2021 1月

2021年1月31日

開発途上国・市場開発プロジェクト その2    自分史

投稿者 : rfuruya

★ 東南アジアを中心とする開発途上国営業については、
 カワサキも1969年頃から商社を通じての完成車輸出営業は開始していたのである。
 それはCKDに対してCBUと言われていて、
 CBUとはCompletely Built-Upの略で「完成車」を意味しているのだが、
 発展途上国にとっては、先進国からの完成車の輸入は、自国の自動車産業の発展に繋がらないので、完成車の輸入には高い関税を課していた。
先進メーカーは既に現地でのノックダウン工場を持っていたので、
カワサキも『市場開発プロジェクト室』を作って本格的な市場進出を目指すのだが、
私はその中心プロジェクトであった『イ・プロジェクト』を担当することになったのである。
★ そのタイ市場は従来から営業の『小池博信』さんが直接の担当だったのだが、
 後年彼はタイプロジェクトを中心にこんな『自分史の冊子』を纏めている。
     
そこには私の名前も登場していて、
タイプロジェクト』は私と小池コンビで推進することになるのである。
   
★もともと、タイ市場については、華僑の馬(マ・ファミリー)との間で、
 日商岩井・カワサキの3者での合弁事業計画の検討はなされていたのだが、
 3者間の調整がムツカシクてなかなか前に進まなかったのである。
小池君たちが作っていた『事業計画』では経営はなかなかムツカシイのだが、
カワサキ側もこのプロジェクトを推進したいので、
初期には少々金を補填してでも軌道に乗せたいというのである。
馬ファミリーにはその息子さんが二人いて、その息子たちがCKD事業に熱心なのである。
 だが実際の二輪の商売は『チャンさん』という番頭さんが独りでやっているようなものだった。
私は現地に出張して、約1か月間いろんなことを観ていたのだが、
華僑商売』というのはなかなかオモシロいのである。
馬さん』は二輪だけではなくて『金屋』やその他いろんな商売をやっていて、
その商売ごとに『チャンさん』のような番頭さんがいるのである。
なぜ、そんなに沢山の商売が出来るのかなと、
その『やり方』をチャンさんに聞いてみたら、その仕組みは至って簡単なのである。
商売に『必要な金』は毎月『チャンさんが馬さん』から受け取り、
それを使って人を雇ったり、経費に当てたりするのだが、
すべてチャンさんの思うよう』に使えて、決裁などは全くないというのである。
ただ、バイクを売ってそれが『現金化』したら、その金は『馬さんに毎月渡』のだという。
そして毎月『馬さんに渡す金』の方が『馬さんに貰う金』より多いので
商売は儲かっている』と思うというのである。
こんな単純なシステムだから『いい番頭』さんさえいれば幾つもの商売が出来るのである。
 これには私もビックリだった。
 チャンさんに小池くんなどが創った『事業計画』のことを聞くと、
 『あれは私は一切関係していない
 いろいろな質問に答えただけだというのである。
 小池くんたちはこんな商売の仕組みなどはご存じなかったのである。
★ 私の仮説は、『儲からない事業』を華僑が工場まで投資してやろうというというはずがない。
 若し、不安があるとすれば『事業をスタート』した後の『カワサキの心変わ』だけだろうと思っていたのである。
 従って、出張中の1か月間、特に具体的には何もしなかったが、
 馬さんの長男のチャンチャイさんや、番頭さんのチャンさんとの信頼関係は築けたと思うし、
 小池君との仲も本当に身近になったのである。
 長い出張の最後の1日
 私は、馬ファーミリーとの会議 を持って
 英語もそんなに上手く話せなかったので、
 黒板に『正直・誠実・勤勉』『信頼・互譲・協力』という
 川崎航空機工業の『社是と執務態度』を書いたのである。
 これを見て『馬さん』はこのプロジェクトのGOを決意したのだと思う。
   その時のことを小池君は自分史の中でこのように書いてる。
 小池君の書いている文字はちょっと違ってはいるのだが、
 
 そして年が明けて、1977年2月
 『馬・日商・川崎』の3者の合意に基づき、
 Glory Kawasaki Motors Co. Ltd  がスタートすることになるのである。
 1976年10月にスタートした『市場開発プロジェクト室』だが
 ちょうど半年で、一つの大きな課題の解決を見たのである。
 『ものごとは半年あれば実現する
 『半年でできないものが10年経ったら出来る保証はない
  これは私の信念なのである。
 この1年の間に、『カワサキの小型車事業は様変わり』したのである。
2021年1月30日

