2020 12月

2020年12月31日

2020年という年は・・・・

投稿者 : rfuruya

★ 2020年という1年も大晦日を迎えた。
     珍しく、朝はうっすらと雪が見られた。
 『2020年という年は大変な年であった』ことは間違いない。
 世界中が『コロナで始まりコロナで終わろう』としている。
 長い歴史の中でも世界中がこんなに困惑した1年はなかったのではないか?
 今年、このブログに初めてコロナが登場したのは1月31日、
 こんな武漢からの帰国者の記事である。
 
2月になって『マスク』のことを書いている。
当時はアメリカで、こんな記事が流れていた。
日本の『首相官邸HP』からもこんな報道が流れていたりした。
 
今は都会では、殆ど100%の人が付けている『マスク』だが、
私はブログでこのように、書いている。
マスクをしないと街を歩けない』中国は兎も角、
 日本で『マスクをする』 必要があるのだろうか?
 私事で恐縮だが、私は生まれて以来86年になるが
 『マスクをした記憶がない』 多分一度もマスクをつけたことがないし、
 今も付けていないし、多分これからも、付けないだろうと思う。
 なぜ? と言われても困るが、見るだけでも息苦しいし、
 兎に角『つけたくない』のである。
★世間の『コロナ禍』に比べたら、三木は静かであったと言えるし、
80台の高齢者二人の『我が家』も、特に何もなく静かであったと言っていい。
例年と違ったことと言えば『外食の機会が減った』ことぐらいかも知れない。
私自身の生活は『コロナのお陰?』で健康的に過ごせたとも言えそうだ。
3月にジムが閉鎖になったので、近くの防災公園にトレーニングに行く毎日となった。
広い広い公園だし、『マスクも不要』の環境だったし、
私自身はこの1年、スーパーの買い物に行く時以外、
マスクなし』の生活が出来たのはラッキーだった。
★ Fit bit にお世話になった1年だったが、
自分の健康状態が数値で記録され、見ることが出来る生活に初めて出会った。
   
 そしてこれが来る2021年を迎えるに当たっての目標なのである。
  
  3月には米寿、88歳になる。
  そんな米寿を迎える年に『こんな目標』を樹てることが出来たのは、
  『コロナのお陰』かも知れないと思っている。
 そんなことで、私にとっては『禍、福となった』一年だったかも知れない。
★ただ、世間一般の方たちにとっては、『コロナは大変』である。
 ワクチンが来れば収まるのだろうか?
 それがいつ頃になるのだろう?
 是非、新しい2021年は、まずはこの『コロナ禍』が収まって、
 新しい希望いっぱいの年になって欲しいものである。
2020年12月30日

7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略   その2   

投稿者 : rfuruya
★この講演会は私を入れた4人の講師で行われたのだが、
 その中で、どのように話しているのか、そのままの形でご紹介してみよう。
 その皮きりの私はこのように話をスタートさせている。
  
 ZEPHYR KAZE とARK が我々の2年間の成果だと言っているが、
ZEPHYRは発売2年経ったこの時期もバックオーダーを抱えている好調さで、
これが7万台の数値目標の中心になったのは間違いない。
  レーサーレプリカ全盛時のこの時代に、
特に大した特徴もないこのような車がベストセラーを続けたのである。
     
      このマシンにはKawasakiの表示が殆どないし
  かってのKawasaki らしくないところが一般受けしたのかも知れない。
 メーカー自体も最初はそんなに期待などしていなかったのは、
 発売時期が春先ではなくて5月末であったことを見ても明らかである。
 これが売れたのはいろいろあると思うが
 あとで出る広告宣伝などを含めて『マーケッテング』の成果だと思う。
   ★ KAZEは、私が88年10月当時のカワ販に出向して
  最初に取り上げ検討を開始したプロジェクトなのだが、
  それを具体的に展開出来たのは、
  遊びのソフト会社ケイ・スポーツ・システムなのである。
  その常務としてこの講演会でも講師を務めた南昌吾くんが、
  このように語っている。
           
  さらに続けて、KAZE活動についてはこのように述べている。
  
  ここでも述べているように、
  ホンダのHART 、ヤマハのYESSなどユーザー活動に熱心な時代で、
  カワサキは出遅れていたのだが、ユニークな対策で、
  2年後には各社を圧倒する成果を挙げている。
  それが実現した最も基本的なものは、
 これは『私自身の発想』なのだが、会員カードのJCBとの提携である。
 JCBカードにすることで『止めにくい』ので98%の自動更新率だった。
 最盛期には55000人の会員を誇ったのである。
  
