2020 11月

2020年11月30日

blogに出会ってから人生が変わった

投稿者 : rfuruya
★ 定年後の生活に入ってから、突然生活が急変したのはパソコンをやりかけて、更にブログを始めた年からだろう。
それは2006年、74歳の時である。
この年からの5年間は私の人生の中でも一番『新しい経』が連続して起こったオモシロい時期だったと思う。
 それは今までに経験したことのない『ネットの世界』との出会いだったと言っていい。
★ ネットの世界に出会って4月には三木市長にメールなど打っている。
 そんなことから『市政』なるものにも関心が出来て、
 全国の各市のホームページなど観ていたら、『高槻市のホームページ』に出会ったのである。
 各市のホームページの中でも自分に関係のあった明石・仙台・札幌などを見ていたのだが、
その中に高槻市があってそのホームページは当時『日本一を目指す』目標もありホントに面白かったのである。
 この時期の高槻市の市長公室長が総務省から出向されていた樋渡啓祐さんで、
そのホームページも『樋渡啓祐』さんが先頭で走られていたのである。
そんなホームページの中に『ブログ・ブログ・ブログ』という一文があって、
今からの時代は『ブログ』だと書かれていたのを見て
私もその年の9月に、このブログ『雑感日記』を立ち上げたのである。
その11月に『市長公室長樋渡啓祐氏のこと』というこんなブログをアップしているのだが、
 
文面にもあるように『面識もないし、何の関係もない』のに、
そのブログにこんなコメントが届いたのである。
 
 これが初めての『コメント』でどう対処するのかもわからず、
 舞い上がってしまって、返信もしていないのである。
 そんな樋渡啓祐さんは、今では超有名人なのだが、Facebook ではお会いすることもあるし、
 奥様の樋渡信子さんは毎日のように『いいね』を頂いていて、感謝なのである。
★そんなことがあった『ブログ1年目』なのだが、
 翌年の2007年には『井本教育長・樋渡市長』という記述があるように、
 三木市とも武雄市とも関係が出来てお二人とは直接お会いしたりしている。
   それまでの私の人生は『二輪関係』などが主で一般の方とはそんなに面識もなかったのだが、
この年以降ネットの関係で知り合った人たちとのお付き合いが増えて、
『人生が変わった』と言っていいだろう。
翌2008年にある『どこ竹の竹とんぼ』とは『竹とんぼ教室』のイベントだったのだが、
このイベントでいま密接なお付き合いのある『山本隆さんと再会』出来たし
登山道夫さんとはこれが最初のイベントだったし、いろんな方たちとの出会いがあったのである。
『ミニSL』とは今も尚メリケンパークで毎年開催されてるのだが、
このイベントの『言い出しベー』は福井昇くんで
それを私が当時川重会長だった田崎雅元さんに繋いで実現したのである。
こんなブログの写真にもそんな風に書いてるし、
 
田崎さんも、私もこんな調子で参加してたのである。
★ こんな活動がいろいろあって翌2009年には
 NPO The Good Times を立ち上げてその理事長を務めることになるのだが、
それ以降のいろんな活動は全てNPO The Good Times 絡みだと言ってもいい。
 お付き合いのあった方たちがみんなNPO The Good Times の会員になって頂いたし、ちょうどその頃ツイッターをスタートし、
Facebook をスタートしたのもこの頃なのである。
そんなことで私の生活のベースは完全に『ネット社会がベース』になったのである。
★カワサキのレース関連は、私の人生では大きなウエイトを持っているし、
今もそんなレースで関係のあった方たちとのお付き合いは続いている。
その2回目の『カワサキファクトリーOB会』から
今年はちょうど10年になる。
10年の歳月の間にはその時出席された方の中から、
髙橋鐵郎・片山義美・安良岡健・飯原武士・金谷秀夫・歳森康師・岡部能夫・金子豊の各位
がこの世を去られてしまったのである。
これは致し方のないことではあるが、誠に寂しい限りなのである。
第1回のカワサキファクトリーOB会は1988年10月15日開催だが、
この時は未だ現役で、ファクトリーチーム結成25周年を記念して、
私自身が企画・開催をしたものだが、
こんなメンバーが集まっている。
     
