2021 2月

2021年2月7日

 立春  2月の庭仕事

投稿者 : rfuruya
 
★2月3日が立春だそうである。
 2月の庭仕事と言えば『薔薇の冬剪定』なのだが、
 これは1月末に今年は終えてしまった。
 コロナで他にすることも少ないので、段々と早くなってしまうのだろう。
 昨日は午後からぽかぽか天気で2時間ほど『庭仕事』に精を出した。
 別に大したことをするわけではないが、
 『万両の種』を初めて、庭に蒔いてみた。
 庭にはこんな万両が20本以上もある。
 その殆どは、実が落ちて勝手に自生したものである。
 
 こんな紅い実がいっぱいだが、放っておくと野鳥が実を食べにやってくる。
 この種を撒いてみたらどうなるか?
 今までやったこともないし、こんなに沢山の実を撒いて全部育ったら
 大変なことになるが、それはその時のことにして。
 昨日は庭のあちこちに種を撒いてみたのである。
★ 種を撒くために土を触ってたら、
  福寿草の芽がもう顔を出してたのでびっくりした。
  
 春の花としては『福寿草』がアタマにあるのだが、
 過去のブログを調べてみたら、
 福寿草がこんな黄色い可憐な花を咲かせるのは、3月初めなのである。
 
 いつもは今どき土など触らないので、気が付かなかったのだと思う。
 ちょっとお解り難いかと思うが、
 これは『京鹿の子』の芽なのである。
  これも3月初めには、こんな綺麗な芽を見せるのだが、
 いずれもあと1ヶ月後のことである。
  
 意外だ多のは『クリスマスローズ』が蕾を付けていたし、
 
 花を咲かせているのもあった。
 これらも旧い葉を除いたから解ったのである。
 
★  何もしなくても梅はもう蕾を付けている。
  
 これも、昨年買ってきた『しだれ梅』なのだが、
 家で花を付けるのは、今年が初めてなのである。
 果たしてちゃんと咲くだろうか? 
 この歳になって『この春初めてのこと』いろいろ、
 『世の中のコロナ禍』のお陰である。
 その『コロナ』は桜の咲くころにはどうなっているのだろう?
2021年2月6日

日本一美しいまち   雑感日記 2021-02-06 07:27:33 | 私の生き方、考え方&意見

投稿者 : rfuruya
★2006年9月にこのブログ雑感日記をスタートさせている。
 ネットの世界の良さの一つはそれが『完全な形』で『整理されて』保存されていることである。
 最初はホントに恐る恐るのスタートである。
★一番最初のブログは『美しい』という題でスタートしている。
 もっといろいろと書きたかったのだと思うが、これだけしか書いていない。
 『書いていない』というより『書けなかった』のだと思う。
美しい
2006-09-09 14:10:27 | 政治
美しい国,安倍さんの書いた本の題名に使われている。
美しいという言葉の意味は深く、外面的な美しさのほかに、調和のとれた、こころの優しさなど内面的な美しさもあらわしている。

本来、日本に至極似合う言葉だと思う。せかせかとしたことばかりが目立つこの頃だが、もう少しゆったりとした美しい生き方をしたいものである。
どなたが総理になっても、真に美しい国日本を目指してほしいものである。

★9月9日から5日後に『薔薇』を取り上げている。
 もうこの時は『薔薇栽培』に凝っていたというか、熱心だった頃だと思う。
 15年経った今も本数は減ったが、同じように『冬剪定』など熱心なのである。
薔薇
2006-09-14 09:07:43 | 日常生活、園芸、バラ
薔薇はむつかしいとよく言われる。
小さな庭だが、70本ほどのバラがある。冬の施肥、初春の剪定、毎月の消毒、秋の剪定など、一年中結構忙しい。
これらの作業のひとつひとつは、日頃の努力で解決できる類のもので、決してむつかしいものではない。
努力の結果は、必ず美しい花として戻ってくる。
自分だけではなく、周りの人の目も楽しませてくれる。
もう直ぐ秋薔薇のシーズンである。
定年後はじめた薔薇だが、手ごろな健康法だと思っている。
★さらに三日後の9月17日に『日本一美しいまち』というテーマでアップしている。
一番初めの『美しい』ホントはこの事が書きたかったのだと思う。
日本一美しいまち
2006-09-17 19:20:46 | みっきぃふるさとふれあい公園
日本一美しいまちをめざす と高らかに宣言したまちがある。
そして、スローライフなまちづくりを、ふれあい、文化、景観、賑わい、情報発信の五つの視点から造り上げることを目指そうというのである。