高齢者の身体的な変化 について  雑感

投稿者 : rfuruya

★昨年の今日、『高齢者の身体的な変化』というブログをアップしている。
 その時書いていることを読み返してみたが、1年経っても同じような感想である。
 高齢者の身体的な変化はこのようなものだというが、
  
 私自身に当てはめてみると、昨年もその殆どが当たらないと書いているが
 1年経ってみて、やはり同じようなことである。
● 身体低下
 身長は168cmだったが、今も同じように168cmなのである。
● 体重減少
 よく運動はしていて1日の消費カロリーは2000カロリーを越えるのだが、よく食うからか体重は82キロが続いている。
● 頭髪の抜け毛・白髪
頭髪は白髪だが、抜け毛はないように思う。今年から髪を伸ばそうと思って散髪屋にも行っていない。コロナ対策でもあるのだが・・・
● 歯が抜ける
 歯は22本ある。昨年から変わっていない。
● 皮膚のしわ、乾燥、弾力の低下、白斑など
多少はその傾向はあるのかな。
● 筋力の低下
これはないように思う。
● 筋肉量の減少
ジムに行ったからか、筋肉量は増加したようにも思う。
● 栄養障害
よく食うから、それはないと思う。
● 主観的疲労感
これも全くない
● 日常生活活動量の減少
 アクテイブ・タイムとは『歩く』レベルでは幾ら歩いてもゼロで、
 スロージョッギングをやった時間である。
 雨の日など『』の日もあるが、大体1時間を目標にしている。
  
 1時間歩くと約7000歩、6kmぐらいにはなる。
● 身体能力の減弱
身体能力は70歳代からはあまり変化はないだろう。
柔軟性などは20歳台を維持できているので、体力年齢は50歳台が器械の測定値である。
★ あと1ヶ月で88歳になる。
  『88歳の目標』をこのように設定した。
   
  目標の数字だが、歩数『10000歩』以外は
  大体『達成できる』だろう。
  『1万歩』は意外に達成できてる日が少ないのである。
★ざっとこんな感じだが、
 これから1年も多分同じような日課が続くだろうから、
 あまり『年寄りくさく』ならないのではと思っている。
 努力もあるが、強い体に産んでくれた母と、
 『長生きのDNA』をくれた祖母と母に感謝である。
 祖母は102歳まで、母は103歳まで生きたのだが、
 88歳ごろは未だ『しゃんとしてた』と覚えている。
 運がよければ『あと10年』は今のようなレベルが続いたらいいなと思っている。
2021年1月29日

開発途上国・市場開発プロジェクト その1    自分史

投稿者 : rfuruya
★ 1975年10月に10年間の国内市場出向を終わって、
 私は発動機事業本部企画室企画部課長として復帰したのである。
 その当時のカワサキの二輪事業ががどんな状況だったのか?
 あれだけ好調に推移してきたアメリカ市場にも陰りが見え、
 ホンダがロードパルなどを出すなど業界は『小型車ブーム』の時代であった。
 大型車のカワサキなのに、なぜかこの時期だけは、
 『CMCプロジェクト』というプロジェクトがあって、
 『CMC』とはCompact Motor Cycles という文字通りの小型車プロジェクトなのだが、
 5年後の1980年に55万台を生産・販売しようというもので、
 生産部門を中心に検討が進められていて、
 川重の吉田専務が大乗り気で推進が図られていたのである。
 76年1月には『発本戦略』の立案を指示されるのだが、
 その中の中心課題が『小型車問題』だったのである。
★その発本戦略は私のグループの担当で、基本的に思っていたのはこんなことだった。
● 既に立案されている『CMCプロジェクト』などダメだと思った。
● 仮にそんな車が造れてもカワサキにはそれを売る販売網などどこにもない。
● ただ、もう進行中のプロジェクトで吉田専務も気に入っておられる計画だから露骨にダメだなどとは言えないのである。
● 『小型車』はそのまま生かして、開発途上国のCKD市場の小型車でスタートしようとしたのである。
● この小型車は同じ小型車でも、100㏄前後のオートバイタイプでCKDだから基本的に明石での生産投資は不要である。
● 中大型車と違って、結構数も読めるはずである。
そんな仮説からのスタートだった。
★既に纏められていたCMCプロジェクトの内容は、
 最新鋭の生産設備で、大量に低コストで生産するというもので、
 安くいいものができるから『どんどん売れる』という発想で、
 全く市場のことは抜け落ちた『とんでもない』ものだったのである。
企画室に戻って半年目の3月には、私自身の意見も言えるような環境になったので、
同じ小型車だが開発途上国へのCKDプロジェクトをスタートさせようと、
企画室企画課からの『小型車に対する考察』という一文を起案したのである。
当時はみんな自筆の計画書なのである。
誰の援けも借りずに私独りの発想だが、25ページにも亘る結構な大論文だったのである。
冒頭にはこのような記述から始まっている。
 要は
 1.事業本部内に於ける『小型車の基本認識』の統一
 2.今後の小型車検討の『方向づけ
 を明確にすべく、その中に開発途上国へのCKDプロジェクト
 明確に含めることを目論んだのである。
  
