『ワクワク感』がないのはダメだと思う。
 毎試合のように変わった打線では、チームとしての安定感がなかったように思う。
★ ヤクルトは嫌いなチームではなく、
 昨今はどちらかというとヤクルトを応援していた。
 山田哲人はホントにプロらしい一番好きな選手で、
 あの打撃ホームがいいと思っている。
  
 ずっと以前の国鉄スワローズ時代だが、
 スタート時点の初代総監督楠見幸信は母の兄で伯父に当たるし
 当時大活躍の金田正一は私と同級生なのである。
 そんなこともあって、今年のスワローズは応援してたのである。
 パシフィックは未だ解らないが、
 関西球団のオリックスが優勝すればいいなと思っている。
 ずっと昔イチローがいたころの本拠地球場は神戸の須磨だったので
 結構よく試合を観に行ったものである。
 果たして、最後はどのチームが優勝するのだろう?
2021年10月21日

カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス    その 8

投稿者 : rfuruya

★ カワサキの二輪事業はアメリカ市場中心でその規模を拡大してきたことは間違いないのだが、
 その中心市場のアメリカの販売会社KMCの経営が極端に悪化して
 カワサキの二輪事業が危機に瀕した時代があったのである。
 KMCの経営悪化は1980年代から始まって、
 81年にはその経営再建髙橋鐵郎・田崎雅元コンビで臨んだのだが、
 その81年度も100億円を超す赤字になってしまったのである。
 
 KMCが100億円以上の赤字を計上すると連結決算されるので、
 本体の川崎重工業も赤字になって、
 川重が無配になってしまった、そんな危機的状況になったのである。
そのKMCの経営対策に川重本社は2年間で500億円もの資金を投入したのだが、
 そのうち1年目に投じた200億円はその効果も現れないままに
 100億円の赤字となってしまったのである。
 なぜそんなことになったのか?
 いろいろな結果が重なってはいるのだが、
 ひとつの要因は、HY戦争がアメリカ市場にまで飛び火して、
 その『安売り競争』に巻き込まれたこと、これが経営の悪化の『原因の一つ』だが、
 当時はアメリカの金利が18%もした高金利時代で、
 たまたまこの時にはちょっと販売も落ちて在庫過剰になり
 その在庫資金に借りた銀行の借入金が300億円もあって、
 その金利負担だけでも60億円もの膨大な額になっていたのである。
 『HY戦争の安売り』『在庫負担』『金利負担』『高金利』などが
 重なってしまって『100億円もの赤字』になったのだが、
 その具体的な対策ががなかなか解らなかったのである。
1982年4月には川重本社にKMC再建委員会が作られて、
 単車出身の山田専務がその委員長になられたのである。
 山田さんとは若いころレース委員会でご一緒だったし、
 神戸一中の先輩でもあって非常に可愛がって貰っていたのだが、
 その山田専務に7月1日に本社に呼ばれて、
 『KMCの赤字は止まると思うか?』と言われるので、
 『それはすぐ止まると思います』と答えたのである。
 山田さんは『それならお前が企画に戻ってやれ』と言われたのだが
 私がその時山田さんに言った条件は一つ、
 『髙橋鐵郎さんをKMCから企画室長で戻して欲しい』とお願いしたのである。
 どのような方向での事業展開をすべきかは策定できても、
   それを事業本部並びに全世界に指示するのは新人部長の私では荷が重すぎるのである。
★そんなことでその年の10月1日には、
 市場開発室以来の髙橋企画室長・古谷企画部長のコンビでスタートするのである。
 この危機的状況の対策は事業本部というより川重本社財務本部が主体だったこともあって、
 私が企画部長として対応する先は事業本部内よりはむしろ本社のほうで
 KMC再建委員長の山田専務や、
   本社財務担当の大西専務、財務本部長の堀川常務など、
   私が今までの業務の中で密接に繋がっていた方々で、大いに信頼されていたので、
 いろんな対応がスムースだったのである。
 私に与えられた課題は『海外販社の黒字化』で、
 本社にとって手の届かない海外販社の経営の健全化が第一課題だったのである。
 企画室内にに関連事業課を新設し、そこで一元的に世界の販社の統括を仕組んで、
 その結果半年後にはKMCをはじめ世界の全販売会社が黒字転換をしたのである。
★ KMCが こんなに簡単に黒字転換が出来たのは、
 本社が対策費として投入してくれた300億円の資金があったからで、
 その資金でKMCの増減資を行い、
 さらに在庫車の評価減を行い『中古車価格』に再評価したのである。
 300億円という財務対策はそれは強力で、経営における『資金の力』を思い知ったのである。
 たまたま83年度には Ninja900が投入されてよく売れたので、
 これで再建出来たと思っている方が多いのだが、
 確かに経営にいい影響は与えたが、300億円という資金の効果とは比較できないレベルだったのである。
 
 ただ、この川重本社の財務対策の話は表には出ないので、
 事業本部の殆どの方がご存じないのである。
★ 83年7月には大庭浩本部長となるのだが、
 その時期までには、海外販社の基本的な対策はほぼ完了していたのである。
     
