一般情報、ニュース、お知らせ

2019年10月25日

いよいよ今年最後のミーティング~!

投稿者 : rfuruya

10月25日(金)
あと1週間で10月も終わる・・・
10月は晴れるイメージがあったけど、晴れた日が少ないどころか
大水害に見舞われた地域もあり、今年は、冴えない天気が多かった。
まだ元の生活に戻れていない被災地に再び雨が降り更に長引く復興・・
あと2ヵ月で2020年?! 早く過ぎる時の流れ~~

初バイクから40年、その昭和時代を知る方々と先週末を過ごした。
知り合ったのは、ここ数年でバイクが繋ぐ縁なのが面白くて楽しい。
川崎重工にバイク部門が出来た当初から副社長まで務められた古谷錬太郎さん、
元カワサキ営業から全国オートバイ協同組合連合会(AJ)元会長まで務め、
オートバイの全国組織を作った吉田純一さんや、初期の営業関係者、
元ライダーで現NPO法人理事長山本隆さん、そして今回は、
初の女性ロードレーサー腰山峰子さんもご一緒して楽しいバイク談話、
即位礼正殿の儀もあり、足早に過ぎた1週間の日記です。


10月18日(金)
ブログ更新後、NPO法人The Good Timesの理事会懇親会に出席する為、
西明石まで、雨降りなので車で向かいました。

この車も20年25万キロを越えましたが、まだまだ現役~

夜7時頃から理事会懇親会が始まりました

様々な時代の中、バイクが縁で繋がったメンバーです。
左手前は ぱっぴーえんどプロジェクト(塗装)の森田さん

全日本カブ耐久の主催者でもあります。

 

 

右手前が腰山峰子さん、お互い子育てから復活組、しかし峰子さんの経歴は素晴らしい~

1976年に鈴鹿四時間耐久レースに堀ひろ子さんと出場完走したり、

2人で8000㎞もあるサハラ砂漠を縦断したり、最近も岡山国際を1000㏄で走ったり

今は女性ライダーチーム、「パウダーパフ・レーシング」の監督を務められています。
バイクの楽しさを女性に伝える原動力だと感じています。

これからのご活躍も楽しみです。
シーズカンパニーの登山さんにお世話になり、あっという間の3時間

カワサキの昔話は何度聞いても古き良き時代背景が蘇り、会の名前でもある

The Good Times 良き時間を過ごしました。

 

即位礼正殿の儀

投稿者 : rfuruya

★ 『即位礼正殿の儀』が行われた。
    いろんな考え方はあるとは思うが、
 『万世一系の天皇』がおられる日本の歴史は素晴らしいし、
 世界に誇れるものだと思っている。
  
 終日ニュースがいろんな形で伝えた。
 その中からの抜粋である。
ことし5月の皇位継承に伴って、新たに即位した天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が皇居・宮殿で行われました。天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられました。
   
「即位礼正殿の儀」は国事行為として行われる「即位の礼」の中心となる儀式で、天皇陛下は皇居・宮殿の「松の間」で皇后さまとともに臨まれました。
  
儀式には秋篠宮ご夫妻をはじめ、11人の皇族方が参列されたほか、外国の元首や王族、それに内閣総理大臣など三権の長や各界の代表など、およそ2000人が参列しました。
 この中で天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と述べられました。
    
  続いて安倍総理大臣が天皇陛下の前で「寿詞(よごと)」というお祝いの言葉を述べました。
そして安倍総理大臣の発声で参列者が万歳を三唱し、これに合わせて皇居外苑の北の丸公園で自衛隊が21発の礼砲を打ち鳴らしました。
  