  これが今月送られてきたKAZE機関誌である。
 32年の歳月を経て、今現存するのはKAZEだけなのである。
     
★そして3番目に登壇したのがスポーツ推進部の重本部長なのだが、
 この講演会は、1回の打ち合わせもなくぶっつけ本番で行われたのだが、
 『打ち合わせ』などしなくても、
 当時の基本企業戦略については徹底されていたので、
 各自に話させても『何の問題も生じない』という自信があったのだが、
 全体の活動は互いに協調し合う雰囲気は既に出来上がっていたのである。
 重本部長はこのように話をスタートさせている。
 
 ★一般の二輪ユーザーたちが走れるサーキットSPA直入を造ったのは、
 カワサキが初めてだったが、
 そのオープンセレモニーには4000人のユーザーが訪れて、
 『4000台のマシン』がコースを走ったのである。
 当時は本格的なレーサー以外はサーキットは走れなかったので、
 この試みは画期的なものだったのである。
ここで纏めているように『話題の提供』をレース活動の総括としている。
 レース活動については当時の販社でも、
 サーキット場に於ける『イメージ向上』に力を入れていた。
 これは鈴鹿サーキットでの活動の一端だが、
 この時代に『風太』というぬいぐるみのキャラクターを登場させている。
  
        
  『ひこにゃん』(2006)『くまもん』(2011)の登場が、
 こんな年なので1990年にはこれは珍しかったのである。
 NHKが実況放送で20分以上も追いかけてくれたのも、
 ホントにカワサキの先進性の成果だろう。
 ★このようにこの当時の『カワサキオートバイ販売』の活動は、
 単に『7万台の販売目標』を達成しただけではなく
 その基本的なテーマはより高次元な
 『新しいカワサキの創造』を目指しているのである。
  
 1970年代にアメリカの販社KMCでスタートした
 Kawasaki. Let the Good Times roll!  
 という基本コンセプトの復活を実現したのもこの時の国内市場なのである。
 それから30年経った現在にも
 受け継がれていることを嬉しく、且つ誇りに思うのである。
★『その3』で小林広告宣伝課長と私の話で終わるのだが、
 2日間半にも亘たり、冊子に纏めたら70ページにもなった講演会の
 ほんの一部分なのだが、
 何となく『好評だな』とは話していても感じられたのである。
 話というのは、聞く人と話す人の合意の上に成り立つものだから、
 『その場の雰囲気』が一番大事だと思っている。
 話の骨子なら兎も角、話の内容を記述して『読み上げる話』は、
 『雰囲気を無視』したものだから、どうももう一つだと思うのである。
 この時の講演会は『なかなかいい雰囲気』で進んでいったのである。
 ぶっつけ本番でスタートしたので、
 若し問題があったなら、最後に私が幾らかの修正をと思っていたが、
 そんな心配は無用の『いい雰囲気』で進行したのである。
2020年12月29日

我が家のガレージ   雑感

投稿者 : rfuruya

★ 年末である。
いつもはあまり掃除などしたこともない『我が家のガレージ』を洗ってみた。
 我が家で自慢できるものがあるとしたら、このガレージかも知れない。
 多分、日本で我が家にしかない、ガレージの下が池になっている。
 
 池の下を『T字型の池にする』アイデイァは私の発想なのである。
 子どもの時から魚が好きで、家を建てたらまず池が欲しかった。
 大きな池を造る金もなかったので、ガレージの下を池にしたのである。
 我が家の庭は、戦前から明石の本家に出入りしていた
 昔気質の庭師の藤本さんが長年かかって独りでコツコツと、
 ホントに『ある時払いの催促なし』という感じで、
 藤本さんが勝手に好きなように造ってくれた庭なのである。
 藤本さんは『私は造園屋ではない』が口癖で、
 最初はお金がなくて単なるセメント造りのガレージを長年かかって
 このように仕上げてくれたのである。
 T字型の池があるガレージは『私の自慢』だが、
 それ以外は『庭師藤本さんの自慢』の受け売りなのである。
 ガレージの周囲に張っている石は『小豆島の石』だというのが自慢である。
 小豆島は石の産地、大阪城の石垣に使われたというのである。
 確かにこんな記述もあって、小豆島は石の産地として有名なようである。
 
 そのほかの石も、私は忘れてしまったが『いい石』だというのである。
 周囲に張っている『青い石』の名前は忘れてしまったが、
 その上に横に張っている石は『大谷石』で
 欠点は『持ちが悪い』などと言ってたが確かになくなっている所もある。
 
 『大谷石』を調べてみたら、こんな記述に出会ったので、
 確かに『いい石』なのだろう。
大谷石(おおやいし)と読みます。古くから様々な用途で使用されてきた大谷石は、石塀や蔵、住宅の内外装に使われている建材としての石、巨大な地下神殿や、帝国ホテルや教会で使用されている石、特別史跡、重要文化財、名勝に指定された石、工芸品やインテリアとしての石。
 さらに下の貼り方をいろいろな種類に仕分けているのは、
 別に私が頼んだわけではなくて、
 藤本さんんに『任せきり』だったのだが、
 この下の部分だけは、『藤本さんの展示場』のようなもので、
 よくお客を連れてきて『石の貼り方を説明していたのである。
 そういう意味では、藤本さんの凝り様が入っていて、
 その最たるものは水の入口で、
 滝のように流れ落ちるようになっているのである。
      