 大庭さんはそれまでにも川重内の幾つもの事業本部の再建をされていて、
 社内では再建屋と言われていたのだが、
 それは事業本部の期間損益の黒字化である意味単純だったのだが、
 単車事業本部は世界に展開する販売会社を含めての
 結構複雑な対応が必要で、財務対策など事務屋の範疇も多かったものだから
 それらの対策は殆ど任して頂いて、
 そういう意味では『一番私の意見を聞いて頂いた上司』は大庭さんなのである。
 KMCの大赤字対策は経費削減など勿論やったのだが、
 当時4か所に事務所が分散していて非効率だったので、
 本社社屋を売却して、開拓中だった隣町のIrvineに土地を購入し
 新社屋を立てようという案を田崎さんと私で立案するのだが、
 大庭さんはこんな大きな話は大好きで賛成して頂いたのだが、
 本社内では『大赤字のKMCが新社屋か?』と反対意見もあったのだが、
 大西副社長が賛成して頂いてこの話は実現するのである。
 これはごく最近田崎さんに頂いた写真だが
 その土地を見に、アメリカまで出張された大西副社長との写真である。
 
★ 『自分の思う通りに動けて、目論んだことが全て実現した』という
  本当に運のいい現役生活だったし、
  この当時を含めて、川重本社の副社長・専務・常務など文字通り
  TOP の方と直接仕事を進めることが多かった不思議なサラリーマン生活だった。
 いろんなことで関係のあった方がそんな地位におられたということもあるし、
 この時期、密接に関係のあった大庭さん・髙橋さん・田崎さん
 この単車の最大の危機を乗り切ったということもあって、
 川崎重工業・社長・副社長への道を歩かれるのである。
  高橋さん、田崎さんはカワサキ単車創生期からの『生え抜き』だが、
 大庭さんは途中からだが、単車事業をこよなく愛されたお一人である。
   
 カワサキ単車事業最大の危機と言われたこの時期を
 この3人の方と一緒に仕事が出来て本当によかったと思っているのである。
 1983年から86年までの4年間、私は未だ50歳になったばかりの4年間だったのである。
 この時期を乗り切って、カワサキの単車事業は安定期に入るのだが、
 それにはこんな裏話があるので・・・
★ 前述したように、この時期私に課せられた本社からの課題は
 『世界の販売会社の健全化』だったのである。
 これは間違いなく達成できたのだが、
 川重内の各事業部ごとに『内部管理方式』があって、
 この事業部損益では350億円もの累損があって、
 それに約10%もの金利が掛かってくるのである。
 この累損が何とかならないかと思って本社財務に交渉してみたのである。
 『あなた方は今回、販売会社の黒字化を言われて、
 私は全販売会社の黒字化を達成した。
 然し従来からの累損が350億円もある。
 これは管理損益上の話だから、この際消してくれませんか。
 とダメもとで言ってみたのである。
 ところが、この話を本社は聞いてくれたのである。
 これは内部管理の話だから当時は造船がよくて、
 造船には600億円もの黒字があったのである。
 単車の累損が消えたということは、造船の黒字も消えたはずである。
 この赤字が消えたので、その後の『単車の事業本部経営』は文字通り安定したものになったのである。
 この話もご存じの方は極く僅かだが、
 ひょっとしたら、コレが私の一番の単車事業への貢献かも知れないのである。
 単車事業の350億円の累損が一瞬で消えてしまったのだから・・・
 そんな意味も含めて、当時の財務本部には本当に感謝なのである。
 単車事業再建は、川重本社財務本部でおやりになったとも言えるのである。
2021年10月20日

今回の選挙では 日本維新の会に投票する

投稿者 : rfuruya
★ 衆議院の選挙である。
  政治のことは、よく解らないことも多いが、
  私は『日本維新の会』に投票しようと思っている。
  その理由は大阪の状況を見ていて、
  日本の大都市の中から、いろんな面で『大阪が消滅』しかけた時期もあったが、
  橋下徹さんが出てきてから
    『維新の会』が大阪に現れてから
  大阪が豹変したから、
  今の日本もそうなって欲しいと思うのである。
  大阪に限らず関西は『維新の会』の影響は大きくなった。
  兵庫県知事さんも自民党系から維新系に変わった。
  このように明確に『目に見える政治』に期待したいのである。
  
『日本維新の会』は、このように主張している。
『我々は、身を切る改革を「大きな行政機構」から「小さく効果的・効率的な行政機構」へ変革することによって実現します。
古い政治を壊し、新しい政治を創る。そのために必要な行政改革には、行政の隅から隅まで熟知している役人の協力が不可欠です。政治家が安全な立場から「やれ︕」と命じるだけでは改革は進みません。
だから改革を主導する政治家がまず、自ら身を切って模範を示して、役人を納得させる。そして、意識改革に目覚めた役人が政治家とともに一丸となって行政改革を進める。この一連の流れが身を切る改革です。
維新の国会議員団は毎月の歳費の内18万円を党に寄付し、党から被災地に寄付をしています。既にその額は1億2,000万円にのぼります。範を示して国の行政改革に切り込んでいきます。議員定数削減や報酬削減ばかりが注目されますが、本当はそこから先に目指すべき改革があります。参議院の定数が6議席も増えました。維新はこの法案に反対しましたが、人口が減る中、政治家が自らの利益のために議席数を増やしたことは、行政機構に悪影響を与えます。政治のゆるみは、行政のゆるみに繋がります。
日本では少子高齢化が進みます。「大きな行政機構」のままで良いのでしょうか。中央政府が手取り足取り指導する中央集権型から、地方が創意工夫で切磋琢磨する地方分権型に変える、統治機構を大転換させる改革が豊かな日本の未来を築くために必要です。
大きな改革の第一歩として政治家が恵まれた身分を自ら切ることは、明治維新を実現した武士が、自ら恵まれた地位を捨てて四民平等の社会を作ったことと同じ理念です。
大きな改革は、身を切る改革から始まります。 』
 このような主張に私は納得なのである。
★兵庫県4区からは維新の候補者も出ているが、
 ほんとのところ『どんな方』かも解らないのだが、
 投票は『この維新の候補者』に投票することを決めている。
 中央に兎に角『維新の議員』を送りこむことが第一だと思っている。
 
