2021 1月

2021年1月19日

Googleマップ と 私

投稿者 : rfuruya

★ 私はなぜか『地理』が好きである。
 地図を見るのも好きだったし、非常に興味がある。
 16.5倍というとんでもない競争率であった当時の神戸商大に、
 何とか入学できたのは、その時受験した地理の問題が
 世界地図を画いて、北緯35度赤道ジブラルタル海峡などの指示された項目を
 その地図に書き入れる問題が出たのだが、
 それが殆ど上手く画くことが出来たのがよかったと、今でも思っている。
   
 東経135度は子午線で生まれ故郷の明石だったので直ぐ解ったのだが、
 南がどのあたりかもう一つ頼りなかったのだが、
 勘でオーストラリアを通したら、それが当たっていたのである。
 私は細部の細かいことは兎も角、世界地図などの大きなものを何となく
 把握するのは得意分野なのである。
 それも『地図を眺める』ことが趣味みたいなところがあって、
 自然に身に付くのだと思っている。
★ そういう意味では 『Google マップ』は1日に1度は開くほどよく見ている。
 ごく最近も、家の近くの『協同学苑』の周りを朝、スロージョッギングしているのだが、
 その地図を何回も見ているのである。
 その1周コースはこんな感じの約7キロなのだが、
 三木に50年も住んでいるのだが、1周したのは今回が初めてなのである。
   
 単にこのコースだけではなくて、
 今まで走っていた『三木総合防災公園』や『三木山森林公園』との位置関係などが気になるし、
 三木にはこんなに沢山の『ゴルフコース』があるのだが、
 いま走っているコースの外周は、『ゴルフコースの外周』とほぼ同じだと確認したりしているのである。
★ Googleマップのいいところは、どんどん拡大するとこんな光景も出てくるのがオモシロい。
 これらはみんな、Google マップから切り取った、
 今朝通った地点の写真なのである。
  
 三木のこんな田舎道まで、包含しているのはビックリなのである。
 これがこんな世界地図と同じGoogle マップだとは信じがたいのだが
 このように同じGoogle マップの中からの写真なのである。
       
★ 世の中は進歩するものである。
  それにしても Googleはスゴイと思う。
       私が行ったことのあるアフリカのナイジェリアは
 このような立派な都会も
 
町の風景も写るのだが、
 流石に中国はダメである。
 こんな角度からの風景は出るが、地上からの風景は出てこない。
★ アメリカもおひざ元だからどこでも大丈夫かと思ったら、そうでもない。
 広大なアメリカなので仕方がないのかも知れぬが、
 田舎の真っ直ぐな道などは写らない。
 アメリカのネブラスカにあるリンカーン工場は、一度だけ行ったことはあるのだが、
 忘れてしまっていたが、Googleマップで検索すると
 こんな画面が現れて、
 
 こんな写真が現れるのだが、全く覚えていないのである。
★こんな具合に毎日のように、世界を眺めているのだが、
 どうも、日本辺りが一番詳しく載せられているいるようにも思う。
 三木市など、まさに地方都市なのだが、
 殆ど車など通らないこんな道の神社の前も
  
  このように見ることが出来るのには驚いた。
   
 どんな神社があるのか、動画を撮ってきたのでご覧ください。
 25秒の動画です。
     
2021年1月18日

人生で一番頑張った時代 46歳からの10年間  その1   自分史

投稿者 : rfuruya
★ 長い人生、自分なりによく頑張って生きてきたと思っているが、
 『一番頑張った時期は?』と言われると、
 それは『46歳からの10年間』かも知れない。
 ずっとこんな記録を付けているのだが、
 46歳からの10年間は、こんなことがあった時代なのである。
  