このOB会のメンバーの中からは、
大槻・平井・山本・清原・多田・塚本・杉本・藤原の諸兄は
大槻幸雄会長のZ1会で繋がっているし、
平井・田崎・山本・星野・宗和さんとも
Facebookなどでお付き合いが続いている。
 Facebook と言えば毎日お会いしている鶴田竜二さんは、
来年からZ1会に入会されるようで、お会いできるのが楽しみなのである。
こんな私の昨今の人生は、間違いなく『ネットの世界』がベースになっているのである。
2020年11月29日

ネットの世界はオモシロい

投稿者 : rfuruya

 
★暇な時も、ネットの検索などやってると、時間はすぐに経ってしまう。
 昨日の午後もいろいろやってたらいろいろ出てきたりした。
 『# 古谷錬太郎』という記事が出てきたりして、
 ホントにそんなものあるのか?
 と思ってツイッターで検索したら、それがあるのだ。
 これにはちょっとビックリした。
 
★ 何かの拍子にこんな記事も出てきた。
 『粟生線の未来を考える市民の会の結成総会』である。
 2012年4月15日とあるので、ちょうど10年前のことだが、
 この会の設立には色濃く関わったので懐かしい。
 
 『当日の式次第』が出ていて、
  その最後に産経新聞と並んで
 『会員 古谷錬太郎さんの記事』とあるので、これにもビックリした。
 
 どんな記事かと思ったらその時書いたブログなのである。
 これがその記事となったブログなので、興味のある方はご覧ください。
 そのブログの中にあった写真をご紹介する。
 今は兵庫県立大学の教授をされている松本先生はこの日が初対面だった。
 10年前は流石にお若い。
  
粟生線に乗って三木の二次会会場まで移動。
 
 二次会に集まったのはこんなメンバーだった。
★ ツイッターは昔のことをいろんな形で纏めてくれる。
 これも去年の12月の記事なのだが、
 『太っている方が長生きする』という記事を見つけて悦に入っている。
  
 ちょうどアメリカから孫も来てたし、
 鎌倉から息子もやってきて
 サッカーに興じ、焼き肉を食ってご機嫌だった。
 まだ『コロナ』はいない、そんないい時期だった。
 こんなことで、ネットを見てたら退屈しない。
 いつの間にか時間が過ぎる。
2020年11月28日

オーストラリアのこといろいろ

投稿者 : rfuruya
★世界の国はいろいろあるが、
オーストラリアは何となくいろんな関係や想い出のある国である。
 一番最初にオーストラリアに出会ったのは、大学の入学試験だった。
 『世界地図を画き、これを入れよ』という地理の試験問題で
 ジブラルタル海峡や、東経135度 などが出たのである。
 私は明石出身なので子午線が明石を通ているのはよく解っていたのだが
 南の方ではどこを通るのか?
 ヤマカンでオーストラリアの真ん中に画いたら当たっていたのである。
 こんな地理の問題が出来たので、
 『16.5培というとてつもない倍率』の入試だったが、
 入学できたのかも知れない。
 そういう意味では『オーストラリア様々』なのである。
   
 これがオーストラリアとの最初の出会いだが、
 私は結構地理は好きで、今でもいろんなことをチェックしたりするのだが、
 オーストラリアは広大だが、その殆どが砂漠のような土地である。
 
★現役時代オーストラリアに出張して、
シドニー・メルボルンは勿論行ったのだが、
二輪の営業は販売店を訪問する機会も多く、
オーストラリアの中央部、砂漠の中の町のバイク屋を訪ねたりもしている。
シドニーから数人乗りの小型飛行機に乗り、
真ん中あたりの町に降りて、
そこからレンターカーであちこち走り回ったのだが、
それがどこだかは覚えていないが、
こんな風景の何にもない真っ直ぐな道を延々と走ったのを思い出す。
 