 今はこの池に20匹ほどの金魚と数えきれないほどのメダカとエビ、
 それに田螺などがいる。
 ホントに久しぶりに水で洗ったら、
 綺麗になったので、写真など撮る気になったのである。
 もうすぐ新年、綺麗にして年の瀬を越したいと思ったので・・・・
2020年12月28日

今年のジム最後の日

投稿者 : rfuruya
★ 今年も押し迫った歳末である。
 ジムも昨日が最後だった。
 ジムは三木山総合公園と三木山森林公園という二つの公園が隣接している
 こんな立地の中にある。
 50年前、私が三木に来たころは、まさに『三木山』で、
 山以外に何もなかったのに、
 今はいろいろ開発されて、公園も出来たし、新興住宅も出来ている。
 
 ごく最近新しい目標でこんな目標を立てたので、
 1万歩、7キロ、アクテイブタイム1時間をクリアしようと思ったので、
 昨日はジムでのトレーニングの後、周辺をぐるっとひと廻り
 スロージョッギングしてきた。
   その結果がコレである。
   ちゃんとクリアできている。
   昼、この消費カロリーなら、2000カロリーは間違いない。
   
  青い線の通りに一周したのだが、
  これで7キロ以上あるのでこの辺りは結構広い。
  こんな住宅街の中を通って、
  
 住宅街の中にもこんな広い公園がある。
 ちょっと道をそれると、こんな昔の三木山の名残の道がある。
 
 この辺りが、三木で一番の高所で、海抜150メートルぐらいなのである。
 向うの山の頂上にある白い建物は、三木のゴミ焼却場だが、
 そこよりは多分高いだろう。
 そこから先は小野市である。
  正面の山が多分三木山の頂上だと思う。
 そこから同じ方角の写真だが、
 かっての三木の街はその下、美嚢川沿いに広がっていた。
 
  本当に、今年も残り少なくなった。
 やはり、ちょっと疲れたのか、1時間ほど昼寝をした。
2020年12月27日

年末の庭仕事

投稿者 : rfuruya

★年の瀬である。

 毎年のことだがこの時期『蔓バラの整枝』の時期である。
 昨日は日差しが暖かかったので、やり始めたが
 半日以上かかって前庭の蔓バラは何とか出来たが、
 あと4本残っている。
 お解り難いかも知れぬがこんな伸び放題の枝の葉を取って、
 枝をヨコに引っ張って固定すればいいだけのことなのだが、
 朝のスロージョッギングよりキツイ感じで、
 『ふうふう』言いながらやっと半分仕上がった。
 
 こんな感じに枝をヨコに寝かすと、その上一面に花が咲く。
 表の方は何本かの蔓バラが枝を伸ばしているのだが、
 こんな感じだったのが
  
 このように整枝した、
 この中に4本の蔓バラの枝が入り込んでいるので、
 この面に4種類の薔薇が咲くことになっている。
 
 まだ、こんな風に残っているのもあるので、もう1日ぐらいは掛かるだろう。
 年末で家の中などの整理もしないいけないのだが、
 それは殆ど手を付けずに外まうぇありばかりやっている。
  もう正月だなと思うのは
  千両も万両も赤い実を付けている。
  
 この赤い実を見ると
 毎年、『冬が来たな』と思うのである。
 今年もホントに残り少なくなった。
2020年12月26日

7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略   その1   

投稿者 : rfuruya

★ 平成3年(1991)4月に川崎重工業・CP事業本部が制作した
7万台への挑戦・新しいカワサキのイメージ戦略』と題した冊子は、
私以下当時の国内販社の3人の担当者の社内での講演内容を記録したものである。
   
 相当数創られて当時の川崎重工の社長以下役員全員にも配られ、
 英文にも翻訳されて海外販社にも配布されたりしたのである。
★ 1988年10月に、私は当時の髙橋鐵郎本部長から国内市場での『7万台の販売目標』を与えられ、
当時のカワサキオートバイ販売に専務として出向することとなったのである。
 台数的にはとてつもない目標だったのだが、
 3年目の4月には『ほぼ目標の達成』が見込まれるという状況になって、
 事業本部の課長以上の幹部に対し講演会という形で、
 その対策内容の発表を求められたのである。
 この3年間は私の現役生活の中で『最も頑張った時期』であったのは間違いないのだが、
そこに盛られた政策は、全く『差別化された』私特有のもので、
それらを実行してくれたのはグループの部下たちだが、
基本的な発想は企画・営業部門・末端市場を経験した私自身のソフトの集大成と言えるもので、全く私独自の発想なのである。
 冒頭に書かれた紹介文である。
 今回の『自分史』はこの冊子の紹介を中心に展開したいので、
 極力冊子の中の文章をご紹介したいので、それをお読み頂きたいのである。
       