夜は    『 饗宴の儀』 で締めくくられた。
   
★この儀式に寄せられたコメント、一般国民の感想の幾つかである。
『これだけの国賓がお祝いに訪れるなんてすごい
改めて世界最古の王朝の威厳を感じますね  』
『 昼間の儀式で全て今日の行いは終わったと思ったのですが、まだ饗宴の儀があって、おもてなし的に最後の最後まで、日付変わるまで続くのでしょうね。体力があっても大変だと思える行事が続きますね。
メニューは思ったほど豪華でもなく、むしろ質素な感じですね。これじゃ一日の体力取り戻せなさそう。
何より最後まで無事に終わりますように。  』
『各国元首は日本から贈られた勲章を着けて参加するのだけど、これだけ多くの大勲位菊花章頸飾が一堂に会するのもスゴイ 』
『今日の皇后さまは、朝のお出かけから笑顔でお手振りをされ、
夜は饗宴の儀でも笑顔でした。お元気そうで安心しました。
パレードが日延べになって、返って良かったかもと思う。
一日中の緊張感が少しは楽になる。
しかし、両陛下の存在感は凄いと改めて思った。  』
『雅子様、素敵すぎる。
皇室の誇りです。
芯が強い方。
庶民の私だけど…
頑張っていこう!          』
『雅子さま凄くお美しい。皇室外交でご活躍されることと思います。令和の新時代にふさわしい両陛下ですね。    』
★ 無事終わって、何かホッとした感じである。
 台風の被害があって、パレードは後日に延期されたが、また『素晴らしい1日』になるのだろう。
 『日本・万歳!』 である。

2019年10月20日

NPO The Good Times 10周年を迎えて

投稿者 : rfuruya

 

★ NPO The Good Times を設立したのは、
    2009年6月のことでしたから、
 今年令和元年を迎えて、ちょうど10年目に入ろうとしています。
 
『異種・異質・異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』
という基本コンセプトの、非常にユニークなシステムで、ネットをベースに活動を続けてきました。
 設立に当たって、このように述べています。
NPO設立にあたって
21世紀の少子高齢化社会を「モザイク社会」と言われたりします。
近年、個人の生活も、いろんな団体の活動も、それぞれが好きなことだけを断片的に行う傾向が強くなってきています。そして、これを繋ごうとする力が逆に弱くなっていることら、家族や地域コミュニティの弱体化が進んでいるものと思われます。
近年、インターネットの世界のブログやSNSなどそのシステムの向上は目覚しく、「異種、異質な組織」が「それぞれの資源や特性」を持ちより、「対等の立場」で連携し、イベントや講座の共催、共同運営を行うのには、これら新しいネットの仕組みは非常に適しています。
私たちは、兵庫県が後押し地域活性化を目標にしている地域SNS「ひょこむ」のメンバーです。私たち『ひょこむ』のメンバーの各分野のグループは、互いに連携して種々のイベントや講習会の企画展開をして参りました。
文部科学大臣賞受賞の「どこ竹の竹とんぼ」教室の講師養成を目標に、『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』というコミユニティの中で、関西ではじめての講師養成講習会を開催しました。
また、全国の鉄道マニアと神戸海洋博物館、カワサキワールド、神戸市のメリケンパークを結びつけて、ミニSLの走行会を企画実施することにより、5000人規模の観客動員が実現しました。
今回、特定非営業活動法人として申請に至ったのは、上記の諸活動の企画やソフト分野の機能を法人化することによって、更なる高度なシステム化をはかり、新しい仕組みの構築を目的としています。
同時に、趣旨に賛同する会員をいろんな分野から集めることにより、より多彩で柔軟な広域活動や、異種の連携が見込まれます。これにより将来、その輪はさらに広がり、展開されているソフトとかノウハウは法人の中に蓄積され、更なる効果を生むものと期待されます。
この法人の活動は、個々のグループの活動の連携を図るソフトの活動です。このような社会の新しい仕組みを最大限に利用して、モザイクタイルを貼り合わせ一枚の名画を創作するように、個々が持つすばらしい素材をつなぎあわせて、21世紀のモナリザの名画を描くような新しい活動を企図しています。
       NPO法人 The Good Times     代表 古谷錬太郎
 この趣意書の中に書かれている『ミニSL』のイベントも、
10年の月日を重ねて、今では川崎重工業の恒例のイベントとして定着しています。
  
このイベントの起案者は、NPO The Good Times の理事の福井昇くんで、
当時の川重会長・田崎雅元さんのご協力により
カワサキワールド』や『神戸市のメリケンパーク』を繋いで実現したもので、
まさに異種・異質・異地域の協働で成り立っています。
★この10年の間に、世界の団体会員さんが集めてくれた会員さんの数は、1万人を超えています。
 すべての情報活動はネットで行っていますので、
『NPO法人の活動経費は、0円』という世界で唯一と言っていいユニークなNPO法人に仕上がっています。
 このブログをはじめ、NPO 法人の活動情報はネットの中でFacebook やツイッターで発信されるので、費用が掛からないのです。
 こちらがそれぞれの団体会員さんが発行している『会員カード』です。
   