 これは『搦め手(からめて)』からだが、
 5年後と言わずすぐにでもスタートできるので、まずは『市場調査』をと思ったのである。
 この論文は当時の塚本本部長・青野副本部長・堀川企画室長の評価も高く
 このような市場調査メンバーが決まったのである。
 団長には髙橋鐵郎さん
 副には安藤佶朗さん、このお二人はかってのレース仲間だし、
 山辺さんは私と同期、国内販売からは松田さんに商品企画の川崎さんという
 非常にいい『メンバー構成』となったのである。
  
  その調査団は、4月末から約1ヶ月
 台湾-タイーインドネシヤ―イランーマレーシヤーフィリッピン
 の各市場の末端まで視察したのである。
  
★ この年1976年、43歳の時である。
 それまで海外はアメリカ市場の見学に一度だけ出たことはあるのだが、
 『自らの仕事』出海外出張をしたのは、初めての経験であった。
  同じ小型車のバイクを取り扱ってはいるのだが、
 タイ・インドネシア・イランなどそれぞれの国で全く『商売のやり方』が
 異なるのである。
 タイは農村で客が逃げることは考えられないので、バイクは質草みたいなもので長期月賦でその金利収入が目当ての売り方に対して、
 インドネシアは同じ華僑なのだが、ここは全て『現金商売』だし、
 当時は未だ王政時代のイランでは。
 まさにペルシャの商人で、価格というよりは『どんな払い方』なのか、
 その決済条件によって売値が違うのである。
 こんないろいろな世界も見れたし、大いに勉強になったのだが、
 『CKD事業』は間違いなくカワサキにとっ『成算あり』と結論し、
 そのような出張レポートを纏めたのである。
★ 単車業界はその競争は熾烈なのだが、
 当時のCKD市場は各国で生産機種数や、現地出向者の数が制限されていて、
 後発のカワサキにとってみれば、『競争条件』を各国が緩めてくれているようなものなので、
 自国生産の部品もあるので、日本から輸出する部品を決めればいいのである。
 このプロジェクトが3月に起案、5月現地調査、
 そして10月には『市場開発プロジェクト室』がスタートし、
 高橋さんが室長を兼務され、私は企画からその主務として異動することになるのである。
 『古谷は企画といういいポジションに移れたのに、自ら飛び出した
 などと言う人もいたが、
 確かにその通りではあったが、『新しい仕事』はなかなかオモシロいのである。
いろんな話があるので、何回かの連載でこのプロジェクトをアップしてみたい。
2021年1月28日

SHIN’S JOURNEY / Shinya Kadono

投稿者 : rfuruya

★ 孫の門野真也は不思議な性格である。

  何でも継続すところは『私に似てる』とも言えるのだが、
  そのレベルが突出している。
  昨年の2月からだから、もう1年になろうとしているが、
  弟の『哲也』を題材にした『毎日てっちゃん』は今も毎日続いている。
        
  毎日、毎日 よくまあ 題材を思いつくなと感心である。
★ そんな門野真也だが ごく最近動画You Tube に凝っている。
  1ヶ月の間にこんなに沢山の動画を撮っている。
  喋ってるのは英語なので言ってることは全く解らないが、
  動画だから、『見ると解る』ようになっている。
 『SHIN’S JOURNEY / Shinya Kadono』と検索すると
 こんな動画がずらーっと並ぶ。
  サッカーのテクニックの動画ばかりなので、
  サッカーをやってる方は、ご覧になればいい。
 これがスタートの『1ヶ月前』なのだが、
これは極く最近『1日前』とある。
 