 これは私自身の『マーケッテングの哲学』でもあり
 その殆どの部分は、末端市場対応する『ソフト戦略』で、
 副題にもあるように『新しいカワサキのイメージ戦略』という
 『新しいカワサキのブランド創造』なのである。
★ この会の冒頭髙橋鐵郎本部長がこれもぶっつけ本番でご挨拶をされているのだが、私も高橋さんとは永年コンビを組んできたが、
どんな大きな会合でも、話す内容を書面にしたりしたことはない。
常にその場で、『自分の言葉』で話すのが常だったのである。
この会合でも、突然のこれは私のお願いだったと思うのだが、
このようなご挨拶をされたのである。
お読み頂けば解ると思うが、流石に上手く話されている。
 
★この冊子の中で、私以下が語っていることは、
 私自身の『自分史』そのものでもあるとも思うので、
 数回に亘って、この冊子の内容のご紹介をしてみたい。
 私に与えられた『7万台の目標』は、
 普通一般の販売努力ではとても達成できないようなそんな数値なのである。
    目標を与えられた時点では、二輪車が約4万台、JSが3000台の実力なのだが、
 それを合計7万台を目標に、3年目でもう一息のところまで来ていて、
 この年の6月に『目標7万台』を達成しているのである。
       
★ 戦略立案の基礎は『正確な現状認識』がなければならない。
 まず博報堂に依頼して『カワサキの現状のイメージ調査』を行った。
 イメージとは『他人の評価』なのだが、
 いろんな活動や、情報発信を積極的にやらない限り、
 『イメージは創造されない』のである。
 これがスタート時点の88年10月の二輪業界各社のイメージである。
  
 ホンダ・ヤマハに比べて、カワサキのイメージ総量が小さいのが、
 まず、問題なのである。
 事業の健全経営を目標にするのならそれも許されるのだが、
 『7万台の目標達成』という業容の拡大を図るためには、
 『カワサキのイメージ総量の増大』が必須の課題だと思って
 その対策からスタートするのである。
★ こんな『市場調査』は結構金は掛かるので、
 まず、普通の人はこんなアプローチはしないのだが、
 こんなところからスタートするのが、私流なのである。
 そんなことで1988年10月に就任しての最初の1年間は、
 こんな『カワサキのイメージの総量拡大策』に集中している。
 ● 88年10月 ファクトリOB会 レース活動の復活宣言
        博報堂のイメージ調査
 ● 88年11月 グループの対策基本方針 本部長了承
 ● 88年12月 新KAZE基本方針 会員カードJCBと基本契約
 ● 89年1月  カワサキジェットスキー販売の社長に就任
 ● 89年2月  新ソフト会社KSS設立を川重経営会議で承認
 ● 89年3月  鈴鹿2&4宗和3位、大分県サーキットSPA直入着工
 ● 89年4月  遊び会社ケイスポーツシステムスタート
        ルマン24時間多田・宗和・塚本 3位入賞
 ● 89年5月 ゼファー発売、
 ● 89年6月 全国各販売会社訪問開始
 ● 89年7月 鈴鹿6時間耐久、鶴田・北川優勝藤坂2位
       鈴鹿4時間耐久、髙橋優勝(BEET)
 ● 89年8月 国内カワ販の活動内容を大庭社長以下全役員に発表
       ゼファー好調で雑誌記事など多数、
 ● 89年9月 地方販社の構造計画、西日本からスタート
       ジェットスキー関連業界、ヤマハさんとの対応
 ● 89年10月 ジェットスキー販売店のアメリカ市場見学旅行
 ● 89年11月 阪神ライデイングスクール有馬社長と自動車学校話スタート
 ● 89年12月 新宿ヒルトンで 販売店ARK構想説明
        岡山ショールーム構想スタート
 30年経った今でもFacebook などでお付き合いのあるライダーたちの
 名前が出てきたりする。
 この1年ざっとこんなことだった。
 販売も好調であったし、川重社長から説明会を求められるなど、
 社内でも話題を集めたし、これくらい積極的に動くと、
 『カワサキのイメージ』も1年でこのように変わったのである
 