いつも、このブログの最後に載せているのが、
NPO 法人のシステムなのです。
クリックされてみたらビックリされると思います。
★  令和の新しい時代を迎えて、
 NPO The Good Times もまた、新しく脱皮しようとしています。
今回、永年の活動により二輪業界で初めて旭日小綬章を受章を受賞の吉田純一さんと、
    
彼のカワサキ時代の同期の 柏原久さんのお二人が新しい理事さんとして参加して頂けることになりました。
さらに青木隆・森田政治・腰山峰子・多田喜代一さんの4人の方が新アドバイザーに就任頂くことになりました。
そんな歓迎会のような楽しい会食でした。
   
 この写真のシャッターを切ってくれたのは、事務局長の登山道夫さんです。
★ 現在は、カワサキで初めて鈴鹿を走った男、
 あのモトクロスの山本隆さんが、理事長を務めてくれていますが、
 こんな新メンバーを加えて、
 NPO The Good Times がどのような新活動を展開するのか?
 是非、今後の活動をご期待ください。
2019年8月28日

カワサキ  26年振り 8耐優勝 !

投稿者 : rfuruya

 ★ KAZEの機関誌が送られてきた。

 当然のことながらTOP記事は、26年ぶりの『8耐優勝』である。
 もう1ヶ月前の出来事だったが、昨日のことのように想いだす。
 特に、長くレースの世界と関係のあった私にとっては『鈴鹿8耐』は、また特別のものだった。
 耐久レースの世界では世界のトップの位置に長く君臨していたのに、
 なぜか、『鈴鹿8耐』だけが、ご縁が薄かったのである。
   
 18年ぶりの『ワークス体制』で臨んだという。
 テレビ観戦だったが、今年のカワサキは、「優勝して当然」のような走りっぷりを見せていて、残り20分の時点では、転倒でもない限り優勝は間違いなかったのだが、
最終回に、オイルに乗ってのまさかの転倒、ホントにやきもきしたのだが、
 ルールによっての優勝が決まったのである。
  こんなファンたちと共に、
  
 鈴鹿8時間耐久の連続優勝の第1年目にして欲しいなと思っている。
2019年8月7日

ネパールのテコンドーチームの三木合宿

投稿者 : rfuruya
★パラリンピックにテコンドー競技が取り入れられているようである。
 テコンドーそのものをよく解ってはいないのだが、韓国発祥の競技で、空手と似ているぐらいの理解しかないのだが、
来年のパラリンピックに出場する『ネパールのテコンドーチーム』が
三木山総合公園にある総合体育館で合宿をするということは以前から知っていた。
 それが昨日から8月10日まで行われるというのである。
   
昨日、ジムに行ったら『9時半からネパールのテコンドウの合宿がありますよ
とこんな団扇を頂いたのである。
    
 いつもランニングしている体育館でそれは行われるというので、
 練習のスタートから30分ほどを観てきたのである。
 それをこんな動画に1分間に纏めてあるので、まずはご覧ください。
 
★ネパールから来られたこんなチームを地元の三木で応援しているのは、
 NPO Laliguras というNPO法人の方たちで、
   こんなTシャツや
   
 こんなチラシを作って応援しているのである。
   
    こんなNPO法人で、理事長の方は 水場あけみさん と仰るのだが、
    私は全く忘れていたが、
 『新井けんじさんの緑が丘夏祭りでお会いした』 と仰るのである。
  
 そのネーミングの『ラリグラス』とは
 『ラリグラスとはネパール語でシャクナゲのことで、
 特に赤いラリグラスはネパールの国花ともなっている
 元々、ネパールとは関係があっての応援のようである。
 写真は練習スタートの時点だが、
 左側が選手たち、右側の真ん中が水場さんなのである。
  