  ひとつだけ『元旦のアメリカの日の出』の動画があるので、
  ご紹介してみよう。
  
 こんな3分ほどの初日の出の動画なので、ご覧になってみてください。
★ ここに『この動画をアップしたのは
 『動画の貼り付け方』を孫の門野真也に教えて貰ったので
 その復習なのである。
 まず一番にやることは
 1.こんな動画の中の印をつけた『共有』の左のマークをクリックする。
  
2. そうするとこんな画面が現れる。
  
 3.そのコピーをクリックするとそれでコピー出来ている。
 
  ただ、それだけのことだが、こんなのは教えて貰わないと
  自分では、絶対に出来ない。
  覚えても直ぐ忘れるので、ブログにアップしているのである。
  果たしてちゃんと身に付くだろうか?
2021年1月27日

藤浪ワインドアップ 投法復活!

投稿者 : rfuruya
★ 昨日こんなスポーツニュースが流れた。
 阪神の藤浪晋太郎がワインドアップで投げるというニュースである。
      
 私が野球をやってた当時は1950年ごろだから
 もう70年も前のことなのだが、
 当時のピッチャーは振りかぶって投げるのが普通だった。
 ランナーもいないのにセットポジションから投げるピッチャーなどいなかった。
 だから、というわけでもないのだが、
 ピッチャーはワインドアップするほうがかっこいい。
 金田正一のワインドアップなどは特にサマになっていた。
  
★  いつ頃からなのか、投手がワインドアップしなくなってしまった。
 微妙なコントロールを売りにするピッチャーは兎も角、
 藤浪のような剛球投手は何はともあれ、ワインドアップ投法に戻って欲しい。
 記事を拾い読みするとこのように書いてある。
阪神の藤浪晋太郎投手がブルペン入りし、ワインドアップの新フォームを披露した。捕手を座らせて72球を投じると、周囲の評価は上々。
春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭時代、そして19年にも試みていた“振りかぶり”を解禁した。先発としてフル回転を期す今季。
逆襲へ向けた決意表明でもあった。「振りかぶって投げれるなら、今年振りかぶって投げようかなと思ってます」
振りかぶる動作は藤浪晋太郎にとっての「原点」と言える。
実戦登板でも継続するかはキャンプ期間中に判断する。
 藤浪は好きな投手である。
 『なぜ?』と言われたら『ピッチャーらしい』からである。
 そんな『ピッチャーらしい藤浪』の投球フォームは、
 『ワインドアップ』であって欲しい。
 そこから160キロ以上の剛速球が繰り出されるのが『プロの世界』だと思う。
 実戦登板でも継続するかは『キャンプ期間中に判断』というが
 是非とも実行に移して欲しい。
 それが『藤浪らしい』と思うし、『ピッチャーらしい』と思うからである。
★今年入団した新人捕手『栄枝捕手』のこんな記事も載っていた。
 藤浪の72球を受けたらしい。
 『圧倒された。スピード、球威、キレ、軌道。何もかも、これまで知る世界とは違った。厳しい現実を思い知らされたと言っても、過言ではない。 』
 と記事は続いていた。
 藤浪のワインドアップ投法、実現を楽しみにしたい。
2021年1月26日

人生で一番頑張った時代、46歳からの10年間 その4 自分史

投稿者 : rfuruya

★ 前回の最後に『運勢来年2月まで』1987年に記載があるのだが、
    これはなかなか当たっているようにも思うが
 長く生きてきたが、私の人生は概ね『好運に恵まれた』と言っていいだろう。
    運にも恵まれたし、いろんないい方にも出会った。
 前回書いた『大庭浩さん』もその一人だが、
 この時期も含めてずっと関係のあった人と言えば
 『岩崎茂樹くん』かも知れない。
  早く亡くなってしまって残念なのだが、
 私だけではなくて『カワサキの二輪事業』でみんなお世話になったと思う。
 めちゃ博学で、勉強家でバイクについても
 カワサキが二輪車など関係なかった時代に、
 大阪の船場モータースとハーレーで繋がったりしているのである。
 生野高校の野球部の出身でもある。
 当時『オール生野』には明石のOBがいっぱいいて強かったのだが、
 そんなメンバーの指導を受けて、明石のOBである私より明石の野球部のことに詳しかったりした。
 田崎さんと私と岩崎だが、彼と一緒に造った『SPA直入』での写真である。
  