 時代は1978年から89年まで、
 会社の職位は課長から部長になり、89年には理事に昇格している。
 ずっとカワサキの二輪事業を担当しているのだが、
 その前半はカワサキの単車事業が大変な時期だったが、
 その再建対策のど真ん中にいたのである。
 家庭では息子・娘が高校から大学そして就職・結婚と一番経済的には大変な時期だった。
 我が家は全くの専業主婦で収入は私の給料だけだったので、ホントに大変だったのである。
 89年に理事に昇格して退職金を頂いて一息ついたのは、この時期以降のことなのである。
 この時期になると家の土地・建物の借金もなくなって、
 『金が要らなくなったら、金が入ってきた』のである。
 家のこと、こどものことは全て家内に任せきりで、私自身は会社の仕事に掛かりきりの時代だった。
★つい先日、『私と田崎さんの人事を決めた方たち』というブログをアップしているが、
私と田崎さんコンビ』を中心に『カワサキの単車事業が回っていた』時代でもあったと言っていい。
 先日のブログでこのようにその、経緯を書いている。
話のスタートは1978年にアメリカでハーレーが起こした『ダンピング訴訟』で、これは日本の4メーカーに対するものだったのだが、
この『ダンピング対』を担当したのが課長時代の田崎さんなのである。
別にアメリカ市場で安売りなどはしていないのだが、アメリカ市場での『経費率以上のものは認めない』という規定があって、国内市場で『カワサキオートバイ販売』というカワサキだけがひとつ多い流通段階を持っていたために、
このままでは『カワサキだけ』がダンピングになってしまうという状況で、
カワサキオートバイ販売』をどうするかという具体的対策が必要だったのだが、この具体的対策が川重本社も絡んで対策案を起案したのだが、なかなか上手くいかないのである。
本社も事業部も困り果ててしまって、突然、当時の塚本本部長に呼ばれて『私に対策案を作れ』という指示があったのである。
私自身はそれ以前にカワサキオートバイ販売に10年間出向していて、その実態はよく解っていたのだが、当時の『カワ販のトップ人』にも関わる問題なので、『古谷にやらすのは気の毒だ』と気を遣って頂いていたのだが、どうしようもなくなって、事業本部長からの直接の指示となったのである。
そんなことから、約1ヶ月掛って小さくした『新カワ販案』を創り、本社の財務本部の了解もとれたのである。当時の本社財務本部長は堀川運平さんで、私が単車企画に復職した時の企画室長でもあったことから、『古谷君が1ヶ月も掛かって創った案ならそれに乗りましょう』とOKして頂いたのである。
この案は『カワ販本社』を10名くらいの小さなものとして、形では残したのだが、この最終案を当時の髙橋鐵郎部長が当時の財務担当役員の大西常務に説明に行ったのだが、大西さんから『このカワ販は実際は誰がやるのか?』という質問があって、高橋さんが『古谷が川重の営業から旗を振ります』と答えたら、『それを常務にせよ』という指示があって、私は突如、当時の大カワ販グループの常務となったのである。
 さらっとこのように書いているが、このダンピング問題は、事業本部にとっても大問題で、アメリカのKMCが中心で事業が回っていた時期なので、この問題の対応そのものが、単車事業の緊急課題であり、その解決対策は国内の販売会社『カワサキオートバイ販売の構造改革』という大問題の対策だったのである。
カワ販』という会社はかっては川崎航空機の専務や常務の方が社長を兼務されていた本社機構も大きいい重たい会社だったのである。
 そんな会社の社長以下重役陣をすべてなくすという思い切った策を講じない限り、『ダンピング対応』に効果的な経費率削減は不可能で、
私が立案した『新カワ販案』はそんなドラスチックなものだったのである。
 かっての川崎航空機の役員、当時の理事・部長といった先輩方をみんな除いて、当時まだ『課長であった私』が常務として旗を振るというものだったのである。
ただ、社長は塚本本部長・副社長には髙橋鐵郎部長と会社の形だけは外から見てもおかしくないようになっていたのである。
★グループ全体は400名以上もいたので、結構な世帯なのだが、
 グループ全体で10億円近い累損もあり大変な会社だったのだが、
 私自身は『運がよかった』と思っている。
 『カワ販』を担当したその年に『Z400FX』が世に出たのである。
 
 
 これが空前のヒット作となり、何の対策もしなくてもバックオーダーが2年も続いて、勿論経営は黒字だし、かっての累損も消去出来てしまうのである。
 この時期は私は殆ど何もやっていない。
 やっていたのは私を常務に指名して頂いた、当時の川重財務担当の大西常務毎月経営状況の報告を行うのが主たる業務だったのである。
 ところがどんどん経営内容がよくなるものだから、
 大西さんは2年目に『こうなることなることははじめから解っていたのか?』と仰るのだが、
そんなことが解っていたなど全くなくて、私が改革案を作った時には、
Z400FX』が世に出ることすら知らなかったのである。
★上の年表に、『兵庫選抜』などとあるが、この時期息子は未だ高校生だが、
 サッカーの兵庫選抜に選ばれたりしているのである。
 小学4年生ぐらいから始めたサッカーだが、中学時代も三木選抜で兵庫県で優勝したりして、サッカーに熱中していたので、私もずっと応援に行ったりしていたのである。
 『禁煙』などとも書いているが、これは髙橋鐵郎さんが禁煙を始められて、
 『今どき煙草を吸う奴は・・・』などと仰るものだから、
 ある日決心して『禁煙』することにしたのである。
 その日以来、1本の煙草も吸っていない。
  そういう意味では、髙橋さんに感謝である。
 81年には『ゴルフ・ハンデイ 18~13』 と書かれているが、
 ゴルフを熱心にやってた時期だと思う。
 ホームコースが『播磨カントリー』でコースレートが難しいので、
 ハンデイ20からスタートしたのだが、18の時に5アンダーが出たのだと思う、そのままハンデイが『上がる』のである。
 ここに記録はないが、その後『3アンダー』が出て『ハンディ10』になるのだが、それで月例に出るのは止めてしまったのである。
 『なぜシングルを狙わないのか?』と仰るのだが、
 8ぐらいまではなるかも知れぬが、『片手シングル』はムツカシイだろうから『これで充分』と思ったのである。
ゴルフに限らず、私の性格は『専門家』のレベルは狙わないことにしている。
それは苦しいだけで、『専門家の中の一流レベル』にはなれないだろうから、
『何事もそこそこでいい』と思ってしまうのである。
 そういう意味では『ハンデイ10の人生』だと思っている。
★ 80年に『髙橋・田崎KMCへ
  81年に『発本赤字100億』と書いているが、
  これ以降は、次回にアップすることにする。
2021年1月17日