★ 三木市の教育委員会のスポーツ課の方も来られていたし、
  NPO法人ラリグラス理事長の水場あけみさんは、新井謙治さんとも繋がってる    ようだし、私とも面識があるとも仰るので、
 『ネットでも応援しますよ』と言ったので、こんなブログをアップしているのである。
ところでパラリンピックに出場する3人の選手のうちお二人は15歳の若さで、
特に女性のパレシャさんは、『メダルも有望』とか言っていた。
  
 そんな彼女の練習風景がいっぱい入っているので、
 15歳のそんな彼女、もう一度動画で是非、ご覧になって下さい。
 未だ10日までいるそうだから、また何かあれば改めてご報告してみたい。
2019年8月3日

カワサキの変遷 西明石地区の変遷

投稿者 : rfuruya

★カワサキの二輪事業は川崎重工業の明石工場がそのベースである。

 明石の西、所謂『西明石』にあるのだが、
 私が入社したころ(昭和32年)の川﨑航空機工業はこんな感じだったのである。
 昭和31年のこんな珍しい航空写真を、Facebook でたまたま繋がっている
 宇野健一さん がほかの写真と共に、わざわざ送って下さったのである。
 これは貴重な写真だと思う。
 多分、こんな写真は会社にもないのではと思うし、
 私自身こんな時代の写真を見るのは初めてことなのである。
  
 昭和31年ごろとあるから私が入社した当時の写真である。
 財産課に配属されたので、入社早々課長に連れられて会社の土地を見に回ったことがあるのだが、西の方(この写真では上の方)は実際のところ行ってみてもよく解らなかったぐらい広かったのである。
40万坪以上あったと言われていたから、現在の3倍ぐらいの広さだったのである。
 戦時中の工場は全て爆撃で完全に破壊されていて、通称3研と呼ばれていた総合事務所(写真の下から二つ目)とずっと上にあるエンジンの運転場が戦前の建物としては、残ったくらいなのである。
ほかの建物は、昭和27年の会社再開以降に新しく建てられたものである。
一番下が 歯車工場(四角い建物)で、総合事務所の向う側が、当時東洋で唯一の米軍のジェットエンジンのオーバーホール工場、その向こうの屋根にマークの入っている建物はヘリコプターの格納庫である。
 当時は、会社の経営自体が非常に厳しくて、爆撃でやられた工場の鉄骨や、戦前の旧い機械を売ってたり、それではとても足りなくて、40万坪の土地を売り食いして、繋いでいたのである。
その後昭和35年に、新しく単車事業をスタートさせたのだが、
この時点では未だその計画すらなかった時代なのである。
 これがほぼ現在の写真だと思うので、60年も経つと世の中は変わるものである。
  
★まずは、カワサキの当時の明石工場の話から入ったのだが、
宇野健一さんが言ってこられた本筋は、
 当時の西明石のまちや、西明石駅の話なのである。
今は西明石駅は新幹線も止まる立派な駅なのだが、私が入社したころの昭和32年当時は未だ明石駅から西明石駅は分線になっていた支線の終点で、姫路に行くには一度明石に戻って、もう一度山陽本線に乗り換えないと行けなかったのである。
西明石駅の歴史を調べてみたら
● 1930年(昭和5年)「明石操車場」として開設、1944年(昭和19年) 4月1日 「西明石駅」となるのだが、当時は川崎航空機社員専用として駅舎があったのみ
● 戦後1946年(昭和21年)4月に一般旅客用の駅として開業
● 1961年(昭和36年)6月 – 橋上駅舎の使用を開始
● 1972年(昭和47年)3月 – 山陽新幹線の新幹線の駅として西明石駅が開業
★ 以上のように、西明石駅は、当初は川崎航空機の社員専用駅としてスタートし、戦後は一般にも公開されるのだが、
宇野健一さんは当時から、西明石に住んでおられて、この西明石の町や西明石駅の変遷を近くでご覧になってこられて、いろんな想い出もお持ちなのである。
 私はそんなに詳しくは覚えていないのだが、入社当時は明石から西明石まで電車で通っていたし、この一番下の写真の橋は、確か今も残っている陸橋で、この橋を渡り切ったところに明石工場の西門の入口があったのである。
多分昭和36年頃だと思うが、私もこの橋を渡って通勤した記憶もあるような気がするのである。
 写真に添えて、宇野健一さんは、こんな文章を添えて頂いている。
私は今から65年前の1954年、三木町から引っ越してきました。
まだ西明石は田舎で、駅の南側が中心で望海中学をはさんで川崎航空機と国鉄官舎がおおきなところ、我々の西明石町は当時、花園町で住所は和坂(かにがさか)と言われていました。 中学生でしたが神戸の生田中学に入学、省線電車で通学していました。高校は明石高校に入り、自転車通学に変わりました。
そのころの西明石駅はまだ、川崎のために出来た引っ込み線で、西明石が終点、山陽本線の電化以降、そして新幹線の駅ができるとなって大きく様変わりがしました。
 神戸大学に入ってからは教養課程が姫路分校であり、明石駅まで普通電車に乗って、姫路方面の汽車に乗り換えるという時代が続きました。
懐かしい思い出です。
そのころは、川崎は航空機でジェットエンジンのテストとかなんといって、一日中モノすごい騒音で悩まされました。
 確かに、ここに書かれている通りで、当時のジェットエンジンの運転はすさまじかったのである。
それが許されていた昔の出来事なのである。
 文中にある和坂は、確かにその通りで、『かにがさか』と呼んでいた。
今の明石工場の正規の住所は 明石市川崎町1-1 なのだが、昔は『和坂1-1』だったような気がする。
 その読み方も今はその字の通り『わさか』と言われているらしいが、昔の明石の人も私自身も 和坂を『かにがさか』 と読んでいたのである。
Googleで調べたら、こんな風に出てくるのである。
  