 積極的に活動し広報した成果で『イメージ総量の増大』が実現した。
 『レースに弱く』『広告のセンスがなく』『常にチャレンジしな』カワサキが様変わりして、そこそこの実績を残したし、
玄人受け』などの従来からのいいイメージもさらに大きくなったのである。
★ 一番大きかったのは4月スタートした『遊びの新ソフト会社KSS』である。
遊び半分ではいい遊びは出来ない』とホントに真剣に取り組んだのである。
この新会社KSSは、1990年代のカワサキの大躍進の中核的存在となったのである。
 こんなソフト会社は川﨑重工業の中でも初めてのことなのだが、
 この新会社の社長は私が兼務して、ここでは陣頭指揮を採ったので、
 KAZE活動を中心に、レース活動SPA直入運営などの新事業を、
 1年目で軌道に乗せることが出来たのである。
★その後も、『ソフト分野の活動並びに仕組みの創造』を中心の活動とし、
遊んでいても自然に売れる仕組みの構築』を目指したので、
この川崎重工の人たちへの講演会の講師のメンバーも、
と、
ケイスポーツシステムの南常務
スポーツ推進部の重本部長
広告宣伝の小林課長の4人で、
事前打ち合わせなど全くなく『ぶっつけ本番』でやったのである。
★ 次回から何回かに分けてこの講演会での話した内容をご紹介してみたい。
 それがこの時代の私の『自分史』に代わるものだと思っているし、
 87歳になった現在も、その延長線上を走っていると言っていい。
    因みに、この小林広告宣伝課長は、
 Facebookで今も、毎日親しくお付き合いのある『Shigeru Kobayashi』くんである。
  
  彼がどんなことを喋ってるかも、ご紹介するので
  楽しみに、ご期待ください。
2020年12月25日

そうか、そんな生き方もあったのか!   4

投稿者 : rfuruya
★ 『そうか、そんな生き方もあったのか!
 このプロジェクトの寄稿も4回目になったが、
 その目的は『仲俊二郎著のこの題名の本』を幾らかでも買って読んでもらおうということだった。
 特にいつまでに何冊というような期限や目標がある訳でもないのだが、
 Facebook に立ち上げた『仲俊二郎読書友の会』の中では
 こんな投稿もあって、何冊かは買って読まれようとしているし、
 それに対して、著者の仲俊二郎さんから直接のこんなコメントが寄せられて
いる。
  仲俊二郎
  有難うございます。
  お好きな人物から読んでいただいて構いません。
  文字サイズが小さく、恐縮です。
 
★ 読書家であるに違いない『向笠暁彦』さんは次々に
 『仲俊二郎さんの本』をお読みのようで、
 それをこのように紹介されている。
 
 それに対して、著者の仲俊二郎さんが
 このようなコメントを寄せられているのである。
仲俊二郎
明治維新は坂本龍馬と福井藩由利公正がいなければ成立していなかったと言っても過言ではありません。
西郷隆盛ら官軍の武力が幕府軍を討伐できたのも、由利が太政官札発行などにより東征の資金を集めることが出来たからです。
ちなみに五箇条の御誓文を書いたのも由利公正です。
本署は維新成立を経済史的に描いた経済小説です。
ところで聖福寺のことは知りませんでした。機会があれば訪れてみたいです。
仲さんは、ドーバー海峡のトンネル工事の責任者だったから
 こんなやり取りもあって、本以外の話題もいっぱいなのである。
  • 仲俊二郎 投稿者

    私がドーバー海峡に海底トンネル工事をしたのは三十数年前でした。

    フランス側カレーの港とイギリス側ドーバーの風景が懐かしいです。

    トンネルは水面下100メートル、10気圧でした。人身事故がゼロだったのは日本の技術が優れていた証です。

    鹿島建設・西松建設の土木技術者の指導を得て、川重が全責任を負ってトンネルを貫通させました。

    このプロジェクト、無茶苦茶、儲かりましたよ! 
     
     

    國本和範

    仲さま、娘も鹿島の子会社で、シールドマシンの取材に行って喜んでましたょ、使い終わったマシン埋め殺しらしいと聞いて驚きました(笑)

     