 私のレース担当の後を引き受けてくれたのが岩崎である。
 髙橋鐵郎さんが生産部門から国内販社に来られた時の営業の先生役が岩崎である。
 そして田崎雅元さんとのコンビでアメリカ市場を担当したのも岩崎だし、
 私と髙橋さんで市場開発プロジェクトを担当した時、イランの現地で活躍してくれたのも岩崎なのである。
★ いろんな彼とのプロジェクトがあるのだが、
 1987年から直入町に造った『SPA直入プロジェクト』がその最たるものである。
 当時は各メーカーはレーサーレプリカ全盛期で、
 そんなバイクを開発するのだが、それを走らせるところがなくて、
 ユーザーたちは峠に集まって走らせるものだから『峠族』などと呼ばれていたのである。
 そんな時期『一般のユーザーが走れるサーキット』を作ろうと思い立って、
 岩崎茂樹と二人でこのプロジェクトをやりかけたのである。
 大分県直入町にはテストコースを造るべく広大な土地を購入はしていたのだが、膨大な費用の掛かるテストコースはその後の事業本部の経営状況もあってそのままになっていたのである。
 『サーキットの建設』など全くの素人だったが、岩崎は勉強家で直ぐいろんなことが解ったのである。
 テストコースは何故膨大な費用が掛かるのか?
 それは土地を平たくするための土を動かす費用が膨大なのである。
 コースの舗装費用などはそんなに大したことはないのである。
 一般のライダーたちが走る短いコースを地形なりに造られた
 『SPA直入』の開発費用は2億円も掛らなかったのである。
  
 こんなコースに仕上がった。
 周囲の環境が良くて、
 日本で一番美しいサーキットだと思っている。
 
 『SPA 直入』の名付け親も岩崎茂樹なのだが、
 『SPA』は勿論直入温泉の『SPA』の意味もあるのだが、
 ベルギーにある世界的に有名なサーキット
  『スパ・フランコルシャン』の『スパ』ともかけているのである。
  そのスケールは異なるが、何となくその環境は似ているのである。
  
  88年に『大分SPA直入計画』の記述があるが、
 当時営業本部担当だったが、その業務は課長以下に任して、
 私は殆ど『SPA直入プロジェクト』に掛かりきりだったのである。
 川崎重工業としても、本社財産課も、建設を担当してくれた建設会社も『サーキット』などはじめての経験だったし、
 その設計の『基本コンセプ』は殆どが『岩崎茂樹の発想』なのである。
  それから30年も経っているのだが
 『SPA直入』は当初のコンセプト通りに
 多くの二輪愛好者たちに可愛がられているようで何よりである。
 『YOUR RACING COURSE』と表現されている。
  
 私が人生で一番頑張った時代、
 その仕上げは『SPA直入』だったのである。
2021年1月25日

大栄翔 優勝おめでとう !

投稿者 : rfuruya
★ 大相撲初場所は 大栄翔の優勝で幕を閉じた。
 大栄翔 優勝おめでとう!
 大の大相撲ファン、というわけではないのだが、
 コロナですることも少ないし、夕方からの大相撲テレビは重宝している。
 初場所は貴景勝が思わぬ不調で休場してしまったが、
 大栄翔は三大関を連破して、文句なしの優勝だった。
   
 毎日見ていても関取の名前と顔がなかなか覚えられない。
 やはり歳かなと思う。
 そんな中で、毎日同じ席に正座して相撲を見ている『お嬢さん』は
 私も解っていたのだが、今日はそれをネットの中のニュースで見つけた。
  
 確かに、背筋をちゃんと伸ばして『正座している』
 私など、5分も正座できないから、見事というほかはない。
 その記事によると、先場所以来皆勤だとか。
 一般のお嬢さんのようである。
 記事では、インタビューなどもやっていた。
   
  こんなに注目されると、大変だなと思う。
  大栄翔のインタビューの時も写っていたこの女性だと思う。
  
  そんな話題もあった初場所だが、 次の場所が待ち遠しい。
        春場所も東京国技館なのかな?
  東京なら、あのお嬢さんにもまた会えるかも?
  横綱は復帰するのだろうか?
  貴景勝は? 大丈夫だろうか?
  いろいろあったが、大栄翔 初優勝おめでとう!
2021年1月24日