 宇野さん、いろいろとありがとうございました。
こんな貴重な写真は、間違いなく川崎重工業の現役諸君も、初めてだと思います。西明石駅が川崎航空機の社員の専用駅だったことなども、
それが明石駅からの分線だったことなども、ご存知なかったのでは。
2019年7月17日

キッズサポート クラブ の 新井けんじさん

投稿者 : rfuruya
 

★ 『キッズ サポート クラブ』はNPO The Good Timesの団体会員の一つで、
今年三木市会議員に当選された 新井けんじさんが主宰されるクラブなのである。
ずっと前から、この緑が丘で一途に子どもたちのために活動されていて、NPO The Good Times の理事さんにもなって頂いている新井さんである。
 
選挙の時も 『こどもの未来のために』 と言っておられたが、
今回当選をされて、その公約通りの活動を展開されるようである。
 こんなチラシを作られて、その活動を開始されるとか。
   
もうずっと続けておられる 『緑が丘ふるさとまつり』も、今年で37回目になるようだが、 その応援ボランテイア や スタッフの募集をやっておられるようである。
 そんな具体的なお手伝いはなかなかできないが、『こんな情報発信』の分野では私にもお手伝いは出来るかなと思っている。
  
この『ふるさと 夏祭り』は非常に規模も大きいのだが、
そんな大規模イベントだけではなくて、1年を通していろんな活動を続けておられる。
どんなイベントにも子どもたちがいっぱいで、『新井けんじ』さんは子供達には絶大な人気者なのである。
 市会議員になられても『先生ぶった』ところなど皆無で、今まで通りの新井さんであるのがいい。
 今後は、緑が丘だけでなく、三木の子供たちのために、今までよりはちょっとだけその範囲を広げていかれたらいいなと思っている。
 新しく創られたという名刺には、このように書かれていて、
 今まで通り『議員さんの肩書なし』での活動のようである。
   
 果たして、どのように続いて行くのだろうか?
2019年7月3日

三木市のこと いろいろ

投稿者 : rfuruya

三木市のこと  いろいろ

みっきぃふるさとふれあい公園

★ 三木市に移り住んでから、もう45年にもなる。
    兵庫県明石で生まれ、それ以降の86年間を
 朝鮮太田市ー朝鮮京城府ー明石市―仙台市ー高槻市―三木市
 と移り住んだのだが、いまでは三木が一番長くなった。
 その三木市は今年で市政65周年だそうである。
 