このまちを訪れる人たちとも、人それぞれの考え方や生き方を、互いに尊重しあいながら生きていく、そういう生き方が美しいのだと言っている。
そして、今まで気に留めていなかったことにふと気づく、そんなゆったりとした、人に優しい暮らし方を、スローライフなまちづくりと称んでいる。
年間に市の人口の50倍もの人たちが訪れるこのまちは、来訪者を友達と位置づけ、市民と同じ目線で対応しようというスタンスも特長である。

このような、日本一美しいまちをめざしているのは、兵庫県三木市です。
人口85000人のこのまちは、旧い歴史のある城下町で、金物のまちとして知られていた。
昭和50年頃から大規模な宅地開発が進み人口も増え、昨年吉川町と合併し美嚢川沿いの美しい田園地帯も仲間入りした。
空気、水、自然、山、川、湖、街並み、田園地帯みんな水準以上に美しい。
日本一の廣野ゴルフ場をはじめ25ものゴルフ場が市内に点在する。
グリーンピア三木、森林公園、ホースランドと緑に恵まれた、グリーン施設がいっぱい、旧い歴史をもつ寺院や仏閣も静かな雰囲気のなかに存在する。
今までの日本の価値観は、通勤に便利なところ、駅に近いところを評価するもので,
毎日をせかせかと、利便性、効率ばかりを企業も、個人も追っかけ過ぎたと思う。
欧米では、空気、水、自然が価値観の基盤である。
ようやく、日本も真に人間らしい生き方を提案する、行政が出現したことは、今後の時代の流れる方向を示唆しているのかも知れない。
安倍さんが、美しい国、日本を提言しています。
三木市の提言は、それ以上に次元が高いことを、誇りにしたいと思う。

★このように書いている。
15年経ってもう少し補足すると、
2006年当時はこの年に初当選された薮本市長を応援してた頃なのである。
兵庫県は『美しい兵庫』を標語にしているのだが、追随する市がないので、
県庁から来られた薮本さんは、是非この『兵庫のコンセプト』を実行・実現して欲しいと、
日本一美しいまちをめざす三木』というテーマを提言したのは、実は私なのである。
三木市が2007年度策定の『三木市総合計画』には、
『日本一美しいまち三木』
 ~人にやさしいスローライフなまちづくりをめざします~
 書かれていて
         
15年経った現在でも、このような看板が上がっているのである。
  
 ブログをスタートして15年の歳月が流れたが、
 初心を忘れず、私も『美しく生きたい』と思っているのである。
2021年2月5日

高血圧の話   雑感

投稿者 : rfuruya
★ テレビの『ためしてガッテン』で『高血圧』を取り上げていた。
  私自身も68歳の時に『くも膜下』になってそれ以来『高血圧の薬』を飲むようになったのだが、
自分では『高血圧』だとは思っていない。
血圧を測っても『高血圧』という域に達した経験がないのである。
多分、薬を飲まなくてもそんなに高い値にはならないのでは?と思っている。

★ そんなこともあって、『高血圧』に関する一般知識もよく解っていないので、
高血圧の人の割合』と検索してみたら、
30歳以上ではこんな比率のようだし、
  
 
 
 
年齢に比例して多くなるようで、
   
  
75歳以上では、男性の74%、女性の70%が該当し、男女とも同じくらいの割合で高血圧であることがわかります。 
年齢とともに高血圧患者の割合は増加しますが、特に男性では30代でも5人に1人、40代では3人に1人が高血圧であり、中壮年期においても有病率が高くなっています。 
  
と出てきて、改めてビックリしたのである。
これだと『世の中の人』は殆どが『高血圧』だと言ってもいい。
★ 自分も薬は飲んでいるのだが、
 勝手に『自分は高血圧ではない』と思っているので
 無関心なために何にも解っていないのである
   
 テレビで取り上げていたので、ちょっと調べてみて
 ホントにビックリなのである。
 病院で薬を頂くために、ずっと血圧は測って記録をとっているのだが
 『黒線が朝』『赤線が夜』なのだが、ずっとこんな調子なので、
 『安定している』と言っていいのだろう。
130を超えることなど皆無だし、
120にもなかなか達しなくて、大体が100から110の間なのである。
★ ためしてガッテンの中では、血圧を下げる対策として、
 こんなことを取り上げていたが、
 この中のことは無意識に、『よく実行している』と言っていい。
  