人生で一番頑張った時代、46歳からの10年間 その3 自分史

投稿者 : rfuruya

★『人生で一番頑張った時代』の『その3』は大庭浩本部長の3年間である。
 それは1983年7月から始まった。
                      
    私の現役生活で『私の意見』を一番聞いて頂いた上司は大庭さんである。
 とそんなことを言うと『ホントか?』と信じられない方がおられるかも知れない。
 単車に来られる前にも幾つもの事業部の経営再建を手掛けられていて,
 『再建屋』で通っていたし、『無茶苦茶怖い』と専らの噂だったのである。
 当時の単車事業部の経営再建にも単身乗り込んでこられたのである。
 私は当時の企画部門担当で、『大庭さんの番頭役』を3年間務めたのだが、
 この時期の単車事業部再建は、明石の事業本部に問題があったのではなくて、
アメリカのKMCをはじめ海外販社の赤字経営が問題だったのである。
大庭さんがそれまで経験された事業部再建はみんな日本の事業本部の再建で、単純に言えばその事業本部の『期間損益の黒字化によって再建』が出来るのだが、
販売会社の場合は『期間損益』は勿論、その有している『累損消去』までできないと真の再建とは言えないのである。
 当時のKMCには100億円近い累損があって、この消去は大変な難題ではあったのだが、大庭さんも『そんなことは聞いていない』と仰るのだが、
れを目標にやりましょう』と大庭さんとのお付き合いは始まったのである。
大庭さんは、確かに『怖い』のだが、物ともせずに意見を言うと『任して頂ける』ところがあって、
みんなそこまでは『言うことが出来ない』のだと思うが、
当時の単車は独特な雰囲気で、アメリカの田崎さんも、日本の私も結構自説は曲げずに、敢えて『反対意見』も申し上げたのである。
★ 今はカワサキの代名詞になっているような『Ninja』だが、
 『GPZ900』が世に出た当時、アメリカ市場が提案した『Ninja』というネーミングは、明石の技術本部は反対で、所謂『忍者』から来る黒装束のイメージは暗いというのである。
 そんな技術本部の意見を背負って、
Ninja』を主張するアメリカ側への説得を大庭さんが試みられたのだが、
 田崎さんは、頑強に抵抗して『YES』と言わないのである。
 事業部サイドの『Ninja=忍者』のイメージは暗いとの主張に対して、
 田崎さんは、アメリカでは『ゼロゼロセブンのイメー』だと言って頑張り通して、
 とうとうアメリカだけが『Ninja』のネーミングでスタートすることになったのである。
 この写真のように当初はヨーロッパなどは『GPZ900』という表示で
 のスタートだったが、
    
  アメリカだけが『Ninja』というネーミングでスタートすることになったのだが、
 この1件は『アメリカ側の主張』が正解だったようで、
 今では『Ninja』はカワサキの代名詞のようにになってしまったのである。
大庭さんは『本音でズケズケものを言う』単車の雰囲気を気に入られたようで、7月に来られて3ヶ月の9月には
 『単車は意外に確りしている』と仰るようになるのである。
★いろんなことがあったが、この当時を一言で言うと
 『運がよかった・ツイていた』と言えるのだろう。
  確かにNInja などいい商品も出たのだが、
  何よりも財務本部が数百億円の資金援助をしてくれたり、
  全社挙げての応援で、その旗を振られたのは
  山田・大西両副社長なのである。
  当時、リンカーン工場の操業度が不足してその対策のために、
  年間8000台程度であったじJet Ski を2万台も造りだめしたら、
  突然、それが完売するということになったりしたのである。
  『赤字会社が新社屋など?』と反対もあったのだが、
  当時の大西副社長が熱心に賛成して頂いて実現することになるのである。
  1986年、大庭本部長の3年目に完成して
  長谷川・大庭・田崎さんの3人での『鏡割り』なのだが、
  この時、田崎さんは未だ川重部長の頃である。
   
 大庭さんですら、川重社長は未だ決まっていない時期なのである。
 これはずっと後に、私がアメリカに行った時に撮ってきた
 KMC社屋の写真だが、
 ホントに懐かしい、いろんな想い出いっぱいの社屋なのである。
★ あれだけ大変だった『カワサキの二輪事業の再建』は
  大庭浩本部長が見事達成されて、
  川重本社に副社長で戻られ、あとを
  髙橋鐵郎常務が本部長を引き継がれることになったのである。
  私自身もそのど真ん中にいて、いろんなことのあった期間だが、
  今思っても『よく頑張ったな』と思うのである。
★ この時期、私は50歳になったばかりの頃である。
  息子は大学を卒業してサッカーで全日空に入社したし、
  娘も関大に入学出来て、何とか一息ついた時期である。
  アメリカのダンピング問題からのスタートだが、
  よくまあ、いろいろと続いたものである。
   