次の総理は? その他コロナ問題、いろいろ  雑感

投稿者 : rfuruya
★こんなニュースが載っていた。
 このところ菅総理の支持率が急落のようである。
 その理由の第一は『コロナ対策』が疑問視されているようだ。
 その支持率はホントに急落なのである。
 
 次の首相に相応しいのはと、こんな結果も出ていた。
 河野太郎が1位で、なるほどとも思うが、
 1年以内には間違いなく総選挙もあり、次の総理も決まるのだが、
 果たして、どうなるのかな。
次の衆院選後の首相にふさわしいのは
①河野太郎行政改革担当相 85人(12%)2
②石破茂自民党元幹事長  73人(10%)3
③菅義偉首相       59人(8%)1
④安倍晋三前首相     25人(4%)5
④小泉進次郎環境相    25人(4%)6
⑥枝野幸男立憲民主党代表 18人(3%)4
⑦小池百合子東京都知事  16人(2%)15
⑦橋下徹元大阪府知事   16人(2%)8
⑨岸田文雄自民党前政調会長12人(2%)10
⑩吉村洋文大阪府知事   11人(2%)12
★それはそうと、コロナで日本の医療崩壊がいわれているが、
 いろんな記事のネット検索の結果である。
 病院数もベッド数も世界一だが、日本の基本的な仕組み、制度に問題があるらしい。単なる記事の羅列だが、その中から読み取って欲しい。
●日本は人口あたりの病床数は世界一多い国、感染者数はアメリカの100分の1くらいなのに、医療が逼迫して、緊急事態を迎えているという状況について、
政治が制度を変えれば、対応出来るのではないか。
●現在の医療法では病床の転換は病院にお願いするしかないが、医療法を改正することは政府のアジェンダに入っていないのではないか。
●日本の病院数は約8000とG7諸国のなかで最も多く、日本の1病床当たり医師数は、米国の5分の1であり、独仏の3分の1である。看護師も同じ傾向にある。日本では大病院の勤務医が恒常的に不足しているという問題がある。
●手立てはある。コロナ感染を恐れて患者が来なくなり、余裕が生じている中小病院や診療所のスタッフを感染症指定病院に行って応援してもらう仕組みをつくることである。そうなれば人手不足がネックとなって増大できない病床数を大幅に拡大できることになる。
●病床数が世界一であるにもかかわらず、日本では空き病床が少ないのは、現在の病院経営は「病床が埋まってナンボ」であり、いかに空き病床を少なく管理するかが医業収益の決め手となっているからである。
●コロナ患者受け入れ、民間病院は2割
民間で受け入れが進まない理由について、「コロナの患者さんを診るのは通常の何倍も手が掛かる上、他の手術や診療もできなくなり赤字になる。院内感染のリスクも抱える」
受け入れた病院は「数十億円の赤字」
しかし、コロナ患者を受け入れ、経営が厳しくなるのは公的病院も同じ。「特定の病院に負荷が掛からないよう、どこがどのぐらい受け入れているか見える化することも一案だ」
●「行政がしっかり方針を示す必要がある。今の仕組みだと(コロナ対応を)強制できないけど、中長期的にはそうした議論も必要になる」と主張する。
★以上はいろんな記事の羅列だが、何となく解ったような気がした。
 この仕組み、制度の問題の改革が必要だと思うが、
 菅総理は、その点を聞かれて、このように答えたようである。
 何となく、物足りない。
◆制度の問題を問われ、首相「国によって考え方違う」
日本が世界有数の病床数を確保しながら、新型コロナ感染拡大に対応できていない現状について、菅義偉首相は13日の記者会見で、日本の制度や体制に問題があると考えるかを問われ「感染拡大が続く中、まずは必要な医療の提供を受けられるよう病床を確保していくことが極めて重要だ」と話すにとどめた。
★上にあった総理候補のなかで、こんな質問に明確に答える人は、
 河野太郎・橋下徹・吉村洋文 ぐらいではなかろうか?
 そんな総理が出てくることを期待したい。