 関西では維新の候補者も多いのだが、全国的にはまだまだである。
 野党だが『反自民』ではないところがいい。
 既にそのようにされた方が現実におられるが、
 自民党の方で『維新の政策に近い方』が維新に移って
 これで『2大政党』になるのが一番現実的に理想の形だと思う。
 今の『何でも反対の野党』『共産党とも連携』にはあまり興味が湧かないのだが・・・
 私はそのように決めているのだが、
  どんな結果になるのだろうか?
  
  
  
2021年10月18日

新しくパソコンを買うことにした

投稿者 : rfuruya
★ 昨日は1日『パソコンのこと』で明け暮れた。
突然、パソコンの中に入れたイスクが取り出せなくなってしまったのである。
 富士通に電話して、いろいろやって貰ったのだが、
 取り出すことができないのである。
 『パソコンが旧くなって』もう耐用年数が過ぎているから、
 『いつ、突然パソコンそのものが止ってしまう』ことも考えられるというのである。
 『新しくされたほうがいいのでは?』と仰るのである。
 そんな風に言われると、技術的なことはさっぱりな私は不安が募って、
 富士通の別の購入窓口に電話をしてみたのである。
 現在のパソコンは2013年発売のものなのだが、旧いと言えば旧いので、
 デイスクも突然取り出せなくなってしまったし、
 『新しく買い替えるか』ということになったのだが、
 『買い替える』にしても新しいセッテイングなど全く自信がないので、
 全て専門家にお願いすることになるので、
 そんなことを含めて、新しく購入することにしたのである。
  電話だからよく解らないのだが、
  沢山ある種類の中から、一番新しいこのレベルのものだと思う。
  そこから不要な機能を削除すると値段も安くなって、
  175000円ぐらいにはなったのだが、
  家までセッテングなどに来てもらう費用が2万円ほど掛かるので、
  税込みでは20万円を越す買い物になったのである。
  
   どこがどう違うのかがよく解らぬが、
   同じようなパソコンでも、こんなに値が違うものもあるのである。
  
★ よく解らぬままに、兎に角一番新しいものから、使わない機能を抜いたものにして貰ったのである。
 ただ、ネットでカード支払いとなると、その手続きが必要で、
 カード番号など入れると『そのカードは使えません』と出るのである。
 幾つかのカードを試したが、いずれもダメなのである。
 なぜなのかよく解らなくて、富士通に聞いたら、
 最近は『カードの不正利用』多いのでカード会社が高額のものにはチェックして、確認されると『使える』のでカード会社に連絡をと仰るのである。
 ただ昨今どこの電話もすぐには繋がらずに待たされるので大変なのである。
 やっと『使える』ようになるまで半日これに掛かりきりだったのである。
★ それにしても大変な世の中ではある。
  このパソコン問題でも、どのように対処するのが最善なのか?
  全く自分では判断できないので、『言われるままに』動いたのだが、
  果たしてどうだったのだろう?
  私自身はせっかちな性分だから、すぐに対応してしまうのである。
  一般には多分こうは動かれずに誰かに『相談』されたりするのだろうが、
  私の場合は、相談しても『タダにはならぬ』し、
  『遅かれ速かれ』パソコンは買い替えるのだから、
  こんなことがあったのを『契機に』と思ってしまうのである。
  この月の27日ごろになるそうなので、
  このパソコンともあと10日間ほどのお付き合いになる。
2021年10月17日

カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス    その 6

投稿者 : rfuruya
★ 10年間の国内販売会社の出向を終えて、
 1970年10月に、川重発動機事業本部企画室課長に復職した。
企画室の中の企画班的な中枢の部門で、5人ほどの部下がいて、
その部下たちは東大出や優秀大学卒のエリートたちで、
10年の出向期間には、東北代理店や販売店では中学卒の従業員とばかり付き合ってきたので、何となく不思議に思ったりした。
そんな学歴などには関係なく『二輪の仕事は誰でも出来る』のがいいなと思うのである。
中長期計画など担当してたので事業本部長に直接報告する機会も多かったのだが、
当時の塚本本部長は就職の面接で、第一声『君は成績悪いね』と言われた塚本さんだったのだが、
この頃はそのこと覚えておられたのだろうか?
その時私は『成績は悪いかも知れませんが、会社の仕事など絶対にほかの人に負けたりはしません。』と答えているのである。
  