 1983年に『GP レース撤退』とあるが
 この決定は『私と田崎さん』との相談で『GPレース中止』を決断しているのである。
 この時は、そうせざるを得ないほど事業本部の経営は追い詰められていたと言っていい。
 当時のカワサキのGPレースは、非常に強かった時代だから残念だったのだが、すべてを止めると再開が大変なので、
 平井稔男さんに数千万円の予算を渡して、
 この時『Team Green』が日本でもスタートすることになるのである。
 『運勢来年2月まで』と書いているが、そんな運勢だったのである。
 ホントに運がいい期間だったと思う。
2021年1月23日

習慣 と 積み重ね

投稿者 : rfuruya

★ 昨日はこの辺りは終日雨だった。

  
  午後からは、『降るでもなく、降らぬでもなく
  霧は掛かっていたのだが、こんな感じだったのである。
  朝は諦めていたランニングだが、
  毎日やってることをやらないのは『何となく気になる』ものである。
  どうしようか迷ったのだが、結局行くことになった。
  三木総合防災公園、流石に止まっているクルマも少ない。
  でも、傘をさして歩いている人もいたし、
  私のように傘もささずに走っている人もいた。
 約8000歩、1時間、6キロを走ってきた。
 何か、やることをやった感じですっきりしている。
   
   孫に貰ったFitbit を腕に巻いて、1年1ヶ月なのだが、
   昨年の9月10日に 積算1593キロ を記録した。
   ニュージーランドの長さだそうだが、
   神戸から北海道までの距離である。
    
  こんなのあまり気にはしてなかったのだが、
  マラソンの42キロに始まって、
  いま7段階目の『ニュージーランド』なのである。
   
  こんな調子であと10年頑張れば。
  太平洋の横断も夢ではないかも?
        東京からの距離一覧だが、既に北朝鮮までは行ってるし、
  北京や台湾も年内には間違いない、
   
 昨今の道具はなかなかよくできている。
 Fitbit など、腕に巻いてるだけだが、勝手にこんな記録で
 励ましてくれている。
 『毎日の習慣』休まずによかった。
2021年1月22日

昼寝 と 年齢     雑感

投稿者 : rfuruya

★最近は、昼寝をすることも多い。
 昨日は夜中に、バイデン大統領の就任式のテレビを観てたので
 1時間ほど昼寝をした。
 『睡眠時間』と検索したら、こんな表が現れた。
 
 『6~7時間』が目安だと書かれている。
 最近は10時に就寝するので、朝5時に起きると7時間だが、
 夜中にトイレに起きたりするので、その間の時間はどうなるのあろう?
 Fitbit を付けてるので、『睡眠時間』も統計がある。
 3ヶ月平均するとこんな感じで、『7時間の睡眠時間』は取れていると言っていい。
 
★ 私はいま87歳だが、至って元気だとと言っていい。
 午前中は2時間ほど毎日動き回っている。
 消費カロリーは、毎日2000キロカロリーを越えている。
  昨日は『バイデンさんの就任式』を観ていたのだが、
 バイデンさんは、今78歳である。
 10年前、78歳の頃を思い出すのだが、殆ど今と同じくらいで、
 無茶苦茶元気だった ということでもない。
 ただ、『昼寝』は多分していなかった。
★ 昨日は終日『バイデンさんのニュース』でいっぱいだったが、
 普通の職務ではない『アメリカ大統領』なのである。
 
  今から4年間、その時は82歳である。
  『昼寝』などはとても出来ない『激務』だろうから、
  健康に留意されて、無事役目を務められることを祈るものである。
  トランプさんも、いろいろな話題を提供しているが、
  4年後に『再挑戦』するとか。
  その時は『78歳』なのである。
  ちょっと無理すると『昼寝する』自分と比べて、
  『元気だな』と感心しているのである。
 因みに日本の政治家、
 安倍さんは66歳、 菅さんは72歳、 二階さんは81歳である。
 安倍さん、意外に若いのにびっくりした。

団体会員プロジェクト

  • World Good Riders Association
  • 燦々sunsun
  • 孫文を語る会
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