青魚や野菜もよく食うし、ピーナツやチョコレートも好きである。
ジョッギングは毎日やってるが、
そんなことも薬も効いているのだろうが、
一番は『持って生まれた体質と運の良さ』だろうと思っている。
20年前にやった『くも膜下』も怒ったら突然アタマに血が上って、
無意識になってしまった』ので、通常血圧が高かった訳でもない。
ムツカシイところが切れたので、手術などせずに『安静にしてたら』1ヶ月で退院できたのである。
怒って倒れた場所が『警察の本署』だたので15分後には『いい病院』に運ばれたのである。
そういう意味では『運がいい』のである。
それ以来、特に何もない。
どちらかと言えば、ホントは短気で怒りっぽいのだが、
現役時代からそれは出さずに『辛抱』してたのである。
くも膜下』以降は、意識して『怒らない』ようにはしているのである。
2021年2月4日

私の履歴書      自分史

投稿者 : rfuruya

★前回まで80歳代から逆に若い時代へと自分の人生を振り返ってみたのだが、
ちょうど真ん中の40歳代の時代になっている。
現役時代は財産課に始まって16回の異動を経験しているのだが、
不思議なことに1回も引き継ぎ書を受け取っていないし、逆に引き継ぎ書も書いていない。
その殆どが全く『新しい仕事』だったのである。
20歳代以降、10年毎に纏めたこんな表があって、
私の履歴書』と名付けてこんな一覧表に纏めている。
 
★ 前回まで40歳代の時期の『KHI企画』と『市場開発室』の時代のことを書いてきたが、
その時カワサキの二輪事業は『大変な変動期だった』のだなと今更ながらそう思う。
その時期だけを切り抜いてみると
経営再建』とか『カワ販再建』などの文字や『ダンピング問題』など
更には『二輪事業撤退の危機』というショッキングな文字が並んでいる。
 
★こんな事業本部の渦中にあって『私や田崎雅元さん』はその『ど真ん中』にいたのである。
二人とも『課長』の頃で、その中心になって纏めなければならない運命みたいなものを背負っていたように思う。
特に『アメリカダンピング問題』は田崎さんは技術屋なのだが、
直接の担当だったのは1964年に明石工場から初めてアメリカに単身赴任し、アメリカ市場には詳しかったからだろう。
ダンピング対策の具体的な解決案の『国内販社新体制の起案』は、
国内販社のことがよく解っている私が担当することになった、そんな『危機対策コン』だったのである。
まさに『大変な問題』ではあったが、結構『ネアカに前向き』に対応出来たのは、
二人とも生い立ちがよく似た『大陸育ち』だったからかも知れない。
口の悪い後輩が『古谷さんや田崎さんは日本人じゃないから』などと言ったりしてたが、
あまり『ものごとに動じない』ところがあったのは間違いない。
田﨑さんは歳では私の二つ下だが、小学校時代は私と同じ朝鮮京城にいたし、
終戦時には満州にいたのである。
確かにこどもの頃から、朝鮮・満州で育ち、終戦・引き揚げなどの、
それこそ『大変な出来事』を経験してるので、そんな風に育ったのかも知れない。
★私は、国内販社への10年間の出向を経て、1975年10月に発動機事業本部企画室に戻ってくるのだが、
この企画室への異動は、私の現役生活を左右する様な『運命的なもの』だったようである。
企画に戻って本社に異動の挨拶に行った時、たまたま山田専務にお会いしたら、『古谷くん、今回は大変だな』と仰るのである。
発本の企画に戻りました』と言ったら、『それはよかったな』と仰るので直属の部長に聞いてみたら、
君は本社の中國班から貰いが掛かって、殆ど決まっていたのを取り返してきた』と仰るのである。
ちょうど『日中国交正常化 』が成立して、川崎重工業としても本社に新しく『中國班』を新設すべく、そん人選に私の名前が挙がったようなのである。
それは解らぬではなかった。
私の大学の成績は無茶苦茶悪くて、優は5つしかなかったのだが、
それな体育実技・体育理論と野球部の部長の経済地理と中国語1・2の5つだけだったのである。
中国語は神戸の中華料理店のオーナーの方が先生で、
試験を受けたら殆どの人に『』をくれるので、別に中国語が話せたりはしなかったが、本社人事の目に留まったのだと思う。
企画室長と勤労部長が本社人事に直談判に行って『取り返してきた』というのである。
山田専務が仰るように、若し『中國班』に行ってたら大変だったかも知れぬし、
或は全く新しい職制だったので『オモシロかっ』のかも知れぬが、
発本の企画室ということになって、私の『現役生活の将来』が決まったし、
それ以降も最後まで二輪事業に携わることになったのである。
★今年は3月には88歳の米寿を迎えるのだが、私の80年の人生を要約すると
 ● 10~20歳代    野球一筋
 ● 20~30歳代    勉強期間
 ● 30~40歳代    新しいシステム構築
 ● 40~50歳代    経営再建
 ● 50~60歳代    事業経営
 ● 70~80歳代    引退後の年金生活
 こんなことかなと思う。
家庭は?』と聞かれたら、
 20歳代は熱烈な恋愛を経験し
 30歳代にはいい子供が出来て
 40歳代からこの三木に定住して
 50歳代には子どもも独立して孫も生まれ
 60歳代は人生で初めてお金に余裕が出来て
 