想い出の池

投稿者 : rfuruya
★ 昨日に続いて協同学苑の周りを一周するコースを走ってきた。
 前回は左周りで後半のコースが上りが続いたので、非常にきつかったので、
 右回りにすると、多分もう少し楽なはずだと思ったのと、
 もう一つの理由はずっと昔、『鮒釣り』をした池をもう一度よく確かめたかったのである。
 右周りにすると、こんな長い下りから始まる。
 昨日は最後にこの長い上りが厳しかった。
  
 坂の途中の『里山公園』を覗いてみた。
  
 冬なので、桜などみんな葉を落としているが、
 肥料など手入れは行き届いている。
 公園の中だけではなくて、道の周りの自生している松の木も綺麗に剪定してある。
 道に沿って、桜並木も作られている。
 これを殆ど独りでやっておられるのはスゴイ。
★ 気になっていた池の一つである。
 道沿いにあるので、今は金網が張られてしまっている。
 危ないということなのだろうが、
 何となく自然が遠くなるようでその対策はもう一つだと思う。
 昨日は通らなかったもう一つの池、
 この池のことが気になっていたのである。
 よく釣りに来て、よく釣れた池である。
 この池は集落のすぐ横にあって、
 昔のままで残っていて、ホッとした。
  ちょっと解り難いが、向うの岸辺にいるのは水鳥である。
 餌になる魚など、今でもいるのだと思う。
  
  昨日も気になったのだが、
 畑の中に玉ねぎが沢山放置されていた。
 『このままにしておくのかな』と戦後の食糧難の時代に育った私は気になるのである。
  幾つか『頂こうか』とも思ったが、
 『ドロボー』と言われそうで、それも出来なかったが
 このまま腐らすのは『勿体ないな』というのが実感である。
 
 最後に急な上り坂を上って、
 
 車を置いてた『協同学苑』に戻ってきた。
 距離は一緒のはずだが、
 かかった時間は1時間10分、
 最初の下り坂が長かったので、昨日よりは10分ほど短い時間だった。
★こんな街中を走ってみて、
 公園の中を走るのに比べて、歩道のない道は車が気になる。
 やはり、公園の中がいいなと思った。
 釣りをしてた池、昔と同じように残っていてほっとした。
2021年1月16日

協同学苑の周りを一周してき

投稿者 : rfuruya
★ いま私が住んでいる『三木市緑が丘』は廣野ゴルフ倶楽部の直ぐ横で、
 こんな広大な住宅街が広がっている。
 周辺のゴルフ場と、その大きさを比べて頂くと『その広さ』がお解りだろう。
今から50年前、1970年に開拓が始まって、1973年1月に三木にやってきた。
いま住宅になっているところは広大な丘陵地帯というか山だったのである。
 
 いつもはこの地図の右上にある『三木総合防災公園』や左上の『三木山森林公園』でスロージョッギングするのだが、
 昨日は、家から近くの『協同学苑』に車を止めてその周りをひと廻りしてきた。
 このコースはよく関西国際大学の野球部の選手たちが、走っているコースだが、ひと廻りしたのは、『初めてのこと』である。
 登り下りがあって、結構きつかった。
 約6km、1時間15分ぐらい掛かった。
   
  動画と写真を撮ってきたので、ご紹介してみよう。
  まずは動画、1分ほどに纏めている。
★   その感想は、こんなに長いとは実は思っていなかった。
学生たちが練習前に走ったりしてるものだから、もう少し短いと思っていた。
 こんな坂道を下ると『志染の里』が広がって、一度に風景が変わる。
  
 こんな農道が続いている。
 もう30年も前のことだが、この池にも鮒釣によく来たものである。
  
 当時はこの広い道も未だ出来てはいなかった。
  
  こんな田舎道を通ってやってきた。
 
  この道は今は車の往来も多いのだが、
   かって、緑が丘が開拓されるまでは、山の麓で終わっていたからだろう。
 『私のナビ』には載っていない。
   
もう少し上ると、昔のままの道になるので、こんなに細くなる
 
 それが突然、こんな立派な道になる。
 この道もあとから出来た道で、上った先が緑が丘なのである。
 
★ ざっとこんな一周だったのだが、
 最後の上り道の途中に、こんな公園がある。
 『里山公園』と名付けられているが、
  三木市からある個人の方が借りられて、
  コツコツと公園のように仕上げておられるのである。
  
  私は面識もあって存じ上げているのだが、
  昨日は声も掛けなかった。
  何か苗木を植えておられたようである。
  昨日はそんな午前中だった。
2021年1月15日