 ほんとにどこまでも真っ直ぐなのである。
★ それにしてもなぜ突然 『オーストラリアなのか?
 急に寒くなったので、今日からこんなセーターを着ている。
  
 胸に BLUE MOUNTAINS AUSTRALIA  という文字があるが、
 これは結婚30周年記念に家内とオーストラリアに行ったのだが
 その時、ブルー・マウンテインで買ってきたセーターなのである。
 冬になると敵のようにずっと着ているのだが、
 1992年11月のことだから、今から28年も前なのだが、
 よく破れもせずにもっているものである。
 ふとそんなことからオーストラリアを想い出したのである。
★ この30周年記念旅行は家内と一緒では初めての海外旅行で、
 オーストラリアの東海岸を北から南に南下して、
 最初に行ったのが、新婚さんなどがよく行くケアンズなのである。
 一般の観光客のよく行く グリーンアイランドにも勿論行っているのだが、
二日目にはレンタカーを借りて、
こんな山の手の州立公園や国立公園地域を340キロ0走り回っているし、
 夜にはポートダグラスまで行ってデイナーなど、
 普通の観光客は行かないようなところに行っている。
 この辺りの自然は綺麗だが、観光客などは殆どいないのである。
 その東海岸の最北端のケアンズから飛行機でブリスベンまで、
 ここは観光客が集まる有名な『ゴールドコースト』なのである。
 観光客の定番の地なのだが、
 ここには『ジェットスキーの市場調査』に来ていたので、
 いろいろと土地勘もあっていろんなところを歩き回ってきた。
 海岸よりは、ちょっと違ったところを歩いてきたのである。
★ そして最後の行程がシドニーだったのだが、
 シドニーには現地の販社もあっていろいろお世話にもなったし、
 当時ジェットスキー関係で水上スキー業界の会長もしていて、
 ヤマハさんとも懇意だったものだから、
 ヤマハさんから、マリーナの格別なレストランに招待して頂いて、
 お客は全て地元の方、日本人は1人もいないという雰囲気の中で、
 特等席での会食を頂いたのである。
 これが『私の生涯の一番豪華な晩餐』であったと言ってもいい。
 その翌日、レンタカーを借りて、
 ブルー・マウンテイン近郊を遊んだのだが、
 その時記念に買ったセーターなのである。
 この30周年記念旅行は『家内へのお礼旅行』みたいなものだったから、
 家内のものはいろいろ買ったが、
 私が買ったのはこのセーターだけと言ってもいい、
 そんなセーターなのである。
 ★この旅行の時もカメラは持っていないので、1枚の写真もない。
  今思うと残念極まるのだが、
  なぜ、カメラを持っていなかったのかというと、
  『面倒なのである
  ・フィルムを買う
  ・写真を撮る
  ・写真屋に持っていく
  ・現像されたものから写真を選ぶ
  ・写真を写真帳に張る
  こんな面倒なことは性に合わないのである。
  今のような時代なら、いっぱい写真があったのだと思うのだが・・・
★ 閑に任せて『ブルーマウンテンの写真』をネットやGoogleマップから、
 集めてみた。
 こんな感じだったなと思ったりする。
 
 オーストラリアは日本と同じ『左通行』車は『右ハンドル』なのである。
 そういう意味でも、オーストラリアのドライブは楽しかったのである。
2020年11月27日

三木防災公園を一周してきた

投稿者 : rfuruya
★ 毎日のように来ている『三木総合防災公園』だが
広大な公園の中に縦横に道が走っているので、外周らしきところを一周することはなかったのである。
 完全に外周とは言えないが、何となく外周と言えるところを一周して写真を撮ってきた。
 朝8時スタートである。
 駐車場の横から、太陽は未だこんな位置である。
  