 70歳代以降はパソコン、ネットの世界に出会って
 今の『新しい生活』を結構楽しんでいる。
 『異種・異質・異地域をみんな繋いで、楽しくいい時を過ごそう
 という『基本コンセプト』のNPO The Good Times を設立して、
 メンバーたちといろいろ交流しているからである。
 ネットの世界は世界と繋がっているし、
 幾ら上手に利用してもお金が掛からないところがいい。
 このブログを転載するFacebook やTwitterには
 遠くアメリカからも『いいね』や『コメント』を毎日頂いているのである。
 ひょっとしたら、『現役時代』よりオモシロいのかも知れない。
 3月には88歳米寿を迎えるのだが、
 果たして、いつまで続くのだろうか?
2021年2月3日

好きな人嫌いな人   雑感

投稿者 : rfuruya

★ 現役時代から『八方美人』で生きてきて、

  身近にお付き合いのある人たちには、
  あまり『人の好き嫌い』は言わないことにしているのだが、
  それは直接関係ができる人たちとの間では、
  『』を作らぬほうが、何となくやり易いかなと思っていたからだろう。
 世の中には、自分とは直接関係のないような人もいる。
 例えば、テレビに出てくる『人気スター』や『政治家』などはその部類に入るのだろう。
 そんな人たちとは、直接繋がったりはしていないので、
 そんなに詳しく解っている訳ではないのだが、
 何となく『好きな人』と『嫌いな人』ができるから不思議である。
 政治家で言えば『安倍さんは好』だが『二階さんはどうも』と思っていた。
 なぜ?と理由を聞かれても困るが、何となくそんな感じなのである。
★なぜ、突然そんなことを? と思われるかも知れぬが、
 昨日、こんなニュースがネットに載っていた。
  
★「S」とは、世耕弘成参院幹事長、「H」は林芳正元文科相 、「K」は河野太郎行革担当相だそうである。
 林さんはよく知らぬが、世耕さん、河野さんは『好きな政治家』の範疇に入ると言っていい。
 特に、世耕弘成さんは直接は何の関係もないのだが、
 その経歴は、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業、NTTに入社。
 NTTからの派遣でボストン大学コミュニケーション学部大学院へ留学し、
 企業広報論修士号を取得、帰国後、本社広報部報道部門報道担当
 などとあって政治の道に入ってからも『広報の専門家』なのである。
 2006年9月に、私はこのブログを始めているのだが、
 直接のきっかっけは、当時高槻市役所に総務省から出向されていた
 『樋渡啓祐』さんの『blog,blog,blog』という記事を見たからなのだが、
 もう一つの『決め手』になったのは、
 政治家の『世耕弘成』さんがその時点で、ブログを既に始めておられて、
 『広報の専門家』がやってるのだから、やってみようと思ったのである。
     
 自分が若い頃『広報の世界』に出会っていろんな経験もしたのだが、
 『広報の世界』は『独特のいいモノ』がいっぱいだし、
 広報に興味のある人は、『オモシロい人』のはずだと信じている。
★ そんなこともあって『世耕弘成』さんの動向はずっと注目しているので、
 たまたま、この記事は『もう一つ好きになれない二階さん』との関連で、
 記事には、
「世耕さんは、次の衆院選で二階さんの選挙区である和歌山3区から、鞍替え出馬する意思を固めているとか。 世耕さんは選挙に自信があって、二階さんが相手でも、『勝てる』と踏んでいるらしい」とあった。
 世耕さん、今度は衆議院に立候補なのだろうか?
★テレビの人気スターでは
 『さんまやタモリ』は好きだが、どうも『たけし』は好きになれないし、
 プロ野球選手では、『長嶋』は好きだったが『』はもう一つだった。
 その理由を聞かれても、自分でもよく解らないが何となくそうなのである。
2021年2月2日