私と田崎さんの人事を決めた方たち

投稿者 : rfuruya
★、昨日・一昨日と2日続けて、田崎雅元さんから電話があった。
 電話と言ってもちょっと普通ではなくて、
 2日間で『延べ5時間』ぐらい電話で喋っていた。
 ホントか?と思われるだろうが、ホントである。
 田崎雅元さんは川崎重工業の社長・会長を歴任しているのだが、
 私との電話は、ずっと昔のお互い若かった20歳代の頃と同じように、
 今でも喋っているのである。
 田崎さんは入社は私より1年あと、年は2つ下なのだが、
 初めて会った1962年以来、カワサキの単車事業でずっと密接な関係があったので、
 電話の中身は脱線することなく今でも、『カワサキの二輪事業』のこといろいろなのである。
★ 私は現役時代、カメラは持たなかったので写真はないが、事業の記録はきっちりと持っている。
 田崎さんは写真もいっぱい持っていて、いろんな写真を私に送ってくれるのである。
 昨日もこんな写真を送ってくれた。
 1990年代半ばの国内販社のデーラーミーテングだが、
 岩城滉一が来てたのでその記念撮影なのである。
 大庭浩さんは既に川重社長だったが、田崎さんも社長、髙橋鐵郎さんも
 後、副社長になられるので、所謂『エライさん』ばかりなのである。
   
 大庭さんも初めてお会いして密接な関係があったのは、
 二輪事業本部長時代の常務の時だし、
 高橋さんとも創生期のレース時代からだから、係長時代からのお付き合いなのである。
 私と田崎さんが密接な繋がりがあったからだと思うが、
 田崎さんが送ってくれる写真は、私にとっても懐かしい人ばかりである。
 岩城滉一さんも90年代に7年間ほど、カワサキとは密接に繋がっていた。
 田崎さんとは、そんな『共通の想い出』があるので、
 5時間も途切れることなく電話が続いたりするのである。
★ 田崎さんと一緒に写っているのは
 川崎重工業副社長 山田熙明さんである。
 山田さんは単車の技術部におられて、
 部長時代にレース運営委員会の委員長をされてて、
 委員には田崎さんもいたし、私が事務局長だったので、
 副社長になられてからも、KMCにはよく来られていた。
 私は神戸一中の後輩だということで特に目を掛けて頂いたのである。
 