 企画室時代以降、塚本さんには結構重用して頂いたのである。
★ 当時の事業本部は本社では吉田専務が担当されていて、
 事業本部にお越しになることも多かったのだが、
 一番大きなプロジェクトとして『CMCプロジェクト』なるものが展開されていた。
CMC』とはコンパクト・モーターサイクル・プロジェクの略で
これは製造部が担当して、膨大な最新の製造設備投資をして、
小型車』を大量に安価に生産しようというもので、
 吉田専務が甚くこのプロジェクトにご熱心だったのである。
 ホンダのロードパルが世に出て、50ccの大量販売真っ盛りの時代だったのである。
 私は『コレはダメだと』思った。
 そんなバイクを幾ら安く造っても、それを売る販売網などどこにもないし、
 『成功するはずがない』とは思ったが『ダメだ』とは言えないので、
 『搦め手』からこんな提言をしたのが、
 当時始まったばかりの東南アジアへの『CKDビジネス』だったのである。
★そこで『小型車の考察』というテーマで、東南アジアのCKDビジネスを取り上げ
 まずその『市場調査を行うべし』という提言を行ったのである。
 当時の『CKDビジネス』は未だスタートしたばかりで
 各国は『生産機種』や『担当人員の入国』などに数の規制があって、
 後発のカワサキにとっても『競争条件の緩和』のようないい環境だったのである。
 そんなことですぐ承認されて、
 1971年5月には髙橋鐵郎さんを団長とするこんなメンバーでの『市場調査団』による市場調査
 台湾・タイ・インドネシヤ・イラン・マレーシヤ・フィリッピンというルートで、
 約1ヶ月間に亘って行いその報告を纏めたら、即刻承認され、
 新しい組織を創ることが検討されたのである。
★ その年の11月には、新組織『市場開発プロジェクト室』が出来て
 髙橋鐵郎さんが技術本部長兼務で室長に就任されるのだが、
 私もその統括マネージャーとして異動することになるのである。
 『企画室』という『いい組織』にいたのはたった1年で、
 自ら新組織に異動したようなもので、
 周囲では『惜しいな』と言ってくれる人もいたのだが、
 私自身はそんなことには一切関心はなかったのである。
★ 市場開発プロジェクト室では、
 タイ・インドネシア・イランの3か国を重点市場とし、
 それぞれ担当者を置いたのだが、
 その中でも中枢的な市場であったタイを、私は兼務することとなったのである。
 入社以来初めての海外市場担当で、英語もいるし大変だったのだが、
タイ市場』はマー・ファミリーという華僑のグループで、
 具体的にはオーナーの息子たち二人が担当だったのだが、
 いろいろ細かいことを言ってなかなか纏まらないのである。
 出張の最後の日のミーテングでもいろいろ言うので、
 私は黒板に漢字で『正直・誠実・勤勉・信頼・互譲・協力』と書いたのである。
   
これでオーナーのマーさんがカワサキの提案に『YES』と言ってくれたのである。
 息子たちは知らぬが、マーさんは漢字が読めたのである。
 これは最初に入社した川崎航空機工業『社是と執務態度』で、
 私は今も人生の信条としているのである。
★ そんなことでスタートした『タイ・プロジェクト』なのだが、
 カワサキのクルマは田舎ではよく売れたのだが、首都バンコックでは全然売れないのである、
 『なぜ?』と聞いたら、
 バンコクでは兎に角『メーター上だけでもいいから120キロ走る速いクル』なら売れるというのである。
 私自身は技術には詳しくないので、商品企画などにタッチしたことは全くなかったのだが、
 これくらい単純な話なら解るので、当時の技術本部長の大槻幸雄さんに
 そのままのことでお願いしたのだが『なかなか首を縦に振って』頂けないのである。
 大槻さんとは親しい中なので粘っていたら、
 横にいた松本博之さんが『私がやりましょう』と引き受けてくれたのである。
      
 その車がこの『カワサキ最高のヒット商品GTO』なのである。
 
 そのメーターは160キロまで表示されていて、
 タイ・インドネシアなどで、『何台売れたか解らない』のだが
 兎に角、カワサキの車種の中で『飛び抜けた台数』が出たのである。
 なぜ『台数がわからないのか?
 これはCKD なので、カワサキの明石工場では『部品出荷』となるので、
 その個数の記録しか残らないので、
 調べ上げたら解るのだろうが、台数としては残っていないのである。
★こんな想い出のある『東南アジアCKDプロジェクト』だったのだが、
イランは政治体制の変化でダメになってしまったが、
インドネシアも成功して、カワサキの新しいビジネスCKDは
その後、幾多の変遷があって、
今ではタイからバイクを輸入しているような状況のようである。
 ひょんなことから、始まった東南アジアプロジェクトではあったが、
 本体の『CMCプロジェクト』はその後数年は存在したのだが、
 そのうち消えてなくなってしまったのである。
 たった2年程の短い期間ではあったが、
 私にとっては『想い出多いいい2年間』だったのである。
2021年10月16日

私と池の魚たち     雑感

投稿者 : rfuruya

★ こどもの頃から何故か魚が好きである。
  私の人生で、一番最初に覚えているシーンは
  朝鮮・太田の川の中で隣のお兄ちゃんに魚を獲って貰っていた。
 私の近くに、魚がいないことは全くなく、釣りもしたし
 家には常に池があったし、池の無い頃は水槽があって、
 ドジョウやグッピーや熱帯魚を飼っていた。
 今はガレージの下を小さなT字型の池にしてるので、
 そこにいろいろ飼っている。
 昨日はAmazonで頼んだドジョウが30匹やってきた。
 釣りの餌用のドジョウだが、我が家では池で大事に飼うことにしている。
 