開発途上国・市場開発プロジェクト その3   自分史

投稿者 : rfuruya

★この開発市場プロジェクト室という新しい職制は、

 東南アジアの市場調査に始まってのスタートで、
 自らが企画し、自らがその渦中の中にいたようなものだったが、
 カワサキにとっては合弁事業の推進など全く『新しい事業』で、
 その段階までは、どちらかというと『私の得意分野』だったのである。
 タイに於ける合弁会社 Glory Kawasaki の設立までは非常に順調だったし、私の出番も多かったのだが、
 さて『CKDビジネス』を推進するとなると、これはなかなかムツカシイのである。
タイ市場にバイクを売る』ということは間違いないのだが
そのためには『タイでバイクの部品の製造』をしなければならないのである。
新しい工場で『何を造るのか』を決めなくてはならないのである。
これは私の最も苦手とする分野で、そんな細部のことをきっちりと決めるのは苦手だし、
何よりもバイクの部品について、詳細には何も解っていないのである。
私自身は合弁会社の設立には色濃く関与したが、
それ以降は殆ど何もやっていないのである。
★前回ご紹介をした、タイ市場の担当だった小池博信さんの自分史の中に
 こんな一節がある。
  
このように書かれているが、正直このことは『覚えていない』のである。
ただ、『車種開発関係を除いては現地で解決されたい』と返事してるのだが、
その車種開発については、間違いなく私は動いているのである。
長い二輪事業の担当ではあったが、『新機種開発』に関しては殆ど関係していない。
バイクの技術的な部分がよく解らかったし自信がなかったからである。
ただ『私自身』が単身当時の技術本部にお願いに行った機種が一機種だけある。
それで世の出た車が、あのGTOなのである。
  
★ 当時のタイ市場では、カワサキの販売網は農村地域に限られていて、
 首都バンコックでカワサキを見ることはムツカシイような状況であった。
まだタイ市場を調査中の頃のことだが、
なぜ『バンコックで売れないのか?』と 販売担当のチャンさんに聞いた時の話がこうだった。
それはモペットを持っていないこと、100ccのバイクにはヒット商品になるような『いい商品』がないというのである。
では、どんなバイクなら売れるのか?
その答えは、『兎に角速い車、メータだけでも120キロ出るバイクがあれ』というのである。
この話は私のアタマの中に、明確に残っていて、
その後合弁会社が設立された後、当時の技術本部長の大槻幸雄さんに
110㏄ぐらいで、兎に角速く走るクルマを』とその開発をお願いに行ったのである。
 大槻さんはなかなか『うん』と言って頂けなかったのだが、
 私が粘るものだから、ヨコにいた松本博之さんが
 『私がやりましょう』とその開発を引き受けてくれたのである。
             
     そしてこのような話に続いていくのである。
     タイ市場向けというかバンコックで売れる 新機種開発なのである。
  
      ホントに空前のヒット商品になったのだが、
 発売されたのは1979年なのである。
  カワサキの二輪事業の長い歴史の中で
 飛び抜けた台数が売れたのが『GTO』なのである。
 だが、CKD市場向けなので明石工場では『部品出荷』だから
 台数の記録が残っていないのである。
 その時には既に私は国内市場担当に異動していたので、
 バンコクの町を走るGTO は見ていないのだが、
 タイの首都バンコックがGTOで溢れたそうである。
 私がホントに『たった1回だけ関わった』新車開発なのだが、
 松本博之さんがいいエンジンを造ってくれたし、
 外観デザインなどについては、タイ市場の人たちが熱心に関わってくれたのである。
           
 小池博信さんは『自分史』の中でこのように書いているし、
 その『自分史』の 標題も『豪華川崎GTO青春物語』としているのである。
 この中の記述にもあるが、販売台数も倍増以上になっているし、
 ひょっとしたらインドネシアはタイ市場以上に売れたかも知れないのである。
 私にとっても記念すべきヒット商品で、
 よくあの時松本博之さん、引き受けてくれたと感謝である。
2021年2月1日

春はもうそこまで来てる

投稿者 : rfuruya

★ 1月も終わってもう2月になった。
  気のせいか、つい先日までの寒さが和らいだように思う。
 三木総合防災公園の梅は蕾も膨らんで、1輪、2輪花が咲いている樹もあるし、
  
 殆どが蕾の樹もある。
 なぜかピンクの花の方が 開きが早いようである。
 いずれにしても
 『春はもうそこまで来ている
 そんな季節になってきた
 我が家の『木ばらの冬剪定』をしたばかりである。
 
 薔薇の冬剪定をすると『春だな』と思う。
 今年は思い切り『短く切ってみた』
 

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