 これらはみんな田崎さんが私に送ってくれたものだが、
 よく考えてみると
 この写真に登場する方たちが、『私と田崎さんの課長以降の人事』に
 関係した方たちであることは間違いないのである。
 それはカワサキの二輪事業の歩みと密接に関係があって
 『私と田崎さん』は課長時代からその中枢にいたのである。
★ 話のスタートは1978年にアメリカでハーレーが起こした『ダンピング訴訟』で、
これは日本の4メーカーに対するものだったのだが、
この『ダンピング対』を担当したのが課長時代の田崎さんなのである。
 別にアメリカ市場で安売りなどはしていないのだが、
アメリカ市場での『経費率以上のものは認めない』という規定があって、
国内市場で『カワサキオートバイ販売』というカワサキだけがひとつ多い流通段階を持っていたために、
このままでは『カワサキだけ』がダンピングになってしまうという状況で、
カワサキオートバイ販売』をどうするかという具体的対策が必要だったのだが、
この具体的対策が川重本社も絡んで対策案を起案したのだが、なかなか上手くいかないのである。
 本社も事業部も困り果ててしまって、
突然、当時の塚本本部長に呼ばれて『私に対策案を作れ』という指示があったのである。
私自身はそれ以前にカワサキオートバイ販売に10年間出向していて、
その実態はよく解っていたのだが、当時の『カワ販のトップ人』にも関わる問題なので、
古谷にやらすのは気の毒だ』と気を遣って頂いていたのだが、
どうしようもなくなって、事業本部長からの直接の指示となったのである。
 そんなことから、約1ヶ月掛って小さくした『新カワ販案』を創り、
 本社の財務本部の了解もとれたのである。
 当時の本社財務本部長は堀川運平さんで、私が単車企画に復職した時の企画室長でもあったことから、
古谷君が1ヶ月も掛かって創った案ならそれに乗りましょう』とOKして頂いたのである。
この案は『カワ販本社』を10名くらいの小さなものとして、形では残したのだが、
この最終案を当時の髙橋鐵郎部長が当時の財務担当役員の大西常務に説明に行ったのだが、
 大西さんから『このカワ販は実際は誰がやるのか?』という質問があって、
 高橋さんが『古谷が川重の営業から旗を振ります』と答えたら、
 『それを常務にせよ』という指示があって、私は突如、当時の大カワ販グループの常務となったのである。
★この問題が解決した後も、HY戦争がアメリカ市場に飛び火したりしたこともあって、KMCの経営危機となるのだが、
その赤字が巨大で川崎重工本体も無配に陥ってしまうのである。
その対策には川重本社も乗り出して大変なことになっていくのだが、
そのアメリカ市場対策に私や田崎さんの名前が出たりするのだが、
私は『カワ販常務』となっていたので、髙橋・田崎コンビでKMCを担当することになったのである。
本社は何百億円の資金手当てをするのだが、KMCの赤字は止まらないのである。
 当時のKMC対策委員長を専務の山田熙明さんがやられていたのだが、
1982年7月1日に山田さんから突然呼び出しがあって、
KMCの赤字は止まると思うか』と仰るので、『それは止まるでしょ』と
お応えしたら、
お前が企画に戻ってやれ』ということになり、82年10月から企画部長に戻ることになるのである。
当時の川重には販売会社の第1線の経験のある人がいなくて、具体的な対策が立てられなかったのである。
 カワ販常務の人事も、この時の人事も事業部の上司ではなくて、本社の専務の指示で動いているのである。
 さらにはこの人事にはおまけがついて、私が企画部長は引き受けるが企画室長に『髙橋鐵郎さんを』と条件を付けて、
問題もあったのだが高橋さんはKMCの会長から企画室長に戻られることになったのである。
その時に、山田さん曰く『KMCを田崎ができると思うか?』と仰るので、
田崎さんとは1年違いだけなので、田崎さんがKMCをできないなら、私が企画などは出来ません。』と言ってこの人事は成立したのである。
私が企画室長に髙橋鐵郎さんをお願いしたのは、
具体的な実行案は作れるが、それを全軍に指揮するのは『新参部長』では荷が重くて
髙橋鐵郎さんの旗振りが必要だったのである。
その翌年の83年7月には大庭浩常務が再建屋として単車事業本部長に赴任されるのだが、
その時点では既に全世界の販社の健全経営の目途はついていたのである。
大庭さんは、ズケズケ本音でモノを言う単車事業を本当に気に入って頂いて、
来られて3か月後の10月には『単車は思ったより確りしている』と言われている。
 そしてあれだけ問題だった単車事業の再建が成って、
 1986年には川重副社長で本社に戻られたのである。
 このカワサキの単車の危機は、すべてが第1線の販売会社の経営問題だったので、
 その対策については大庭さんは殆ど私に任せて頂いたのである。
 現役当時『私の言うことを一番聞いて頂けた上司は大庭さ』である。
そんなことで、大問題であったKMCも私と田崎さんコンビで結構上手くいったのである。
それは営業問題というよりも『営業外対策』としての資金繰り問題であり、
企業のバランスシート対策だったので、最初にちょっと教えたのは私だが、
技術屋さんは勉強しだすとどんどん詳しくなって、
当時、KMCの社長をした田崎雅元さんは技術屋さんなのだが、
この時期の担当で、事務屋以上にバランスシートがよくお解りなのである。
後、川崎重工業の社長を担当されるのだが、
これはあまり言う人は少ないが、川重のバランスシートの内容が、歴然と改善されたのは、田崎雅元社長時代なのである。
★ その後の私や田崎さんの人事は、間違いなく『大庭ー髙橋ライン』で決められているのだが、
 私は大庭さんが、川崎重工で初めての『事務屋の技監』にして頂いて、
 国内販売を担当し『7万台の販売目標に挑戦』することになったのである。
 こうして振り返ってみると、私も田崎さんも、
 課長以後は、川崎重工のトップの方々との関係が密接に続いたのである。
 大赤字がまだ残っている時代に、KMCの新社屋建設には反対論も多かったのだが、
 当時の大西副社長がわざわざ現地まで足を運んで応援して頂けたのは、
 それなりの『信用』があったからだと思うのである。
  
    
 大西さんは、私を『カワ販常務』に指名されたのだが、
 当時は毎月直接、大西さんに報告していたのだが、
 運よく『FX400』などが出て10億近くあった赤字が解消するなど、
 当時の『カワ販』は抜群の信頼があったのである。
 後、大庭さんが単身単車に来られる時には、
 大西副社長は、髙橋鐵郎さんと私をわざわざ呼ばれて
 『大庭くんをよろしく頼む』と仰ったのである。
 大庭さんが単車におられた3年間、髙橋鐵郎さんは本当によく尽くされたと思うのである。
★ こんな話が、田崎さんとは共通の話題としてあるので、
 昔話は切りがないし、
 今のカワサキの二輪事業も、今回は川重からの分社問題もあって、
 いろいろと気になることも多いのである。
 私は兎も角、田崎さんは今でも川重中枢とは繋がっているので、
 こんな田﨑さんとの雑談も、ひょっとすれば、ひょっとするかなと
 思ったりしているし、
 何の役にも立たないと思うなら、電話など掛けてこられないだろうし、
 雑談だが、なかなかムツカシイところもあるようにも思う。
 お互い80代になってしまって、昔のように声を掛けてくれる上司など
 おられないのである。
2021年1月14日