広大なゲートボール場の横を通って、カエデは完全に葉を落としている。
 これが一番南側と言っていい。
 コレ、すべて『ゲートボール場』なのである。
これも総合防災公園の南側、 消防関係や防災施設が並んでいる。
突き当り右の建物がテレビでよく建物の振動テストなどをやる E-ディフェンス である。
 そこを左折し、この道の突き当りが東の入口。
 そこからは競技場も見える。
 入口からは、公園内こんな大きな道が走っている。
 ここまでが約20分。
この外周道路から内側に入ったところが通路になっている。
 右に曲がるとなだらかな下り、この右側が野球場である。
 こんな周回路が2kmほど続くのだが、
こんな『窟屋の金水』という看板を右に折れると
 こんな下りの細い道になり更には階段になって、その右下が『窟屋の金水』である。
  今回は行かなかったが、こんな由緒ある旧跡なのである。
 その洞窟の中の水が春、黄金に輝くので『金水』の名がついている。
 周回路の方は、ここからは急な上りになる。
 その道をどんどん上ると、道路を跨ぐ橋に出る。
橋上からの眺め、この左手の方に三木の旧いまちがある。
 橋を渡るとこんな遺跡もある三木は、旧い歴史のあるまちでもある。
そこからはさらに緩やかな上り道、このルート通る人は少ない。
 そして最初にクルマを止めた位置に出る
 これ東の方の外周らしきところを廻って、約50分。
 そしてさらに谷を越える長い橋を渡って、
 世界一の屋内テニスコートのビーンズ・ドームのある西側に。
 
 この森に向うが私が住んでる『緑が丘』である。
 
この道を上りきったところに、こんな広場がある。
 そこが一番の高台で、そこからは競技場や防災施設など通ってきた建物の屋根が見える。
 左の山は神戸の丹生山、右手の山が神戸の六甲山脈なのである。
 そしてビーンズ・ドームを左に観て、戻り道。
この橋を渡り切れば、ほぼ1周なのである。
 1時間15分、約7キロで出発点に戻ってきた。
 ほぼ外周で、いつも通る中の道は殆ど通らなかった。
 
★ ジョッギングや散歩をしている人たちは多いが、
 こんな外周路らしきところを通る人は少ない。
 それを1周したのは私も初めてだが、なかなか広いものである。
 結構、人は来ているのだが、広いので写真を撮ると人がなかなか写らない。
 若し、ゴルフ場を作ったら東側に二つ、西側にひとつできるだろう。
 そんな広さを『独り占め』しているような『私の時間』はこの上もない贅沢と言えるだろう。
 私はいつも『三木はアメリカみたいなカッコいい町』というのだが、
 三木の旧い方たちは『三木のよさ』に気付いていないように思える。
 『三木は金物の町・旧い田舎まち』と思い込んでしまっている。
 ちょっと『カッコいいまち』として知られてる『神戸の隣町』で、
 その隣接している神戸の街の方が『田舎っぽくて
 三木に入ると道も広くなるし『三木総合防災公園』などと言うカッコいい公園もある立地なのである。
 ゴルフ場が西日本一25もあるということお解り頂けると思う。
 さらに言うと、世界一の屋内ゴルフコートもあるが、
 三木市内には多数のテニスコートがあって、年間訪れるお客さんの一番は
 ゴルフ客ではなくて『テニスのお客さん』なのである。
 『広い』ということはホントにいいことだと思っている。
2020年11月24日

協同学苑を歩いてきた

投稿者 : rfuruya
★この3連休、都会や観光地はびっくりするような人出だった。
 これではコロナの多発も致し方ないのかなと思ったりもした。
 私の3連休は全く普段と変わらない3日間だったのだが、
 その1日、久しぶりに『協同学苑』を一周してきた。
 ここが家から一番近い公園のようなところである。
 スロージョッギングした行程を写真を撮ってきたのでご紹介したい。
 車を直ぐ右手に止めて、ここからスタート。
 もう葉も半分は散った晩秋の風情である。
 その道の左奥はこんな庭園になっている。
 たまにキツネが出てきたりする。
 そこを戻ると、こんな建物の裏て、
 写真に写すと日陰が強調されていて、ちょっと不思議な感じ。
 そこからこんな裏手の道。
 かって孫がカブトムシをいっぱい捕まえた樹も未だ現存する。
 そして養成中の竹林を過ぎると
 右手にはグランドのあるこんな広場に出る。
 ここまでが約10分。
 さらに進むとこんな奥の庭があって、
 そこからこんな下り坂の落ち葉でうずもれた道が400メートル。
 風景は一変して山の中である。
 