 ふと、ドジョウをと思ったのである。
 ドジョウを飼うのはコレで3回目である。
 1回目は仙台時代だから、50年も前の話だが
 息子と田んぼの畔で獲ってきて、水槽で飼っていた。
 2回目は近所の方に頂いて、この池で飼ってたのだが5年程は生きてたと思う。
 なかなか姿も見えないのだが、息つきに水面まで上がってくることもあって、
 何となく可愛いい。
 前回はこどは産まなかったのだが、何とかコドモを産まないかなと思っている。
 この池ももう40年にもなり水替えなどはしていないので、
 下には結構泥もたまり、ドジョウが住むには環境は悪くないのではと思っている。
★ こんな池だが、毎日1時間ぐらい魚に餌をやったり、
 ただ眺めたりしている。
  
昨日はこんな動画を撮った。
ほとんどがコメットだが、左の黄色いのは今年この池で生まれた金魚である。
上の小さいのは鯉の仔なのである。
そのうちに、一番大きくなるかも知れない。
 
 動画はちょうど1分に編集してあるので
 お時間のある方はどうぞ。
★ 今年の8月22日にコメットと鯉の仔を買ってきたのだが、
  約2ヶ月前はこんなに小さかったのだが、
  今では2倍以上に育った。
  いつの日にか、30cmぐらいになることを楽しみにしている。
★ いまこの池には
 ● かっての金魚の今年産れたコドモ(親はなぜかこの春死んでしまった)
 ● 20年も前に孫・真也ととってきたエビ、毎年コドモを産んで
  20年も池には数えきれないくらいのエビがいる。
 ● 田螺も20年以上ずっといる
 ● 数年前からメダカがいる。
  今年は数を増やしたので1000匹ぐらいいるのだが目立たない。
  手前がそうだが、鯉の仔はメダカの2倍ほどなのである。
 
 ● それにアメリカ産の金魚だというコメットが今は主力である。
   動画をご覧になるとその元気さがお解り頂けるかと思う。
 この金魚たちと私と『どちらが長生きするかな?』とも思っている。
 私以外には誰も関心のない
 『この池の魚たち』なのだが、
 そんなことを想いながら毎日眺めているのである。
2021年10月15日

カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス    その 5

投稿者 : rfuruya
★ 昭和45年(1970)10月、私は東北仙台から明石の本社には戻らずに、大阪に途中下車することになったのである。
 この時期漸く国内市場も実用車から中大型スポーツ車への需要の移行も見え始めた時期で、
 3社合併があって50ccの生産中止も決まったものだから、
 カワサキは他メーカーに先駆けて、中大型市場の大市場対策に入ったのである。
 それまでのカワサキは『実用車のカワサキ時代』で九州や東北など、
 地方市場がその主力であったため、特に大阪・名古屋市場が弱かったのである。
★当時の販売システムは『委託販売制度』で、
50ccのモペットを大量に売るために、全国の自転車屋さんに車を委託していて、
それを『サブ店』と称していた。
 今では考えられないほど多くのサブ店を有していて
 ホンダさんはその数4万店とも言われたし、
 カワサキでも1万店ほどのサブ店での販売展開だったのである。
 私が異動した大阪市場は、カワサキの中でも最低の弱小市場で、
 異動してすぐ挨拶に伺った『船場モータースの岡田博さん』には
 『東北ではどれくらい売っておられたかは知らぬが・・』と前置きがあって、
 『大阪ではホンダは別格、世界のヤマハ、日本のスズキ、明石のカワサキ
 と言われてしまったほど、カワサキの存在感は薄かったのである。
 確かに、大阪でもサブ店だけは500店もあったのだが、
 部品取引だけで完成車は1年に1台も売らない店も多かったのである。
 そんな大阪市場であったが、結構精力的に動いて、
 その年の年末に中心になるであろう販売店20店ほどを勝浦温泉に招待して
 今後の大阪市場対策についてその大綱を語ったのだが、
 大いに賛同を得て、船場モータースの岡田さんを中心に
 『カワサキ共栄会』を創ろうという動きになるのである。
 翌年2月4日の二輪車新聞のトップ記事には、
 カワサキは『2年以内に実績倍増を見込み
 その対策として『販売網再編構想を』と大々的に発表されたのである。
 『
 『明石のカワサキ』と言われたカワサキが突如動き出したので、
  大阪の業界でも大きな話題となったのである。
  ホンダさんの営業会議では
 『カワサキを双葉のうちに潰さねば』などと言われたとか・・・
  その考え方の骨子は、
 ● 今後のカワサキは中・大型スポーツ車を中心に販売する
 ● 当然その台数は50ccに比べて少ないが
 ● 中・大型車を数多くの店に委託することは不可能なので、
 ● 自転車屋ではなく、二輪専門店で販売されるべきで、
 ● そのような『新しいカワサキの販売網構想』に賛同する店に絞る
 という方向を採ったのである。
 そして大阪にあった500店の販売店の中から
 カワサキの趣旨に賛同する25店に絞っての
 『カワサキ共栄会活動』をスタートさせたのである。
 そして、8月には『特約店制度』のスタートに向け発進したのである。
 この時の『記事』を書かれた二輪車新聞の衛藤誠さんは
 ご自身の回顧録の中で、この間の事情を大要このように語られている。
● 古谷氏の狙い通り、事はトントン拍子に進み「半年あれば物事はある程度の現実をみる」とおっしゃる通り、
この年の5月には「大阪カワサキ共栄会」の結成総会にこぎつけ、
会長には船場モータースの岡田博社長が就任した。
● このあと、府下の販売店のうち約500店もの販売店との取引中止を実施し、
同時に「カワサキ特約店制度の基本構想」の検討にも着手した。
● 71年1月には、“二輪車事業10周年” を記念して、
全国の優良店100店を業界初の「米国視察旅行」に招待し、
KMCとサンフランシスコなど西海岸の旅で、
この視察旅行団長を古谷氏が務めた。
● このあと、4月にはカワサキ本社に東京・大阪・名古屋地区を統括する直営部が社長直轄として設けられ、
直営部長には古谷錬太郎氏が着任。
● 前年から検討されていた「カワサキ特約店制度」の構想も急ピッチで進み、
8月中にはその概要がまとまり、二輪車新聞の8月31日付けに掲載。
● 9月8日、大阪の厚生年金会館で、この正式な発表説明会を開き、
まずは直営部管内の東京・大阪・名古屋地区で先行することにして、
正式なスタートは72年10月1日からとした。
● さらに翌年の73年9月からは、この「カワサキ特約店制度」を全国的に導することになり、
首都圏全域や広島、福岡などで積極的な活動が展開された。
● 当時のカワサキは“ZⅡ”をはじめとする中・大型車の販売が好調で、
これも特約店契約促進の追い風になった。
                 二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠
★ ここに衛藤さんが纏めて頂いたように、
 私の大阪母店長着任の昭和45年(1970)10月からの4年間で、
 カワサキの新しい販売制度『特約店制度』は全国的に実現したのだが、
 その間私は、大阪母店長・直営部長・本社管理部長として、
 まずは大阪母店から始まって、
 続いて直営部長として東・名・阪、
 さらに全国展開を仕上げて、
 昭和50年(1975)10月には川崎重工業発動機事業本部企画室課長として、
 10年間の販社出向を終わって帰任することになるのである。
 この時期未だ他銘柄の販売網の主力は全国の自転車屋さんだったし、
 二輪専門の販売網を組織したのは『ひとりカワサキ』だけだったのである。
 カワサキアーカイブスでは、
 メーカーのことではなく、販売会社のことなのでそんなに詳しくは取り上げてはいないのだが、
 