 兵庫県の中で三木はこんな位置にある。
 学生時代は、明石に住んでいたが、
 三木はずっと奥の北の方にあるまちだと思っていた。
   
まさか『そこに住む』ことになるとは思ってもいなかったのである。
★昨日は『大雨情報のこと』で、いま住んでいる『三木緑が丘は大丈夫』と書いたりしたのだが、
三木のことを Wikipedia ではどのように書かれてあるのか調べてみた。
Wikipediaについてちょっと一言。
私自身が Wikipedia に初めて出会たっのは、娘家族がアメリカに移住した15年も前のことだが、アメリカに行った娘がアメリカでの孫たちの小学校の宿題を『Wikipedia』で調べるというので知っていたのである。
 その頃、当時の三木市の広報の人たちに『Wikipedia』を訊ねたら、どなたもご存じなかったのだが、一般の市では、Wikipediaの記述が殆どなかったそんな時代に、『三木市』は仙台市と並んでその記述内容は日本でもトップクラスだったのである。
その『三木市の記述』に三木市のある職員の方が絡んでいて、びっくりしたのを思い出すのである。
 そんなことで、久しぶりに見た『三木市のWikipedia』の内容は当然のことながら立派になっている筈なので、その中から抜粋してみたのがこれである。
兵庫県の中南部、神戸市の北西に位置し東経135度線日本標準時子午線上に位置する都市で、市の南部に人口が集中している。
2018年4月30日現在の人口は78,141人。
美嚢川沿いに設置された三木城を中心に城下町が形成されていた。
戦国時代には三木合戦の戦地、江戸時代からは三木地区を中心に金物の本格的な生産が開始され、金物を主な産業としており、それによって発展してきた。
1970年代以降には京阪神のニュータウン開発が開始され、志染町広野の神戸電鉄粟生線の北側の山林を中心に住宅地開発がなされて人口が急増した。緑が丘町・青山・自由が丘は、一戸建てが並ぶ閑静な住宅街になっている。
旧市街地は市の南西部の美嚢川に沿って広がっており、ひめじ道や湯の山街道などの歴史的な街並みが現存しており、旧市街地と造成された新興住宅地に住む2つの住民層に分けられる。
交通の結節点であり、市内に高速道路が4路線、国道が2路線通っている。
多数のゴルフ場、公園都市であり、やレジャー施設や志染の石室・伽耶院などの史跡が多数あり、観光資源に恵まれている。
市の由来
神功皇后が君が峰で休憩時に地元から壷に入れた酒を献上したことから、御酒(みき)→三木(みき)、美壷(みつぼ)→美嚢(みのう)となったと伝えられている。
六甲山地の西側・中国山地の南側の播磨平野に含まれ、市域を東から西に美嚢川が流れる。平野部を囲むように河岸段丘となだらかな丘陵が広がる。内陸部であるため降水量は比較的少なく、ため池が多い。
美嚢川沿いに旧市街があり、南東部の神戸市との境付近に新興住宅地がある。
三木市内は瀬戸内海式気候のために温暖な気候であり、平均気温が毎年15度前後である。晴天日が多く、年間降水量が1000ミリメートル未満の雨天日が少ない気候のためため池が多く立地しているので山田錦の栽培に適している。
自然災害に見舞われることは少ない地域である。
★昨日は、こんなことが書かれていることは知らなかったが、『三木市は雨が少なく自然災害がない安全な町』と書いたのだが、それは当たっていたようである。
 でも一般に三木のまちのイメージは『日本一の金物のまち』だが『田舎まち』という印象が強いのだが、三木市ももっと積極的に『独特のブランドイメージ戦略』を取ればいいのにと思っている。
 何度もネットではアップしているが、順不同に並べてみる。
 私は次のように思っている。
● 三木はアメリカのような広く住みやすいまちである。
● 高速道路網が縦横に走っているし,一般道も広くて渋滞がない。
     
● ゴルフ場は市内に25か所もあるし、日本一の廣野ゴルフ倶楽部もある。
   
● 『世界一・日本一』がいっぱいのまちである。
 金物も、山田錦も日本一だが、公園の広さも、テニスコートの数も、桜の木の数も、
 無料駐車場の広さも 多分日本一だろう。
  
● 屋内テニスコートのビーンズドームや
 
● Eーディフェンス は多分世界一だと言っていい。
  
  
●『日本一美しいまちをめざす三木』でもある。
     
● 開拓された住宅街の広さも、格別で、隣接する『廣野ゴルフ倶楽部』が小さく見えるし、アメリカの住宅地と同じく高層マンションなど建っていない。
 
三木市はこんなに緑も、ゴルフ場もいっぱいで、
私は『アメリカのようなまち』と言っているのだが、
幾らか『三木のイメージ』変わりましたでしょうか?
   