 ちょっと不思議な写真だが、池の水面に空が映っているのである。
 逆光だとこんな写真が撮れる。
 振り返るとこんなのどかな農村風景なのである。
 帰りはこんな急な山の中の小道を通って、逆に上りの400メートル。
 そしてもと来た場所に出る。
 結構な運動になる。
 そして東側の桜並木、春には花見の客でにぎわう所。
 そしてこんな建物の正面に出てきた。
 『協同学苑』という石の標識。
 ここはコープのいろんな学習施設やホテルなどもある。
 そしてスタート地点に戻ってきた。
 この1周約4キロ、30分ちょっと掛かる。
 
  ちょっと休んで、グランドで走って戻ってきた。
 朝もまだ早かったからか、3連休と言うのに人影はまばらだった。
2020年11月23日

貴景勝 優勝おめでとう!

投稿者 : rfuruya
★  貴景勝 優勝おめでとう!
   今場所は両横綱が休場で2横関が場所の途中から休場し。
 大関は貴景勝1人という場所ではあったが、
 照ノ富士の力強い相撲も見れて、非常に面白い場所だったと思う。
 私はかっての照ノ富士の大関時代は知らない俄かファンなのである。
 やっと半分ほどの力士の顔と名前が解るようになった。
 大相撲を観だしてから一番感動した優勝の瞬間だった。
 テレビの画面からの写真だが、
貴景勝の気持ちが現れているし、
  
 技能賞は取れたが、それに満足していない照ノ富士の気持ちも
 よく表れている。
 
 1ヶ月ごとに相撲を見ることが出来るのは楽しみである。
 来年は横綱が復帰するのかどうか?
 貴景勝は横綱を目指して欲しいし、
 照ノ富士も大関復活を目指して今場所のような力強い相撲を見せて欲しい。
 できれば両横綱も、3大関も揃った初場所を期待したいものである。
2020年11月22日

カワサキ メグロの話など  昔話を

投稿者 : rfuruya
★カワサキのこんなニュースが流れた。
 カワサキが『メグロブランド』を復活させたという。
  
 カワサキ500メグロK2  私にとっても懐かしいバイクである。
 1965年発売とあるが、当時は広告宣伝課で広告やレースを担当していたし、
 1967年からは第1線でこのバイクの販売を実際に担当したりした。
  
 当時の白バイは殆どがメグロで、ホンダは少なかった時代。
 カワサキも国内だけの販売の時代だが、
 国内の代理店網も旧メグロと旧メイハツの代理店で構成されていた。
 川崎航空機工業の明石工場は元々エンジン工場で、
 そんなことから二輪のエンジンは開発・生産しメイハツに供給してたのだが、
 車体のことは、というよりオートバイのことはあまり解っていなかったと言ってもいい、そんな旧い時代もあったのである。
 そんなカワサキがメイハツ・メグロを吸収して
 メイハツやメグロの人たちもカワサキの仲間になったので、
 何とか二輪事業が成り立ったのだと言っていい。
★私はその営業がスタートした頃から単車営業にいて、
 その営業先は『カワサキ自動車販売』で、社長・専務は川崎航空機の方だったが、
 そこは殆どがメイハツ・メグロからの方たちだった。
 そんなことで、旧いメイハツ・メグロの方とは親しかったのである。
 この写真はずっと後のものなのだが、
 その最右翼と言ってもいい、メイハツからの平井稔男さん
 メグロのサービスからの北見紀さん
 そんなスリーショットのこんな貴重な写真もある。
  