 私自身にとっては、初めての全国的な販売網システムで、
 それも業界で初めての『二輪専門店販売網』であったことから
 その実現に漕ぎつけられたのは、非常に大きな成果であったと思っている。
 1975年と言えば、まだ43歳、
 川重では課長任用されたばかりの頃のことなのである。
 今思えば、若いのに『よく頑張ったな』と思っている。
 当時のカワサキオートバイ出向の10年間
 広告宣伝課長   3年間  広告宣伝とレース担当
 仙台事務所長   3年間  東北6県代理店、最後の半年は北海道も担当
 大阪母店長以降  4年間  特約店制度の全国展開だったのである。
 いま思うと全てが前任者のいない『初めての仕事』ばかりだったのである。
★ この時代から、もう50年が過ぎようとしているが、
 二輪業界も各メーカーとも、中大型車が主力となり、
 二輪専門店の販売網が敷かれている。
 逆に言うと『50年間進歩がなかった』とも言えるのである。
 ずっと、『ネットでの販売を』と言い続けてきたが、
  やっと昨今、ホンダの新販売方式 が登場した
 『国内自動車メーカー初 新車オンラインストア「Honda ON」オープン』
 10年遅かったと思っている。
 今の時代、店舗などよりは当然『システム』だと思うのだが・・・
2021年10月14日

三木山森林公園を歩いてきた

投稿者 : rfuruya
★ 昨日は三木山総合公園のジムで筋力トレーニングをしたあと、
  隣接する『三木山森林公園』を久しぶりに歩いてきた。
      50年前までは、廣野ゴルフ倶楽部を除いて。
  この一帯は壮大な『三木山』だったのだが、今は宅地造成がされて、
  幾つもの公園が並んでいる。
  左から、三木ホースランド・パーク
      三木山森林公園
      三木山総合公園
  これは三つ並んでいて、
  ずっと離れて一番右が、三木総合防災公園である。
 
   週に3回行っているジムは、三木山総合公園にあるのだが、
 すぐ左隣が『三木山森林公園』である。
 自然がそのまま残っている、私の一番好きな公園で、
 まだ今はアメリカにいる娘家族が日本にいたころは、
 孫たちとよく行ったし、犬の散歩もしょっちゅうだった。
 こんな広大な公園で、
 昨日はその一部の広場と『もみじ谷』を歩いてきた。
 これでも約3km、1時間ほど掛ったから、その広さがお解り頂けるだろう。
  三木の公園はどれも、兎に角広いのである。
 
★ 歩いたルートの写真を撮ってきた。
 まずは駐車場からすぐ横の前庭である。
 
 建物の向う側には池がある。
 
この公園のコンセプトを2年ほど前から『自然に戻す』としたこともあって、
かってはいっぱいいた錦鯉などは居なくなって、
今は睡蓮と自然に生えた藻だけである。
 広大な芝生広場も、今は草が生え放題に放置しているので、
 こんなになった。
 幼稚園のコドモたちが流れで何か採っていた。
 上の池から、下の池までの小さな流れには、
 メダカがいっぱいいた。
 これはかってはいなかったのだが・・・・
 これが下の池で
 
 その右手からが『もみじ谷』である。
 11月の『もみじ谷の紅葉』はそれは見事である。
 もみじ谷の山道にこんな看板が立っていた。
 開園以来25年もたって、森林が鬱蒼としてしまったので、
 木を切って『森林の若返り』を目指すという取り組みを始めている。
 