    仲俊二郎 投稿者

    そうなんです。マシンは埋め殺します。

    というのは地上に引き上げるコストが半端ではないから、そのまま土中に埋めてしまうのです。

    ★ こんなやり取りもなかなか、珍しくて面白いのだが、

  今回このプロジェクトに関わってみて、
  私なりに感じた感想を申し上げると、
  私自身は読書家ではないし、そんなに本も読まないのだが、
  周辺の出来事には結構いろいろと感じるし、
  それに対していろいろと想ったりはするのである。
  今回は、仲俊二郎さんが、かって川崎重工業に勤められたということで
  非常に身近に感じるのだが、
  その仲俊二郎さんが、『小説家になりたい』と会社をやめて
  『新しい人生』を歩まれたこと自体、
  『そんな人生もあったのか?』とビックリだったし、
  作家というのは『物書き』で『文章を書く専門家』だと思っていて、
  私も文章は毎日『結構な量』を書いているので、
  秘かに『作家並み』だなと思ったりもしていたのだが、
  今回、それは全然違う
 『作家というのは大変な仕事だな』と感じたのである。
  それは『そうか、そんな生き方もあったのか!』の中に出てくる
  10人の有名人の生き様が描かれているのだが、
  これはちゃんといろいろと調べないと
  想像では『書けない』ことがよく解った。
  これは『大変なこと』で、私などが一番苦手とする分野なのである。
  私自身の生き方は全く『いい加減』に『おおざっぱ』に生きてきていて、
  『詳細』は専門家の分野だと諦めて、
  そんな分野は『専門家に任せばいい』と思ってしまうのである。
  ホントにこんな10人の方たちの人生がどうだったのか?
  そんなことを『調べる』という段階で私などはギブアップなのである。
★ もう一つ感じたのは、ここに書かれた10人の方は
  私でも名前を聞けば知っている『世の有名人』なのだが、
  その人たちの人生が、こんなにいろいろあったとはビックリなのである。
  そういう意味では、私など『殆ど悩みなしに』90年近く生きている。
  むしろ、今からがそんなに簡単ではないのかも知れない。
  『終活』などと言っていろいろ準備される向きもあるが、
  そんなことは、まずしないだろう。
  果たして『どのように生きるのだろうか?
  『何とかなるだろう』 と思ってしまうのである。
★ 毎日新聞の広告にこの本が掲載されたとか。
  これも『仲俊二郎読書友の会』内での投稿で知った。
2020年12月24日

クリスマスプレゼント ASICSの靴  雑感

投稿者 : rfuruya

★ 世の中『クリスマス・シーズン』である。
  この歳になると、クリスマスも単なる年末の1日で、
  特にどうという特別の日でもない。
  『クリスマス・プレゼント』など貰うこともないし、
  あまり『欲しいもの』もなくなるから不思議である。
  そんな昨今のクリスマスなのだが、
  今年は、突如アメリカの『娘一家』から
  『クリスマス・プレゼント』が届いたのである。
  何を思ったのだろう?
  こんなランニングシューズを送ってきた。
         これはネットからの写真だが、
  
  送ってきた実物はコレである。
★ いま『欲しかったもの』があるとすれば
 『ランニング・シューズ』だった。
 毎朝、公園を走っているのだが、
 今はいてる靴は2年ほど前に、アメリカに行ってるときに買ったもので、
 毎日6キロも走っていると何となく、
 靴も傷んできたそんな時期だったのである。
  昨今のスポーツシューズは本当によくできていて、
 かっての『運動靴のレベル』ではない、
 走るための『専門シューズ』になっている。
 私はずっと『ASICS』に決めているのだが、
 神戸のメーカーだし、
 現役時代ジェットスキーの専門シューズを作ろうと
 ASICSにお世話になったし、
 その時のASICSの責任者は鬼塚さんの実の弟さんだったのである。
 いま通っている三木のジムはASICSが運営母体なのだが、
 そこに『カワサキのJet Skiの靴を作った』と言われる方がいてびくりした。
 そんなASICSとの関係なのだが、娘も就職したこともあって、
 アメリカにいても現地のASICSとは何となく繋がっているようで、
 そんなことから、今の靴もアメリカに行った時にASICSで買ってきたのである。
 ASICSの前身は鬼塚商会だが、
 その社名の由来は、古代ローマの
 『健全なる精神は健全なる身体にこそ宿る』という ラテン語の
  Anima Sana in Corpore Sano の各文字の頭文字から
 ASICS と名付けられたと聞いて、何となくかっこいいと思っていた。
★兎に角、ホントに久しぶりで『クリスマス・プレゼント』を貰って喜んでいる。
さて、いつから履くかな?と今考えているのだが、
2021年の新春からにするかと思ってはいるのだが、
多分それまで『待ちきれない』ということになってしまいそうである。
2020年12月23日

60歳からの5年間 仕上げの時代    自分

投稿者 : rfuruya
★ 前回の自分史は私の現役最後の勤めの札幌での
 『北海道川重建機』時代のことを書いたのだが、
 昭和36年(1961)から35年間関係のあった二輪事業だが、
 60歳にもなったこの時期の5年間は、
 世は平成に変わり、まさに『最後の仕上げの時代』であったと言っていい。
 個人的にもこの前年の1991年に息子は結婚しているし、
 92年の6月には娘も結婚して、家庭の生活も様変わりした時期である。
 子どもたちが大学を出るまでは、経済的にも汲々としていたのだが、
 この時期になると何となく余裕も出来た生活となっていた。
 会社での状況も最後の国内市場担当1988年10月からなのだが、
 遮二無二頑張って、与えられた目標『7万台の販売目標』も達成できて、
 公私ともにちょっと『落ち着いた時期』だと言っていい。
 『7万台の目標』などはなかなか達成するのはムツカシイのだが、
 目標自体は単純で、質的には大した目標でもないとも言えるのである。
 この目標を達成したとしても、喜ぶのは企業であり
 販売会社であって、末端ユーザーにとっては大したことでもないのである。
★この『7万台の目標は』は私が国内販社を担当する際に
 髙橋鐵郎さんに与えらえた『目標』であったのだがそれは達成できたので、
 この時期に私自らが立てた事業展開の目標は、
 『ユーザーの満足が全ての思考の基準です
 と一段と質的にも高い
 『末端ユーザーの満足』を目標に掲げたのである。
  