 平井稔男さんとは、ずっと最近までいろんなことで一緒だし、
 北見紀生くんは、今はちょっとした有名人だが、
 彼は、私が東京営業所長時代のサービス担当なのである。
★カワサキの誇る世界の名車Zのエンジン開発は稲村暁一さんだが、
 その車体設計を担当されたのはメグロから来た富樫俊雄さんなのである。
  
★ 1965年5月、初めて鈴鹿を走ったのは山本隆で、
 これがカワサキの初めてのロードレース出場なのだが、
 当時北陸にいて一緒に手伝ってくれたのが、メグロから来た内田道男さんである。
 彼はその後、川崎航空機に異動して
 カワサキがヨーロッパ市場を開拓した時の先駆者なのである。
 開発・生産は兎も角、販売会社設立などの営業面が解る人材がいなかったのだろう。
 彼は、カワサキが最初にヨーロッパで販売会社を設立したUKの初代社長だし、
 ドイツ市場も彼が最初に手を付け、さらにその後カナダの開拓も手掛けたのである。
 私が初めてヨーロッパ市場やアフリカ・ナイジェリアに出向いた時も、
 いろいろとロンドンで面倒を見てくれた。
 レースが好きで、UKでもレースを手掛けていたし、
 ヨーロッパのGPレース運営もUKで『ケン・鈴木』さんと組んでの展開だったのである。
 そんな彼も若くして逝ってしまった。
     
    
 そんな『ケン・鈴木』ご夫妻ともいろんなことから繋がって
 昨年は軽井沢Silver Stone で楽しい時間を過ごしたりしたのである。
 鈴木さんは元トーハツから、BSのレースチームに移り
 その後UKでのカワサキGP監督を務められたのである。
 カワサキのレースでいえば、初代監督が大槻幸雄さん
 2代目が、安藤佶郎さん
 そしてそれを受け継がれたのはメグロから来られた糠谷監督だったのである。
★そんなことでカワサキの二輪事業はメイハツやメグロや、
さらに言えばトーハツやなどかっての旧い二輪業界の方々の方々の協力でのスタートだった。
そんなカワサキが、新しく『メグロブランドの復活!』
これはそんな時代を生きてきた私にとって、なかなか嬉しいことなのである。
2020年11月20日

私の87年の人生  自分史の骨格

投稿者 : rfuruya
★ 私は 昭和8年(1933)3月2日に兵庫県明石市 で生まれた。
  こんなに長く生きるとは思ってもいなかったのだが、
  あと3ヶ月もすると88歳米寿を迎えることとなる。
  87年、時代の変化もあったし、それ以上に環境の変化もあって、
  非常に面白い人生だたっと思っている。
  もうだいぶ前になるのだが、こんな自分史の表を纏めている。
  これが1枚目、39歳までである。
  