 すぐ横の山は樹を伐採して丸坊主になっていたが、
 1年ちょっとで、こんなに若木が生えていた。
 こんなもみじ谷である。
 急な坂道もある。
 いま体重が2キロほど増えて83kgあるのだが、
 この坂道は、以前と比べてきつかった。
 体重を元の81k台に落とそうとしているのだが、
 毎日、運動しているのに『落ちない』
 『食いすぎ』なのである。
 でも、88歳でこのコース1周出来る人は少ないのでは。
 昨日も沢山の方がほかの緩やかな散歩道はいっぱいだったが、
 もみじ谷では一人も出会わなかった
 
 
 山道を登りきると、こんな広場に出る。
 
 そこからこんな広い道を下ると駐車場である。
 約3キロの行程、
 1時間ほど掛った。
 今度は11月の紅葉の時期だと思う。
 それまでに『体重を落として』『スムースに山道を歩くこと』を
 目標に頑張ってみたい。
 どうなるかな?
2021年10月13日

カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス    その 4

投稿者 : rfuruya
★ 広告宣伝課の後は、東北6県の営業第一線を『仙台事務所長』として4年間担当したのだが、
 私にとってこの東北の4年間は、『誰も経験しなかった』ような貴重な4年間なのである。
 広告宣伝課での3年目の11月に、
 突然『東北仙台に新しい事務所を創れ』という指示を受けたのである。
 当時の事業本部長カワサキオートバイの社長も兼務されていた岩城良三さんが、
 東北の代理店会で代理店から『仙台に事務所を』という要望を受けて、
 その場で即座に『創る』ことを約束されたという話が職場にも広がったが、
 それがまさか『私にお鉢が回るとは』全く予想もしていなかったのである。
  
★私の川崎航空機の入社試験の『君は成績悪いね』で始まった面接で、
 『ところで君は野球をやってたな』と話題を変えて頂いた、
 当時は総務部長であった岩城さんである。
 実は1億2000万円の広告宣伝の管理は、とてつもなく膨大な額でもあったので、
 その管理は担当の私が直接岩城本部長に報告するという『異例の形』だったのである。
 細部の指示などは全くなくて、殆ど任して頂いたのだが、
 たまに『厳しい指摘』があって、それは本当に厳しかったのだが、
 親父に怒られるような『愛情に満ちた』ものだったのである。
 『東北への異動』は直接の上司・苧野豊秋さんから言われたのだが、
 しばらくして、岩城本部長がわざわざ私の席まで来られて、
 『ご苦労だが、頼むな』と一言言われたのが今も印象に残っている。
★ この異動が私の初めての『明石からの異動』であった。
 当時の東北市場にはまだかっての地元代理店が10店以上も残っていて、
 カワサキの中で最もよく売っていた最高の市場だったのである。
 それまでは東京の営業部から担当者が出張ベースで営業活動を行っていたのだが、
 それを『仙台に事務所を創って統括せよ』というのだが、
 それ以上のことは何の具体的な指示もないのである。
 日本で初めて創る事務所だから誰もその具体的なことは解っていなかったのだと思う。
 年が変わって1月初め、私は1台のワスプを会社から餞別に貰って、
 単身、明石から仙台まで、その車の陸送も兼ねての移動であった。
 文字通り独りで、どこに事務所を創るのかという指示も全くなく、
 全て自らが考え実行するというタートだったのである。
 昭和42年(1967)私がまだ34歳のことである。
★1年後には新しく土地を購入し、そこに仙台事務所を創ったのだが、
 それが現在の『カワサキプラザ』なのである。
  
   仙台事務所長になって、正直『TOPになった』と思った。
 従来のような大企業の事務所の中ではなくて、
 職制上は部長もいるのだが、現実の事務所にいる中では間違いなくTOPで、
 仕事の内容も誰の指示も受けずに『全て自分で決めれるTOP』なのである。
 普通のサラリーマンとは一寸違った『私のサラリーマン生活』の始まりだった。
 68歳で現役を引退するまで、『自分で決めて自分のやりたいようにやる
 それができる不思議なサラリーマン生活の始まりだったのである。
★ 東北6県すべての県にあった代理店の社長さんは、
 各県に何百店もの販売店を傘下に持ち、
 永年二輪営業を展開された経験豊かな方ばかりで、
 それを全く営業経験もない34歳の私がお相手をする訳だが、
 これはいま思っても大変なことだったのである。
 ただ私は当時の川崎航空機の『メーカー社員』ということで、
 従来はカワサキオートバイ販売の販売会社の方の担当だったので、
 この『メーカー社員』ということに若くても『メーカーから来た』ということは格別の重みがあったようである。
 赴任した1月末から、各地で代理店が開く『販売店会議』に招待されて、
 『仙台に来たメーカーの方』という紹介での挨拶をするのだが、
 100人以上の人前で話をすることなど『初めての経験』だったのだが、
 これは『不思議なほどスムース』に結構長い話が『上手く出来た』のは、
 ほんとに自分でもびっくりした。
 何の具体的な指示もないない『仙台事務所の創立』を今から私なりにやっていこうという『意気込み』だけはあったので、
 それがいろんなことを『語らせてくれた』のだと思っている。
 それまでも『他人がやったことがない・初めての仕事』の連続ではあったが、
 この仙台事務所はそれを全く一人から立ち上げていったのである。
★ 当時の東北では、岩手カワサキが毎年全国一の実績を上げていたのだが、
  このような抜群の成績を残していたのは、
  久保克夫社長の独特の経営が展開されていたからである。
 『私の恩人・久保克夫さん』というこんなブログも残している。
 詳しくお知りになりたい方は、是非ご一読を!
岩手の日本一の原動力は
販売網である』
『販売店への対応は』
『戦略的な対応は』
『システムでの対応』
『人間関係の維持』
『厳しさと優しさ