関西にも緊急事態宣言が出たが・・・  雑感

投稿者 : rfuruya

★1月13日に関西にも『緊急事態宣言』が発令された。
   
 私の日常生活にどんな変化があるのだろう?
 今までも、殆ど人とは会わないように努めてたし、
 人に会うのは週に何回かのジム・トレーニングだけだったが、
 それも8人以上は入れないし、安全だとは思うのだが。
 『緊急事態宣言』が出たので、ジムは止めようかと思っている。
   年金生活者にとっては『コロナへの対応』はそんなにムツカシクない筈だから、
このような行政の対策には、出来る限り協力することが必要だと思っている。
世界に比べて、日本のコロナが何とか低い水準で収まっているのは、
基本的に国民の対応が世界に比べて『いい水準』にあるのだと思う。
 これが感染者の多い主な国だが、
 アメリカを筆頭に欧米の先進国が軒並み顔を揃えている。
    
 日本やお隣の中国・韓国はこんな数値で、
 欧米諸国とは『桁が違う』のだが、なぜだろう?
 東洋人はコロナに強い体質なのだろうか?
 
 これが日本の『新規感染者数の推移』だが、
 年末・年始をピークに、多分収まっていく方向だろう。
 仮に収まらなくても、欧米諸国のようにはならないのでは・・・と思う。
 
日本の水準でも確かに問題はいろいろあるのだろうが、
若しアメリカや欧米のような水準になったら、どのように言うのだろう?
医療対策の限界が近いように言われているのだが、
アメリカや欧米はどのように対応しているのだろうか?
 日本の医療水準は欧米諸国に対して、そんなに劣っているのだろうか?
 その辺りのことが、もう一つよく解らない。
★ 『コロナ』も確かに大変だが、2月末にはワクチンも出るだろうし、
 何とか納まるのではと思っている。
 長く生きてきたが、『敗戦の』は大変だったが、
 それでも何とか『乗り切れ』のである。
 世の中の『インテリ』や『マスコミ』は『大変だ・問題だ』と言いたがるが、
 その殆どは『大したことにはならない』のが普通である。
 『大変だ・問題だ』というほうが賢そうに見えるのかも知れない。
 私自身は、『なんでも大丈夫』と、楽観的にネアカに生きてきた。
 でも、世の中の人たちは、『悲観的』に考える人が圧倒的なようである。
 夏に開催されるオリンピックは『中止』と考える人が90%に近い。
 春には『ワクチン』も出るし、何とか『開催の方向』になるのでは
 と思っているのだが、果たしてどうなるのか?
 確かに、『開催できる』と楽観的に考えると、
 何も考えていない『バカに見える』のかも知れない。
  
2021年1月13日

ドローンを飛ばす

投稿者 : rfuruya
★『ドローンを飛ばす』 勿論私のことではない。
アメリカにいる『娘婿のTad Kadono』の話で、
彼のFacebook にドローンが登場したのは昨年の11月28日のことである。
 動画で写していて、こんな景色と
 孫・門野真也のトレーニング状況が写されていた。
  その後も私も場所が特定できる、こんなところを撮影していたが、
  
 なかなか大したものだと思っていたら、
    昨日のFacebook にこんな記事が・・・
 『木の枝と衝突して墜落』したとか・・・
Drone修理中。
慣れてきた頃、調子に乗って少し込み入ったところで撮影。被写体(会社のサイン)に気をとられ木の枝と接触。約5mの高さから墜落!体が凍り付く!幸いボディの一部にダメージ。保険に入っていたので、Droneを修理センターの送り、入院中。
  保険に入ってたようなので『入院中』だとか。
 こんなところを撮っていたらしい。
 
★ ところで日本ではドローンを飛ばすには、やはり認定がいるようだが、
  3日間ほどの講習で取れるようでもある。
  こんな広告が出ていた。
  
  
 ただ、こんな規制があるようでなかなか簡単ではない。
 閑に任せて、いろいろ調べていたら。
 毎朝行ってる『三木総合防災公園』でもドローンは飛ばせるらしい。
 ただ値段は高額で、14000円~30万円 もするという。
★ アメリカでは多分もう少し簡単なのだとは思うが、
  それにしても『ドローンが飛ばせる』など娘婿は流石技術屋である。
  私など、こんなチェックは出来るが、
 『ドローンを飛ばすなど』一生かかっても出来ないと思う。
2021年1月12日

高校サッカー選手権 山梨学園優勝!   雑感

投稿者 : rfuruya

★ 新春は幕開けからスポーツの連続である。

 それも昨日の高校サッカー選手権で終わって、
 今年のお正月も終わったかなという感じである。
 それにしても青森山田山梨学院の決勝戦は壮絶だった。
 技術的には青森が上かなとも思ったのだが2-2のまま延長戦に入り、
 最後はPK戦で山梨学院の優勝となった。
     
★  最近の高校生の県代表チームは、
 野球もそうだが 当初のコンセプトであった県の代表チームというには、
 県外からの選手が多すぎてどうももう一つだなと思ってしまうのである。
 今回青森代表として出場した『青森山田』は23年間連続して、
 全国大会出場を果たしているのだが、
 青森県出身者は殆どいない県外からの選手で構成されている。
 そういう意味では『山梨学院』も青森以上に県外選手が多くて、
 県外選手の多さ、43位と45位の決勝戦だったのである。
 