 こんな目標を立てる『日本企業』は少ないと言っていい。
 仕組み・システムから根本的に変えないと達成できないし、
 実現が『難しすぎる』のである。
 ちょっと理屈っぽくて、お解り難い面があると思うが、
 この時期に挑戦した『高い基準の目標』について述べていたい。
 質的にも『高い目標を達成』するために
 グループ全体のシステムというか組織体制を
 単に販売だけではなくて、
 むしろ、それ以外のKAZE活動など、
 末端ユーザーの満足=Consumer Satisfaction に集中しているのである。
 これはその当時の組織・機能図だが、
  
 CS(ユーザーの満足)と日本でも言われるのだが、
 日本のCSのCは、同じCでも Customer Satisfaction が使われていて、
 Customer は確かにお客様ではあるのだが『取引先』という概念が強くて、
 末端消費者(Consumer)ではないである。
 事実、日本の場合は、末端消費者の満足よりは、
 『取引先』や『業界団体』の満足を優先する場合が殆どなのである。
 当時のカワサキの場合は、取引先である『販売店の満足』ではなくて
 あくまでも『末端ユーザーの満足』を求めての活動であったのである。
 その実現のために『販売会社グループ』ではありながら
 『販売そのもの』よりはむしろその周辺の
 末端ユーザーが喜ぶ仕組みシステムを重点の活動としたのである。
 曰く
KAZE活動』『レース活動
末端ユーザーが走れるサーキット=SPA直入の建設』
ジェット・スキーのJJSBA活動
ショールームの全国展開』などで
 その象徴が『新宿のショールーム』であった。
 こんな末端のユーザーを大事にすることで、
 カワサキを買ったユーザーの満足や、遊びのお手伝いを最優先し、
 当時の遊び会社KSSグループの先頭を走ったのである。
 それにより、
 遊んでいても『自然に売れる仕組みの構築』を第一目標としたのである。
  
  その象徴でもあった『新宿のショールーム』は
  JRからの車窓からも、真正面に見える最高の立地にあって、
   
   Kawasaki. Let the Good Times roll! 
  (Kawasaki  に出会う人たちがハッピーになるような活動を続けます)
        という基本コンセプトを観ることが出来たのである。

★ この辺の発想は、基本的な問題で、
  この1990年代のカワサキの活動は、
  間違いなく『末端消費者』に焦点を当てていたのだが、
  昨今の販社戦略の焦点は、『末端消費者=ユーザー』よりは
 『取引先』ばかりに焦点が当たっているような気がしてならないのである。
  
 基本的には、『専門家の高いレベルのソフト』と言っているのだが、
 『専門家』にならないと、『本物のソフト提供』は無理なのだが、
 汎用的なシステムからは『専門家』は産まれようがないのである。
 ちょっと本質的なムツカシイ理屈の分野になったが、
 この時代、一般に解り易い『8時間耐久レースの優勝』も実現できているし
 
 4時間耐久や6時間耐久など
 Team Green を中心としたレース活動なども華やかな時代であった。
 当時のライダーたち、多田・宗和・塚本や、鶴田・北川・林くんなど
 今でもFacebook で毎日のように繋がっているのである。
 最後の仕事として挑戦したのが、
 『二輪専門の自動車学校』で
 この認可を取ることは不可能と言ってもいいほどの難しいものだったが、
 阪神ライデイングスクールの献身的なお手伝いをして頂いた結果、
 認可が取れて、二輪専門の自動車学校は実現したのだが、
 2000年に入って、これらの機能はKAZEを除いて
 すべて消滅してしまったのである。
 その理由はよく解らないが、遊んでいても自然に売れるのが、
 『気に入らなかった』のかも知れない。
 『一生懸命売る努力』をすることが解り易いのだと思う。
 『一生懸命販売に努力』されるようになって、
 現在の販売台数はホントに減少してしまっている。
 健全経営・黒字のようだが、
 販売会社の経営はどんなに規模が小さくても、
 黒字経営は成り立つので、
 二輪業界がかって『本田宗一郎さんが目指した=世界』というような
 壮大な目標が消え失せてしまっているのは非常に『残念なこ』である。
2020年12月22日