2019年6月30日

カワサキアーカイブス 私が入社したころの川﨑航空機工業という会社 その4

投稿者 : rfuruya

カワサキアーカイブス  私が入社したころの川﨑航空機工業という会社  その4

 

★ 私は昭和32年(1957)に川崎航空機工業に入社したのだが、新しく明石に単車の一貫生産工場が出来て、オートバイの生産が始まったのが昭和35年、私が初めてできた単車営業に異動したのが昭和36年11月なのである、
 それまで会社としても全く未経験分野の民需商品の末端販売は、『上の人たち』先輩たちも未経験の分野だったから、それを担当したのはその当時に入社した若い人たちが殆どだったのである。
 私より上の人たちで言うと、アメリカ市場を開拓した浜脇洋二さん、後Z1を開発した大槻幸雄さん、レースも担当しF21Mのエンジン開発の安藤佶郎さん生産関係を推進された中村治道、髙橋鐵郎、川崎芳夫さんなどだが、
むしろ、私より後の33年度入社の田崎雅元・稲村暁一、34年の北村敏、35年は百合草・武本・種子島、上月くんなど名前が書ききれないほど多数、36年は野田浩志、佐伯武彦、37年は前田、小池くんなど、38年の井川くんと続くのである。
カワサキの創生期の時代を引っ張った人たちとはこんな入社早々の若手だったのである。
 特に昭和38年(1963)頃からの海外市場の現地に赴いたのは、すべてと言ってもいい『若手諸君』だったのである。
 そんな若手に任さねばならなかったのは、事業の事情から言って『仕方がなかった』のだと思うが、任された若手もよくやったものである。
 当時の川崎航空機工業自体が若い会社で、全軍の指揮をとられた岩城良三本部長も今で言うなら部長クラスの年齢だし、技術の山田熈明、営業の苧野豊秋さんなども新人課長であった時代なのである。
 そんな経験をしたものだから、私自身は『人間は年と共に成長する』などはウソだと思っていて、人間20歳になれば既に何でもできる判断力も実行力も身についているのだと思っている。
昔の戦国武将の活躍がそうだし、川崎航空機時代の若手も、それに負けない活躍をしたのである。
★当時はカワサキも4輪の開発も手掛けていて、もう殆どできていたのに、当時の川崎重工や川崎製鉄の『グループのトップ層の反対』で陽の目を見なかったのだが、これが昭和35年頃の話で『4輪がダメなら二輪』ということになったのかも知れない。この4輪の4サイクルエンジン開発を担当したのが昭和33年入社の稲村暁一さんなのである。
  
★山田淳一さんが纏めてくれた記事には、このほかにこんな源平芸能合戦や、当時のレース関連のことも入っているので、ご関心のある方はご一読を。
こんな感じのオモシロい自由な雰囲気の会社で、こんなことを担当してたのが、入社して間もない私だったのである。
★ それにしても『よくやったな』と思う。
 当時は二輪メーカーは100社以上もあって、大企業の三菱・富士重・トーハツ・BSなどもいたのだが、浜松のホンダ・スズキ・ヤマハの特に営業面でのスピードに大企業はついて行けずにみんな脱落して結局『カワサキ』だけが残ったのである。
カワサキが残れたのは『第1線の営業を川崎航空機の人がやらなかったからだ』と私は思っていて、それはほぼ『間違いない』のである。
 最初は国内市場だけで『カワサキ自販』が担当したが、その時のトップは川航の専務さんだったが、『従業員は全てメイハツ・メグロの人』でスタートしたのである。
 海外のアメリカ市場は、濱脇洋二さんが旗を振られたのだが、徹底した現地主義で実際の経営をやったのは『二輪知識の豊富なのアメリカ人たち』なのである。
今回のアーカイブスも今は12人の日本人が語っているが、次は二人のアメリカ人が『アメリカ市場でのカワサキの歴史』を語るようである。
 そしてヨーロッパ市場の開拓に乗り出したのは10年もあとのことだが、ヨーロッパを開拓したのは、メグロ出身の私より幾つか下の『内田道男』さんなのである。
  