 今回大会出場校で、県代表チームだと言えるのは、
 こんな大都市県と言える地域で、
 地方に行くほど県外選手の数が増える傾向にある。
  
 その解決策は?
 と言われても名案は持ち合わせてはいないのだが、
 学問をやることが本業の学校が『スポーツ専門校』になってしまっているのは、
 問題と言えば問題なのだろう。
★ このようなスポーツ有名校の部員たちも、また問題かなと思っている。
 100人以上も部員がいるとその殆どは応援団みたいな存在になってしまう。
 その点、アメリカの高校の運動部は同好会的な活動で、
 プロなどを目指す選手は、地域のスポーツクラブの上級クラブに所属している。
 そして、大学の運動部は推薦入学でサッカー部などは20数人ぐらいの規模でそれ以上は入部させないシステムになっていて、合理的だし、
 そんなサッカー部だが単位が取れないと卒業が出来ないので、
 所謂『大学』としても、日本のようにスポーツだけだと卒業できない仕組みになっている。
★ 成人式もそうだが、『日本の独特の仕組み』はいいところもあるが、
 世界の常識からみると、ちょっと変わっている。
 コロナで会社のあり方も少しは変わるようだし、
 日本独特のシステムも、世界に通用する方向に変わって行くべきかなと思ったりする。
 こんな有名校のレギュラー選手は兎も角、
 応援団のようなことで卒業する部員たちの将来はどんなことになっていくのだろう?
2021年1月11日

ファン心理?

投稿者 : rfuruya
★ 日曜日、高校女子サッカー大会の決勝戦がテレビであった。
 藤枝順心と作陽高校だったが、別にどちらとも関係はないのだが、
 何となく『藤枝順心』を応援してたから不思議である。
 結果は3-0で『藤枝順心の全国優勝2連覇』という結果になった。
 この決勝戦は神戸のスタジアムで行われたのだが、
 この大会は今年1月3日、4日から
 いつもトレーニングに行っている三木総合防災公園のサッカー場でスタートした。
たまたま動画に撮っていたのだが、この画面に藤枝順心高のこんな横幕が映っていたのである。
 
 ただ通りかかった時に、試合の前の練習が始まっていたので、
 カメラを向けただけのことなのである。
 そこが昨年の優勝校などとは全く知らなかった。
  
 ただそれだけのことなのだが、
 新聞で『藤枝順心と作陽高校』の対戦だということを見て、
 この横幕を思い出したのである。
 そのほかにもこんな場面を撮っているのだが、
 そこにも横幕がぼんやりと写っている。
 あの横幕の印象が残っていて、テレビでも応援していたのである。
★大相撲の初場所が始まった。
 特に応援する力士などは居なかったのだが、この数場所は『貴敬勝』を応援している。
 二輪で関係のある『青木隆さん』に聞いたのだが、
 お父さんがカワサキのバイクにお乗りだという。
 ただそれだけのことだが、何となく応援をしている。
           
★ 私自身は『熱烈なファン』などにはなれない性格かなと思っている。
  『阪神ファン』などのあの熱烈ぶりが不思議でならない。
  それでも何となく『タイガースは好き』といったレベルなのである。
        プロ野球選手で言えば、あの金田正一のファンだった。
  彼は昭和8年生まれで私と同年齢なのだが、
  私が高校2年生の時には既に国鉄スワローズに入団していた新人選手だった。
  昭和25年(1950)、私が高校2年生の時に、
 甲子園の『阪神ー国鉄戦の家族優待券』を当時国鉄の総監督であった
 伯父の楠見幸信に頼んだのだが、
 『甲子園の窓口で聞いてもらうと解るようにしておく』ということで
 そうしたら、
 滅茶背の高い選手が、『楠見さんからです』と券を届けてくれたのである。
   
 それがその年入団したばかりの新人選手『金田正一』さんだった。
 その時は知る由もなかったのだが、あの背の高さと風貌は
 間違いなく『金田正一さん』だったのである。
 その後は皆さん、ご承知のような活躍をつづけた『金田正一』さんだが、
 それ以来は一度もお会いしたことなどないのだが、
 ずっと応援してたのは間違いない。
★ そんな 私の経験から言うと
 『ファン心理』などはひょんなことから、始まるのだと思っている。
  ほかにも何人か、『ファンと言える方』はいるのだが、
 みんな『何かのきっかけ』みたいなものがある。
 ただ、どうしても『熱烈な・・』というレベルにならないのは、
 私自身の性格かな?と思うのだが、
 『熱烈なファン』になれる人の方が『普通なのか?そうでないのか?
 そんなことに関心がある私なのである。

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