これらのことを私は久保さんに学んだと、そこには書かれている。

そういう意味でもこの『東北での4年間の経験』は私にとって貴重なものだったのである。
★ この時代は日本は大量生産・大量販売真っ盛りの時代で、
 それは二輪業界でもホンダさんを中心に大量販売を各メーカーとも目指していて、カワサキも例外ではなかったのである。
 そんなメーカーの方針通りに大量販売に徹していた、東北の代理店網だったのだが、
 当時の販売方式がホンダの50ccの『カブ』を大量に売るための資金力もない自転車屋さんに委託販売するという独特の日本式販売方式であったこともあって、
 代理店が大量に販売しようとすると膨大な資金がいるのである。
   
 そんなことから『資金繰り』が続かずに、メーカーの言うことを聞いて、
 数を多く売る代理店にはメーカの貸付金などの関係で資本が入り、
 そのまま『メーカー系列店』という形になって行ったのである。
    より極端に言うと
 『カワサキに協力して沢山売った代理店から潰れて行った』とも言えるのである。
    
 自らの実力以上には販売をしなかった代理店は、メーカー系列にはなることなく自らの経営は維持できたが、
 代理店資格は自然になくなって一販売店の位置づけとなっていくのである。
 このような二輪業界の推移ではあったが、
 こんな事実を見て、
 二輪の販売経営は『自分の力以上には売ってはならない
 健全な経営を維持するには『営業外損益の健全化が必須』であることが理解できたのである。
      
  これはその後メーカー自体でも同じような現象が産まれて、
 カワサキの二輪事業の経営の危機が何度かあったのだが、
 それは自らの実力以上に販売をしようと頑張った時期なのである。
★東北での仙台事務所長は、昭和42年(1967)からの4年間で
 その間には1969(昭和44)年4月1日 には、
 川崎重工業・川崎車両・川崎航空機の3社合併もあって、
 カワサキはそれを機に50ccの小型車生産を中止することになるのである。
 ようやく日本の二輪車需要も小型実用車から中間スポーツ車への移行がなされて、
 250A1やマッハⅢなどの中大型車と共に
 120C2SSなどのスポーツ車両も世に出て、
 モトクロスが盛んであった東北では大いに人気があったのである。
     
★ そんな世の中の動きもあって、
 『小型・実用車のカワサキ』から『中大型車のスポーツのカワサキ』への
 イメージチェンジを図り、その市場も東北や九州中心から
 東京・大阪・名古屋など太平洋メガロポリスの大都市中心に変わって、
 私は1970年10月から大阪を中心とする近畿2府4県を担当することに
なるのである。
2021年10月12日

贅沢な毎日の生活     雑感

投稿者 : rfuruya

★ 毎週、月・水・金の3日間は三木山総合公園のジムに行き、
  残り4日は、三木総合防災公園でのスロー・ジョッギングで、
  午前中の約2時間を運動に当てている。
  その環境が素晴らしいから、これは『最高に贅沢な毎日』と言っていい。
 右のほうにある公園が『三木総合防災公園
 我が家は真ん中の緑が丘、
 そして、ちょっと小さいが左がジムのある『三木山総合公園』である。
 
 小さいと言っても、野球場も陸上競技場もあるし、
 周りの周回路も2kmほどはある。
  防災公園では約7kmほどのスロー・ジョッギングをやると、
  歩数では1万歩をちょっと超えるぐらい。
  ジムに行った日も、1時間の筋力トレーニングの後は、
  30分ほど周回路を走っている。
★ なかなかこんな環境は少ないと思う。
 実は三木は、週刊誌「女性自身」の『住みやすいまちランキング』(大阪圏)で2位にランクインしている。
市内を通る山陽自動車道、中国自動車道、舞鶴若狭自動車道の道路網や三木駅から神戸駅、大阪駅へのアクセスの良さがありながら、水田をはじめとした自然が充実しているところが魅力として評価され、
 関西で泉佐野市に次いで2位にランクされているのだが、
 その環境は泉佐野よりはずっといいと内心思っている。
  
 三木総合防災公園の広さと緑の美しさは格別だが、
 三木山総合公園の周回路もなかなかのものである。
 これがジムのある総合体育館だが、
  
 野球場の周りの周回路はこんなに綺麗だし、
 こんな風に続いている。
 都会の公園と違って、そんなに沢山の人はいなくて
 借り切りのような環境なのである。
★これが『トカイナカ』の良さだと思う。
 ずっと三木にお住まいの方は『三木は金物の町』とか
 『田舎まち』と仰るのだが、
 私は公園も緑も、ゴルフ場も、スポーツ施設もいっぱいで、
 道は広いし、市内の広大な駐車場は『全て無料』で、
 『アメリカのような町』だと私は思っている。
 ジムはそんなに大きくはないが、『1ヶ月・1000円』だし、
 そんな町で毎日2時間、運動している環境は、まさに『贅沢かな』と思っている。

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