結婚記念日から いろいろと

投稿者 : rfuruya

★ 昨日、12月21日は結婚記念日だった。
 結婚をしたのは昭和37年(1962)12月21日、私が30歳の時だから
 もう58年にもなる。
 年末のこんな押し詰まった日に結婚式を挙げているのは、
 会社が無茶苦茶忙しくて、1週間も休むことなど考えられなかった、
 そんな時代だったのである。
 カワサキが二輪事業をスタートさせて、新しく単車営業課が出来たのが、
 昭和36年12月なのだが、その時点から単車営業に異動したのである。
 まだ入社4年目の若手ではあったが、実務的には中心に座っていた。
 『単車営業』という営業部門ではあるのだが、
 『技術・生産部門』以外のすべての業務を担当していたので大変だった。
 今の職制で言えば、企画・営業・品質保証関連の業務をすべてこなしていたので、
 ちょっと考えられないほどの忙しさだったのである。
 そんなことだったので、年末を迎えるこんな時期の結婚式となったのである。
★ 結婚式場を当時は教職員関係しか使えなかった『神戸六甲荘』を
 高校・大学を通じての球友であった校長先生の息子の親友小野田尚弘が借りてくれて、
 高校・大学の野球部の連中が大勢やってきて、
 『忘年会の一次会』にするからと『披露宴』は3時から始まったのである。
 ホントに忘年会の一次会のような賑やかさで、
 『新郎も歌え』と歌など歌わされて、
 私は流石に『披露宴』の席だったので旧制神戸一中の校歌を歌ったのである。
 不思議に今でも2番ぐらいまでは歌詞を覚えているのだが、
 1番のまさに『我が世の春に似たるかな』の心境だったのである。
 一.
群巒色は紫に 金波さ揺らぐ茅渟の浦
東大野を瞳々と 朝日子昇る曙や
希望の光輝ける わが世の春に似たるかな
 二.
天の霊火を地に呼ぶと 意気の子胸の高鳴りや
自重と自治の旗しるく 咤呼号の五十年
ああ微笑みの誇らひの 歴史の跡ぞ勇ましき
 私は神戸一中は旧制の3年間だけで、
 高校は学区制が実施されて『明石高校』に転校したのだが、
 家内はその後の『神戸高校』だったので、関係あるかなと思ったりした。
 声高らかに結構上手く歌えて、
仲人の小野助治さんに『秀逸だ』と褒めて頂いたのを想い出すのである。
★ 新婚旅行は北陸から長野に回ったのだが、
 結婚式の日は披露宴が終わったのが6時頃なので、
 京都のホテルに泊まったのだが、
 三宮から京都まで普通の電車だから、駅の見送りなどはなく、
 披露宴に出ていた『小野田滋郎さん』が『俺が送ってやる』と3人一緒だったのである。
  
 
 小野田滋郎さんはあのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんなのだが、
 当時はカワサキ自販の総務務・広宣課長だったのである。
    私が人生で一番薫陶を受けた方は『小野田滋郎さん』かも知れない。
 陸士出の秀才で、私が広告宣伝やレースの世界を引き継いだのも
 小野田さんから引き継いだのである。
 カワサキがレースを最初にやったのは『青野ヶ原』ということになっているのだが、
 1年前のB7の時代にカワサキ自販三吉一行などがレースに出ているし、
 ヤマハから三橋実を引っこ抜いて『カワサキコンバット』を創ったのは、
 小野田滋郎さんなのである。
 小野田さんのことは今まで何回もブログにアップしていて、
 『小野田滋郎 雑感日記』と検索するとこんな画面が現れる。
 そこにいろいろ書いてるので、興味・ご関心のある方は
  ご覧になってみてください。
 私の人生で、一番影響を与えてくれた人は
 『家内と小野田滋郎さん』かも知れない。
そんな人たち3人で新しい人生のスタートでもある『新婚旅行のスタート』を
三宮から京都までの短い区間だが、一緒だったのは不思議に思ったりする。
★ そんな『結婚記念日』なのだが、よくまあ、長く続いたものである。
 この数年は12月のこの頃は、アメリカから孫が来ていたり。
 昨年は息子も来ていて『結婚記念日』というより
 孫や息子中心の1日だったのだが。
 今年は『コロナのお陰』で夫婦二人きりである。
 しかし、結婚記念日だと言って特に『何をする』でもないのだが、
    『昼飯』が鮨になって、小さなケーキが付いたぐらいのことである。
  
 人生で一番長く一緒にいる家内だが、
 結婚するまでは、もっと派手なのかなと思っていたのに、
 意外に『旧い』のである。
 文字通り『家内』で、家の中のことは一切私はしない、
 風呂から上がっても、朝起きても、
 私が着るものは全て揃えてあって、私はそれを着るだけである。
 そんな生活が、あとどれくらい続くのだろうか?
 二人の子供たちも、家内が『育てた』といって間違いない。
 お蔭様で『いい子に育った』と言っていいだろう
 こんなことを静かに思っただけの『結婚記念日』だったのである。

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