       そして、これが2枚目、78歳まで
        ここまでをずっと以前に表にしていたのだが、
  正直、これくらいで人生終わるのだと思っていたのである。
  
 それが78歳まで埋まってしまいそうになったので、
 これは何年か前に3枚目を作ることになって、
 これは一応100歳までとしたのである。
 最初の2枚とは紙の色が変わっているのがお解り頂けると思う。
 そして今年は『2020年 コロナウイルス問題』と記録している。
1年を1行に纏めているのだが、
 1953年11月8日、21歳の時からは日記を書いているので、
 これを『月毎に纏めよう』と思えば出来ないこともないが
 そんなに詳しくしてみても、あまり意味もないのかなと思う。
 最近は、コロナ問題もあって、自由な時間がいっぱい出来たので、
 自分のために『自分史をもう一度振り返ってみようか』などと思っている。
 別に1年毎でなくても、こんな単位ではどうかな?
 などと思っているのだが、
 大体こんな15の時代に分かれるのではないかと思っている。
 1.子供の頃、昭和20年8月の大東亜戦争終結まで   0~12歳
 2.戦後中学・高校・大学入学まで           12~21歳
 3.大学時代、日記を書きだしてから卒業まで      21~24歳
 4.川崎航空機入社から結婚するまで          25~30歳
 5.川崎航空機広告宣伝課時代             31~34歳
 6.仙台事務所時代                  35~38歳
 7.大阪営業所、直営部時代              39~43歳
 8.川崎重工業企画室&市場開発室時代         44~46歳
 9.カワサキオートバイ販売出向、常務時代       47~50歳
 10.川重企画室復帰、カワサキ単車事業部再建期時代  51~54歳
 11.国内市場担当、7万台への挑戦の時代       55~64歳
 12.北海道川重建機時代               65~67歳
 13.定年スタートの6年間              68~73歳
 14.ブログをスタートしてから80歳まで       74~80歳
 15.80歳から米寿まで               80~87歳
 このように分類出来ただけでも上出来である。
 振り返ってみると、その時代時代に変化があって、
 自分でいうのもおかしいが、それなりに『進歩した』というか
 『新しいモノ』を身に付けていくことが出来たかなと思っている。
 若しそれを『進歩』というのなら、
 『進歩し続けた人生』と言えるのかも知れない。
 まずは、私の人生を15回に分けて纏めてみて、
 それが出来たら、『オモシロかった1年』ということで
 特に印象に残っている1年を取り上げてみたいと思っている。
 果たして、どんなものになるかは、よく解っていない。
 いつものことだが『走りながら考える』ことにして。
 『自分史』というカテゴリーで纏めてみたいと思っている。
2020年11月19日

伽耶院の紅葉

投稿者 : rfuruya

★ふと思い立って  『伽耶院の紅葉』を観に行った。
伽耶院』はこんな由緒のあるお寺なのである。
 孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645)法道仙人により開基されたとされる。平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊塔をもち、花山上皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火により、また慶長14(1609)年には失火により、全山を焼失した。
現存する堂塔は1610年以降の諸国大名の寄進によるものである。
古くは大谿寺(だいけいじ)あるいは東一坊と称していたが、1681年に後西上皇の勅により伽耶院(がやいん)と改めた。
現在も10月の体育の日には、各地から多数の山伏が参集し、近畿地方では最大の規模を誇る採燈大護摩が行われている。
  
 こんな立地で、家から車で10分も掛らないのだが、
   
  こんな自然の中にある。
 
 その紅葉は見事であった。
  銀杏の大木は黄色く空を染めていたが、
  もう散りかけて、
 その足元は黄色く染まっていた。
  そばを流れる大谷川の自然も綺麗だったし
 境内のお堂など建物とのマッチングもよかった。
 
 広い境内には自然がいっぱい残っていて、
 樹の大きさはこのお寺の歴史をあらわしているのだろう。
 
 
平日の午後なのに、駐車場はほぼ満車の状態だった。
★ いつもは何となく、ふと訪れたりするので、
 広い境内を独り占めすることが多いのである。
 『伽耶院 雑感日記』 と検索すると
  こんな私のブログのページが現れる。
  
伽耶院』についてもっと知りたい方は、
 以下をクリックしてみてください。
   四季折々の『伽耶院』が現れると思います。
2020年11月14日

三木山森林公園の秋の風情

投稿者 : rfuruya

★ 三木市総合体育館のジムのあと、三木山森林公園をスロー・ジョッギングしてきた。

   11月も半ばになると『秋の風情』たけなわである。
 春の新緑もいいが『秋の紅葉』もまたいい。
  芝生の広場の紅葉もいいが
 
こんな自然林から感じる秋もいい。
 もみじ谷の入口のもみじは、既に紅葉しているが
  
 『もみじ谷』はいつものことだが、
 11月末にならないと、『赤く染まらない』のである。
 なぜかな?と思うのだが、毎年そうなのである
 下の広場はこれは秋らしくなってきた。
 芝生に落ちている『落ち葉』が秋を象徴している。
  名前は解らぬが、
  道の横には、こんなに真っ赤に燃え紅葉を観ることが出来た。
 
 自然は、ホントに綺麗だと思う。

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