 これは1988年10月に『カワサキファクトリーチーム25周年を記念』して私が主宰したOB会なのだが、当時の現役たちも参加しているのである。
25年前と言えば1963年・昭和38年のことだから、二輪事業がスタートしてすぐの時代なのである。
この1列目に座られている方が、『カワサキの二輪事業の推進者』だと言っていい。
 真ん中に西海義治さんを挟んで左に山田熙明、右に髙橋鐵郎・苧野豊秋・中村治道・大槻幸雄さんと続いていて、左側にはメグロから来られた糠谷さん松尾勇さん、
さらに第二列目には私の横が田崎雅元さん、平井稔男さんもいるし、3列目には北村敏さんも武本さんもいる。
 『カワサキアーカイブス』を創るのが少し遅かった。
 この方たちがご存命の頃に創ればいろんなお話が聞けたはずである。
 でも今回のアーカイブスでも、いま12名の方が語られているというのだが、この写真の中からも大槻・糠谷・田崎・私と4人の方が語られているし、この会には欠席の百合草三佐雄さんも12人の中に入っているようなので、当時のレース関係者は、その後のカワサキの二輪事業の中枢を担ったと言ってもいいのである。
 この写真、ライダーたちも、安良岡健・山本隆・歳森康師・金谷秀夫・星野一義・清原明彦などなど有名人がいっぱいなのである。
 みんな川崎航空機工業時代を生きた人たちなのである。
川崎航空機工業という会社、その後の川崎重工業とはちょっと違った自由な雰囲気のあった『オモシロい懐かしい会社』だったし、そこで働けたこと、仲間たちに出会えたことが、今の私に繋がっていると思っている。
 『私が入社したころの川﨑航空機工業という会社
 4回続けての掲載だったが、コレで一応終わりにしようと思っている。

カワサキアーカイブス 私が入社したころの川﨑航空機工業という会社 その3

投稿者 : rfuruya

カワサキアーカイブス 私が入社したころの川崎航空機工業という会社  その3

 

★昭和36年当時、カワサキに初めて単車営業課が出来て、私が異動したころの話である。
 それまではエンジンだけを造っていたカワサキが明石に一貫生産工場を造ってオートバイの生産を始めたのである。
 当時の川崎航空機工業でも初めてのことで、『造る』のは兎も角、『末端に完成品売る』という経験など全くない時代のことなのである。
 当時はトヨタもトヨタ自販とトヨタ自工があって、それを真似たのかカワサキも『カワサキ自販』を造ってその社長は川崎航空機の専務が兼務したりしていたのだが、従業員は旧メイハツやメグロの人ばかりで、その会社に単車を売る営業を私が担当していたのである。
 次項でちょっと紹介するが、その頃カワサキも4輪車の開発をやっていて、Zのエンジンを担当した稲村暁一さんは、そんな4輪のエンジン開発を担当していたのである。
 まずはこの時期の話、読んでみてください。
 
 
★当時のカワサキ自販の総務課長兼広告宣伝課長をしていた『小野田滋郎』さんは私が現役時代出会った人の中で『最高に凄い人』だった。
 旧い私のブログの一文に小野田さんのこと、こんな風に書いている。
  
カワサキのレース活動は『青野ヶ原モトクロス』のB8で始まったというのが定説だが、実はもっと前のB7の時代にカワサキ自販で小野田滋郎さんがヤマハから三橋実を引っこ抜いて始めているのである。
 三橋実は、日本でのはじめての鈴鹿サーキットであった本格的なロードレースの250㏄のチャンピオン(ヤマハ)なのである。
 彼が厚木に創った『カワサキコンバット』には安良岡健なども参加したし、あの星野一義もそこからレースを始めているのである。
こんな話を知ってる人は、カワサキの中でも今ではホントに少ない。
明石のカワサキの中では、井出哲哉さんがこのB7のモトクロスには個人的に絡んでおられるのである。
 このB7に乗ったライダーが三吉一行、不思議なことに若い頃の本橋さん(ヤマハ)も乗ったことがあるとか、これはご本人から聞いた話である。
                 (つづく)

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